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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2011年04月14日 イイね!

徒然なるままに六本木

徒然なるままに六本木六本木のミッドタウン脇の公園にてゆったりまったりとしている。
桜の花や整然とした並木、美しい芝生を楽しんで、美術館にでも行こうと思ったが、震災の影響なのだろう、六時にて閉館との掲示を発見(サントリー美術館)。
実を言えば、当初は同じく六本木にある国立新美術館にてシュールレアリスムの作品を観たいと考えていたが、私のメモ書きによれば、金曜以外はやはり六時閉館なのであった(火曜休館)。
次回は日の明るいうちに来るとしよう。

さて、今は昔のこと。六本木に「イエロー」というクラブがあり、深夜赴いたことがある。いまはおそらく閉店しているだろうが、この狭い六本木界隈のどこにあったのだろう。
ほんの15年前弱のことに過ぎない。ヒルズもミッドタウンもなく、繁華を極めていた点では現在同様だが思い出せない。
もう一点、当時付き合っていた彼女と横浜までドライブすることになり、六本木のレンタカー屋でパルサーを借りた。これまた不思議で、私はトヨタのクルマ(カリーナ)を持っていたし、なぜに六本木でパルサーを借りたのかが謎である。且つ借りたレンタカー屋の場所もわからない。
過去は重層的に記憶に蓄積され、ある過去は明瞭に覚えているのに、同じ過去でも記憶を送る装置に絶縁体でも施しているがごとく、過去の出来事のある断片がまったく引き出されない。

なんとも不思議であるが、不思議と言えば、公園内にある屋根付きの吸殻入れ(画像参照)。ミッドタウンのシンボルマークに模したのだろうが、灰皿交換が大変そうである。また、ここが稲荷さんの祠なんですと外国の人にからかいで言ってみても通じそうだ。
公園内に前衛的(?)なオブジェがいくつかあるし、またミッドタウンの都市としての風致によく似合うと思うが、これは六本木にあるテレビ朝日の「10」の数字(関東ではアナログ放送で、10チャンネルとして親しまれてきたが、地デジにより、チャンネルがたしか5番に変わった)同様に後世に語り継がないと、本当に稲荷さまとして祀られてしまうのではないか、などと面白い想像をしていたら、すっかり夜桜がきれいな時間になった。
Posted at 2011/04/14 18:41:58 | コメント(1) | トラックバック(0) | 散歩 | 旅行/地域
2011年04月13日 イイね!

三陸浄土ヶ浜の石

三陸浄土ヶ浜の石もう三年だか四年ほど前になる。
父方の祖父が亡くなってしばらくした頃、冒険心に富んだ私は
夏の盆の前くらいに、東京を出発し、怒涛の雨の中、北東北へ。
秋田の鹿角に着いた頃にはウソみたいに天気がよくなっていた。
鹿角から、十和田湖(秋田県との境でもある)を経由して青森の八戸に宿泊。
十和田湖畔の食堂では、十和田湖ホテルの方によくしてもらった思い出が濃密に頭の中に記憶されている。

翌日は、三沢をとおり、下北半島の一番の先っぽである大間崎から北海道の大地を見た。北海道を対岸に見るなんてことは予想だにしていなかったから感動は大きかった。
私の計算では津軽方面も十分回れるだろうと考えていたものの、青森は思いのほか広く下北半島を周遊し(夜の恐山も通過した)、予定時刻を大幅に遅れて、三陸の久慈(岩手県北東部)の宿に着いたのだった。
もう零時を越えていた。
夏なのにえらく寒かったことを覚えている。

翌日は三陸のリアス式海岸沿いをひたすら南下。
前々から行きたいなと思っていたところだったからとても楽しかった。
リアス式の方々で立ち寄っていたら、仙台に着いたのはもう夜。
みちのくの広さを実感したものだった。

宮古市に浄土ヶ浜という美しい浜がある。海鳥が鳴き、白い岩塊や小石が無数に散らばっているすごく不思議な光景で、とても印象に残っている。
海鮮を食したのち、浜を散策したときに方々に落ちている白い石がとても美しくて、二個ほど家に持って帰った。
今でも大切にしている。
今の浄土ヶ浜(広く三陸地方)の状況は私にはわからない。メディアが報じるとおりだといえばそうだけれど、それよりも私はあの場所で石を拾って持ち帰ったというのがすごく不思議なのだ。
石を持ち帰るという習慣は私にはないので、なぜに美しい白色の石とはいえ、持ち帰る気になったのだろう。

すべすべとしたこの美しい白石は浄土ヶ浜でこそ、よりその美質を発揮するとも思ったのだが、なんとなく持ち帰ろうと考えた。
状況が落ち着いたらまた三陸に行こうと考えているのだけれど、この白石も元の場所に戻すべきだろうか。
それとも旅の思い出として大切に保管しておくべきであろうか。
実はそんなことを考えたりしている。
世の中は例外なく必然が支配していると私は考える。
あのときに、私が白石を持ち帰ったというのも、理由なぞ分かりやしないが、決して偶然ではないのだろう。何らかの意味を持つ必然であろう。
そう思っている。





Posted at 2011/04/13 20:07:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | とりとめもないこと | 日記
2011年04月13日 イイね!

私はこんな方法(≒場所)で洗車してます

私はこんな方法(≒場所)で洗車してます
私の洗車方法(場所と言い換えてもいいだろう)をごくごく大雑把にご紹介しよう。
大別すると以下のとおり。

1)洗車場で洗う
2)GSでの機械洗車
3)カー用品店・GS・ディーラーで洗車してもらう
4)洗車専門のショップにお任せする
5)自宅前

主にこの五つを適宜使い分けていて、一つの方法があるというわけではない。
なぜなら、それぞれに楽しみがあるから。
寒い冬の中、洗車場でウエス片手に愛車のボディを拭くのも楽しいし(その後
の一服がたまらん)、機械洗車のブラシの動きを観察していると遊園地のアトラクションを堪能している気分になれるし、プロにお任せするとさすがだなと感心する
とともに、愛車がどんどんきれいになる様子を外の視点から眺めることができる。
ついでに言えば、洗車を待っている間にリッチな気分にもなる。

そんなわけで、とかく方法といっても、いろいろな可能性を試しているわけだが、
それでええんじゃないかねぇ。
方法を限定せずに、いろいろな方法を試す。
無論、人にはいろいろな考えがあるけれど、私はそんなわけで、これからも
新たな洗車方法を模索していくつもりである。

Posted at 2011/04/13 18:55:39 | コメント(4) | トラックバック(0) | 愛車プリメーラ(自動車) | クルマ
2011年04月13日 イイね!

書評 『日本語 表と裏』(森本哲郎著・新潮文庫)

書評 『日本語 表と裏』(森本哲郎著・新潮文庫)普段何気なく使っている言葉がある。あるとき、ふと当たり前のごとくその言葉を使っている当人が、なぜこんな表現になっているのだろうと思案にくれた経験はないだろうか。
また、ごくごく単純な表現ながら、外国人にその表現が使われる意味や場合について聞かれたときに、途方にくれたことはないだろうか?
たとえば、助詞の「は」と「が」はどのように使い分けるんですか、なんて言われたときに理路整然と答えられるだろうか。
「大半の人」というときの大半とは全体の何パーセントの人のことを指し示すのか。などなど。

「よろしく」「やっぱり」「虫がいい」「どうせ」「いい加減」「いいえ」「お世話さま」「しとしと」「こころ」「わたし」「気のせい」「まあまあ」「ということ」「春ガキタ」「おもてとうら」「あげくの果て」「かみさん」「ええじゃないか」「もったいない」「ざっくばらん」「どうも」「意地」「参った、参った」「かたづける」

これらは『日本語の表と裏』のなかにある目次だが、これらの語義だけを扱うわけではない。表題の語句を通じて、著者の海外や日常での経験、外国人や自身の人との交わりなどを通じて、コラム的な筆致で難解そうな事柄をうまく読み進めさせていく。

一例を挙げよう。
「虫がいい」であれば、「虫がすかない」とか「虫唾がはしる」といった虫にまつわる関連語を列挙し、なぜこういう表現をするのかという考察を、日本人のメンタリティや日本社会の構造、日本の気候風土など、さまざまな観点から半ば実験的に分析して推理していく。
「虫」に関していえば、著者はフロイトが唱えたリビドーと同じようなものではないかと推測する。つまり、虫というのは無意識の底に沈殿しているものであるが、何かのきっかけで意識に浮かび上がってくるものである。ゆえに、自分の意志ではどうにもならない精神や本能を指し示しており、これを虫と呼んだのではないかという具合に論を展開していく。

上に挙げた「は」と「が」の使い方の違いについては、諸説を紹介しつつも、著者自体、推測としての仮定を出す段階がやっとのことという按配である。
そう、仮説なのである。
著者自身もそれは認めている。
1)「春が来た 冬は去った」
2)「春は来た 冬が去った」
3)「春が来た 冬が去った」
4)「春は来た 冬は去った」
どれも正しいのだろうか。私はなんとなく1)がしっくりくるのだが、その理由を論理的には説明できない。感覚的にそう思うのみである。

私は何気ない言葉を掘り下げても完全に得心が行くということはありえないと思う。それほどに言葉の世界とは多様であり、広漠だと思うからだ。
そしてまた、「ということ」という項目で著者がいみじくも指摘するように、本来は具体的な事物を表すことから抽象的な事柄を表現するというのが言語の成長過程であった。しかしながら、日本ではヤマト言葉が抽象表現を大いに発達させる前にすでに抽象表現をたくさん持っていた漢語を輸入した。
抽象的な表現を独自に育てあげなかったためか、日本では抽象的な表現があまり好かれない。なぜなら、ヤマト言葉として抽象化された言葉でないために、どうもわれわれには馴染みがないのだ。

しばしば「難しい文章」とか「わかりやすい文章」ということが論じられることがあるが、おそらく語彙が多く専門用語が多く、文法構造も複雑極まりないから難しい文章であるとは言えないと思う。
わたしたちは抽象的な事柄を論じるとき(たとえば、「木」とか「花」とかといった具体的な対象を示す言葉ではなく、「自然環境」という抽象的な事柄を論じたりする)、上代以後に大量に輸入された漢語や明治時代に入ってきた西洋語に頼って表現するほかない。だから、どうにもこうにも言語としての感覚が日本語らしくないから難しいと感じるのではないだろうか。
また、「わかりやすい文章」とは何だろう。
誰にでもわかるような語彙のみを使い、平易な言葉のみを使う。これがわかりやすい文章なのであろうか。
それはそれでいいとは思うし、「わかりやすさ」ということをわたしも希求していきたいが、今のところ漢語や西洋語が入り混じった日本語のなかで、「わかりやすさ」をあらゆる領域で発揮するのはかなり困難なようだ。
だが、私は敢えてそれを克服してみたいと思う。福沢諭吉の簡潔明瞭な文章のように。ヤマト言葉にこだわる必要もない。
漢語の導入は千年以上も昔の話だ。いまある日本語をどのように「わかりやすく」表現していくか。これがもしかしたら日本語の表現の豊かさをさらに拡大させるきっかけとなりうるのではないかと私は思う。

文庫本に所収された本書は枚数も少ないながらも、私たちが当たり前のようにして使っている言葉というものについて、強く感じさせてくれる。のみならず、著者が分析した言葉の語義・意味合いについての推理作業の鮮やかさを眺める楽しみもある。お勧めの一冊である。

『日本語 表と裏』(森本哲郎著・新潮文庫)
定価:400円+税
ISBN:978-4-10-107311-8(←この番号を書店さんに伝えると書店員さんの検索の手間が省けます)


Posted at 2011/04/13 18:34:25 | コメント(2) | トラックバック(0) | 書評 | 趣味
2011年04月12日 イイね!

涼やかな禅の名刹 京都大徳寺

涼やかな禅の名刹 京都大徳寺禅寺というと見事なまでに掃き清められた非常に美しい境内が特徴的だと思う。
この整然とした美しさというのはおそらくは、禅という仏道の一派の思想と関連があるのではないかと思う。



先だって、京都の紫野にある大徳寺という禅寺の名刹に行き、その感を強めた。
大徳寺に関わる歴史的人物の数は非常に多く、有名人図鑑でも見ているような気もするのだが、そうしたきらびやかさとは裏腹に禅寺ならではのわびさびの効いた空間が境内を覆い、涼やかな気持ちを湧き上がらせてくれる。
フォトアルバムにて、写真及び若干の拙文を書き記しておいたので、そちらもご覧いただければ幸いである。

涼やかな禅の名刹 京都大徳寺



世界的な観光地となり、古の伝統や歴史もやや通俗的になってきたかなという気もして、私はあまり京都には立ち寄らず、もっぱら上古の匂いが濃厚に漂う奈良に軸足を向けていたが、それは私の無知であった。この大徳寺一つとっても、京都という街の恐ろしいほどの伝統・歴史という地層の分厚さを感じてしまうのである。



大徳寺は実際には塔頭(たっちゅう)という個々に独立した寺院が集まってできていて、塔頭ごとにその性格は大きく異なる。
いまだに「拝観謝絶」の看板を掲げて往時の禅修業の地としての赴きを濃密に残している塔頭もあれば、観光客に塔頭を開放しているところもあり、こうした個別の塔頭ごとの自由の許容は非常に好ましいと思う。



今回は夕暮れ時の来訪だったため、塔頭への参観は適わずもっぱら境内を散策する形となったがそれだけで十分に禅の空気、京都の空気、歴史と伝統という空気を心地よく吸い込むことができた。
大徳寺の特徴としてたくましい松並木が挙げられるが、この松の猛々しさが、禅という自力による解脱・悟りを求める修行者の心の力強さを象徴しているようで、
まことに頼もしい。
また、詳述はフォトアルバムにて記すが、下の画像にある丸々とした緑が特徴的なイブキも、往時(鎌倉・室町期)の禅の受容をよく象徴しているのみならず、松並木と同じく禅修行者ならではの、力強い心を象徴しているようにも思えるのだ。



わびさびの効いた寺院内にあって異彩を放つ、朱色のごてごてしい三門(正門のこと)にも著名歴史人によるエピソードがあるのだが、こちらも同じくフォトアルバムにして記しておく。



この三門はもしかしたら大徳寺の最大の謎かもしれない。
三門完成時は確かに豪華絢爛な安土桃山の時代ではあったが、禅の風致をずっと守ってきた大徳寺境内の三門が、このようなごてごてっとした様式ではその美観において不調和を生じると思うのだが、それでも敢えてわびさびをあまり感じさせない朱色の三門を建てた理由は何なのだろう。
こうした疑問を抱きつつ散策するのも面白く、涼やかな気分に浸るのみならず、
人間の想像力や推理力を駆使させるという効能も有しているのだ。
ゆえに大徳寺は涼やかさのみならず、人間の己の脳みその回転数を向上させるという意味で非常に禅的であろうかと思う。
もっとも、禅による瞑想はむしろ脳みその回転数をゼロにし、無になることだが。

禅問答という言葉がある。高度に哲学的な事柄を問答しているのだろうが、その意味内容は表現とは裏腹に素人にはちんぷんかんぷんなことが多く、ちっとも意味のわからないこんにゃく問答とも揶揄されるものである。
禅は無という形で思考を超越するが、悟りを開いていないものに何ほどかを説明する際には、こちら側にも高度な想像力・推理力が必要となり、その靄がかった禅的真理の抽象性をものにするためには、脳みその回転数を上げる(脳みそをフルに使う。ただし、それは自ずと上昇する形でなければならないと思う)必要があるとも思う。
第一には瞑想を通じた内的自己や広大無辺な宇宙との対話が必要なのだろうが、禅門に入っていない衆生の私どもにとってはさし当たっては上に書いたような想像力や推理力を自ずと上げる習慣付けが必要だろう。
そのためには何が必要か。

さて、無の境地とは脳みその回転数をゼロにすることと述べた。
これは同じく私が述べた禅を理解する(つまり無の境地になる)際に必要な回転数をあげるという脳の働きと矛盾する。しかし、矛盾も一切同居する。
これが禅の世界が考える宇宙の摂理ではないか。
矛盾と考える時点ですでに煩悩ではないか。人間世界の概念にこだわってはいまいか。
私の想像だが。とにかく論理を超越した世界に禅はある。矛盾も許容する。いや、矛盾など気にしない境地のような気もする。
まことに難儀なようだが、一方で禅的世界とは案外と身近に潜んでいるような気もする。私たちが気づかないだけなのだ。ただ、気づくのが難しいのだろう。
とにかく、禅には相容れないものを同時に許容するような両義的な要素を強く感じる。





私たちは雨を厭う。かと思えば、旱魃が続けば雨を待望する。
何かが欠けていると考えたときにその欠落を補おうとする。
だが、その欠落を補うという発想は、欠落という事柄に焦点を当てている限り、
ずっと続くだろう。
電気が不足すると電気を求める。ガソリンが不足するとガソリンを求める。
それは正しい心のあり方なのだろうか。
不足から出発する思考は健全なあり方なのだろうか。
禅とは欠落を補うといった思想などをもっと昇華させた世界観をわれわれに提示させてくれるように思うのだがどうだろう。
Posted at 2011/04/12 14:39:20 | コメント(1) | トラックバック(0) | 散歩 | 旅行/地域

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「たこ焼きを食べるためだけに家内と瑞穂町(東京都)まで行ってきましたー
クルマ仲間も入店してきたりして、びっくりしました。再訪確定です!」
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帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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