
*携帯電話から閲覧している方は本文中の画像が表示されないかもしれません。
フォトギャラ画像へのリンク貼りによって掲載させる(携帯電話からでも画像が表
示されるようになります)という方法は面倒ですので、そのうちに改善を提案しま
す。
では改めて本文を記しましょう。
家族ミーティングとでも言うのかな、表現の適否はともかく帰省時に親父のクルマと我が愛車二台とで、食事処と温泉に行ってきた。
食事処は、トップ画像下部を見られたし。巨大な唐揚げを振る舞ってくれるお店。
柔らかいのだけど歯ごたえもあり、脂っこくないのだけれど鶏肉の旨味が滲み出るという摩訶不思議な一品。
ただし、このお店の素晴らしいところは、ご飯も味噌汁(これらすべてお代わり自由なのだ)、お新香などがものすごくおいしいところである。お新香などはきちんと自分のところで漬けている本格的な一品だ。
店内の雰囲気はちょいワルな親父が経営する、やや南国的な佇まいの開放的な雰囲気のお店のようでもあるが、座敷席もある。
料理は冒頭の巨大な鶏唐揚げはさておき(それ以外にも鶏関係のメニューは豊富)、上記の通り、ご飯や味噌汁など定食屋のような和風感に充ち満ちてもいる不思議なお店でもある。
ついでだが、ノンアルコールビールがうまい。両親はすっかり常連のようである。
私自身は二度目の来訪。妻は初来訪である。
東北から避難してきた祖父母と会ってきた。そう、今は両親宅からすぐの場所に居を構えている。
特に祖父の顔がとてもいいのが印象的であった。
顔中から優しさが滲み出ているようで、菩薩か如来でも光背にいるのではないかというくらいにいい笑顔をしていた。
人間としてこれほど素敵な笑顔を見せられるというのはそれだけで素晴らしいことだなと、感心した次第である。
親父と母親を乗せたアルトワークスとはこの祖父母宅前にて待ち合わせした。
ホイールの色合いがなんか違うなと思ったら、タイヤと一緒にホイールも交換したのだそうだ。中身を詳しく見てみたかったが、それは次回の楽しみとしよう。
祖父母と別れ、いざ冒頭のお店へ向かったという次第。
だいたい30分くらいで到着することができる。
すっかり胃袋を大満足した我々(父母と妻と私)は国道を逸れて、やがて山を登り下りする。地元の人間しか知らないだろう道路をすいすいっと抜けていくアルトワークス。
対するプリメーラはもらったお米をリアシートに収納させるなどして、前後重量配分の適正化を施し、ワークスを追撃(笑)

(撮影は妻)
かなり狭い山道も走ったが、狭い道はこちらの得意とするところ。私はヤビツ育ちなのだから。
軽自動車相手とて不利はない。問題はワークスの過給器の威力がどれほどかという点に絞られた(笑)
排気量の差はあるが、ターボを使用されると離されてしまう。
という熱戦を繰り広げて、宿泊所がメインとなる温泉に浸かる。
ちょうど、ニコタマから来たスポーツ少年団が来ていて、妙に親近感を覚えたものだ。
泉質は定かではないが、親父の話によると源泉は30度くらいで、温泉というより鉱泉のようであるという。
この辺りは積雪どころか降雪すらもないという関東の楽園なので(雪は雪で楽しいのだが)、冬場によく来るという。
冬期の箱根は雪に閉ざされるわけではないが、よく凍るししばしば降雪がある。
今回は我々の帰路に近い場所ということで、夏場ながらこの温泉に来たわけだ。感謝。
余談だが、神奈川県でも相模川より西側で平野部及びそれに隣接した地域では不思議と雪が降らない。東京で大雪があっても、これらの地域(西湘地区と呼ぶ)では雨だったりすることが多い。雪が降らない理由については諸説あるが定かではない。
なお、隣県の静岡県も海沿いでは降雪のないことで有名だが、御殿場など富士山麓に近いところはかなりの降雪がある。
因みに、相模川を越えると打って変わって降雪していることがあったりして、それがまた面白い。ただし、山岳部ではさすがに降雪・積雪はある。
今回、バトルした山道(笑)は比較的集落に近い場所にある。
気候がまだら模様のように分散していて、面白いのである。
温泉からの帰路はアルトワークスが先行。しかし、次第に速度を緩めたので追い抜かした。ここで私の勝利は確定した(笑)
勝利の美酒の代わりに、シェルでガソリンを入れて(ポンタのポイントも利用)、悠々自適と東名高速を疾走したのであった。

前日にエンジンの吹け上がりをよくしたのも勝因の一つか?(笑)
明日というか今日は仕事である。そこで思い出したのだが、考えてみれば仕事が終わってからでも足繁く山梨や箱根に夜間に足を運んでいたものであった(時には伊豆まで)。平日の夜でも都内から余裕で行ける場所だから(注:ワルめーら基準)。
よく箱根神社の大鳥居(芦ノ湖の近くの鳥居のこと)の前で写真撮影をしたものだが(夜間でもライトアップされているのだ)、今回通過するとき、大鳥居の灯りはやや暗かったように思えた。
しかし、東名高速は震災直後に比べて格段に明るくなっており、考えてみれば我が家の近くも随分と明るさを取り戻したのだった。
祖父の笑顔も素敵だが、灯りを取り戻しつつある街というのも素敵だ。
最後に。
私が言葉に関してポジティブな言葉を使うという傾向があることを私はよく知っている。それは、言葉は言霊だからだと思っているからだ。
かつて日本で跋扈した言霊思想のように何かを忌み、ある特定の言葉を使用しないという消極的な動機ではない。
言葉は自分を映す鏡だと思う。
だから、発した言葉や表現した言葉は自分の本質を映し出すものだと私は考えている。そして、これらの言葉はやがて自分の中に蓄積され、現実化される。つまり、肯定的な言葉を肯定的な動機で発すればそういう環境になるだろうし、逆もまたそうであろう。
近頃は株価下落などのニューズ等、様々な事柄が表現されているが、それはその個人なりテレビ局なりの価値観であり、その本質というのは誰にもわからないと考えるほうが筋ではないか。現に米国債は持ち直している。まあ、株価が下落すれば腐ってもドルということで米国債や金などに買いが集中するという経済原理で説明することも可能だし、それもまた一つの真実であろう。
私自身はあらゆる価値観を許容するが、否定的なものについては言及はしないし、関与しない。これらの事柄に深く言及・関与すれば、これらはますます増幅するだけだし、それはめぐりめぐって自分にも戻ると考えているからだ。
せっかくの機会なので、このことは述べておこう。
そんな真面目な姿勢を見せるところが私のいいところだなと自画自賛しつつ、とりあえず筆を置く。
さあ、美しい自然でも眺めようではないか。
僻村のそのまた僻地まで行って撮影した画像である。
堪能してくだされ。