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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2012年02月29日 イイね!

閏年の東京は雪だった

閏年の東京は雪だったつい先だって、温暖な西伊豆にて桜や梅、菜の花を楽しみ、春爛漫の心地を堪能したことは述べた。


春をたしかに感じた西伊豆プチドライブ


しかしながら、伊豆から150キロ(伊豆の先端となると200キロほど距離がありそうである)ほど離れた都内では、未だ梅の花もまばらで、時に春めいた陽気を醸し出すものの、未だ冬の装いを強く纏ったままといっていい。
この辺りの差異が日本という風土の面白さ・妙味であり、私が日本のことを大好きだと思う理由の一つなのだが。

さて、閏年の今日はおそらく今年一番の大雪だったかもしれない。
東京以外の地域ではどうだったのだろうか。
私は徒歩に時折軽いランニングをしながら仕事先へ行くことにした。
しかし、いつも見る光景とは明らかにことなる白銀世界に、非日常性を感じてしまい、ちょくちょく携帯カメラを取り出しては、雪模様を撮影していた(笑)





深々とした静けさのなか、未だ緑の萌芽の気配すらない寒々とした木々の枝に白銀模様が展開される様子を見るのは心地良い。
春の色彩の明るく多彩な風致を眺めるのも好きだが、白銀に染まった街並みを眺めるのも同時に好きである。
四季と常に対峙している日本人としてのあらがえないDNAの所産なのだろうか。





帰宅後はクルマの雪下ろし。続いて、自宅以外の近所の雪かきをしようと実は二時間ばかり作業をしていた。スコップがないのでちりとりでの雪かきである。
見事な地域社会への貢献であろう。
中途、遊び心が生じて雪だるまを作成してしまったが、まあいいでしょう(笑)




祖先が北の大地の血を多分にひいているせいか、特段に意識せずとも腰をどっしりと据えながら雪かきをしたので、ちょうど心地良い運動になった。
無論、雪国の人たちはもっともっと大変な作業をしておられるのだろうが、東京モンとしては上出来であろう。

三寒四温という表現がある。徐々にではあるが、日増しに春が近づいてくるのは実感として強く首肯できるのであるが、もうそろそろ桜の花の下で花見見物でもしてみたい頃合いである。
そういえば、明日からは三月。東京では例年、三月下旬にはソメイヨシノが開花する。
花見見物をしたいという欲求が満たされる日も程近いのである。
Posted at 2012/02/29 21:04:24 | コメント(2) | トラックバック(0) | 自宅でまったりと | 旅行/地域
2012年02月28日 イイね!

Deutsch Bier ist sehr lecker♪ ドイツの麦酒はうめぇ~

Deutsch Bier ist sehr lecker♪ ドイツの麦酒はうめぇ~
Cheers!(乾杯!)

ベルギーのビール(デュベル)を含み、苦みとコクの悦楽の世界に入っております。
ビールはおいしいなぁ。
芋焼酎好きを自認する私ですが、元来はビール党でした。
最近ではノンアルコールビールがおいしくて、そちらを飲む機会が増えたのですが、
たまに飲むビールというのはやはりいいものです。

少し前のことになりますが、ぶらぶらと都内を散策しました。
六本木に着いた頃にお腹が空いてきました。
さてどこで食そうかなと六本木通り界隈を見渡します。
余談ですが、六本木といえば、大学のときにクラブに通っていた頃を思い出します。通っていたクラブの名前はイエローという名前でした。西麻布だったかな?
今もあるのかどうかと思いきや、数年前に閉店していたようです。

さて、六本木通り沿いの街灯りがそろそろ寂しくなる頃、ドイツ料理のお店を見つけました。
ドイツ料理のお店を任じているだけあるせいかどうかはわかりませんが、私を案内してくれたウェイトレスさんが綺麗な白肌のゲルマン女性でした(他はすべて日本の女性ウェイトレスさん)。
彼女の日本語は堪能でしたが、発音がいかにも欧米系の人々が話すようなものでした。

実は私はドイツ語も多少の心得があり、ひとことふたことをドイツ語で話したら大変に喜んでくれたので、私も心地良くなりました。
それとドイツ語を話したのが15年ぶりくらいでしたから、とにかくスムーズに喋られたということが嬉しかったですね。
白肌ゲルマン女性ウエイトレスさんも、日本ではドイツ語人口が少ないですから、嬉しかったのでしょうね。
出身地はベルリンだそうです。自然にそこまで聞き出しちゃいました(笑)
今思えば、今度どこかのお店に行きましょうとでも言っておけばよかったなと思います。せめてメルアド交換とか(爆)

さて、ドイツといえばビールが非常に著名ですが、実はワイン大国だったりもします。しかしながら、私はビールのほうが好みですので、800mlのグラスに注がれたビールを複数飲み干しました(笑)



折角なのでということで並べて撮影。その他ミュンヘンのビールも飲みました。
味わいとコクの深みはさすがビールの本家ならではの質です。



ここのソーセージやシュニッツェル(柔らかい歯ごたえの肉の揚げ物)は本物ですね。多少なりともドイツに親しんだことのある私が保証しますよ。
これだけの分量ですが、見事に完食いたしました^^v
私は食が太いのです(とあるテラ飯屋で山盛りのカレーと餃子を完食したこともあります)。

気持ちよく飲んで食べたのち、カウンター席に職務を終えた、かのゲルマン女性が飲んでいました。
Auf Wiedersehen(さようなら)と述べて店を後にしました。
この場合、byeを用いても良かったのですが、ドイツ語っぽい語彙を述べたかったのです。
ベルリン出身ということであれば、他の表現を用いても良かったかもしれませんが。
微かな記憶でAuf Wiedersehenという表現は、ミュンヘン等南ドイツを中心にして用いられるという話を聞いたことがあったものですから。

それはともかくとして、久し振りにおいしいドイツ料理に舌鼓を打ち、本場のビールを堪能し、ドイツ語を話せたということが何よりも嬉しかったですね。
大昔にドイツ語に触れ合う機会があって本当に良かったなと思いました。

私はドイツへの来訪経験はありませんが、アウトバーンを走行する等、ドイツでやりたいなと思うことはたくさんあるので、ドイツ語の学習を始めてみようかなとも思った次第です。
なお、アウトバーンではポルシェ(911クラス)でかっとばしたいです^^v

と、ここまで書いている間に既にベルギービールがすっからかんになりました(笑)
そんな自分に乾杯♪

Posted at 2012/02/28 21:14:48 | コメント(4) | トラックバック(0) | 料理 | 日記
2012年02月28日 イイね!

立体の有限 平面の無限 クリムト生誕150年

立体の有限 平面の無限 クリムト生誕150年グスタフ=クリムト(1862~1918)の生誕150年にあたるのが、ちょうど今年である。

と、白々しく書き始めてしまったが、私はこの19世紀末に活躍したウィーンの画家のことを一切知らなかった。
過日、酒井健氏(法政大学文学部教授)の講義を拝聴して初めて知り、そして彼の絵画を通じて、立体と平面というものについて深く感ずることがあり、ブログに認めようと考えた次第である。
彼の来歴等に関しては、詳しくは述べない。私はいわば復習の意味も込めて、本ブログを記しているので、より専門的に詳細に知られたい方は、関連書籍やサイト等をご覧いただきたい。
とはいいつつも、画風の特徴や変遷について述べなくては本ブログが成立しないのもまた事実である。

クリムトはルネサンスの時期から続いていた写実的・均整のとれた歴史主義的な絵画を当初描いていた。ダビンチやミケランジェロ、ラファエロなどの絵画を思い浮かべると良い。遠近感があり、輪郭がしっかりしている。そして色遣いは非常に穏やかである。
そもそも、ルネサンスはヨーロッパ人の意識に深くある古代ギリシャへの憧れから始まった。私はその憧れの源泉がどこにあるのだろうかといつも疑問なのだが、ともかくも、ルネサンスを境にして西洋絵画は大きく変貌した。
しかしながら、19世紀にもなると、ルネサンス的な絵画に批判的な画風が生じてきた。我が日本の浮世絵などの影響を受けたモネやゴッホのような画人が生まれたのもこの時代のことで、フランスでは「ジャポニズム」と呼ばれ、日本画への評価が大変に高まった時期でもある。
クリムトの心中にも今自分が画いている絵画に対する疑念が湧いてきたのかどうか。次第に彼はルネサンス的な絵画からの逸脱を試みるようになる。
歳月を経るにつれ、彼の画風はルネサンス的絵画とはおよそ異なる平面的な画を描くようになってきた。

古代ギリシャへの憧れについて今少し言及しよう。ヨーロッパ人が憧れている古代ギリシャ世界というのはゼウスやアポロなどの神々がいた世界のことで、酒井氏によればそれは征服民族による新しい神なのだという。
一方、姿を見た者は石になってしまうという髪の毛が蛇で出来ている不気味なメデゥーサやディオニソスなどは征服民族に浸食されるまえのギリシャの土着の神々なのだそうである。
クリムトは絵画のなかにメデゥーサを描いたりして、土着的なものへの志向を強めることになった。
なお、土着的なものとは何かと述べることは難しいが、我がアジアのカルチャーに近いように思える。絵画であれば、平面的に描く画風であり、自然や風景や紋様を存分にキャンバスいっぱいに散りばめた世界で、そこには均整さはないが、多様さがある。

「自然とは永遠に到達・没入することのできない世界である」とクリムトはどうやら考えていたらしい。人間存在とは「死」を通さなければ、自然風景的な世界(永遠)には辿り着けないという認識を持っていたとのことである。だから、クリムトの作品では人物だけが浮いているような感もする。
同時代のムンクの作品が人物も背景も渾然一体となった景情一致的な画風だったのと対照的であるといえる。
そして、ここで重要なことは平面的であることが永遠であるという認識である。
立体的なものはいつかは崩れる。それに対して平面的なものは崩れない。
ゆえに、クリムトは平面的な画を描いた。しかし、いつかは朽ちる人間については、平面的に描かなかったとも言えるであろう。
しかし、人間ではない自然は永遠であり、ゆえに平面的に描かれるべきものなのである。

クリムトは黄金の装飾も多くキャンバスの中に描いた。
酒井氏によれば、黄金の装飾とは永遠のイメージなのだそうである。つまり、自然と同じ意味合いを持つと見て良いだろう。
私はヨーロッパ人の黄金に対する情熱というものがどこから湧き上がっているのか理解できなかった。黄金が永遠を象徴するものだとすれば、それは単なる物質的富以上の価値があるはずだ。彼らの黄金への情熱は永遠への憧れとも同義であったのだと考えれば腑に落ちるのだ。
対して、日本人は黄金を尊ぶ風がさしてなかった。
例えば、金屏風に金を入れるのは、奥行き感を出すという即物的な理由であって、永遠への志向という思想性はない。

以上、復習として記してみたが、平面的な画風というのはヨーロッパでも中世までは普通だったはずであり、ルネサンス以降に絵画は立体的になったと記憶している。
これは立体的な画を描く技法が確立していなかったからであろうか。
この点、不思議である。
また、世界の大方(多分にアジア)の地域では画は平面的に描かれる。
これは単なる技法の拙によるものだけではないと思われる。
我が日本においても、立体的な絵画を志向するようになったのは、盛んに西洋の絵画と接する機会が増えた明治時代以降のことなのである。
平面的な絵画こそが、ディファクトスタンダードなのだとも言えるかもしれない。
もう一点、二次元世界(非現実?)へ没入してしまう風潮が昨今、一部の人々の間で強く志向されているが、このことも含めて考えると面白いかもしれない。

クリムトとは→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%83%88
Posted at 2012/02/28 13:54:46 | コメント(1) | トラックバック(0) | エッセイ | 趣味
2012年02月27日 イイね!

春をたしかに感じた西伊豆プチドライブ

春をたしかに感じた西伊豆プチドライブ
「しずおか」という土地を擬人化するならば、私と静岡とは凡そ昵懇の仲といってもよい程である。以下、その含意するところを説明しようと思う。
まずは静岡の気候特性を雪と絡めて述べてみたい。

雨どころか雪の予報すら出ていた土曜日であったが、元来静岡という土地は温暖な土地で、山沿いの土地や御殿場など富士山の風をもろに受ける地域を除けば、雪が津々と降ることなどまずない。それどころか、ちらつく程度の雪というのも私は見たことがない。
ただし、富士東麓にある御殿場一帯は別で、彼の地は西の関ヶ原同様に雪に縁があり、時にどかっと雪が降り積もる。とはいえ、常時雪にまみれているという訳でもなく、ゆえに当地にある広大なアウトレットは首都圏からの客で殷賑を極めている。元来が雪国ではないのである。

もう十年くらい前のことであろうか。
製紙で有名な富士市のタクシードライバーと会話をしたことがある。
「市街地に限れば、雪がちらついている様子すら、ここ五年は見ていませんね」
このドライバー氏の発言により、「静岡=温暖」という私の図式はますます脳裏に強く残り、現に睦月や如月などに静岡までドライブすると時に日射しが目映いほどに強く、春めいた陽気を窺わせることが多かった。

此度は金曜の夜に出立し、土曜日にかの地を満喫するというドライブであった。土曜日に雨や雪が降るという予報が出ていた。
ところが、御殿場近くに泊し、いよいよ自動車に乗ろうかという頃合になってから、雨は止み、曇天のなかに時折陽光が差し込むような天候となった。この点、私は非常に恵まれているし、静岡との昵懇性の強さがまたもや強化された瞬間だなと思った。無論、傘など必要が無かった。
天気予報の精度は承知しているが、静岡に関する限り、私は雨の予報を三回ほど覆したことがある。その代わりに陽光を存分に浴びたという記憶がある。今回もそのジンクスの恩恵に預かったという訳である。

行く当てはなかったけれども、伊豆半島の最西北の地に行こうと思った。
記憶が確かであれば、一度通過したことはあるが、最西北たる大瀬の地に立ち寄ったことはない。
加えて、伊豆半島でも西伊豆方面は隘路が多く、路面状態も決して良好とは言えない。言うなれば日本海側の道路の光景に似ている。
海にすぐ面していたと思えば、遙か眼下に海を見下ろしたりするような場所まで登坂していたりして、実にせわしない。地元の人もこの西北の地を来訪する際は海際を走らずに内陸の山岳部を伝って走るという。
しかし、私にとっては少々の隘路で起伏に富んでいる道路を走行するのが快感だったりするので、構わずに海沿いを走った。海上に浮かぶように雲海が立ちこめた風景が実に美しく、富士の裾野がその足下を僅かに露呈させていた姿は非常に幽玄的であった。
そんなわけで、今ではダイビングスポットともなっている大瀬崎までクルマを走らせた。



大瀬という土地は遙かな奈良の時代(白鳳年間)の大地震によって出来た土地だそうで、その地形は天橋立にも似ている。狭隘な半島は左右に大海原に囲まれているという実感がするし、実際にその左右幅は最小で百メートルほどだそうである。
また、神池と言われる淡水の池が半島内にあり、塩っ辛い海に囲まれた狭隘の地に淡水の池があるということ自体が非常に興味深く、この点でも天橋立に似ている(天橋立にも井戸があり、水はむろん淡水である)。なお、精密な学術調査は完全には進んでおらず、名称の通りに未だ神がかった神秘性を帯びているというのが事実のようである。
どうも学術的調査をしようとしても、関係者が不慮の事共で不幸を得るということが多いらしい。それはともあれ。




既述したとおり、神の池の周囲は大海原(駿河湾)である。
その海原の風致を動画に収めたので公開しようと思う。







昨年、3月11日に未曾有の大地震が我が列島を震撼させた。
私自身、東北地方に知人や親族がいて、ひとごとでは無かったものの、しかしながら大地震は時に大瀬の地のような風致に富んだ土地を自然はもたらしてくれる場合もある。広い視点から見れば、地震もまた広大な自然のダイナミズムの一つに過ぎないとすら言えるのかもしれない。
ゆえに、長期的に見れば、自然はそれ自体に躍動しており、そして人間の鑑賞にたえるくらいに美しい造形を次々に創り出していくのだなというのが、大瀬の土地を訪問したときに改めて感じたことである。
短期的に見れば悲劇としか思えない出来事でも、自然の悠久な法則性から鑑みれば、それは人間が悲劇という認知を強めただけと言う表現も可能かもしれない。
歳月が過ぎゆくと共に、また新たな自然の胎動が励気する。その繰り返しが自然の自然たる所以なのだろうという感慨を得た。
私は自然の躍動性を基底とする永遠性や無限性を信じる者であるが、こうした私の考えには東洋人ならではの、風致認識が挿入されているようにも思える。
機会があればいずれ論じたい。

その後、クルマを南に進めて遙か眼下に井田という集落を眺めていたのだが、どうしても井田という集落を間近に見たくなり、崖道を下りに下ってみた。
中途、古墳跡が険しい崖の中腹に数十個残されており、伊豆地方の大規模な勢力がこの地に盤踞していたことを窺わせてくれた。
集落の規模自体は極めて小さいが、いにしえの井田の地ではまとまりをもった社会共同体があり、統率も取れていたはずである。平野部の乏しい伊豆半島にあって古墳跡が数十箇所も比定されるということは、よほどの大勢力が彼の地に盤踞していたものと推察される。
しかしながら、当時の面影は僅かに古墳に見られるだけに過ぎない実に長閑な集落である。妙味があっていいではないか。





明神池という観光地化もされていない浄水用の池が気になった。湖水の色はエメラルドにたっぷり塩をかけて混ぜ合わせたというような色で、要は淡い緑色である。
神池同様に波の音が聞こえるほどに海に近いものの、こちらも淡水の池である。
明神池を取り囲むようにして、春の訪れを感じさせてくれる無数の山桜や梅が咲いていて、伊豆ならではの南国風情を堪能させてくれた。



また彼の地では菜の花畑一面に黄色い春めいた色の花々が一斉に開花しており、いよいよ春だなという感を強くしてくれた。
というよりも、別の国に来たような感慨すら得た。
都内では梅の花も十分に開花していない案配であるのに、この鮮やかな花の折々はどうであろう。





駿河湾というのは存外に水深の深い湾らしく、井田の南にある戸田(戸田村はつい最近、町村合併によりその名を消した)では深海魚の漁撈で著名だそうである。
目に留まった料理屋に入ったときにそれを知った。
深海魚の天ぷらを食したのだが、本当に柔らかな食感で値段も手頃であった。
戸田に赴く御仁は是非とも、戸田の深海魚を食して欲しい。

ところで、私の幼時の記憶では、戸田というと波も立たない穏やかな海水浴場があるところというイメージしかなかった。
戸田の地理的造形は不思議なもので、これまた実に小さな半島がぐるりと穏やかな湾を形成している。集落はこの湾沿いに密集している。
私はこの湾を以て戸田という集落をイメージしていた。しかし、少し高い土地から眺望すると、湾の穏やかさというのが実に絶妙な均衡によって成立しているのだなということがよくわかる。
先に述べた小さな半島というものが無ければ(半島内には小さな神社があり、あとは松や水仙で覆われている)戸田の穏やかな風致は形成されなかったのであり、その点で私はより自然に対して畏敬の念を抱きたくなるのだ。







伊豆半島の内陸部に向かうことにした。
中途、富士山と駿河湾を眺めるにはおそらく第一等の場所である西伊豆スカイラインの達磨山に立ち寄った。晴天というには程遠かったものの、かすかに富士山の裾の部分が見えた。その陰影は非常に薄く神秘的であった。
また駿河湾の海上には相変わらず巨大な雲海が盤踞していて、その景色はやはり日常を逸脱しているような美しさを感じさせてくれた。

内陸部の中心といえば修善寺の街だろう。
蕎麦屋が軒を連ねる修善寺の街も通ったのだが、どうせならば賑わいのない修善寺の田舎集落としての光景も見てみたいと思い、道幅の狭い県道を伝い、山田に覆われた隘路を進んでみた。次第に左右は針葉樹林に覆われ、舗装も覚束なくなってきた。やがてかなり大きめの石が路上で目立つようになったので引き返してきた。

修善寺からさらに東に進み、冷川から伊豆スカイラインを利用した。
濃霧でお馴染みの当地ではあるが、この日はやんごとないほどの深い濃霧であった。濃霧での運転には慣れているのだが。
フロントライトの光が乱反射してしまい(無論、ハイビーム状態にしていたわけではない。また、光軸の問題ではない)、前方視界も定かならぬ状況であったために、慎重に慎重に運転をした。時にハザードをたいて停車したりした。
霧が晴れたのは箱根新道の須雲川を過ぎた辺りであり、本当に稀れ見る濃霧であった。
やや疲労を感じていたので、箱根天山の個室部屋にて食事を摂り、その後に湯に浸かり、都内に戻ったという案配であった。生気が蘇った思いがした。

実に充実した旅程であった。
充実感は都内に戻ってからも満腔に身体内にひしめいていた。
道中で縁のあった風物・人々・現象すべてに感謝したい。そして愛車プリメーラにも強く感謝したいと思う。
Posted at 2012/02/27 21:59:50 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ | クルマ
2012年02月24日 イイね!

阿波の芋焼酎美味也 陰陽的楽しみ満喫のすすめ

阿波の芋焼酎美味也 陰陽的楽しみ満喫のすすめ
芋焼酎といえば、どうしても薩摩を中心とした南九州を彷彿してしまいますが、阿波徳島でも芋焼酎造りがなされているのですね。近所のお店で見つけました。
芋焼酎好きとしては、盛大な拍手で阿波徳島県を祝福してあげたいと思います(笑)
芋の匂いは薄めで、割合と飲みやすいような気もしました(トップ画像参照)。

焼酎というのは我が国固有のお酒ではなく、だいたい五百年前に伝わったとされています。それまでは日本酒が我が国の随一といってもよいお酒でした。
鹿児島かどこかのお寺の柱の落書きだったか、「棟梁が焼酎をなかなか飲ませてくれない」と愚痴っている五百年ほどまえの落書きが、今に至るまで残されているそうです。出所を失念いたしましたが、ご存じの方はお教えくださいませ。

米や麦の焼酎もありますが、私には芋の焼酎が合うようです。この点、九州遠征に赴いたときでも溶け込みやすいのかなとも思います。あ、運転中は飲みませんよ(笑)
お風呂に入りながら、桜島など南国風情の漂うなかで噴煙をたくましくあげている様を頭の中でイメージするのです。基本的に南国的な風致漂う場所が好きですので、沖縄や九州南部の平野部をイメージすることが多いですね。

体中が一面に暖かくなったら、お風呂から上がり、芋焼酎をいただくということが私の楽しみの一つになっています。
至福の瞬間です。



さて、この世の中には「陽」と「陰」という二つの要素から成り立っているとする考え方が古くから中国にあります。陽のあるところには陰があり、陰のあるところには陽がある。どちらがいいとか悪いとかいうわけではなく、両方があるからこそ世界が成立すると考えるのですね。陰陽論といいます。大韓民国の国旗も陰陽論のシンボルを取り入れていますね。
男性が陽なら女性は陰、太陽が陽なら月は陰。
どちらも欠けてしまうと世界は成立しません。
私にとってもお酒を飲まずにあちこちをドライブするという陽の要素(?)もあれば、晩酌をするという陰の要素(?)も必要です。
というわけで、かなり我田引水でしたが、幅広い視座でもって人生を楽しみましょうということで、本文を認めました(笑)

なお、今日は晩酌をせずにドライブに行こうと考えております。
昨年、二月五日に静岡をドライブしたときの画像を下に掲載しておきます。
温暖な静岡とはいえ、今年に比べるとだいぶ開花が早いですね。



プロフィール

「ほぼ閉店状態 世田谷地域交流版 http://cvw.jp/b/730895/48571783/
何シテル?   07/30 14:39
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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令和のクルマも手に入れたので、時計の針を戻して、今度は久し振りに昭和を偲ぼうかとも思って ...
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