2012年03月30日
「私は自分の欲望・情念を抑えきることができないのです」
僧侶の世界に入りながらも、人並み以上に活力があり、精力もあった若き日の親鸞は師匠の法然にこうもらしたのかもしれない。
法然自体は貞操な人だったようだから、或いは親鸞が一人で抱えていた苦悶であったか?
僧侶が公然と妻帯すること。
そして、それが正当化されること。
これは、かつてのどの仏教の宗派にも見られなかったことだ。少なくとも表向きは。
親鸞という人物は自身の異性に対する欲求を受け入れて妻帯し、子を設けた。
日本、いや、世界の仏教で唯一、人間が持ちうる欲求をあるがままに素直な気持ちで受け入れた人物なのだ。
現在でも、日本の仏教世界以外では、妻帯する僧侶はまずいない。
親鸞はもう千年も昔にそれをやってのけた。
なにが「良いこと」であり、なにが「悪いこと」であるという価値観は時代や地域により異なると思う。だから、私は倫理や道徳という形式で価値観を固定化させてしまうのは、一部の人々にとっては辛いことなのではないかと思う。
親鸞は妻帯禁止という仏教世界の掟を見事に打破した。
彼はご存じのとおり、堕落した僧侶ではない。万人の救済とは何かということを考えていたまごうことなき聖職者であった。
悪人正機説という彼の教えは非常に有名だ。
「善人ですら救われるのに、悪人が救われないことがあろうか」
この逆説に満ちたかのように見える言説は、人間存在が規定してしまう価値観というものを超越した試みであると私は思う。
そもそも世の中に善人も悪人もないのだという具合に彼は考えたのではないか。
一人の心には善的な要素もあれば、悪的な要素も潜んでいる。
とすると、一人の人間の価値を認め、仏であると認めるには、こうした善悪両方を許容する必要があるのではないか。いや、むしろ善悪という二分法すら超越し、ありのままの仏としての実相である人間を見ることが大切なのだ。
親鸞はもしかしたらこのように考えたのかもしれない。
親鸞という人物が我が国において生誕したことは、非常なる僥倖であると思う。
彼の思想は徹底的な価値の相対化ではなく、己や社会が有している価値観でもって、逐次判断することの無為さを伝えたことにあるように私には思える。
人間は自由自在の存在である。自由自在とは自ら創造し、自ら判断することである。
しかし、人間は常識などの強い価値観により、自ら創造するという行為に関して規制を受け、自ら判断するという自由意思を放棄しているようにも感じる。
今後の社会は、自分自身が価値を創造し、行動を選択していく時代に変容していくと思う。
私はそう思うのだが、親鸞は既に千年前に彼自身がそういう生き方を実践していたのだ。
私はそう解釈する。
Posted at 2012/03/30 21:59:45 | |
トラックバック(0) |
思索 | 旅行/地域
2012年03月29日
車高が低いとスタイリッシュに見えますし、走行安定性やロールの軽減など、走行性能全般も良好になりそうなので、車高が低いクルマは好きなんです。
余談ですが、ほとんどラッセルカーかいとつっこみたくなるような、昭和風のシャコタン車を見ると感動して涙が出ますね(笑)
あれはあれでいいと思うんですよ、本当に。
ガキの頃にたけやりでっぱのクルマをよく見ましたしね(笑)
私のプリメーラは行ったこともない道といえるかと疑問に思うような未舗装路も走りますし、出入り口の傾斜のきつい都心の地下駐車場にも停めるので、いまぐらいの車高がちょうどいいなと思っています。
意識的に調整したわけではないのですが、マフラーの太鼓のマウント位置もロアアーム取付位置もちょうどいい案配です。
感謝感謝。

今日はごく短距離ながら愛車の運転を堪能。
テニスの練習場に行ってきました。
プリメーラが履くタイヤはダンロップのディレッツァZ1スタースペック。
そして、私が運転するときの靴もダンロップブランド。
さらには、私がメインで使うテニスラケットもダンロップブランドなのでした(笑)
これは偶然とは思えませんな。
タイヤ以外は意識的に狙っていたわけではないのですけれど。
感謝感謝。

*最近ストローク・ボレーの威力が向上しています。グリップ位置を変えたせいか、サーブ(フラット・スピン・スライス)もいい具合になってきています。
さて、これからはどんなことをして楽しもうかな。
ひとまず、今は晩酌をしながらみんカラを楽しみ、その後に読書を楽しむ予定です。
私はドライブやテニスもむろん、四六時中楽しみたいと思っています。
それが私の哲学です。
「~ねばならない」という考えよりも、「~したいな」という欲求のほうが本来的な自分に近いように思えますし。
Posted at 2012/03/29 23:56:24 | |
トラックバック(0) |
とりとめもないこと | 日記
2012年03月28日
今年六月の前半で愛車プリメーラの車検が満了。てことは五月の前半から車検を通すことができるんだっけ?
もうはや五回目の車検になるのかな。今のプリメーラの車検を通す回数のことだけれども(プリメーラだけで現在二台目の所有)。
一時は買い換えや増車体制も考えていたのだけれど、そこはかとない縁があるのだろうな。増車しようが何をしようが車検は通して今後ともプリメーラを乗り続けることは確かだという気持ちが高まってきた。

魅力的な自動車はたくさんあることは事実。いろいろなフィーリングを堪能したいからね。でもね。今のプリメーラのセッティングは私好みなんだよね。もともとシャシーの評判の良いクルマだったから素性はいいのだけれど、どんな局面でもすっと曲がるし、その後の挙動も安定している。ロールも抑制されているし、コーナリングマシンとしては秀逸。高速道路でもまあ法定速度で走る分には過不足はまったくない。
ブレーキを踏んでちょっとフロントに荷重をかけてみる。その後の挙動が素晴らしいのだ。私は走り屋さんではないからよく分からないけれど、このフィーリングは得難いものだなと思っている。下りがすごくラク。
ステアリングも油圧式ゆえに、低速から応答が固いのもいい。個人的にはそれがナチュラルなフィーリングなのだ。VWビートルやゴルフGTIも似たようなフィールだった。


私は非常に自動車運が良くて、いろいろなクルマに試乗できた。少なくとも顕在意識では求めていないのに、あれよあれよという間に試乗する機会がたくさんあった。
そのなかで、アルファロメオの咆哮は忘れがたい。145を運転させてもらったのだけれど、RZとかSZにもちゃっかり乗っちゃったときがあったことを今思い出した。
でも145は右Hのマニュアル車でペダルの間隔が狭かった。
運転そのものは気持ちよかったんだけどなという気分はまだある。
しかし、言い訳は無用。私は私でその都度最適な選択をしてきたのだ。
随分まえにアウディA4を買おうかないうことも考えていて、試乗もしたりして、芝○ヤナセに通っていたのだけれど、あの時点で判子をつかなかったというのは、やはり私自身にとって意味があったんだろうな。
BMWも同様。E46が現役の時代に欲しいなと思ったのだけれど、買わなかった。何でなのか覚えていないんだよな。
というわけで、何かしら縁というか、自分の意識しない領域で自動車を私はチョイスしているのだろうなという気がする。
正直言うと、ここまでP10プリメーラとの縁が深まるとは思ってもいなかったけれど、私はそれは最適な選択だったと考えている。
さて、今回はどこに車検をお任せしようか。それもまた楽しみだったりする。
ユーザー車検という選択肢も大ありだけれどね。
Posted at 2012/03/28 22:23:30 | |
トラックバック(0) |
愛車プリメーラ(自動車) | クルマ
2012年03月28日
私は人間の物理的な加齢による「老い」とか「若さ」については、個人差があると考えています。
だいたいにおいて、「老い」とは、「若さ」とは何なのでしょうか。
一義的に定義付けられるものでもないでしょう。
私にはよくわかりません。
エネルギッシュなのが若さで、ある程度落ち着きを出してきた状態を老成というのでしょうか。
まあ、どちらでもいいです。
しかし、以上の認識を踏まえても十代や二十代前半の人たちの言葉を聞くと、私は本当にエネルギーが満たされます。
ツイッターや別ブログなどで、かなり若い人たちとお友達になっているのですが、本当にエネルギーに充ち満ちているような印象を受けて、とてもいい気分になります。
そして私は、この気分の良さの源泉は何なんだろうという風に考えています。
私が十代や二十代前半の頃は気力も体力もやはりあったかなと思います。
そう、そこで現状と比較してしまうことがいまいちいい気分になれない理由なのかなと思いました。
若い人(ごくごく一般的な意味合いで述べています)には比較という概念がありません。だから、エネルギーが純粋に湧き出ているような気がするのですね。
私は「いつまでも若い気分でいるぞ」と肩肘を張るつもりもありませんが、逆に「もう歳だから」というような台詞は吐きません。
吐いたところで、その言葉がますます自分を若き頃の自己との比較に追いやるような気がしています。
私は人生の先輩を大いに尊敬する人間ですが、同時に若い人たち(私もまあ若いですけれども)もとても尊敬しているんです。
学ぶことが本当にたくさんあります。
しかし、年長者の方がダメというそんな二分法に陥ることはなく、年齢は関係なしに(むろん、礼儀は尽くすものの)私はコミュニケーションを深めていきたいと考えております。
人間は物理的な加齢ではなく、その自分に対する構えみたいなもので、生き方に差が出てくるのかなと思う今日この頃です。
Posted at 2012/03/28 21:24:18 | |
トラックバック(0) |
思索 | その他