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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2012年10月31日 イイね!

新潟から呟く

新潟から呟く所用で新潟市街に来ています。
関越道ないしは新幹線を使うのが都内から新潟へアクセスする定番で、都内勤めの方々はまずこのどちらかの手段で、日本海一の主邑にお越しになられているはずです。

が、私は革命児であります(^w^)
栃木と会津の山々と戯れながら、真冬の気温のなか、暗夜行路をして深夜にチェックインしました。
いやはや、こんなにも遠いとは(^o^;)
最終的には磐越道の西会津インターから高速で越後入りするも、まさかの工事通行止めで、阿賀野市から一般道を使いました。
急いでいたこともあり、目的地までスマホのカーナビを使いました。いいですね、これ(^ー^)
なお、ポータブルナビは赤坂見附を指したままです(^_^;)

会津は紅葉が実に色鮮やかですが、冬将軍の到来は間近でしょう。
酷道系の道路ではそろそろ冬タイヤが必要かもしれません。
なお、新潟市街は曇天ですが晴れそうな気配です。 ここも冬将軍の到来と共に街が銀世界になるんだな、と叙情的な気分に浸りながら、所用を果たします。
皆さま、よい一日を。







Posted at 2012/10/31 08:34:01 | コメント(0) | トラックバック(0)
2012年10月28日 イイね!

【ワルめーらの日本を歩く】京都嵐山渡月橋・天龍寺

【ワルめーらの日本を歩く】京都嵐山渡月橋・天龍寺四泊五日(六日?)の旅をしてきた。
名古屋・京都・有馬温泉・六甲・岡山東南部といった辺りを探訪。
もっとも、この旅路に関しては、ブログでもさんざんに書いたけれども、私にとって忘れがたい旅路の一つになることは確かだろう。

二日目の旅程から話したい。
名古屋栄にあるホテルをチェックアウトしたのち、関ヶ原を越えて、いよいよ近畿に入る。人々が使っている言葉もいわゆる「関西弁」であり、この点でいかにも旅に来たという気持ちを高めてくれるのだ。

京都の歴史は平安京遷都が794年であり、爾来、日本の主邑として発展したことは誰しもが知っていることである。
以後、実際の権力こそ、大阪やら江戸やらに移ったものの、権威の象徴、或いは日本の伝統の象徴としてのみやこぶりは今もって色あせていない。
この点が、京都の歴史的な強みといってよいだろう。
実際に京都をめぐる歴史的出来事は実に多く、我々が日本史を綿密に紐解くとすれば、まずはこの京都を視座から外してはならないのだ。
単に寺社仏閣がたくさんある都市という以外の凄みがある。
しかしながら、京都市街の寺社仏閣を回るとすれば半日はかかるであろう。また、その場合は徒歩での移動が適しているように思える。
その日の宿が、関西の奥座敷の有馬温泉だったので、京都でも特に清々しい空気を運んでくれると私が感じる渡月橋近辺に観光を絞ることにした。

渡月橋はその橋梁自体よりも、その周りの風致が好きである。
広々とした河川に木々が植えられた美しい河川敷があり、人々はそこで憩う。
西面には丹波と境する山が迫っている。山々はこんもりしていて、山の頭上から見える月はさぞかし美しいだろうと想像されうる景観である。





この静けさや極まる桂川は元来が暴れ川であった。
保津川の渓流が直近にあるため、その激流が時に大水害をもたらしていたのである。この暴れ川をどうにかいなしたのが角倉了以という人物で、興味のある方はお調べいただきたい。彼は日本海と琵琶湖を運河で繋ぎ、大阪湾までの船運を可能にしようとするスケールの大きな構想も持っていたようである。
彼の構想が実現していたら、琵琶湖は淡水の湖ではなく海となっていたのだろうか。

明智光秀が本能寺の変を起こしたとき、彼の領地が、渡月橋の山向いの丹波地方であった(現在の京都府と兵庫県の一部にまたがる)。
私もクルマで走って痛感したが、現在でも丹波への道は狭く険しい。
光秀の時代はさらに状況がひどく、行軍は難を極めていただろう。
おまけに、光秀が桂川に差し掛かった時にちょうど大洪水があったという。
それなのに何故に本能寺の変が成功したのかが不思議だが、私は変の成功自体についてはある説に賛同している。
そのことを以前、ブログに記した。


本能寺の変のときに信長が「是非もなし」とツイートした謎


しかし、いまや角倉了以の治水の功績もあっただろう。
こうして悠々とした気分で渡月橋を眺めることができるし、保津川下りという観光も成立するのである。

この辺りは嵐山という。
禅の名刹として天龍寺がある。
私はこの名刹を訪問したことがなかったので、今回の機会を奇貨として、境内を散策しようと思った。
例外なく禅のお寺の境内はきれいに掃き清められていてきれいだからだ。また、紅葉が始まっており、さぞやいい気分になるだろうという風にも考えた。
天龍寺の事跡については割愛するが、一つだけいえば、ここから天龍寺船という船が遠く元の国(中国大陸)まで交易をしていた時期があったということである。ブログ下の補遺をご覧いただきたい。
静かなる嵐山から、幾多の難関を乗り越えて、遥かなる大陸まで交易に行く。
なんとも壮大な光景ではないか。
それはともあれ、まずは写真を通じて、いかにも日本的なわびさびの効いた天龍寺の佇まいを堪能していただこう。












いかにも日本人好みの風景が展開されている。
さて、この禅という教えは、インドの達磨大師(「ダルマ」は達磨大師から由来しているという)が中国大陸にもたらし、それが日本にもたらされたという。
現在では日本がほぼ唯一、禅が息づいている地域ではないだろうか。
その特徴は、不立文字という教えに象徴されるとおり、言葉や知識ではなく、体験を重んじるところにあるだろう。
わけのわからない問答や厳しい修行というのも、直感的に悟りに至る道を体覚するためのものであり、この点が念仏を唱えることにより仏になれるとした浄土宗や浄土真宗、法華経と日蓮を信奉すれば救われるとした日蓮宗などと異なる。

禅の世界を言葉や知識で示そうとしても、それは本質的には禅ではない。
なぜなら、禅とは個人的に体験するほかない教えだからである。
ゆえに、その問答というのも外部の人間が見れば、わけがわからないということになり、コンニャク問答のような面白い笑い話も生まれるのだろう。

この後に、嵐山から丹波を経由し、宿泊地に向かうことにしたが、通常は山陰道を通るのだろうが、存念があり、険しい山岳道を進むことにした。
このことについては次の機会に述べたい。

(補遺)
天龍寺船の派遣先は「宋」ではなく、モンゴル族が中国大陸を統治した「元」でした。
船の目的は寺の建立の財源にあてるためだとか。
この時期、倭寇が大陸を悩ましており、船を無事に派遣できるかどうかはわからない状態であった。
だが、結果的に成功し、寺院の建立財源に当てたというのだから、中国大陸との交易のうまみの凄まじさを感じる。
莫大な財源が捻出できなかったのは、建立者の足利尊氏の基盤の弱さによるところもあるだろう。彼が創始した室町幕府は一貫して不安定な政権であった。
それでも、尊氏が天龍寺建立を祈願したのは、後醍醐天皇をともらうためであり、当時の思想を鑑みるのであれば、後醍醐天皇が怨霊となって災厄を振りかざすことを防ごうとしたという判断もできるだろう。
なお、明治になり仏教が弾圧されるまでは、渡月橋付近もすべて天龍寺の敷地であったというから、その広さの尋常ならぬことが理解できる。

Posted at 2012/10/28 23:43:26 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日本を歩くシリーズ | 旅行/地域
2012年10月28日 イイね!

甲府盆地来訪

甲府盆地来訪
先日は甲府盆地までドライブ。
都内から百キロ強という近い距離にあるために、非常に行きやすいのが特徴です。

百回ほど来訪したことがあるとは思いますが、実に様々な思い出がよぎります。
友人や知人と来訪したこともあれば、妻と来訪したこともあります。
そして、今回のようにひとりでドライブする回数も数しれず。

甲府盆地の西には標高3千メートル強の山々が聳える南アルプス山脈があり、これらの山々が白くなってくると、さらに美しい風景が展開されることになります。
降雪は都内よりは格段にありますが、雪国というほどではないので、冬場でも気軽に立ち寄れる場所ではあります(ただし、非常に寒いです)。

甲府盆地はフォッサマグナという地層の亀裂帯が縦断している箇所で、説明書き等を読んでいないのでよくわかりませんが、ブレスレットに用いるような鉱石が産出されたりするのもそのせいなのでしょうか。
地質学に詳しい方の説明を求めます。

温泉もまた、このフォッサマグナについて言及しているところが多いのですが、よく読んでいないのでわかりませんが、この大亀裂層が独特の泉質のお湯を生み出していることは確かでしょう。
甲府盆地を一望できる旧三珠町のお風呂(みたまの湯)に行こうと思いましたが(ここは内外問わず大人気の温泉で、露天から見る眺望に感動を覚えずにいられません)、心変わりして地元の人しか行かないような(それでも施設は立派です)、市川三郷町という富士川に近い温泉に行ってきました。町民以外で入浴料金が400円です。
源泉だけがくべてある浴槽に入ると非常にぬるいのがわかります。
私の好きな函南の畑毛温泉(静岡県)と似ていて、長時間入ることができます。
また、加温した源泉風呂もあるので、そちらを楽しむことも可能です。
ぬるいとはいえ、さすがは温泉で、湯上りしても身体がポカポカしているのが特徴です。
温泉好きだったという武田信玄もここに来たのかな。
ともあれ、非常に気に入ったのでまた来ます。
ウチから多少の寄り道をしても二時間あれば行くことができることが確認できました。

つむぎの湯

ちなみに、ここは市川三郷町という行政区域に属し、初代市川團十郎の出身地だとされています。また、当地はハンコの生産も日本一だったと思います。
興味のある方はお調べください。





なお、昨日は四名の方とハイタッチしました。
嬉しいことですね。
ハイタッチ未遂も何件かありました。
ともかく、新しいコミュニケーションと出会いの形態が生じたと私は考えています。
批評はあるでしょうが、要は自分が使いやすいように使えばいいだけで、合わないようなら使わなければ良いのです。
そんなわけで、時折、ハイドラを使用しています。
Posted at 2012/10/28 21:02:45 | コメント(4) | トラックバック(0) | ドライブ | クルマ
2012年10月28日 イイね!

高所から見下ろす風景(眺望)の魅力とは ~湘南平にておもふ~

高所から見下ろす風景(眺望)の魅力とは ~湘南平にておもふ~
サムネイル画像は平塚・大磯の海沿いから少しばかり離れた山上にある湘南平という、この付近では割合と有名なスポットで撮影したものです。
電波塔だかなにかの鉄塔があり、そこに南京錠の鍵を付けると、カップルは永遠に結ばれるということで、いっときは南京錠だらけのシュールな鉄塔がありましたが、現在もまだ南京錠が取り付けられているようです。



今週の平日に、雨の降りしきる中行ってみました。
学生のときは割合と行っていたのですが、久し振りの来訪で道を失念してしまい(カーナビも動かないので)、ぐるぐると回ってしまいましたが、当時よりも案内板がしっかりしているので、昼間ならば行きやすいでしょう。
湘南といえども、さすがにこの辺りまで来るともさっとした印象が強く、夜は真っ暗です。
湘南平の公園に行くにはワインディングロードを登る必要があるのですが、夜目を鍛えるには十分かと思います。
湘南平の公園自体も夜は真っ暗で、カップルであんなことやこんなことをしたりするのに最適かもしれません(爆)

それにしても何故に人は眺望に惹かれるのでしょうかね。
高所恐怖症のため、高所に来るやいなや、うずくまって立ち上がれないという人がいましたが、それでも大方の人々は夜景を含めた上からの大眺望が好きなのだと思います。
いったい何故なのでしょう。
人間の感情の仕組みというのを知りたい気がします。
Posted at 2012/10/28 20:34:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | エッセイ | 旅行/地域
2012年10月28日 イイね!

山下公園散策 Walking along the Yokohama harbor

山下公園散策 Walking along the Yokohama harborThis blog is only written in Japanese,but I hope that you`ll see some posted photos at Yokohama harbor and then enjoy yourself or feel happy.
If you ask me a question,you can send me message anytime.
Thanks.
Terry

ワシの写真がとてもきれいね、ヨコハマ、ブルーライトヨコハマ~♫

サムネイル画像は港町横浜の山下公園からみなとみらい方面を撮影したものです。先だって立ち寄ったときに撮影しました。
思えば、みなとみらい地区というのもここ20年弱のうちに一応の敷地が完成し、以後赤レンガ倉庫などの建築遺産をうまく活用したり、ランドマークタワーなどの巨大展望ビルができたりして、街並みが一変した新しい街区です。
今ではすっかり横浜の一風景として溶け込んでいるのが素晴らしいところですね。
私が子供のときから存在していた横浜の名所といえば、ここ山下公園やその近辺の中華街・港のみえる丘公園、マリンタワーといったところでしょうか。
ここまで来るのに根岸線という国鉄路線をよく使いました(注:私は30代です・笑)。
似たような風景や歴史を持つ、神戸の街並み(特に阪高神戸線から見える神戸六甲方面)も大好きですが、いつでも気軽に来られる横浜の街並みはいつ来てもも飽きずに眺めることができます。

山下公園に係留されている氷川丸の勇姿もかなり昔から見ることができます。
氷川丸という八面六臂の活躍をした船の歴史については今は省きますが、興味のある方は調べてみてください。シアトルまで客船として往復したり、戦時に駆り出されたり、舞鶴まで引き上げ者を運んだりと、非常なる働き者でした。そして稀有なる頑丈な船です。引き上げがひと段落するとまたもやシアトルへの客船に戻りました。
と、省くといいながら歴史的概略を述べちゃいましたが(笑)、詳細な事柄については私もわからないので、調べてみてください。



余話をします。
その昔、日中平和友好条約締結時の後くらいに、オヤジがここから船で大陸中国へ渡ったことがあります。国交を締結してから十年経ったかどうかくらいの時代で、
中国といえば最貧国の一つであった時代です。
が、ほんの80年代の出来事なんですよ。変転の速度には目を見張るものがあります。
平日の出港のため、私は小学生ということで、見送りには行きませんでしたが、船便で大陸中国まで渡るというのに、なんだか浪漫を感じます。
当時の大陸中国では航空便を受け入れるインフラが不足していたのでしょうか。
唐突ながら、そんなことを思い出しました。
ところで、帰国後のオヤジがしきりにいうことは、「中国では便所に敷居がないんだ。それにきたねぇ」
よほど印象深かったのでしょう。敷居云々は文化性もあるので、今の発展した大陸中国にも残されていると思いますが、文革の余韻が醒めかけた頃に訪問したオヤジが、今の大陸中国を訪問したら、また便所の話でもするのでしょうか。
「便所に敷居があるし、綺麗だな」などと。

さて、横浜の海沿いを散策していて思うのは、昔に比べて海がきれいになったなということです。
私の幼少期はもうちょっと海が濁っていたような気がするのですが、今は全体が透明というほどではないにせよ、海の透明度が上がったように思えます。また岸壁にこびりつく貝殻も今ではほとんど見かけません。
おそらく、港を清掃する方々の尽力だと思いますし、こうした細かい部分でのケアがあるからこそ、今でも横浜という港は魅力的なのだと思います。




なお、近辺のオススメの駐車場は山下公園から道路をはさんだ箇所にあるグランドホテル向かいのコインパーキングが、シャコタン車にも大型車にも優しく安価です。

Posted at 2012/10/28 20:20:35 | コメント(1) | トラックバック(0) | エッセイ | 旅行/地域

プロフィール

「久し振りの来訪。今年もプロ野球選手名鑑をいただきました👍」
何シテル?   06/13 13:56
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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