
承前〔出発から5日目以前の旅程や旅の様子等についてはこの一つ前のブログをご参照くださいませ〕
9月13日〔水〕
鹿児島市電〔?〕鹿児島駅・桜島フェリー乗り場→鹿児島市内泊→錦江湾沿いの公園〔ハーバー?名前失念〕にて桜島鑑賞→道の駅喜入にて朝食 時折、高齢者の薩摩弁が理解できないこともあった→魚見岳より錦江湾に浮かぶ知林ケ島や指宿市街を俯瞰→指宿駅前商店街のさびれ具合を知る→砂蒸し風呂 砂があんなにも熱く感じられるとは思ってもみなかった ここで鹿児島に居を構える出版社の本を買う→本土最南端駅西大山駅 開聞岳が美しかった→長崎鼻の駐車場まで行って引き返す→開聞岳を海・内陸などあらゆる方角から眺める 地元の方とふとした拍子で会話 様々な薩摩風土や歴史について伺ったが、西郷の崇敬ぶりが印象深い。熊本の加藤清正や高知の坂本龍馬と同様。なぜなのだろう。大久保利道ではいけないのだろうか→旧穎町〔?〕の海沿いの展望所で海原の夕日を眺める 開聞岳も背後にそびえ立っていた→枕崎市街 そしてまさかのジョイフル三連チャン〔笑〕
9月13日〔木〕出発から七日目
枕崎泊
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火之神公園散策
戦艦大和の撃沈地の近くで慰霊塔有。また、当地は記紀にも登場する山幸彦が上陸した場所だそうだ。開聞岳も見えた。
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枕崎駅見学
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坊津来訪(坊地区)
・小さな観光案内所で初老のおじさんからアイスをいただく。名だたる国際貿易港として盛んだった坊津もいまは驚くほど森閑としている。60年代にカツオ漁をやめてからその風が強くなったという。
・歌川広重も訪れてその画に描いた総研石(海上に浮かぶ剣のような岩山)も遠望
・しばし遊歩道を散策し高台からこれら森閑とした集落・静かな海原を俯瞰・遠望
・朝廷の勅願寺でもあった一乗院に来訪しようとした(廃仏毀釈により今はわずかに遺構があるだけと聞いていた。なかなか辿り着けなかったが、なんとなく直観がして小学校に入ってみたら、果たしてそこが跡地であった。ちなみに小学校は廃校になっていたとおぼしい。ちなみに遺構らしきものはほとんど見当たらなかった。
変に観光地化させていない点が今は静かに生きることを選択した坊津らしいともいえる
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枕崎に戻り、高知県同様カツオ三昧(笑)
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坊津秋目地区来訪 鑑真和人来訪の地 鑑真記念館という小さな館に入館。
ちなみに、STIリップスポイラーだと擦ってしまい駐車場に入れないので、
離れたところに停めて徒歩(笑)
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内陸に入り、秋目峠を越えて僻地の海岸部を脱し、一時間ほどで鹿児島市内へ
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クルマを港に停めたまま、桜島フェリーに乗船(後払い方式 160円)
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桜島上陸 温泉の湯をそのまま利用した足湯を堪能。桜島と錦江湾が見える
絶景の地
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再び桜島フェリーを利用し、鹿児島市街に戻る
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鹿児島中央駅や近辺を徒歩で散策。記念にスイカの鹿児島版SUGOKAを購入。
夕食は繁華街の鹿児島ラーメン屋で食す。黒豚肉の入った餃子が独特。
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クルマで西郷隆盛など維新の英傑を生み出した加治屋町や照国神社を見学
加治屋町近辺は来年の大河ドラマ上映でますます殷賑を極めるだろう。
次回来訪時はクルマをどこかに停めて向かいたい
9月14日〔金〕出発から八日目
鹿児島市街泊
車体には黒茶けた汚れが付着。火山灰だろうと見当は付けていたが、何れにしても同中で一度は洗車する予定だったので、スタンドで念入りにパトカーを拭いている県警の方に火山灰の洗車の諾否をお聴きする。これから桜島に行く予定なのに〔笑〕
結果、窓だけでもきれいにしておこうと思ったが、気が変わってスタンドで洗車。
おそらく室内まで掃除してくださったのだと思う。若い店員さんに感謝。
二日連続で桜島フェリーに乗船し、桜島へ
噴火口に近い湯の平展望台まで山道を疾走。
展望台は強い風雨であったが、山肌や錦江湾を微かに眺めることができた。
海沿いの有村溶岩展望所へ
桜島に点在する溶岩を眺めながら、山頂や海原を眺める。
お土産屋のご主人と桜島や薩摩のこと、その他雑多な話題で盛り上がる。一般論だが、薩摩人は教養が高く華美を求めない風があるように改めて感じた。
桜島の海沿いの道路を伝って大隅入り。しかし、大隅半島には向かわず、宮崎に向かう。台風接近の報があったので、無理はしないことにした。県境沿いの道の駅のビュッフェ形式のレストランで昼飯
都城を通り、宮崎市街へ。
宮崎駅から程遠くない場所にある小洒落た外観の喫茶店へ。
女子高生が宮崎弁でなにやら楽しそうに喋っていたことが印象的であった。
喫茶店では茶葉が豊富で、珍しいところでは水出し緑茶というものも喫した。
閉店近くまで居座り、退店前にお茶のことなどをお聞きした。
なんでも宮崎県は全国四位の茶の産出を誇るものの、宣伝不足のため、人口に膾炙していないのだそうだ。
宮崎駅前散策。中規模都市程度の大きさで鹿児島中央駅前などに比べると寂しいが、少し歩くと椰子の木〔?〕が並木として聳え立つ賑やかな歓楽街がある。
旅の初めに高知市内で開催していただいた高知ぞなもしオフ〔笑〕でようやくお会いできたみん友さんにチキン南蛮のお勧めのお店をお聞きしたが、市街をうろちょろとしているうちに惜しくも品切れで営業終了〔笑〕
夜の日向路をひたすら北上。日向国一ノ宮のある都農町の道の駅へ。
でかい鍋を床に置いて、数人でカレーを食べている集団がいてびっくり〔笑〕
なお、都農町はクラシックカーの祭典を開いたりなどをして、SNSにも情報発信しているようだ。来月にイベントがあるようなので、見学してみたいなあ。
宮崎県は南北に長い。休憩場所を見つけてしばらくぼうっとしていたら、そのまま眠りこけてしまった。
本日は強い雨。これからゆるゆると行く先を決めたい。
9月15日〔土〕出発から9日目
延岡〔だと思う〕泊→臼杵市〔大分県〕フェリー乗り場
いよいよ九州とお別れ。臼杵城を見たかったが次回にしよう。
臼杵フェリー乗り場の二社のうち、宇和島フェリーはすべて欠航。11時35分発オレンジフェリーに乗船。
待合室にいる間、雨こそ強かったが、海に出てみれば波もそれほど強くなく、シャワー室なども完備されていたので、快適に船旅を送ることができた。
四国側の八幡浜〔愛媛県〕の乗り場では雨はほとんど降っておらず、松山に着く頃にはすっかりやんでいた
→道後温泉本館へ
温泉街で黒饅頭を頬張ってから、二階の座敷に昇って浴衣に着替えて入浴。
いかにも古代から続く湯治場のような風情がして心地よいし、湯上りに涼しい風を浴びながらのんびりするのは最高である。
当地でイギリスから来た観光客と少しだけお喋り。温泉のサイトをみて来たのだという。ベトナムのテレビ局とモデルさんもたぶん人力車の取材で来ていたし、温泉街も小綺麗になったような気がするし、年月とともにどんどん街は変遷する。
本館前で地元の方にお声掛けもされた。
散歩で来てみたという。松山の規模くらいがちょうどいいそうだ。同感。
観光客相手に写真を撮ってあげたりして〔私も観光客だが〕、
道後温泉街で名物の鯛めし〔南予スタイル〕を頂く。最後に伊予鉄の雄姿を眺めて道後温泉を去る
→松山城を中心にクルマで松山市街探索→鹿児島市から無給油だったので給油
開店何十周年とかで通常より安くなっていた。おまけにすぐに使える割引カードも使用できた。
とある店員さんに話しかけられ、十分ほどクルマ談義。子供の頃からインプレッサが大好きだったらしい。松山ではほとんど見かけないようだ。そういえばスポーツカーがあまり走っていない。鹿児島にいる友人が14シルビアに乗って来たとか、ポルシェに乗っている先輩の話など、クルマが好きなことがよくわかるし、首都圏が上の車種に関しては恵まれているほどたくさん走っているのだなということを感じた。今後の松山来訪の際の再訪を約した。
→西条市にて休憩中
なお、今宵は香川県まで行くと思う〔零時を過ぎてしまったが〕。