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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2018年07月18日 イイね!

北九州・山陰ドライブ 11日目

北九州・山陰ドライブ  11日目 山陰路を抜けたどころか、既に昨日帰宅して、さっそく愛車の洗車とDIYを施し、第三京浜の保土ケ谷パーキングにいる。
愛車のエンジンの吹け上がりは格段に良くなっている。ちなみに、インプは長距離向けのツアラーとしても向いていると私は思う。パワーがあるから何かと楽だし。滋賀県から特に給油しなくても帰宅できた〔ブーストピークまで回したが〕。逆にエコ運転をしてもあまり燃費が良くもならない不思議なクルマでもある。

首都高でインプ仲間の女性と再会してフェリーに乗船したのが、僅か二週間足らず前。邯鄲の夢の如しである。
此度のドライブにおいては、諸々の強迫観念や不安、恐怖、絶望、焦燥といった感情も根強く沸き起こっていた。しかし、後に記すが美濃と近江の境目にある美濃大須宿のお寺の建物の中で目に留まった文章を読んで、それも致し方ないのだと思いが強くなった。
依然として消え去らない、これら想念の数々だけれども、禍福は糾える縄の如しともいうし、此度の旅で経験した数多の素晴らしいことに焦点を当てていきたい。

長浜で宿泊したことは述べた。琵琶湖沿いを走り、彦根城の周りをぐるりと回る。でかい。来訪したことはあるが、小倉・萩・松江・鳥取城と比べるとその規模が違う。
萩を見学して彦根城を見に来るのも皮肉なものだが、城内には入らず、東へと向かった。

まだ観光地化されていないと思うので、こっそりと記すが、近江〔滋賀県〕と美濃〔岐阜県南部〕との境目に寝物語の里と呼ばれている小さな集落がある〔近くの柏原宿はだいぶ観光地化されたようだか〕。またげるほどに小さな小さな堀を隔てて、西日本と東日本との境目が分かれている。

柏原宿と異なり、美濃側の大須宿はまだ薄寂れている。幹線道路からほんの僅かに隔てたところにあるのだが。
妙應寺という曹洞宗の寺があり、関ヶ原の戦勝の際に家康が腰掛けたという岩が残されているが、ひどく地味である。
お寺の建物の中に上がらせていただき、正座させていただいた。汗がどんどん噴き出してくる。

大垣市街で昼飯を食べようと思った。駅前のロータリーのあたりこそ変わったが、あとは昭和時代と街並みがほとんど変わっていない。その変わらなさぶりのすごさには逆に驚かされる。

いかにも昔ながらの喫茶店に入ってみた。中京圏の喫茶店らしく、これでもかというくらいにたくさんの食べ物が出てくる。のんびりとこうしたお店で過ごすことのできる中京圏の風が羨ましい。

ものすごく暑い。北関東や山梨と並び、この辺りは特に夏の暑さが半端ではない。
しかし、いい加減暑さ慣れしていたので、大垣城に立ち寄ってみた。関ヶ原の戦い直前での要衝で、西軍が立ちこもっていたせいか、西軍びいきの印象を受けた。しかしながら、戸田氏という幕末まで大名になった氏族に対する畏敬の念のほうがより強いように思えた。

街並みも散策してみた。
水まんじゅうというんだったけな。これをかき氷の中に入れて食べさせてくれるお店があり、人心地ついた思いがした。
また、音楽店〔?〕では、昔のカセットテープに付いていたカバーが大量に普通に販売されていたので、昭和郷愁の人間の私はさっそく購入。

多治見付近の暑さが半端なかったが、信州の蕎麦を食べてから、諏訪湖の夕陽を眺めながらスタバのキャラメルフラペチーノを飲んだ。

東京に着いた頃も特に久しぶりという気持ちは沸きおこらなかった。もう少しばかり滞在しても良かったのかもしれない。

此度の紀行文はこれにて終了。
私はクルマを利用して毎週のように方々に出掛けているが、それらを逐次記載していては身が持たない。よって、基本的には今まで通り、ドライブ旅の記録はこうしたSNS上には記さないで置こうと思う。
とはいえ、各地の友だちとも会いたいし、ゆえに今後もSNSを活用していくつもりである。






















































































2018年07月17日 イイね!

北九州・山陰ドライブ 十日目

北九州・山陰ドライブ 十日目鳥取から但馬や丹後と行った山深い道を疾走すること200キロ。京都市街の天一本店でラーメンと餃子を食べたのが零時頃。
滋賀の長浜に来ている。関ヶ原は隣であり、東西の分水嶺に近い。
山陰は遥か彼方の隠国となってしまった。

朝からすでに夏の陽気であった。そして、またよく歩いた。日焼けして肌が真っ黒になっている。
さて、まずは神話の因幡の白ウサギの舞台〔ワニとの争闘やオオクニヌシとの出会い等〕が揃っている白兎海岸を間近・眼下に眺めたり、海岸沿いにある白兎神社を参詣した。
またここはオオクニヌシと八上姫との神話の時代の恋愛と関連があることから、縁結びの社としても知られている。
鳥居に白石を投げてうまくのっかるといいことが起こるそうだが、果たしてしっかりと石をのっけてきた。
かような具合で、山陰は自然風致一つとっても神話の伝承地となっているから、深みが違う。

鳥取市街地の側に湖山池という明媚な名勝がある。池といっても、前日訪問した東郷池よりも大きい。湖といってよい。
池内に青島という島があり、存外と小高い島の頂までいくと、池畔が一望できる。

鳥取駅前を散策する。駅の規模も大きくはないし、商店街も県庁所在地としてはちと寂しい。しかし、都市の規模というのはこれくらいでいいのかもしれないという具合に山陰の旅を続けてきて思い始めている。

白兎海岸のお店で、東京出身の鳥取県知事の本を少し読んだので、地味で不便な鳥取県の鮮やかなPR戦略に舌を巻く思い出あった。
その一つが有名なすなばコーヒーであるが、鳥取県知事がイニシアチブを取ったわけではないが、彼のPR作戦によって、一躍有名になった。スタバは外観しか覗いていないからわからないが、すなばコーヒーは確信的にスタバを意識することで認知度を高める戦略を取っていて、その点が面白い。全国からたくさんの人たちが訪れているようだ。
食事はコメダと地元の食材が混ざったようなメニューが多く、スタバとは異なる。知事はwin-winでやっていくのが狙いであると述べていた。

久松山という急峻な山が鳥取県県庁の裏手にそびえ立っており、その眼前に江戸期の鳥取城跡が石垣だけ残されている。
戦国期の鳥取城はさらに山の上であるが、江戸期の鳥取城も山城といっても良いかもしれない。
石垣だけではなかった。仁風閣という様式の建物が元々の城の施設だった場所に鎮座しており、大正天皇の行幸もあったそうだ。東郷平八郎も供奉している。

鳥取砂丘にも行ってみた。おおよそ十年ぶりの来訪となる。展望台から俯瞰しようと思ったのだが、やはり歩くのがいいと思い、ゴンドラを使って砂丘に降り、日本海を見下ろすところまで登ってみる。異界である。
かつては今の倍以上の面積を誇り、先述の湖山池も砂の堆積でできたという〔湖山池は中世までは海と地続きだったらしい〕。
詳しくは知らないが、砂漠というものが日本では珍しいので、再訪してよかった。

灼熱の陽気も収まり、いよいよ山陰から出ようとするまえに鳥取県再東部の岩井温泉に浸かろうと思った。山陰でもっとも古い温泉らしい。
昔からの風情を色濃く残しているような小さな温泉街である。
うち、元和時代創業〔家康の晩年期だ〕の明石家という旅館の湯に浸かった。窓外には高松宮植樹の木が植わっていた。
どういうわけか、ものすごい歓待を受け、再来を期して旅立つことにした。
写真に収められなかったが、ものすごい大きさに膨らんだオレンジ色の太陽が温泉街から見える山の上にあり、なにやら示唆的なものを感じた。山陰地方よ、さらば!

冒頭に述べたようにここから京都市街まで200キロほどの距離があるのだが、ワインディングの連続で急峻ではないが、相応に険しい。山陰はそうした理由でも遠国と感じられるのだろう。

まだ旅路は続いているが、ひとまず東京に戻るのももうすぐである。長いようだが短い。







































































































2018年07月15日 イイね!

北九州・山陰ドライブ 9日目

北九州・山陰ドライブ  9日目海岸沿いのお店で海鮮丼を食べたところである。
白兎海岸と呼ばれる海岸で、因幡の白兎で有名な場所である。

米子で宿泊したが、今日も朝から暑かった。
そこで、大山に行けば涼を得ることができるかなと思ったら、そうでもなく存外に暑かった。30度はあっただろう。

まず、大山神社の参道を駆け上り、本殿前で蕎麦を食した。仏像建築も素晴らしかった。
大山の姿が実にくっきりとみえた。私は幸運児なのだろうか。雲がかることは一切無かった。眼下の弓ヶ浜や出雲半島、中海もよく見え、この点眺望に恵まれていた。ワインディングも楽しかった。
ここで少しばかり岡山県に入り蒜山高原を疾走し、再び鳥取県に戻る。

倉吉市郊外に命水と書かれた幟があったので、果たして行ってみると、水を販売している会社で、そこのスポーツカー好きの女性とお話をしながら、お水を頂いた。

北上してはわい温泉〔羽合〕に向かう。東郷池〔ちょっとした湖ばりに大きい〕沿いにある。
足湯に浸かって帰ろうかと思ったが、
昨日の宍道湖と同様、カヌーができることがわかったので、好きなだけ漕がせて頂いた。
一時間半ほど湖面でたそがれていたという。
昨日と異なり、回頭性に優れたカヌーに乗ったが、操縦が難しかったので、乗りやすいカヌーに変えて頂いた。

カヌーを貸してくださった方は木更津に住んだこともあるという方で、そのよしみもあったのか、観光案内所に電話してくださり、温泉旅館の入浴料の便宜を図ってくれた。
感謝一念である。
なお、お勧めしてくださった旅館の温泉は池の水位とほぼ水平な露天風呂などもあり、近畿圏からの宿泊客も多いようであった。

鳥取市に向かうため、日本海沿いの景観のいい道を疾走する。途中、見晴らしのいい場所にクルマを停めて海原とかなたに見える霞を眺めていた。
多摩ナンバーのクルマに乗っていらっしゃる方たちがいらっしゃったので、お声掛けしてみた。地元は鳥取だという。長い間、調布に住んでいたという。そんなやりとりの間、熊谷ナンバーのクルマも入ってきた。懐かしい。

そして今に至る。
明日は白兎海岸や白兎神社等を散策し、鳥取市街にも行くやもしれない。
が、明日から帰り支度に入ろうと思う。
既に一般道で京都まで200キロ程度のところに戻ってきた。
そのためか、心なしか関西弁が飛び交っているように思える。それは、出雲の言葉とはまったく異なる。帰ってきたなという感覚がほんの少しだけ湧いている。









































































2018年07月14日 イイね!

北九州・山陰紀行 八日目

北九州・山陰紀行  八日目鳥取市に次いで県内に出店された米子のスタバにいる。ツタヤと併設していることと、クルマ社会であることもあり、大変な賑わいである。

今日も夏の陽気で本当に暑かった。
上陸して以来、ずっとこのような按配である。
午前中は宍道湖でカヌーを楽しんだ。
湖の周囲をとりかこむあ松江市街や緩やかな丘陵を眺めながら漕ぐのは最高に気持ちが良かった。

次いで、江戸時代からの天守閣が現存している松江城へ。県庁の駐車場〔土日は一般に開放されている〕にクルマを停めて天守閣に登る。

中海のほとりに向かう。中海の中の島を伝わりながら、著名となった急勾配の橋を渡り、鳥取の境港に行くと、ものすごい賑わいである。なんでも、今日が水木しげるロードのリニューアルの日であり、お祭りをやっていた。

中海沿いに弁慶生誕の地と銘打つ、出雲地区にしては宣伝を密やかながらもしている地区があり、かなりの山の上に寺があるようなので、クルマで登ってみた。走り屋のスポットだったようだが〔たなみに、頻繁にスポーツカーを見ることはこちらでは珍しい〕、今は荒れている。展望がひらける場所もよくわからなかったが、なんとか俯瞰的に中海を視界に納めることができた。

皆生温泉街の旅館で温泉を浴び、当地に来た次第。ツタヤは深夜まで営業するらしいが、スタバは23時閉店らしい。
それまで、出雲の博物館で購入した本を読むことにする。


























































2018年07月14日 イイね!

北九州・山陰紀行 七日目

宍道湖からの涼風を浴び、陽が落ちるのを待った。宍道湖の夕日は数々の人々が賞賛している。といっても、八時になっても完全には暗くならなかったので、諦めたが。松江宍道湖温泉に入浴したのちは松江の市街中枢や旧城下、城跡、郊外のバイパス〔山陰道無料区間〕など、くまなく回り、ようやく人心地ついた。

長門から出雲までの夜間行軍は思ったほど長さは感じなかった。東京から浜松に行くような感覚だが、とかく暗闇の中を走ることがほとんどなので余計長く感じると思ったので、浜田市街中心部や石見国分寺跡に立ち寄るなど変化を付けてみた。出雲市街地を回り、宿泊。閑散としていた。

翌日。
この日も晴れて暑かった。九州に上陸してからずっとこの按配である。
出雲といえば、ベタだが出雲大社参拝である。
大社に行く途中、真名田という狭い道が集落に押し潰されそうな土地に入ってしまったのだが〔普通に門前に行こうとしない〕、そこの一角にある湧き水の小石は出雲大社の神官が一年に一度取りに来るという由緒正しいところであった。
祭礼の列が練り歩いていたが、真名井の人たちが言うには他の地域の祭りの日なのだそうだ。
真名井は出雲大社の神官が暮らしていた地域なのだそうだ。

大社では二礼四拍で柏手を打つ。幸せの四に繋がるからという説明がされるが別のところにあるとみている。だいたい、祭神であるオオクニヌシは拝殿と相対せず、西に向いているのだ。近くに稲佐の浜という美しい浜があり、実際に行ってみた。そこで国譲りの話がされたと言い伝えられているが、事態はもっと血なまぐさいと思う。
なお、出雲大社の裏手は山に覆われていてワインディング走行するにも最適である。昔は拝殿もなく、山自体が甘南備山として崇拝されていたのだと思う。

本殿は24メートルの高さを誇るが、どうもその昔は48メートルもの高さを誇っていたという説が考古学的実証等を含めて、まことしやかに囁かれている。あり得る話だと思う。備忘録なので深くは述べない。
もとより知ってはいたが、模型が島根県の歴史博物館に展示されており、実際に見てきた。なお、博物館の売店に出雲出身の人の軽妙な語り口の良本があったので購入。

出雲大社の裏手の日本海を見下ろす格好のワインディングを突き進むと、この地方では珍しい権現様式の神社があり〔徳川家光が再建を指示〕、こちらはアマテラスを祀っている。示唆的ではないか。

山陰は鉄道の便が悪い。電化されている一畑電車というのが、松江や出雲市街から出ているくらいである。山陰本線自体が非電化で本数はまばらだ。かつてはたくさんの特急や急行が走っていた点では他の地域と同じだが、出雲大社に向けて敷設された路線〔大社線〕がかつてあり、モータリゼーションが始まるまではものすごく殷賑を極めていたという。平成の始め頃に廃線になったが、駅舎はそのまま残されている。屋根瓦の部分が特徴的である。相当に凝っている。皇室もしばしば大社線を使って参拝しに来ていたし、参道ができたのも駅と大社との連絡を良くするためであった。

その他もろもろあるが、総括すれば、出雲は神話が根づいている。そこから抜け出そうともしない。国譲りの神話でオオクニヌシに変わって国治めを担った出雲国造家が出雲ではいまだに有名人なのである。奈良よりも歴史が古い。このような場所は他にあるまい。

松江は本当に美しい街である。
宍道湖も美しいし、破却を免れた松江城がある。
人口相応の栄えぶりだが、都市の規模はこれくらいで良い。クルマもノロノロ走っているし、悠久な神話時代を有する土地柄だけのことはある。





















































































プロフィール

「玉川、江田、西方寺、大黒、本牧と経て、横浜南部市場で🍣食ってます。」
何シテル?   06/13 20:42
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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