• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ワルめーら@Terryのブログ一覧

2021年01月10日 イイね!

ブラタモリならぬブラメーラ さりげなくボルボのR

ブラタモリならぬブラメーラ さりげなくボルボのR灯台下暗しとはよく言ったもので、近隣でありながら、ふだんはあまり通らない、ないしは、意識しない、ところを散策すると、まあ、様々な折々の人間の営みが見えてくる。

皇太子(だったよな)は道路というものに興味があったそうだ。英国の大学に留学したときの論文テーマも道路である。道路には単なる往来や運搬といった合理的機能以外のものが付随されている。

遙かなる上古の昔、我が国にも全幅10メートル級の道路が造営された。道は最短ルートを真っ直ぐにそこには確立された合理性があった。
しかし、権力者の失墜とともに、この壮大な道路はあっという間に土に還った。

それ以後も権力者によって道路整備はされたけれども、それは壮大さでは古代的道路には及ばなかったけれども、人々が集う村や市場に沿う形て作られたので、その後も長く使用された。東海道なぞいい例だろう。
逆に街道整備により、宿場町が整備された例もあるけれども、やはりそこには人々の営みが街道に活発にあったからこそ、発展してきたのだろう。

私も道が好きだ。近くには江戸中期頃から流行った大山詣り(だいせんではなく、神奈川のおおやま)が流行り、そのための街道が整備された。赤坂見附を出発点とし、三軒茶屋、玉川、長津田、伊勢原等を通っている。

つまり、何が言いたいのかというと、道を歩くのが好きだから、散歩してきましたということである(笑)
土曜日のことである。

まず環八に出る。
ここは未曾有の自動車横丁だから、散歩するとなると、あちらこちらに目がいって仕方がない。
そこで、レクサスLCのコンパチとRC-Fを眺めるに留めておいた。
あとは目隠しして歩いた。褌姿で。















二年ほど前まではやたらとレクサスに乗る機会があったけれど、例えば、LCにしても実に乗りやすい。
そこがトヨタらしさなのかもしれないけれど、LCってラグジュアリーカーだと思う。
だとすれば、当然ともいえるけれど、あまりにも優秀過ぎる気がした。ボロが無いから、印象に残らない気持ちが湧いてくるのだ。
エモーショナルな部分を表現するのは難しいし、人によってエモーションは異なる。
もしかしたら、こういう超が付くラグジュアリーカーは、それを生業としているところが有利なような気がする。
出来の良さを感じるときに、どうしても世界有数の優れたメーカーであるトヨタのことを頭に思い浮かんでしまう。ということを今思ったし、くれるのなら欲しいけど(笑)

23区も端っこのほうになると、まだまだ農業地帯はたくさん残されている。農業公園にある呑気なアヒルだかカモだかが私の新品の靴ヒモを引きちぎろうという言語道断なことをし始めた。無礼者。俺はムツゴロウと違うからな、鍋にして食ってしまうぞ!










江戸期の遺物が高級住宅街の随所に残されている。
ベンツ、ベントレー、フェラーリ、そして、馬頭観音という具合に、高級車のあるところには、寺社がある。
トヨタやスバルのあるところにも寺社はあるけれど。
この辺りは東京大空襲の被害を受けなかったところなので、大石内蔵助の討ち入りの事件くらいの時代からのモノがたくさん残されている。東日本大震災でも切り抜けたのだろう。

こういうものに関心を抱き始めたのは、さほど昔のことではない。実のところは。

昔は資本主義体制が好きではなかったし(といってコミュニストではない)、今も昔もグローバリズムが好きではなく、保守系論壇誌に私は時折寄稿していた(当時は謝礼が良かった)。日本の国柄なるものについて、私は歴史と伝統を持ち出さざるを得ない点で保守主義の限界を感じてはいたけれど、止むに止まれぬという具合で、戦後民主主義者よりはマシだろうという比較においてのみ、旧きものを評価していたことを白状したい。

ということを想いながらも、モミモミパフパフなことをしていたのだ。
いまはピュアにクルマを運転するだけ。
こんなにストイックでいいのだろうか。
ごくまれにそう思う。





































それにしてもほんの五キロほど歩いて、こんなにもたくさんの人間の営みの確かな証拠を見ることができるのだから、散策は面白い。
特別区(ホントに特別に税金を払ってます)の周縁とはいえ、これらを自動車道路で移動するのは却ってめんどい。昔ながらの道をてくてくと歩く方が楽なのだ。

しかし、ここはみんカラだから、カラオケの話題をするか、カーライフの話をせねばならない。道や散策だけに浮かれてはなるまい。
とはいえ、フミヤのAnother Orionで99点取った話などもしたいところだが、今は昔。

老夫婦二人で営んでいらっしゃるお蕎麦屋さんを見つけた。見つけた瞬間に明かりが点いたので、これもなにかの縁だと思い、暖簾をくぐった。
うっかり注文したものと違う蕎麦を食べてしまってから気付いたが、これも縁であろう。
国分寺崖線の急坂(ホントに急です)の下まで来て、ニコタマくんだりまで来た私は、軟弱にも大東急で坂の上まで戻ったのでありました。







ホイールにRのアルファベットがあった。ボルボのスポーツモデルだったっけ?
さりげなく置かれているボルボのホイールに気をとめている人の数がアフガニスタンの人口を超えたとき、世界は救われる。



Posted at 2021/01/11 00:26:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | エッセイ
2021年01月09日 イイね!

梅の花にグループCカー

梅の花にグループCカー冬の関東地方(北部山沿いを除く)は乾燥していて大抵は晴れている。少し散歩にでも行ってこようかと思う。
昔、若松(会津若松)や盛岡、秋田で雪道行軍したことがあるけれど、少し山際まで行くと、膝まで雪が埋まるくらいになることもある。余談であった。

梅棹忠夫の「文明の生態史観」を久し振りに少し読んでみた。文庫版を開くのは初めてではあるが、本当に読みやすい。
素直で平易な文章からは著者の率直さが窺われている。題名とは裏腹にエッセイ的に読むことができるので、SO●クリエイティブ等でヌクヌクヌキヌキするのも良いけれども、まあその後にでもどっぞ!




梅花を見つけました。越谷(埼玉県)の大相模不動尊の境内にて。
埼玉なのに相模(笑)
なお、千葉の松戸にも相模台というところがあります(女の子と待ち合わせしたことがありました・笑)。

さて、諸説はあるけれども、当地の奈良時代開基説を紹介しよう。
奈良の東大寺の大仏築造のために、良弁という人が全国行脚中に大山(神奈川県)に辿り着き、修行を積んでいたところ、不動明王が現れたという。
良弁はその姿を木で二体刻み、うち一体を侍者に背負わせながら、行脚(当時はGoToも無く、大変でしたな)を続け、大相模の地で休息し、出発しようとしたところ、侍者が疲れまくって、否、不動明王像がめっさ重くなり、持ち上げることができずに、ここにお堂を建てて安置したとのこと。

太田資正って知ってます?小田原北条の影響力が及ぶまでは、彼がこの辺りのサイタマーを支配しており、岩槻城(いま、東武のデラックスカーが保存されている城址公園のところとほぼ同じかと)におり、篤信が厚かったとのこと。北条氏繁も篤信篤かったようですが、そのわりには岩槻城の繁栄祈願せよという上から目線的な文書を発給(ウソですやん)、今でも現存しています。

北条滅亡後は徳川家康が関東の支配者になるのですが、千葉の東金や御殿場同様、彼は鷹狩りが好きだったんですね。当地にも宿泊し(宿泊料金無料だったのかな)、そのときの寝衣が現存しています。

さらに面白い言い伝えとしては、関ヶ原の合戦の時に、住職が戦勝祈願のために、刀を護摩壇に立て、東へ倒れれば徳川方である東軍勝利であると心に念じたとのことで、いやあ、西に倒れなくて良かったですねえ(笑)

江戸期に入ってからの江戸幕府の当地への扱いは手厚く、山門に掲げられている山額は寛政の改革で有名な松平定信(福島の白河出身。南湖公園を作ったのは彼です。ベニマルができたのはそれからだいぶあとになりますけど。ベニマル本社は郡山なんで)の筆によるものです。

ところが、いまはとても落ち着いた雰囲気を醸し出してはいるものの、大繁盛しているようにはみえず、鄙びたようにも見えます。
越谷市民の中では有名なのか、おいしい団子屋さんもあり、決して朽ちているわけではないのですが、往時の歴史を知ると、とても寂しく思えてしまうのです。































いろんな意味でご縁を感じます(笑)
ここに来たのも昨年、三菱のクルマ(前輪駆動)で通りがかったことが機縁の始まりでした。
ところで、例の団子(よもぎ)は五個入りしか売っていなくて、家内に少し取っておいてあげようと思ったのですが、美味しいので全部食べちゃいました😁

お世話になったショップにもご挨拶。
年明け早々にお世話になることが決定(笑)
GRヤリスが増車されていたので、写真を撮らせてもらった次第。ラリー最強的なマシンは昔からの憧れ。
手が加えられるのだろうか。









と、いいながらグループCカーを見てきたりと、およそ節操が無い(笑)
R90CPで、Pは日産の追浜工場生産であることを示している。この辺の詳しい歴史はわからない。R89だとか91だとか、新種の冷媒が勢揃いしたのかというくらいに種類が多い。それだけ短い期間で進化を果たしてきた証左でもある。

うーん、明確な記憶はないのだけれど、この頃のマシンは化け物揃いだから、まあ凄かったと思う。
目で追えるかなあ。
星野さんが出場されていた富士のF3000を観に行ったことは覚えているんだけど、速かった、というより、うるさかった(笑)
グループAが生まれたのも、クルマの化け物ぶりにドライバーさえ付いていけなくなった事情も一つとしてあるくらいだから、自動車を歴史として捉えたい私としては興味のある分野ではある。アジア的停滞とは無縁なレースの世界で化け物マシンが跋扈していた時代。
そそります。


























というわけで、春はあけぼのの兆しが見え始めた新春(旧暦上だけれども)でした👍
2021年01月08日 イイね!

レガシィ以前のスバルやMID4のシャコタン車を想像してみる

レガシィ以前のスバルやMID4のシャコタン車を想像してみる巨人の原選手の若さが際立つカタログパンフレットを久し振りに眺めてみて思ったことがあります。

スバル車でシャコタンにしている人って、少なくともレガシィが登場するまでは見掛けませんね。レガシィも印象としては三代目辺りまでは、やはりシャコタンのクルマが思い浮かびません。
逆にフォレスターは二台目くらいまではシャコタンをたくさん見ました(笑)
四駆モデルが多かったからなのか、素材として地味だったのか、理由はわからないのですが、質実剛健さが目立ちます。ノーマルを維持しているクルマが多い気がします。
シャコタンといえば、やはり、トヨタや日産の印象が強く、単純に市場の流通台数の差なのかもしれません。
三菱もシャコタンという印象は少ないですね。
マツダはサバンナで下げている人がいるなという印象があります。

昔の記憶を引っ張り出してみますが、暴走族のクルマもマークIIだったり、ローレルだったり、やはり二大メーカーの印象が強いです。



海外のスバルマニアが持っている画像です。
ほんわかとした家族の和気藹々さが伝わってきますね。
家族全員で洗車した記憶はないですね。
広報用写真なのでしょうか、それとも、(おそらく)昭和30年代という時代性によるものなのでしょうか。
なにせ、360の開発に携わった人でさえ、新車では360を買えなかったという話を聞いたことがあります。
父親とハコスカやKP61を洗った記憶はあるのですが、それくらいですね。既に家族総出でクルマを囲むという時代では無かったのかもしれません。

さて、スバル360ですが、初期モデルかと思われます。
デメキンと呼ばれるヘッドライトの加飾、スライドサイドガラスに加えて、フロントフード下にスバルのローマ字が入っています。
私はヤングSSなど、後期において出たモデルが好きなのですが、どちらも好きです。定見がありません(笑)

ちなみに、親父の初の愛車はN360らしいです(あまりこういう話をしたことがないので、曖昧ですが)。当時の若者という感じがしてきます。
Nコロの登場でスバル360はヤングシリーズを出したりするわけなのですが、後継のR2にバトンを譲ることになります。










仕事で埼玉に行っていました。今日もなんですが、既に面倒くさい(笑)
大宮くらいまでなら、電車でもいいのですが、それより先だと遠く感じてしまいます。久喜行きの電車が最寄駅に走っていますけれど、もうアメリカ横断鉄道ばりの雄大さを感じてしまいます(笑)




日産サティオ埼玉の初売りスタンプラリーというのが行われているらしく、ヘリテージに保管されている往年の名車がサティオ各店舗に展示されているらしいです。
って、最近、日産にやたら縁があります(笑)
ともあれ、なんと素晴らしい企画なのでしょう。
スバルも恵比寿の本社に矢島工場にある歴代スバル車を並べてくれないでしょうか。ウチからバス一本で行けますし(笑)

画像は日産MID4 IIのコンセプトカーで、VG30DETTエンジンがミドに搭載されたクルマです。
MID4に関してはいろいろな話が伝わっていますが、このあとバブルが弾けることになりますし、エンジンやスタイルはその後の日産の名車に引き継がれていたので、
市販されなくともよかったと思っています。
330馬力が走っている様を見たかったような気もしますが、これはこれでよいと思います。
市販されていたら、シャコタン仕様も出ていたのでしょうか。あまり想像できません(笑)

あらゆるものは人間が創り出したかけがえのない文化であると思っています。文化を全面的に破壊するようなことになると、文革や明治の廃仏毀釈のようになります。
後者は未だに日本の寺社の長年の伝統を変えてしまったままですよね。昔は神仏混合と呼ばれ、例えば、神社の中に神宮寺というお寺があったりすることが、ごくごく普通のことでした。
このごちゃ混ぜさが、一神教の西洋諸国にはわかりにくいので、明治政府は神と仏を分離する命令を出します。そして、神道を上位に置くようにしました。
結果として、様々な寺が破壊されました。
あまりにも狂騒が激しく、政府は破壊を禁じるように命じましたが、このときに多大な仏教遺産が無くなったと言われています。鹿児島では破壊の動きが激しく、島津家の菩提寺は再建されずに至っています。

ということで、変革や進化も必要ですが、バランスよく進めていく方向が大切ですね。肉も野菜もバランス良く食べましょう。私は食べたいときに食べたいものだけしか食べませんが(笑)



2021年01月06日 イイね!

すぐ帰るよ詐欺 大黒の吸引力

すぐ帰るよ詐欺 大黒の吸引力AMもFMも音がいいし、オート選曲機能まで付いている。昔のクルマってこんなんだったなと印象はしていたものの、ローレル2800SGL(ハードトップ)の先進性にビックリ。

オーディオだけではなく、余計な装飾は無く、実用的だけれど、豪華さもある。
グレードも驚くほどあるけれど、細かく指定してくる顧客に対応したもので、そういう意味では、昔のクルマ作りは顧客ニーズに合わせていた、といえるのかもしれない。余裕と気概があったんだろうなと思う。
何事にも黎明期・発展期・成熟期があると思うけれど、
この頃は若々しい発展期だったのだろう。

ところで、一昨年に香港のイケメンローレル乗りさんたちとの場で、お会いして以来だったでしょうか?
クルマのみならず、様々なお話を聞かせてくださり、ありがとうございました。またお会いしましょう!








ちと余談。
昨年に谷中のだんだん坂で買ったクラシックカーのモデルカー。頂いた風呂敷に包んで持ち帰った記憶があります。左ハンということは大衆車でしょうか。
クラシックカーの時代はブランドによって、右ハンドルと左ハンドルが棲み分けられていた時代もあったそうで、そういったこともお聞きした次第。

てことで、夕方のラッシュ過ぎには帰るよと伝えたはずなのに、深夜二時くらいに帰宅していた私(笑)

ここからはですます調に変えてみます。

時計の針を戻します。
大黒で一休みして帰ろうと思っていたら、知らない間にインプが大集結(笑)
かの有名なスバルの法則とは厳密には云えないかもしれませんが、いささかばかり、お話をさせて頂きました。



























また適当にきままにどこかで!(笑)

レガシィとのニコイチがあったり、極上のGCがあったり、VABインタークーラーをスワップさせているレプリカGCがあったりと、久しぶりに同車種の集まりに参加できました(GD系はニコイチ一車種のみでしたが)。
こちらは、ローレルのような旧車の深みのようなものはまだ感じられませんが、何気に初代初期型であれば、ほぼ、30年選手です。
ウチのモデルでさえ、19年落ちです。
現役感バリバリなのが、インプの魅力かもしれません。

もともと都内にいてラッシュを避けるために辰巳第一にしばらくいたのですが、ウチに向かうルート以外は空いていたので、葛飾区方面経由で、近くて遠い辰巳第二で休憩していました(笑)
このときに大黒経由でそろそろ帰るねというメッセを送ったのですが、ご覧のとおりになってしまったという次第です(笑)
ローレル乗りさんにお会いする前も、そろそろ帰るわというメッセを入れましたし、インプが集まる前も同様に入れました(笑)









未来は不確定性に満ち溢れているものであれば、私の今から帰る宣言は、不確定な構造にありながらも、それをひとまずはエポケーして、そのことを相互了解した上での、エクリチュールとも云えるわけです(笑)

なんらかの原理があり、それに基づいて世界は動いているという認識はポスト構造主義において、打ち砕かれましたし、私たちは不確実な時代を生きるほかないのです。もう昭和の時代からこのような思弁はなされています。

はい!
てことで、久しぶりの午前様は、世界の不確実性に基づく世界の実相を投影したものに過ぎません。
まあ、端的にいえば、久しぶりの午前様でした(笑)

Eventually,our life is always unpredictable.
Who can predict in your future?
Awesome gatherings were never planned.
To my think of it,in my case,I often come across such a case like the meets.
It might be a law of attraction. Anyway,it’s certain that I’m in the right place.















Posted at 2021/01/06 14:49:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | 愛車インプ
2021年01月04日 イイね!

チェリーボーイではないけど、チェリーその他を見てきたの巻

チェリーボーイではないけど、チェリーその他を見てきたの巻年末年始と期せずしてブログ量産体制にはいっていたので、そろそろ打ち止めとしたい。

日産本社グローバルギャラリーも私にとっては魅力的な場所である。ホンダの青山本社のように来客駐車場があれば良いが、まあ、横浜のみなとみらい辺りなら電車でもすぐに行けるし、コインパーキングもある。まったくありがたい限り。

日産も歴史をリスペクトしているようで、元旦に行った座間に限らず、本社でもちょくちょく昔の日産車を展示している(オーテックで作り直されたものも含めて)。

ダットサン16フェートンというクルマの展示や紹介を盛んに行なっているようにみえる。
戦前のクルマであるから、自動車普及期のものではなく、日本自動車黎明期のクルマであったと云ってよいだろう。ということもあり、まったく馴染みはないのではあるが、多摩川でレースをしたなんて話もあるようだから、黎明期ならではの牧歌的な雰囲気も醸し出してくれる。
















前輪駆動がどれくらいに一大パラダイムシフトであったのかということについて、私はよくわからない。
富士重工がF1000という前輪駆動車を出したことは、地味だけれどかなり画期的なことではなかったかと思われる。
私が免許を取った頃には前輪駆動が多数派であったし、シビックが速かったりしたものだから、前輪駆動で充分ではないかとも思う。もちろん、後輪駆動にしか味わえないフィールというのもあるのだろう。
さてさて、後輪駆動や大衆車ならばRRが優勢だった時代に日産が初めて出した前輪駆動車がチェリーである。
操舵性や乗り心地等についてはよくわからないけれども、35Rの後部座席よりも格段に広そうだったので(笑)、パッケージング重視で作られたのであろうか。
1970年のデビューである。
























それから10年もすると、欧州勢に対抗するくらいに成長しているのだから大したものだ。パルサー1200TSについての記憶もほとんど無いけれど、年式でいえば、R30スカイラインあたりだろうか。ライバルはゴルフやルノー5だそうで、実際のところ、この頃にはキャッチアップしていたのかなあ。
欧州車崇拝が強い時代でもあったけれど、ハチマル辺りまでくると、日本車は相当できがいいと個人的には思っている。













どうしても昔のクルマに目がいってしまうのだけれど、たぶんに虚構のノスタルジー(生まれてもいないけれど、懐かしさを感じてしまう)の部分が大きいと思う。パルサー1200TSの生まれた1980年なら生まれていたけれど、パルサーについては正直なところ、郷愁を感じ得るほどになったのは、GT-IR辺りの頃だから、よほど新しい。

今のクルマだと、なんだかんだでスポーツカーやスポーティーセダンに目がいってしまう。もしくはリーフなどの今のところは普及黎明期の動力源のクルマ。

マイベストはニスモのフェアレディZである。運転したことは無いけれど。
古典的な着座位置の低いコックピットとも相俟って、昔から変わんないじゃんかよという気にさせてくれるが、私にはそういう方がありがたい。変わる必要なんてないじゃないかとも思う。ミニバンにも着座位置が低いクルマがあったけれど、私は運転席であっても、ミニバンなら高い位置でドラポジをとりたい。







































家内が珍しく熱中していたのがデイズ。展示車両のツートンの色合いも良かったらしい。まずもって乗りやすいらしい(足が悪いので、この点が重要なのだろう)。
ただ、単に低くて広ければいいというものでもないらしい。インプレッサはまあ乗りやすいほうのようだ。

運転席に座ってみるが、着座位置は低過ぎず、あまり疲れないクルマだと思う。よく出来たクルマだと思う。また、後部座席についても、ただ広いだけではなく、床がまったくのフルフラットであった。
考えてみればいまさら驚くまでもないか。






東京タワーのお土産屋で落としたニスモのニット帽を買い直したり、簡単なアンケートに答えて、素敵な景品を下さったりと、ありがとうございます。




最後に一つだけ。
生花とこのクルマとのコラボの意味がまだわからない。和のテイスト云々という話を聞いたことがあるけれど、和のテイストと言ってしまった時点でそれは日本的様式ではないわなと思ってしまう。日本的様式は抑制と謙遜が美だからである。
SUVが流行っているし、EV車だから、これからのために推していることはわかる。でも、大切なのはこれからのためではない気がする。確かに、昔の油臭いクルマの時代も未来を向いていた。でも、それは自動車というものが、技術やマーケット等様々な麺において、発展途上の商品であったからだろう。未来志向でも未完成な今を見ざるを得なかったともいえる。
まあ、そういう意味ではEVにシフトしていく現在も途上の商品なのかもしれない。

世の中にいろいろな情報が紊乱し、簡単にアクセスできるようになったので、舞台裏を覗くようなワクワクさがもうなくなってしまったのかなもしれない。未来はなるほど不透明だけれど、でも、もう大体は未来が見えてしまっている。不感症になっているのかもしれない。
だから、こういうクルマに肯定的な側面を見つけて、ワクワクできる人ってすごいなと思う。










日の出町に行きたくなったのでこの辺で。

プロフィール

「薬害にもめげずに本宮山ニュル攻め。まあ、私だけならいつ朽ちても惜しくはない。が、辛いのはイヤですね。
作手の鳥居強右衛門夫妻の墓前。
安全制御類はオフにするのが肝要。走りにくい。」
何シテル?   06/17 11:26
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2021/1 >>

     1 2
3 45 67 8 9
10 11121314 15 16
17181920 21 22 23
2425 2627 282930
31      

リンク・クリップ

トライアルC25さんのスズキ スイフトスポーツ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/10/16 23:35:54
April 6th,2024 エンジンオイル交換(エレメント○) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/07/31 22:58:43
子連れ向きの海水浴場 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/05/23 09:42:28

愛車一覧

スバル インプレッサ WRX STI 涙目だけれど笑顔号 (スバル インプレッサ WRX STI)
36万キロエンジンオーバーホール歴無しの全国周遊マシン👍 黄色くラッピングされた給油口 ...
スズキ スイフトスポーツ スズキ スイフトスポーツ
2025年5月26日納車🌸 赤黒2トーンのファイナルエディションです。Dオプを付けま ...
スズキ スイフトスポーツ 鈴木の運動車 (スズキ スイフトスポーツ)
ノーマルのスイフトに加えて、二代目のスイフトスポーツを購入。 5速マニュアルのチャンピオ ...
その他 なんでしょ その他 なんでしょ
令和のクルマも手に入れたので、時計の針を戻して、今度は久し振りに昭和を偲ぼうかとも思って ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation