
承前
「流山駅前で待ち合わせすることにして、三人は再び流山駅に戻ります。
天気が完全に晴れではなかったので、おそらくあのクルマかなと思ったりしていました(笑)
続きます⏩⏩」
【テレビ番組もビックリその1】流山馬橋散策と布施弁天ツーリングツアー 人情街歩き編
ということで、流山駅に戻ってきました。
ここで、今回のツアーの性格を今一度説明しますと、ぶらり街歩き散策とツーリングを融合させた、ひれかつとロースかつをいっぺんに味わうような贅沢なツアーがでしょうか。
こうしたツアーを立案したり、なんの関係もなくおしゃべりしたりする楽しい空間が、
クルマで行くぶらり散策 (jalan)
というグループで展開されておりまして、本来は月の会費が五千円かかるところ、現在、入会されると会費が無料になるキャンペーンを行なっております。いい壺もあっせんいたしますので、どうぞお気軽にご参加ください。
話を戻します。やはり流山の駅前の閑散とした様は、都市近郊で発展著しいものとは思えません。駅も小さく、また、それで成立しているんですね(車両は二両編成)。流山の人たちの自家用車所有の比率はわからないのですが、家はたくさん建っており、旧街道沿いや田んぼだったところにそのまま建ててしまったごめんね系の狭い路地も多いので、この閑散さはある種異様でもあります。
鏑木モータースさんが合流されました!
またしても、駅前を散策。新選組陣屋にもう一度向かいます。
観光グッズなども売っている酒屋さんも開いている模様(最初に来た時は時間が早くて閉まっていました)。
そこで、入ろうとするわけですが、ドアが開かねえ。
引き戸だよね。コンコンコンと叩いても、誰も出てくることもなく、店内の照明だけが付いたままです。
事情があったのかもしれませんが、勝手に想像させてください。
こういう鷹揚なお店って、都市近郊の外、すなわち、田舎に行くとたまにあります。気が向かないから店じまいしてしまおうとか。新選組の大河ドラマもかつて放映されており、新選組グッズも売っていた酒屋さんなのに、かきいれどきとかそういうことは考えていないんでしょうね。売れるときに売ってしまえという資本主義の原理は水運が盛んだった時代にさんざんやってきたからもういいのだ、というすがすがしさのようなものを感じました。マジで。
そして、そのような酒屋さんの蔵に憔悴した大久保大和こと近藤勇と土方歳三が潜伏して逃れたということが面白いですね。ちなみに、潜伏した頃の両名は武士として幕府から認められていましたが、彼らの出身は多摩地方(調布と日野で近藤の家は駅からめちゃくちゃ遠いです・笑)で、幕府の直轄領でした。天領と呼びます。天領には武士の姿もほとんど見えず、また江戸に近いという点もあり、幕府贔屓で、武士的な勇猛さに対する憧れも強かったそうです。
新選組が流行る理由がわかる。
「今思うと154年前に流山の近藤勇陣屋跡に居た時の近藤勇&土方歳三は相当参っていたに違いない。「誠」を信じて頑張って働いてきたのに、無念の気持ちであの場所に居たのですね。泣ける」
参加者の一人であるみつびんさんを泣かせてしまった新選組に関するお話でした。全米が泣いた的な泣けるとは違いますもんね。勝沼で負けてここまで逃れてきたわけですし、ほんの少し前まで多大なる威厳と栄光があったわけですからねえ。なお、水木しげるさん(高田純次の出身である調布市在住でした。出身は鳥取の境港)が「劇画 近藤勇」という漫画を描いておりまして、ちくま新書という学術的な色彩の濃いところから、文庫本サイズで出ております。
で、陣屋跡の前を通過して、かつて流山県の県庁があったお寺(マジで流山県というのがあったんですよ)の隣にある流山浅間神社へ。
ここに富士塚があるのですが、ここは特にぬかるみがあるときは、割合と足場が悪いですね。
※流山県について修正「流山県ではなく、大政奉還後に葛飾県となり廃藩置県により印旛県葛飾郡となり、流山の地に県庁が置かれた様です。」とのご指摘を鏑木モータースさんからいただきました。ありがとうございます。ここに訂正いたします。
富士塚というのは東京にはたくさん残っていまして、謂わば、疑似富士山です。
江戸時代に富士山信仰というのが流行り、富士講というグループを作り、富士山詣ですることが流行りました(神奈川の大山詣でも同じノリ)。ただ、みんなが富士山に行けるわけではないので、信仰の証として、また、富士塚に登ることで、霊峰富士山に登るのと同じ効果が得るようにしたんですね。超便利で都合がいい(笑)
私は富士塚登りが趣味なので登山してきました。
いい眺めじゃないですか。昔は江戸の街が一望できたのだと思います。今でも河川敷から東京がよく見えるくらいですからねえ。
って、登ってるのは俺だけでした((;^ω^)
格安コインパからいよいよツーリング。といっても、この辺りはさすがに都市化が進んでおり、千葉の旧下総の付近は道路が複雑で混雑しているのが特徴なので、地理に明るい鏑木モータースさんに先導していただくことにしました。
やはり、BMWでした。快晴というほどの空でもなかったですからね。
天気の良い日以外はたいていBMWを出動させていらっしゃるので(普段はわかりません)、鏑木さんのBMWは、雨の星野ではならぬ、雨のBMWというイメージで見ています(笑)
※隊列整いました
工藤静香を聴きながら口笛を吹いている方もいらっしゃったりと、道程もまずまず楽しかったと思います。山道や海沿いの道路を走るのとはまた異なった魅力があります。目的地の布施弁天まで一度もはぐれませんでしたしね。
目的地の布施弁天では境内にある花華という東屋で、お団子を食べました(食事もあります)。
外の席で。ちなみに、外を選んだのは鏑木さんです(笑)
でも、晴れている日は田園を挟んで利根川の土手がみえ、筑波山がくっきりと見える絶景の席なんですよ。なので、外で正解だったと思います。毛布その他も貸してくれますしね。
ちなみに、ここのお店の方も私を覚えていてくださり、嬉しかったですね。
はい、ここも何度か来ています(笑)
家内と来ることがほとんどですね。初来訪の時はなぜかロードスターでした。
お寺の由緒については関心のある方はどうぞという感じですが、但馬(兵庫県の日本海側)から弁財天(ということは水に関係があるわけです)の像が流れ着いたという謂われがあることは興味深いです。おなじみの空海も登場します(役小角と聖徳太子と空海って、そこら中に出没していたというイメージがありますね・笑)。
なんで但馬なんだろ?
関東の人間からすると但馬の知名度はほぼゼロです。但馬とこの地をつなぐものはなんだろう。まあいいや。
飲み物は私以外は皆さん珈琲でした。最近、珈琲をあまり飲めなくなり、すっかり紅茶党になっています。久しぶりに原宿のクリスティに行こうかな。。
昔は超珈琲好き(大酒飲みでもありました)だったのに、不思議なことです。
もっといえば、昔は寿司をはじめ、ほぼすべて食べられなかったのに、今では基本的に苦手なものはないです。人間は変わるものです。
そんなこんなでいろいろと雑談をしましたが、クルマのことはほぼ話していなかったと思います(笑)
ヤマシ¥太さんの205セリカがグループAホモロゲ取得用のモデルで、特に黄色が希少であることくらいしか覚えていません。セリカのお話も少ししましたね(見に行く予定です・笑)。
ゴルフは、すいません、サーモスタット交換の工賃が高いという印象が強くなりすぎちゃいました(笑)
鏑木さんのディーゼル音は当時のBMWの音らしいですね。日本でもディーゼルが見直された頃だと思いますが、乾いたカラカラという音が他メーカーのものとは少し異なるような気が当時からしていました。
四時半前に解散。またよろしくお願いします。
そのあと、再参拝し、さらに丘の上に登り、遠方から布施弁天を俯瞰的に見ていました(笑)
基本的に歩くのが好きでして。
我孫子の六号線近くのエネオスで手洗い洗車をお願いしました。
「もう出ないクルマなので、大事に乗ってくださいね」という50代頃のスタッフの方のお言葉に全米が号泣しました。
あると思っていたら、いつの間にかとんと見なくなっていた。
そんなクルマって多いですよね。
実は千葉市で昔のボルボを観ながら喫茶することも考えたのですが、ぎりぎりになりそうだったので、持ち越すことにして、千葉の湘南、否、沼南のスーパーオートバックスでうろうろ。
江戸川区まで下道を使い、途中、仕事あがりだった家内をピックアップして帰宅しました。
冷たいマックスコーヒーが無かったのが心残りだったので、また突撃します(笑)
あっ、栄町に行くのを忘れた(モノレール見物のためです!)。
わかりにくかったですが、翌日の出来事です↓
クルマは部屋から見下ろせるのですが、ドラレコの記憶媒体を取って、
セキュリティエントランスと玄関を通過するのが面倒で、スマホで記録できる
ドラレコはどうかなと思ったのですが、あまり種類が無いですよね。
G-Proなども見てみたのですが、結局、トレーニング器具の見本を体験してているうちに、熱心にトレーニングしてしまい、勢いづいて〇ニスのショットとサービスの練習をしちゃった私です。あっ、伏字にしなくていいですね。
テニスです。そろそろグリップ巻きとストリングスを交換せねば。。
※トップ画像はみつびんさん撮影のものを使用。脳内テレパシーで許諾を得ました