
スイスポの日産ディーラーでの一ヵ月点検が終わり、最終的には八王子から中央フリーウェイで帰宅しました(笑)
さて、スイスポですが、想定していたよりもステアリングパフォーマンスがいいですし、かなり速いですね。
欧州などの当時の自動車先進国でも通用するくらいのパフォーマンスを、まずは当の欧州人からヒアリングしつつも、彼らに全面的にゆだねると大幅な構造変更も必要になることを懸念して、日本人スタッフも共同開発に積極的に加わった経緯が二代目スイフト(スズキはなぜか初代扱いさせたがりますね・笑)もあり、運転することが非常に愉しいです。愉しさのベクトルは人それぞれですが。
大して速そうでもないし、背が高いハッチバックというのも面白いですね。意外性を過度に求める嗜好は持っていませんが、確たるコンセプトがあれば、きわめて秀逸なものができあがるということを感じています。
楠木健の「ストーリーとしての競争戦略」という本を思い出しました。
サラリーマン・経営者の方は是非。ビジネス本のロングセラーです。
たしかに、低いボディの方が運動性能の面でも有利ではありますし、かっこいいのですが、かっこよさにはあまり力点を置いてません。ルネサンスの写実主義よりも、モネのスイレンの絵が好きなタイプなので、前衛は求めてはいませんが、
「おや?」と適度に思わせる抽象性が好みです。
スズキ歴史館 体験型空間を満喫しよう
創始者が織機で名をはせて、二代目から実質的に自動車メーカーとして出発している点はトヨタと同じで、労働争議で倒産仕掛けた点もトヨタと共通(スズキの場合はトヨタに助けられたといわれています。トヨタの場合は、長らく続いたトヨタ自工と自販の分離という形で決着がついたのでした)
ゆえに、ひと月で三千キロ以上走行したのですが(接続詞の使い方がおかしいような気も・笑)、まだまだ以前に比べたら少ないもんです。昔はさらに騎馬民族志向でしたから。天国でアッチラ王やバトゥが笑ってます。「動いているうちにはいんねーよ」と。
そういえば、日本民族騎馬民族説っていう説が昭和の時代に一定の支持を受けましたが、もう絶滅危惧説に近いんですかね。茨城の愛宕山に天狗の顔が飾られており、そのときにふと思いました。ウソです。今、ふと思いました。
どうやら奈良時代までの日本は国際的な土地だったらしく(奈良や九州などの畿内限定だとは思います)、中東系の方々もいたという話を聴いたことがあります。松本清張が唱えていたと思いますし、梅原猛も奈良時代のキリスト教伝播について記述していました。松本清張の場合はゾロアスター教でしょうか。
これらの宗教が混在していたのが奈良の都であった可能性が極めて高く、天狗は西洋系の顔立ちをしていた中東の方々の姿を模していたものとされています。
ユダヤ教と日本神道との共通点は多いですし、初めて伊勢神宮に行ったときに、ダビデの五芒星のような星印がそこかしこにあることにびっくりした記憶があります。
人間ってもんはいくらでも移動するもので、定住というのは歴史的にはだいぶ後のことだと思います。
なので、私のようにあっちこっちに行っていると思われている人間は実は人類の原初的な形態を表現している存在であり、観察していると面白いと思われます(笑)
土曜日はとりあえず曇天の中、辰己第一に来たものの、頭痛もするし、どうも気持ちが優れませんでした。夕方までぼけっとして、思ったんですね。
「あっ、人類の証として移動しよう」と(笑)
というわけで、都心部を抜けて、冒頭にも述べたようにスイスポの走りも良かったので、我に返った頃には利根川を越えていました。すなわち、茨城県突入。
先週に引き続いての茨城入りです。
ツーリング前夜 超音波温泉と土浦愛のある男性
【重要 小さな親切運動の日】筑波~北茨城ニュル~房総半島ツーリング(笑)
私は東京の下町の中学校を出ているのですが、校歌の最後に「霞むは筑波か」という節があり、「はて」と思ったものです。筑波山なんて見えませんし、昔はよく見えていたんだろうなくらいの気持ちでいましたが、都人にも知られていたくらいですし、今では広大な関東平野(これをしっかり形成したのは徳川家康だと思いますが、今はさておきます)の中に聳え立つ筑波山を見ると、だんだんと親近感が湧いてきました。最初は筑波山を走ることだけが愉しみだったんですが。
といいつつ、この日は朝日峠をドライブ(笑)
ほぼ走っただけでした。日も暮れ始めていましたし。
続いては、先週も向かった土浦のB級感が漂いながらも実は気持ちのいい温泉。
桜川というあの辺りでは動脈であった川の南に地味に位置しているのもまたいいですね。超音波温泉という響きもいいですね。超音波ってなんのことだかよくわからないのですが、いかにも昭和時代のネーミング感覚が残されているところも素晴らしいですね。
前の週は温泉近くの居酒屋に行ったのですが、この日はつくば市の居酒屋に行くことにしました。まあ、常連の方かと思います。たぶん、私より遠方から来る人は出張で滞在している人以外はそういないかと思われます。
ここで、移民を自称するみつびんさんが近所遥々いらっしゃり(笑)、零時近くまで居座り、一挙に江戸に戻ったのでした。
翌日はインプの引取りがありました。都心の下道を駆使し、だいたい二時間ほどでお店に到着。代車の内外装をきちんと洗って返却したので、びっくりしておりました。「おっ、なんだ、内装がめっちゃきれい!」というお言葉拝領。
代車って大事にした方がいいと思うんです。特に人の数に対して入庫しているクルマが多い場合、代車の優先順位は下がらざるを得ないと思うのです。そこでできる限りのサポートをしておけば、いざ自分が代車を借りるときの快適に借りることができるという寸法なのです。
という功利性だけではないのですが、ゴミも吸い殻もそのままで返却する人っていると思うんですが、所有物でないからそういう具合に雑に扱うのでしょうが(私も自分のクルマよりは雑に使っていますが・笑)、全体的なフローがわかっていないなと感じてしまうのです。
June,2022 車検
気遣いって実は利己的な行動に過ぎないと思っています。「~のために」という気持ちもその人の自我が満足するわけですから、利己的ですよね。エス、すなわち、無邪気な天衣無縫な状態ではありません。
でも、それでいいと思うんです。
フロイトはエスと規律や規範を重んじるスーパーエゴとのバランスの大切さを唱えましたが、そこだけであれば賛成です。両者の中間であるエゴはあまりにも利己的でも(快感原則)ダメだし、あまりにも利他的でもいかがなものかと思います(現実原則)。
アリストテレスも孔子も中庸を唱えていますよね。釈迦が解脱したのも、中道の境地に至ったからです(こちらは中庸とは少し違う文脈ですが)。
というわけで、餃子の王将で、珍しくあまり食えないからラーメンとチャーハンを食べてほしいと述べた妻(この日は妻と一緒でした)は中庸とは程遠いわけですが、別にそれでもいいわけで、世の中には正解はありません。
そう、正解はない。
「じゃあ、二日連続で茨城に行くことに正解も不正解もないじゃないか!」
なんだかんだいっても首都圏は交通量が多いので、久し振りにポルシェのカレラ辺りまでなら、一瞬ひるむほどの加速力を誇るインプで安全運転するのもありだし、そのための適地といえば、交通量が少なく、温暖な茨城ではないか。
と思い、またもや筑波山麓(笑)
ただ、朝日峠二連荘はやめて、見晴らしのいい愛宕山まで走ることにしたのですが、もうなんというか県内すべてがスポーツ走行好きのためにあるような呈じゃないですか。
これが魅力の一つなんですよね。
幕末において水戸光圀の影響もあり、水戸藩は思想的にかなり過激で先進的でした(茨城県内すべてが水戸藩だったわけではなく、たとえば、竜ケ崎は仙台伊達藩の飛び地でした)。そして県民の方々もしばしば認められるように個人主義的で団結力に乏しく、結局、維新を迎えるころには人材が枯渇してしまったんですね。
鎌倉時代から既に源氏の家系として名門であった佐竹氏の本拠も茨城でしたが、
関ヶ原の戦いののちに、秋田に移されました。この時の話が好きなのですが、時の佐竹の領主が領内の顔立ちのいい女性を一通り引き連れていったというお話で、秋田の女性のレベルの高さを感じているだけに、私はこの説にのっかりたいんですよね(笑)
この日は31スカイラインの集まりがあったようで、食材が枯渇してしまったキャニオンには挨拶だけして、またもやつくばの居酒屋へ。
その前に洗車場で洗車して給油もするなど、積極的に茨城県に金を落としています(笑)
数時間ばかりすると、遥々近くからまたもやみつびんさんがいらっしゃいました。
「あら、偶然ですわね」(笑)
あらゆるものには偶然はないのだそうです。私もそう思います。
とするならば、すべてはあらかじめ決められているのかという疑問にもつながります。運命決定論は正解です。しかし、同時に運命は決定していないという論もまた正解です。この逆説が腑に落ちたときに、おそらく、生に対する認識が変容してくると思います。
詳しくはスピリチュアル講座(初回だけ無料)で、お話をしたいと思いますが(笑)、論理なんてものは意外と非論理的だと思うことが多々あります。
願望実現で「~したい」と念じれば適うという引き寄せの法則の初期の理解がいい例ですね。よくよく考えてみてください。
「川崎の泡の島にいきたい」と念じてそれが実現する状態って、どういう状態だかわかりますか。「泡の島に行きたい」という思いだけが実現するわけです。
ではどうすれば、いわゆる実現が可能になるのか。
余計な判断はせずに、既にそうなっているようにふるまうことです。
「え~、そんなの無理だよ」と思われる方。
それもわかります。
無理して願望なんて叶えなくていいんですよ。願望なんて手放した方がいいです。願望って未来に思い馳せることですよね。たったいま(just now)の人生はどうでもいいんですか。結局、たったいまの不満たらたらの人生がずっと続くだけというケースもあると思うんです。
だったら、今に生きてみたらどうですか。
ということが現代的な語り口で生じたのがマインドフルネスだと思います。
この日も居酒屋に零時くらいまでいて、なにぶんインプなので気付いたら埼玉まで来たのですが、眠くなってきたので、八潮で睡眠。目覚めたあとの明け方前の東京の夜景は愛おしくなるくらいに、自然体な美しさを醸し出しているように思えました。
来週はメロンか(笑)