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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2022年09月04日 イイね!

助手席に乗って都内見学したんだよ(⋈◍>◡<◍)。✧♡

助手席に乗って都内見学したんだよ(⋈◍>◡<◍)。✧♡数時間立ち話やらをして、ようやく帰宅しました。
いつもと異なり、遠くからの帰宅ではありません。
すなわち、「水島、一緒に日本に帰ろう」的な悲壮感はなく、自宅傍からの帰宅です。

過日は230ローレル乗りの方よりお誘いをいただき、都内の古い建物を見に行くことにしました。自宅前まで迎えにきてくださいました(高級住宅街でごめんなさいね。道行くクルマがロールスロイスばかりなんです)。

なお、ローレルがお休み中のため、6速マニュアルのティーダで都心に向かうことにしました。
それにしても、助手席から眺める景色がとにかく新鮮新鮮。











まずは、かの加賀百万石の前田家の当主が昭和に入ってから、現在の東大駒場キャンパス(母校です。前世では)に隣する屋敷跡(洋館部分の一部のみ)の一部を見てきました。
当時からキャデラック二台とフォードを二台所有していたようですから、相当なもんですね。華族の中の華族の前田家だけあります。
なお、昭和17年に前田家当主が戦死したのちは、実はここは中島飛行機の手に渡っていました。戦時中に社員が一斉に避難していたという話を聞いたことがあります。
東京にはこの手の旧邸宅が存外に多いのです。




















































新宿・四谷・半蔵門・九段下・神保町等を抜けて、上野公園へ。
上野公園もすっかり洗練された建物が増えて、かつてのイメージとはだいぶ異なっていましたが、まずは国立西洋美術館前でロダンの「考える人」や「カレーの市民」(カレー好きな人のことではありませんので・笑)を眺めて、あれこれいちゃもんを付けていたところ、初老の男性が「カレーの市民」の服装や表情、手に持つ道具等に込められた意味を丁寧に説明していただきました。
もしかして、美大時代の指導教授だったのかな?

















































蓮の葉で覆われた不忍池を通り、夕飯。
その後は、ワルめーらの秘密ベースでグダグダとあれこれお話をさせていただきました。
てことで、日曜日の燃料消費はゼロで、地球環境にも優しくできた一日でございました~










































Posted at 2022/09/05 00:24:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | ほのぼのとした日常 | 日記
2022年09月04日 イイね!

太宰の足跡を偲ぶつもりはありませんでした STIギャラリー・奥多摩・甲府

太宰の足跡を偲ぶつもりはありませんでした STIギャラリー・奥多摩・甲府温泉に行きたかった。いや、それも雄大な自然に囲まれた一等の温泉でなくても構わない。近々、ハワイにいくから。
さりげなく街中にぽつねんと佇んでいるだけでいい。いや、もっといえば、単なる外風呂でいい。

近頃はぬるい湯や水風呂が好きなので、甲府で戦時中を過ごした太宰治(この頃、めでたく新婚生活を送っています)も通ったという喜久乃湯温泉に行こうと思っていた。
銭湯そのものであり、番台もあるし、看板が昭和時代そのものであるというのも私好み。幼少期の銭湯の風景が蘇ってくるようで、湯桶の温度を適切に保つためにお湯の蛇口と水の蛇口をバランスよく捻っていた日々のことを思い出す。そして文身をしている人に「どうしてあの人は入れ墨をしているの」と聞いたときの親の愛想と密かに耳打ちして「ああいう人とあまり関わるんじゃない」と言われた記憶も同時に思い出す。








風呂から上がり、数キロほどサンダルで散策をしてみた。甲府の城側(つまり、武田神社と逆側)を街歩きしたことが無かったので、適当に散策。
都市の構造を知るには繁華街が重要なので、そこを通過地点にしてみようと思ったが、歩くとなると思ったより大きな街で、この点、侮っていた。

























基本的に城(甲府城、別名舞鶴城)の隣に繁華街がある。案内所があったりするのだけれど、隈なく歩こうという気が起こらなかったので外周部だけ散策し、舞鶴城に登頂。
秀吉が築城したという歴史があるが、本格的に甲府城が発展したのはやはり江戸時代になってからだろう。基本的には幕府直轄領であった時代も多い。江戸への重要な交通や軍事上の拠点とみなされていたのであろう。
明治時代になり、根本的に破壊されてしまうのだが、どうにかこうにか復元されて今に至っている。なお、甲府駅ももともとは城の敷地内であった。



































ここに至るまで三鷹のSTIギャラリーから奥多摩や柳沢峠(丹波山村の道が岩崩落で一部通行止めだったため小菅村も経由・峠手前まではカーグラTVばりの濃霧であった)から来た。柳沢峠は夏でもひんやりしているところで、アルプス山脈がよく見えるのだけれど、もう暗くなってしまっていたが、スマホの威力というのは人間の明暗識別能力とは別領域にあるらしく、随分と明るく撮れている。
この辺りはオールワインディングといってもいいくらいで、環境が習慣を規定するのだろう、こういう場所では地元の方の走りも見事である。緑のフィットのライン取りがお上手。山梨の人って山道走行が大抵上手な印象があるのだけれど、
やはり、それも地理環境だろう。
ただ、大菩薩ラインは近年、ますますトンネルが増えて、くねくねとした感じの道路がますます減りつつある。あれだけの標高差を上り下りするのだから、くねくねとした感じのままでいいとは思うのだけれど。
特に甲府盆地側はちょっとRのきつい箱根峠といった風情。











































ところで、STIギャラリーはスバルにとって枢要な地の一つである三鷹にある。ん?三鷹って、太宰治が情死を遂げたところではないか?三鷹市内の玉川上水だったような。
喜久乃湯温泉にあがったあとに、振り返ってみて奇縁を感じた次第である。
温泉に直で行く予定だったのだけれど、途中、ふと気になって立ち寄ったということもある。
三鷹周辺ってやはりスバル車が多い。太田と同じくらいの比率ではないだろうか。首都圏はともかく、他の地方だとそんなにスバル車ってみないもんな。














































ギャラリーでは、久し振りに元STIの方とお話させていただいたり、GCインプ好きな素直な若い方にWRCのことを私なりにご説明させていただいた。その際には、大学生時代頃のことをつらつらと述べるだけでよい。
なお、スバルは今やラリーというよりも、ニュル耐久などの活躍が目立つけれども、私としてはWRC全盛期のスバルが好きなので(だけど、GD乗り)、書架に置いてあった雑誌(ベストカーの特集)をメルカリで注文してしまった。ラリージャパン前夜の特集で当時は誌面も熱い。
熱量だよ。熱量が昔の雑誌と今とでは異なる。











ではでは。
今日はこれから助手席で都内徘徊です。
晴れてきたんだけどなあ。










Posted at 2022/09/04 13:28:45 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日帰り旅 | クルマ
2022年08月29日 イイね!

房総駱駝 飲め飲め地元祭 イチジクのかき氷

房総駱駝 飲め飲め地元祭 イチジクのかき氷【房総駱駝なるもの】
房総駱駝と漢字四文字で書くと、古えの西域地方に生息していた駱駝を彷彿させてくれ、非常に歴史的浪漫をそそるのだけれども、千葉県外房にある御宿で、駱駝がなんちゃらの詩を謡った等で御宿の名をたからしめている駱駝のことを述べているに過ぎない。しかも、駱駝はたしか常駐はしておらず、駱駝の像があるだけ。という程度の認識しかないのだけれど、御宿自体は好きだ。

【サザエが蓋をしたごとく】
御宿は太平洋に面しあらあらしい波を堪能することができる。
幼少期は湘南や伊豆、内房でなければ、外房や福島いわきなどの外洋で海水浴をすることがもっぱらで、海といえば、あらあらしく波しぶきをあげるイメージが浮かんでくる。波の引きも強力でいわき辺りでは盆を過ぎると、海岸沿いの施設自体がサザエが蓋をしたごとく、おとなしくなっていたことを覚えている。
江の島辺りの密密密とおよそ好対照であった。
香川出身で愛媛在のとある執筆者は、私を松山郊外の海際に誘い、島が無数に浮かぶ瀬戸内海こそが、海であるといっていたが、そのように環境が人間の価値観を規定するのだろう。




















【初の機械洗車】
目指したわけではないけれど、結果的に、というか、ともかく夕方に御宿に着いたのだが、水着の持ち合わせが無かったので、サンダルに履き替えて海岸線と多少の浅瀬を歩いた。
そこは太平洋の波らしく、きまぐれに腰のあたりまでうねりを挙げてきたりする。最終的には昔ながらの銭湯を改修しきれていない(それゆえにグーグルマップで低評価を得ていた)木更津のお風呂で潮っ気を落とし、そして、インプレッサも初の機械洗車で省力化。
もはや、手洗いにこだわるわけではないけれども、あの巨大なエアインテークとリアスポがあるので、なんとなく自分では機械洗車をしにくかった。ついでにいえば、サイドバイザーの割れているし、云々云々、まあ、旧いクルマなのである。
アクアラインをゆっくり走行しても木更津市街から一時間ほどで帰宅できる。木更津はウチから思いのほか近いのだ。外環道ができたとはいえ、関宿や銚子の人が木更津に行くとすればかなり大変だもんね。




【実は薔薇十字団の】
実はこの日は太宰治が逗留時に通っていた甲府の銭湯に行こうかなとか、あれこれ思案していたのだけれど、天気予報をチェックした結果、房総が良いという結論に達した。道が渋滞していたりして、結局は房総半島をアクアライン経由でないルートで向かうことにした。
23区でも城南地区住まいの私にはかなりの迂回路なのだけれど、
考えてみれば、昔は東京湾フェリーを使用するか、ぐるりと東京湾を一周して、ようやく館山や鴨川、九十九里などに行っていたものだった。
なお、フリーメーソンにも影響を与えたとされる薔薇十字団は姿を変え、ここ房総の地にも逗留していたそうで、そのことも久方ぶりの房総行きを私に決意させたのであった。ま、薔薇十字団の痕跡が日本にあるはずもないけれどね。すなわち、うそぴょん。






















【ずっとバック いや~ん】
房総の内陸部は離合は可能だけれども、やや狭めの道路が縦横無尽に走っていて私好みであるが、そういう営みをすっかり忘れてしまっていた。久しぶりに挿入しようとしたけれど、どっちがどっちの穴だっけみたいな一瞬の戸惑いを見せる程度には久方ぶりであった。
昔はガンガンと狭い道を突っ込んでいったものだけれど、特にインプレッサでは保守的な運転をするようになってしまい、これではアカンと思い、房総半島内陸部に無数にある狭い道(西日本の酷道に比べればかわいいもの)をチャレンジすることにした。久しぶりにUターンもできない道路に出くわし、数キロバック。
しかし、諦めずに外房の某ダムにも立ち寄ったりした。
















【かなり】
翌日は夕方くらいまで家に籠っていた。が、散策だけでもしておこうと外へ出ると、久し振りに祭が開催されていた。
先週に土浦の居酒屋で飲んだばかりであったが、飲酒解禁。勢いで同じく近所の居酒屋で飲み直し。随分飲んだかも。
祭に関しては、若年層が中心になって企画したものだと思う。基本的に若い街なのである。いわゆるおしゃれな雰囲気が漂っているのだけれど、東京音頭をみんなで踊るような盆踊り大会のようなものを個人的には好んでいる。が、場所がないか、我が街は。























【イチジクのかき氷】
月曜日は少し前から千葉にある布施弁天の東屋に行こうという話になっていたので、またもやインプを始動。桃の季節は終わったようだが、イチジクが本日から入荷したようで、値段は千円を優に超えるけれども、食べてきたぜ。イチジクのかき氷を。
そのうちに、どんどん涼しくなってきて、おそらく九月下旬くらいの涼風が吹くようになったが、そんなときに熱いお茶を持ってきていただくお心遣いがありがたい。ここは赤いロードスターで初来訪して以来、ちょくちょく訪れており、顔を覚えられるくらいにはなった。当初は高台から筑波の山々を眺めたりする心地の良い風致が特徴であったが、さらにテラスを新築し、植生物をセンスよく配置することで、すっかり人気店になったようだ。




















































【ああ、また】
筑波山は利根川の後ろに鎮座している。もう隣は茨城県で、柏市でも外れの地域にあるがゆえに、柏市街よりも、茨城(守谷等)との結びつきが強い。
「ああ、また茨城か」
と心中思いつつも、利根川越え。
で、勢いで筑波山を目指すも、長居をする暇が無かったので、つくばエクスプレスの万博記念公園駅(秋葉原まで直通)駅前の駐車場入口のポストにお金を入れて、ホテル隣の喫茶店でしばし寛ぐ。
が、例の方は現れなかった(笑)
To my regret,the man never showed up..
なお、岡本太郎の作品についてはよくわからないけれど、彼の考え方にはとても共鳴していることをお伝えしておこう。


















【85年の思い出】
つくばといえば、1985年のつくば科学万博のことは今でも思い出すなあ。閑散としたチュニジア館のことを(笑)
神奈川(87年にバブル前夜の東京に越してきたのであった)から遥々つくばまで来たものの、人気パビリオンは人があふれかえっていて、空いているところに入ろうということで、チュニジア館に入ったわけだけれど、私とアラブとの接点は或いはこのときが原点なのかもしれない。
トルコからエジプトまで中東の人たちとは随分と仲良くなったし、アフガニスタンやパキスタンといった人たちのアパートで民族料理を振舞ってもらったりもした。その後はイラン大使館やトルコのジャーミーに行く機会もできたのだから、
チュニジアという地中海沿いのイスラム国の一つのことを印象深く刻んだことは私の人格形成に何ほどかを与えたに違いない。






【メシ】
つくば市のはずれにある「笹」でカツを食す。ここも、試乗会から宿泊先に向かうときに見つけた場所で、散策ツアーのコースでも向かったお店である。
閉店間際で入れないかなと思ったけれども、セーフ。
水海道(みつかいどう)駅の看板を見て電話をしてみたが、別のところに繋がってしまった。
水海道かあ。いかにも豊穣、過分に豊穣であるがゆえに、龍のような荒々しさで、水流が陸地を浸食していく様が想像される地名である。竜ヶ崎という地名も布施弁天で龍の伝説があるのも、関東がいかに水浸しだったかということを傍証としているような気がする。関東が沃野となったのは江戸になってからと云われているが、今でも水海道の辺りは洪水に見舞われることがある。























【佐竹は美人を】
てことで、またもや、茨城である。
鎌倉時代には既に常陸の国に盤踞していた佐竹氏は関ヶ原の戦いののち、秋田に移封されてしまう。秋田に行くとクオリティの高さにびっくりする。
、関ヶ原の戦いで西軍の実質的中枢であった石田三成と懇意であった佐竹氏が秋田にいざ移るときの伝説が私にはおもしろおかしいのだ。
佐竹は秋田移封の腹いせとして、領内の女性のうち、美人だけを秋田に引き連れたというもので、こういう面白い言い伝えをポリティカルなんとか等で、滅却されていくのは本意ではない。
仙台・水戸・名古屋の日本三大ブスという虚構的なからかいも近頃は聞かれなくなったし、イケメンという言葉が許容されるのであれば、ブスなんて言葉はなんともないと思っている。当人の前で言うのは憚られるけれども。

【擬制】
ちなみに、「美人=よい」とは思っていないけれども、逆に悪いとも思っていない。
そんなものはどっちでもいい。
ともあれ、秋田美人が輩出される理由としては、一年の日照時間の短さや大陸との関係性を指摘する声もあるが、これは興味があって、個々人の好みはあるとは思うけれども、秋田のレベルは断トツで、何が言いたいかというと、地域性と美人(多分に主観や歴史的・地域的な美人の概念により規定はされる)に興味があるのだ。
人間の属性などどうでもいい。
どこからどこまでがその人間の境界線なんだ?
属性は言葉と同様、便宜的に対象を区分けするために構築された擬制に過ぎない。


















Posted at 2022/08/30 00:51:47 | コメント(3) | トラックバック(0) | 思い出 | クルマ
2022年08月23日 イイね!

スイスポ ミッション載せ替えます

スイスポ ミッション載せ替えます昨晩、日産の方が自宅まで来てくださり、スイスポを引き取りに来てくださいました。

保証(無料だけど)に入っているとはいえ、ここまでやってくださるのかと思うと、現行ノートのマニュアル(設定があるかどうか不明だけど)が中古になったら買おうと思っちゃったりして(笑)
でも、ホントはZ34ニスモがいいかな、なんて(笑)

さて、金曜日辺りから、ミッションをスズキが主体となり、リビルト品に載せ替える作業をします。
そう、リビルト品交換だったらしいです。全バラはさすがにないだろうと思いましたが。

標準スイスポでもお世話になったメカニックさんからのメールの引用です。

「今回の修理の内容は、
トランスミッションをリビルト(再生)品への交換対応となります。
リビルト品は専門のメーカーさんが分解・点検・部品交換を行い、
組みあがった物を弊店工場にて車両に取り付けます。」

なお、このようなご指摘もありました。以前、診ていただいたときにも同じことを言われたのですが。

「ギヤ抜けに関しては、基本的にシフト操作のしかたによるものが大きいと思われます。
しっかりペダルを踏み切った(クラッチがしっかり切れた)状態でのシフト操作、
しっかりシフトできていない半勘合状態等が無い様に気を付ける等が大切かと思います。
シフトしたつもりで、ギヤがちゃんと入っておらず、
クラッチをつなげた時にガシャーと鳴るケースです。
また、シフトダウン時にあまりにも速度差があると、しっかりクラッチを切っていても
シンクロで吸収できずギヤ摩耗を起こす原因となります。
これは、高速ギヤから間を飛ばして一気に低いギヤにシフトすると起こります。
シフト時にシャーとか、ギャギャっと鳴ってしまう様な状況は、
多少なら問題ありませんが、その度に少しずつギヤが消耗していくので、
長いスパンで見ると、いずれギヤ抜けを起こす原因となります。

クラッチレリーズシリンダのオイル漏れの件は
○○様からも伺っており、今回一緒に交換予定です。」

「運転のしかたは、ワルめーら様がどうではなく、
以前のオーナーがどうであったかで
当然乗り方で機械各部の消耗度合いは異なるので
その辺りは中古車ではしかたの無い部分かと思います。」

確かにその通りなのですが、乱雑に扱われていた形跡もなく、購入当初にわりとぶん回していたので、ある程度摩耗していたものに追い討ちをかけてしまったのかもしれません(笑)
ただ、32.5万キロのインプレッサのミッションをシコシコシフト操作しているのにも関わらず、相変わらず元気ですし、基本的に私が乗るクルマは長持ちする傾向にあるんですね。ミッションもOHしてませんが、時折、レッド付近まで回ります(回します×)。
とはいえ、真相は闇の中ですね(笑)









なお、ワゴンRの球切れについて、みにいかさんから、以前、ご教示くださったスズキ特有の球切れ現象についても、それとなく質問してみました。

「ストップランプは、ソケットの接触不良の可能性があります。
現在は部品が変更され、球切れし難くなっていると思います。
ワゴンRはソケットの部品を交換できますが、
ZC31Sは対象外なので、おそらく切れ易い事は無いと思われます。
よろしくお願いします。」

やはりソケットの接触不良なんだ(笑)
義父が所有していたワゴンRも、リコールがあれば対策品に交換されていたでしょうが、そういう話も聞かないので、ソケットの接触に難があるんですね。
そしてたしかに、ワゴンRと年式の近い、同時代のスイフト(半年ほど保有)や今のスイスポには球切れが起きなかった(起きていない)ので、スズキの普通車はセーフなのかな(笑)









【おまけ】
多摩地区だけど東京03地域の狛江市。隣接する世田谷とは異なり、かなり郊外の印象を受けます。
昔ながらの住民同士の繋がりも深く、のどかな街です。












小田急和泉多摩川駅付近の和泉という地名の語源になった泉



Posted at 2022/08/23 23:09:30 | コメント(2) | トラックバック(0) | スイスポ
2022年08月22日 イイね!

千葉も茨城も 千葉編 三里塚とかつての成田空港駅

千葉も茨城も 千葉編 三里塚とかつての成田空港駅千葉に対して最大限尊敬している私は、千葉に対してエピソードを交えて最大限の賛辞を記したつもりでした。偉大なる異界であります。

千葉も茨城も 茨城編 朝まで土浦・仮釈放・夜も土浦

『「東京」「ドイツ」「村」なんていうネーミングを些かの衒いもなく使用する千葉は私にとって異界でした。
当時の足車であったホンダのNS-1で江戸川を越えて市川に入るとマックスコーヒーという甘ったるい飲料がほぼすべての自販機に設置されており、東京東部(なかなかなハードボイルワンダーランドでした)以上にやる気のあるヤンキーさん達が闊歩しており、バブル期に親父が佐倉の新築物件の抽選申し込みに行ったときに、私は「あんだてめぇ、どっからきたんだぁぁ」という勇ましい掛け声をお声がけしてくださりました。異界の人にもコミュニケーションを取ろうとする千葉の人たちの温かみを知ることができたというわけです。
さすがは鎌倉以前からの豪族千葉氏が盤踞していた土地柄だなと感心しました。
ちなみに、抽選には当たりませんでした。億ションと化していた実家からフロンティアスピリッツで歩みだすという人生経験をすることはありませんでした。』

臆面も無く、というよりも、ネズミ島はともかく、その他の地域の折々で、「東京」という符牒をごくごく自然に使用している点に、素直さや純朴さを看取しています。千葉県は北から下総・上総・安房という三つの国に分かれていましたが、古来、武蔵国(東京・埼玉・川崎市・横浜市)よりも先進的な地域であった可能性が高いとされています。昔は舟運が主流であり、また家康の江戸入部までは関東平野はどろどろべちゃべちゃな大湿地帯だったので、たとえば、江戸や品川の湊よりも、木更津等にいったん辿り着いてから、下野(栃木)や常陸(茨城の大部分)、上野(群馬)と交通することの方がどうも主流だったらしいです。
東京なんて、明治になってからできた人工的な地名なんですから、チバリーヒルズや千葉フォルニアのように、どうか自信をもって「千葉」という名称を使っていただきたい。
鎌倉期以前から盤踞している豪族千葉氏は板橋辺りも勢力下に収めており、力関係は今とは真逆。

昔、ペリーが浦賀ではなく木更津に上陸していたらと嘆息していた千葉県民の方がいましたが、ここは面白いところで、その後は陸路も発達するので、いずれにしても神奈川が発展していたでしょうし、仮に発展していても、今のような格安な土地の値段は生じえなかったことでしょう。
アクアラインができる前は半島経済という言葉もあったくらいでしたし、半島は陸が交通のメインになるとどうしても不利になってしまいます。

昔、千葉の我孫子に母方の祖父母が住んでおり、クルマ(KP61か赤いファミリアだったと思います)で我孫子に向かう途上、成田近辺を通過するときに、とても厳しい検問が行なわれていたのが印象的でそれ以来、三里塚というのは気になっていました。
実際に20年くらい前までは三里塚の空港建設反対派のニュースが割合と頻繁に流れてきましたし、とても気になっていました。

数年前に三里塚公園という小さな公園を見つけて、立ち寄ったところ、闘争とは別にして、かなりの枢要な地であることがわかりました。また、みん友さんのお住まいがあることもわかりました(笑)
三里塚には和洋折衷型の皇族の迎賓館があり、昭和40年代まで使用されていたようです。外観だけなら見学することができますし、見学する気がなくとも、ボランティアの方にナンパされます(笑)



















また、今の上皇が皇太子だった戦時中、皇太子用に防空壕が建てられたことも事実のようです。実際に上皇が立ち寄ったという記録は残されていないのですが、
ともあれ、残されていて、こちらも見学可能です。
どうも、東条英機の反対で上皇が三里塚に避難することは取りやめになったという話もあるようなのですが。九十九里浜から米軍が上陸するという憶測も当時あったみたいですしね。










































空港が隣接している今となってはこじんまりとしたのんびりした公園ですけれど、歴史の一断面が濃縮に詰まっているんですね。資料館もあります。











続いて、私がずっと行きたくて行けなかった芝山鉄道線で東成田駅に行くという夢がかないました(前回は芝山千代田駅の駐車場付近のタイヤトラブルで、紆余曲折があり、結果的に中2さんにお会いすることになりました)。東成田駅というのは以前は成田空港駅と呼ばれ、殷賑をきわめていたようで、私も利用したことがあるかもしれません。覚えていませんが。
今は閑散としており、成田空港駅時代のままの状態(手入れはしているものと思います)で、ホーム一面が時代からぽつんと取り残されている様子を見ることができます。
ちなみに、東成田駅は今でも運行されていますが、列車の到着を知らせるアナウンスは一切ないので、くれぐれも白線の内側に下がったままにしてくださいね(笑)
今でも駅として残されているのは、需要がゼロというわけではないからですが、まあ、空港に向かう駅だった頃に比べれば、非常に寂しく、朽ちかけ始めているエスカレーター等もあります。もともと芝山鉄道線自体が空港建設用地提供の代償として鉄道建設された路線なので(ただ、現在でも芝山千代田駅までしか伸びておらず、今後伸びる可能性はゼロに近いかと思います)、その辺りにも成田空港建設にまつわる政治性や歴史性を感じられます。
近頃では乗車記念証の配布(無料)や記念乗車券も販売しており、京成とつながっているので、都心へのアクセスも(結局、東京か)良好なので、変わっていく可能性もあります。
廃墟的なものを期待する方には物足りないかなと思いました。が、空港建設にまつわる政治性や歴史性も堪能したい向きにはお勧めできます。
なお、東成田駅ではICカードが使えますが、芝山千代田駅では一切使えず、
次回、私がどこかのICカード対応の鉄道に乗るときはそのことを申告しなければなりません(笑)



















































































もう一点、今の私は反体制の闘争が好きなんです。昔はそういう騒ぎ(?)があまり好きではありませんでした。だいたいにおいて中核やら革マル系やらが絡んでいましたし。ただ、今は政府の失態に関してもせいぜい茶の間で批判する程度で、どうにもこうにもなすがままにされているとしか思えません。それで国民国家が崩壊するのであれば、私としてはよろこばしきことですが(国民国家の歴史もせいぜいナポレオンが活躍して以後のことで、そこに歴史的普遍性はないと思います。国民というのは作られた存在に過ぎません)。

三里塚闘争

というわけで、茨城とは異なり、千葉では、成田空港というものをテーマに散策していたわけです。今では新東京国際空港って言わないんでしたっけ?
東京という符牒が無くなったことは千葉らしくないかもしれませんが、千葉のオリジナリティを高める意味ではよいことかもしれません。
しかしながら、逆にいえば、羽田空港に国際空港としても役割をどんどん奪われるわけで、そうなるとあの辺を喜び勇んでいくのは、適度なワインディングが続く道を走りながら、三里塚闘争時代を偲ぶ私のような人間だけということになるような気もします。

富里のでっかい施設の傍を通りました。もしも、成田空港の地盤沈下が進んだら、アカスリも予約無しで簡単に入れちゃう(今でもそう?)ということになるかもしれません。
いずれにしても、三里塚を含めた成田空港というのは業の深い地域だなと思います。
Posted at 2022/08/22 14:27:28 | コメント(3) | トラックバック(0) | 思い出 | クルマ

プロフィール

「久し振りのつくばメシ」
何シテル?   10/12 21:08
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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トライアルC25さんのスズキ スイフトスポーツ 
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2024/10/16 23:35:54
April 6th,2024 エンジンオイル交換(エレメント○) 
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2024/07/31 22:58:43
子連れ向きの海水浴場 
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令和のクルマも手に入れたので、時計の針を戻して、今度は久し振りに昭和を偲ぼうかとも思って ...
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