〜あれから30 年。「フレッシュマン時代」に乾杯しようぜ!
季節が秋に移ってくれるのを待っていたかのように、信州・塩尻から葡萄の詰め合わせが1箱、いつものように届けられてきた。
シャインマスカット。
サニールージュ。
種なし巨峰。
それにもう1種類は、無銘の逸品である。
それぞれが2袋、計8袋もある。家人などは、さっそく10kmほど離れた近郊に住む孫娘に届けに行くんだといって各1袋、つまりそっくり2分の1を別の箱に移し、さあ、出かけましょうとこちらを促す気の早さ。浮き浮きしたハッピーな時間の始まりである。
こうやって「信濃の味覚」が毎年、わが家に長野の年下の友人から届けられるようになって、もう何年になるのだろう。その源泉が、実は「富士フレッシュマンレース」だとしたら、話は出来過ぎかな。
ま、31年前に『ベストカー』の’87年8月26日号に掲載された記事『結婚祝いのEXAレース』にその辺のいきさつを触れているので、紹介させていただく。『富士フレッシュマン戦・純情歌』の一篇としてとても気に入っているレースレポートでもあり、それは先に動画付きで紹介した『EXA⑩のラストラン』の続編でもあった。
サブタイトルは《’87富士フレッシュマンレース第4戦(6月14日)ベストカーEXA奮戦記》。クレジットなしで第三者が書いているスタイルをとっているのを見ると、筆者はわたしではなかったらしい。あのころはすでに「ベストモータリング創刊」にすべてをシフトしていたはずだから、恐らくベストカーの山本亨クンに任せっきりであったろう。
PHOTO by 安川 肇(特にお願いして、当日の⑩平林クンの走りっぷりを探し出していただいた)
——昨年のフレッシュマン戦のEXAで、局長のよきライバル(?)だった(長野・塩尻の)百瀬孝仁クンのメインテナンスを担当している平林稔クンから局長に一通の手紙が届いた。
レースが好きで⑳百瀬のほかに④花村、塩原正幸EXAのメンテを引き受け自分でも何度かレースに参戦しているが、結婚するために、レース資金も貯金しなければならず、さりとてレースにも出てみたい。そこで’87富士フレッシュマンレースの第1、2戦は加藤隆弘クンが乗ったが、第3戦からはドライバーがいないというベストカーEXAになんとか乗せてもらえないだろうか。
そんな内容のベストカーEXAに対する熱いラブコールの手紙だった。彼がこれまでにどんなレースをやっているかなど、便箋12枚にビッシリと書かれている。
平林クンのラブコールに応えて。かれの結婚祝いとしてベストカーEXAを貸してあげることにしたのだった。
そして、5月24日に長野県の塩尻市からFISCOまで練習かたがたクルマの様子を見に来た。この際、エンジンをOHし、タコメーターを見やすくするなどの手を入れ、6月13日(土)朝7時に塩尻を出発、その日は充分ではない練習走行を行い、本番に向けてのマシン調整をやる。
いよいよ決勝当日、プラクティスはなんと5番手に、そして決勝は8位という結果に。なかなかやるもんですな。局長だったら・・・・・・。
レースが終わってから、また平林クンから手紙が。今度は便箋17枚の熱走報告が届いたのであった。彼の昂奮した様子が手に取るように感じられた。新婚間もない彼は、「なんとも言えない満足感を得ることができた」という。これからも頑張ってもらいたい。
☆ ☆ ☆ ☆
わずか3段しかスペースは与えられていなかったが、しっかりベストカーEXA⑩を挟んで、平林クンと婚約者・弘美さんの2ショット写真に、レースシーン、リザルトがそえられていて、情報量に不足はない。ふと、レース結果の末尾に目がとまった。平林の僚友、百瀬クンも出走していて、9周でリタイアしていた。
それからの「平林夫妻」の船出に贈った祝砲。これに過ぎる物はなかっただろう。それからは毎年、欠かさず平林夫妻から、西瓜だったり、林檎だったり、今年のように葡萄だったり、選りすぐりの「信州の味覚」が届くようになった。
地元のJAに勤務する平林クンが、今年は何にしようか、と気を配ってくれる姿が、いつも目に浮かんでいた。
そんな彼もそろそろ定年退職を迎える計算だ。自慢の愛息ふたりも、揃って地元の高校で野球部に籍を置き、特に次男坊はエースとして春の甲子園のマウンドに立ったほどの「お宝」に育ってくれたのだから、2重丸、いや3重丸の日々を送ってきた、というべきだろう。
葡萄の箱が届いたその夜、種なし、皮なしの「シャインマスカット」を堪能したところで、平林クンにお礼の電話を入れた。ことしの葡萄はとくに甘みに磨きがかかったので、それを届けたくて発送が遅くなった、と平林クン。その分、極上の葡萄を賞味できたから、と、改めて礼を言ったところで、「あの予選落ちの常連だった百瀬クンはどうしてる?」と問うてみた。即座に返ってきた内容が気に入った。地元の市役所で今も「建設部長」をやってます、というのだ。
つい先日のFBで、百瀬クンが最後のヴィッツレースに出場し、それが通算100戦目であったと教えたくれたフレンドがいたが、この二つの情報をつなぎ合わせてみると、また新しい「富士フレッシュマンレース」STORYを紬ぎだせるのではなかろうか。ゼッケン⑳EXAの百瀬孝仁クンはあれからずっと、サーキットで走り続けていてくれたとしたら、これは驚きだ。 (以下、次の更新へ)
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富士フレッシュマン・あの時代 | 日記
Posted at
2018/09/14 16:09:58