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2013年10月21日 イイね!

現存12天守訪問 日本100名城第81番「松山城」


今回の城巡りは地元なのでウォーキングと森林浴を兼ねて・・・・

先ずは加藤嘉明公築城の「松山城」へ

次の目的地、松山総合公園を遠景に臨む

もう一回の山登りにギブアップしそうに成るが、気をとりなおして いざ!

ヨーロッパの古城のようですね

先ほどの松山城を遠景に臨む

さてゴールの自宅を目指して、もう一頑張り
二時間半の行程を歩きとおして帰宅した僕をSCが迎えてくれました。
Posted at 2013/10/21 19:46:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 城巡り | 日記
2013年06月06日 イイね!

現存12天守訪問 日本100名城第78番「丸亀城」


日本一の高石垣と現存12天守の中で日本一小さい
天主閣を持つ丸亀城を訪ねた。



<丸亀城に関するお話>
丸亀城、入場時に貰ったパンフレットに乗せられてた
逸話を転記しました。

■石垣にかかわる悲しい伝説
羽坂登三郎は、常に仕事をするときは裸になって一生懸命働くことから
「裸重三」と呼ばれ丸亀城の石垣を完成させた功労者です。

殿様は「さすがは重三の築いた石垣だけあって完璧だ。これでは空飛
ぶ鳥以外にこの城壁を乗り越えるものほあるまい。」とご満悦でした。

ところが、重三郎は「私に尺余りの鉄棒を下されば、容易に登ることが
できます。」と言って、鉄棒を使いすいすいと城壁を登ってしまいました。

殿様は、重三郎を生かしておけば来敵に通じた場合い恐ろしいことに
なると考え、城内の井戸の底を重三郎に探らせて、その際に石を投じて
殺してしまいました。その伝説の井戸が二の丸井戸です。


■丸亀城人柱伝説
シトシトと雨の降る夕暮れ一人の豆腐売りが作事場付近で豆腐を売り
つつ通行していました。これを待ち構えた入夫たちは、豆腐売りを捕ら
え、用意した穴に投げ込み、お城の人柱として、生き埋めにしてしまった
のです。

以来雨の降る夜は城の犠牲となった豆腐売りの怨霊がトーフトーフと
泣き続けるのだと言われています。

『丸亀城ものがたり』永田照雄より





Posted at 2013/06/06 08:14:52 | コメント(2) | トラックバック(0) | 城巡り | 日記
2013年05月05日 イイね!

現存12天守訪問 番外編 「白地城」跡


箸蔵寺を訪ねた際に以前から興味の有った阿波の
白地城跡を訪ねた。
四国統一を狙う長宗我部元親がその地理的重要性
に目をつけ、1576年に攻略に成功、「先づはこの大西
さへ手に入り候へば阿讃伊予三ケ国の辻にて何方へ
取り出づべくも自由なり」と喜んだとされ、その後は長
宗我部氏の四国征伐の拠点として使われ、1584年の
豊臣秀吉の四国攻撃の際には逆に防衛拠点となった。
昭和後期まで曲輪・堀などの遺構が多く残っていたが、
「かんぽの宿」(現あわの抄)の建設に当たってほとんど
の遺構が破壊され、現在は周辺にわずかに土塁や
切岸が残るのみと成っている。
往時を懐かしむ『白地城址』の石碑と、大西神社。
Posted at 2013/05/05 18:44:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 城巡り | 日記
2013年04月18日 イイね!

現存12天守訪問 番外編 日本100名城第54番「大阪城」

現存12天守訪問 番外編 日本100名城第54番「大阪城」太閤さんの大阪城を訪ねるつもりで訪れたが、
現在の大阪城(縄張り)は江戸時代初期に徳川
2代将軍・秀忠の命により着工され、10年の歳月
をかけて、1629(寛永9)年、3代将軍・家光の時
に完成したものだそうな。
豊臣秀吉が築造したかつての大坂城は、夏の陣
ですべて灰燼と帰してしまい、徳川家が人々から
豊臣時代の記憶を消すこと、徳川家の威信を示す
ことを目的として、豊臣大坂城を残らず地中に埋め、
その上に豊臣大坂城を凌ぐ巨大な堀、石垣、天守
などをもつ壮大な城を築いたものだそうな。
徳川時代の大坂城ということで徳川大阪城と呼ば
れるそうな。
それが判明したのは1959年、ほんの半世紀ほど前の
ことなのだとか・・・・・
そして(天守閣は昭和6年建造)で復興天守と
いう分類に入るのだとか。



Posted at 2013/04/18 08:22:30 | コメント(4) | トラックバック(0) | 城巡り | 日記
2012年07月08日 イイね!

現存12天守訪問 番外編 日本100名城第82番 大洲城


またまた藤堂公の手に成る城を訪ねてみた。

1595年(文禄4年)に藤堂高虎が入城して近世の城郭として整備され、
また1609年(慶長14年)には淡路の洲本から脇坂安治が入城し、
この2人の時代に天守をはじめとする建造物が造営されたそうな。

明治維新後は城内のほとんどの建築物は破却されたものの、
地元住民の活動によって本丸の天守・櫓は一部保存されたらしい
しかし天守は老朽化のために(明治21年)に解体された。
現在の天守は伝統工法を用い、(平成16年)に復元されたものだそうな。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(82番)に選定される。

梅雨は明けたのかな
とも思える青空に恵まれた


五月雨を 集めて流る 肱川を
大洲の城の 足下にぞ望む

五月雨の季語も新暦の現世では曖昧では
あるけれど、当時の儘に使ってみた。
Posted at 2012/07/08 19:56:19 | コメント(4) | トラックバック(0) | 城巡り | 日記

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