群馬県で、スカイラインR34GTRとの貴重な出会いをしり目に湯沢町を目指します。
このルートは草津が噴火の影響で通行止めだったので使えませんでした。
その為、さらに南下し迂回して、湯沢町の二居(ふたい)渓谷を目指します。
ここには、変電所跡と貴重な橋があります。
三国街道から、貝掛温泉近くに来て一度停車します。
しかし、この街道は道が広いせいで、飛ばす車が多いですね。
ファミリーなミニバンの後ろにぴったしくっ付く輸入車なんてのは、余裕があるようには見えません。
スポーツタイプ・輸入車等の嗜好性の強い「いい車」に乗っているなら、それ相応の余裕のある、かっちょいい運転が求められると思います。
二居渓谷にある、旧国道17号線を目指します。
まずは変電所はおいておいて…貴重な橋を見に行きましょう!
車が通った後もあります。
目指す場所は結局、車が通れないのでこのまま歩きで良いでしょう。
せっかくトレッキングシューズも買ったしね。
藪に覆われているので、道が分かりにくいですね。
といっても10mくらいで改善します。分かっていれば、大したことはありません。
駒止めがあるという事は、車両が通ったという証。
お、見えてきたぞ。
その名を「境橋」と言い、上路ボウストリングトラス式という珍しい構造をしている橋です。
他は、岩手県北上市にある和賀仙人橋くらいでしょうか。
既に橋の上には、木が大きく育っています。
1952年に竣工しましたが、10年程で道路が廃止されてしまいました。
Wikipediaから画像を借りてしまいますが、これが下路式トラス橋。
これが上路式トラス橋です。今回、これのボウストリングという弓と弦のような構造のモノです。
何故珍しいかというと、日本ではあまり取り入れられなかった構造の為ですね。
特に下路式の場合、強度に難点があるようです。
橋の上は、地面と境目が分からないほど。
手すりは大部分が残っていますが、一部は壊れています。
橋の下方に、橋台が見えます。
旧橋と思われますが、どのような橋であったかはよく分かりません。また、橋へ続く道の痕跡もありませんでした。
親柱は4本とも健在ですが、銘板はありません。
この橋台も鉄筋が露出して、限界に近いです。
河川まで降りて全景。
恐らく、この橋を見に来た方の9割は関連URLの「山行が」レポートを見た為だと思われます。
私もそんな1人ですが…。美しくレアな橋を見られて満足です。
さて、題名通り…
現道の国道17号線にある、二居変電所跡にも行ってみますか。
とりあえず、86を一緒に撮りましょう。
都合よくスペースがあります。
この建物が「二居変電所」なのかは分かっていません。
「二居」と壁に彫られている事と、地図に変電所と書かれている事から、そう呼ばれています。
変電所ではあったようですが、正式名称は不明です。
少し、この変電所の事を調べてみましょう。
ネット上では「二居変電所」が本当の名前で無い事に触れていても、本当の名前に言及している記事はありません。
個人的に調べた限りでは、東京電燈㈱が大正13年(1924年)に落成した「萱付変電所」が本当の名前だと思います。
この界隈は湯沢町ですが、萱付という字・集落跡・地名があり、付近のトンネルは萱付トンネルという名前です。
昭和初期頃の建物という見方をしている方が幾人か居り、年代が一致してきます。
今昔マップ様から。
昭和9年(1934年)では、萱付の名前と発電所/変電所の記号があります。
これが萱付変電所、いわゆる二居変電所とみて、間違いないでしょう。
昭和49年(1974年)には、記号も萱付の名前も消滅しています。
昭和40年(1965年)の地図には、変電所の記号が書き込まれていたというブログ・レポートがあります。
また、東京電燈に勤務されていた知久清之助氏の経歴にも、萱付変電所の名前が出ています。
知久氏によって、この変電所が作られたという事でしょう。
1924年に建設され、1960年代後半~1970年代前半に廃墟となったようです。
意外と早い廃墟化です。
同時期に建設された花畑変電所や猪苗代発電所は、2018年現在も現役である事を考えると、萱付変電所の廃墟具合はどうなのでしょう。
もっと詳しい事は、東京電燈社史や湯沢町史などを読むと分かると思います。
もしくは、直接聞いてみるか。そこまでしませんけど。
中に入るのは大した手間ではないのですが…
どうにも先客が居り、男女の騒ぐ声が聞こえます。
騒ごうにも1人しかいない静かに廃墟を楽しむタイプの私としては、苦手なシチュエーションです。
フォレスターが停まっていたのでソレと思いますが、どんな人物・人数とも分かりませんので、残念ながら今回は中に入りませんでした。
国道沿いという、アクセスが容易過ぎる故ですが、その割にはよく持っています。
ここから少し南に、大正12年に建設された湯沢発電所があります。
今昔マップを見てみると、昭和8年から昭和49年まではこの変電所付近に送電線がありましたが、平成19年(2007年)になると送電線ルートが大きく変更されています。
大正~昭和は湯沢発電所とタッグを組み、昭和中期に入り、土樽発電所や奥清津発電所が建設された事で役目を終えてしまったのでしょうか。
いつになるか分かりませんが、次回来る時はゆっくりと中を拝見したいものです。
発電所・変電所の廃墟は、ロマンが溢れていて好きです。
という事で「二居変電所」の本当の名前は、東京電燈の「萱付変電所」だと思いました。
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廃墟 | 日記
Posted at
2018/05/18 01:51:36