本日で日産自動車から英国日産自動車製造のイギリスをはじめとする欧州では「ブルーバード(T12系)」として生産・販売されたオースター・スタンザ(T12系 最終世代)の後継車で欧州をはじめとする世界戦略車として北米日産では「G20」として海外向けプレミアムカーブランドの「インフィニティ」でも販売されたミドルクラスのDセグメントサルーン(現在のサイズ基準ではBCセグメントに相当)「プリメーラ」の発表(発売は2月19日)から30周年を経過しました。
1989年10月の第28回東京モーターショーに「PRIMERA-X」と言う名称でパイロットモデルを出品、1990年2月に国内仕様の発表・発売、7月には「インフィニティ・G20」として北米仕様の発表、秋には英国日産自動車製造サンダーランド工場により欧州仕様4ドアセダン・日本国内でも前期Ⅱ型発売時に「e-GT (FHP10)」として販売された5ドアセダン・日本国内では「アベニール」として5月から生産開始された5ドアワゴン(W10系)の現地生産開始、同時に国内ではアテーサ4WDを採用する「T4(HNP10)」が販売開始された。
内容としてはシャシーこそは一か月先に販売開始されたサニー(B13系)に近いが足回りにはR32系スカイラインをはじめにZ32系フェアレディZと同様でFF車としては世界初で数が少ないフロントマルチリンクが採用され後輪にはパラレルリンクストラットの独立サスペンションを採用、欧州車同様に前後衝撃吸収性とキャビン剛性を高めたボディ構造、オールアルミブロックで10万キロまでに交換が必要なタイミングベルトではなくタイミングチェーンが採用されたHP10型車には専用チューンが行われたハイオクガソリン指定のSR20DE型とP10型車にはレギュラーガソリン指定のSR18Diと言う2種類のSRエンジンが搭載、コンパクトなボディでありながらキャビン大きくしたキャビンフォワードレイアウト、Cd値0.29を実現したスーパーフラッシュサーフェスボディが採用された。
当時の西ドイツ・フォルクスワーゲンAG・サンタナ(Ⅿ30系)を日産自動車座間工場(一部のみ閉鎖後間事業所として存続 その他敷地はイオンモールに売却後、イオンモール座間として開業)でノックダウン生産を行ったノウハウが当時日産が開発スローガンとしていた「901活動」と同時に走る曲がる止まるの基本性能がボディ・シャシー性能に生かされ、他の日本ブランド車とは違う走りが欧州では評価され欧州カーオブザイヤー2位を受賞、その後発売のR10系プレセアなどの4ドアピラードハードトップがメインだった日本市場でも最小回転の大きを指摘する声もあったが雑誌などで高く評価されバブル崩壊期の日産とRVブームの時期でも高いセールスを記録してプレスドアセダンがインフィニティ・J30として海外に投入されたJY32系レパードJ.フェリー同様にNDI(日産デザインインターナショナル)によるリヤデザインが不評だったU13系ブルーバードを超える人気を獲得、欧州では「カリーナe」として販売された10代目トヨタコロナ(T190系)をはじめに4ドアクーペが「323F(BA系)」として欧州で販売されたマツダランティス(CBA系)などの日系メーカーをはじめとする欧州戦略のCDセグメントカーがP10系プリメーラの影響を受けたと言われて当時の国内メーカーの法人向けを除くセダンでも5年6か月の長いモデルサイクルとなった。
1991年4月に当時のプリンス店と事実上の4チャネル化より一部地域に残るチェリー店だけではなくサニー店(プリンス店と販売車種統合後レッドステージ化と同時に登記上会社名をサティオに変更 現在はブルーステージと販売車種統合化によりレッド&ブルーと同様の1チャネル制に移行)でも販売開始、5月には欧州カーオブザイヤー2位をはじめに欧州各賞受賞記念で専用ボディカラーを用意する特別仕様車のTe-r(HP10)を限定販売、10月には英国製5ドアハッチバックセダンe-GT (FHP10)を輸入販売開始、国内生産のHP/HNP10型2.0にメーカーオプション設定または標準装備される2チャンネルABSとは異なり4チャンネルABSが採用され多くの部品に海外製を使用、同時に前期Ⅱ型への一部改良により前後衝撃吸収性とキャビン剛性を高めたボディ構造後席右左ELR3点式シートベルト全車標準装備だけではなく国内生産仕様にもサイドドアビームをはじめにはハイマウントストップランプを標準装備化。
平成3年度導入の私服用セダン型無線車(1.8級)を日産自動車が落札、ベーシックグレードの前期Ⅱ型1.8Cu(P10)ベースの捜査車両を47都道府県警察に導入、ディーラーオプションのオートエアコンが装着されていてサイレンアンプと脱着式警光灯を装着する覆面パトカー用途への導入が大半だった。
個人タクシーとしても一部地域で使用されようようになった。
1992年9月には英国製5ドアハッチバックセダンe-GT (FHP10)を除き中期型へ全車マイナーチェンジを実施、足周りが低速でも固すぎたことにより一部を除くHP/HNP10型2.0車にフルフレックスショックアブソーバーの採用とHP/HNP10型2.0車のAT車の電子制御化をはじめにP10型1.8車に搭載されるSR1.8エンジンをEGI採用の「SR18DE」に移行、衝撃吸収ステアリングパッドの標準化をはじめに運転席SRSエアバッグのメーカーオプション設定とP10型1.8車へのABSのメーカーオプション設定を行う安全装備の充実化、内外装の変更と同時に一部を除くFF車へも後席調節式ヘッドレストをはじめにトランクスルーとセンターアームレストを採用、一部グレードへのLセレクションとレザーセレクションのオプション設定が行われた。
1993年には1月と11月に「日産60周年記念車」の発売をはじめに5月にエアコンの冷媒を代替フロンへの変更や8月に中期Ⅱ型への一部改良と同時にコストダウンの実施が行われた。
1994年には2月に英国製5ドアハッチバックセダンe-GT (FHP10)を国内製4ドアセダン同様にマイナーチェンジをはじめに9月には2月に英国製5ドアハッチバックセダンe-GT (FHP10)を除き運転席SRSエアバッグの標準装備化と助手席を含めたデュアルエアバッグのメーカーオプション設定と言った安全のより一層の充実をはじめに内外装各種装備などのコストダウンを行う後期型へのマイナーチェンジを実施、11月には「全日本ツーリングカー選手権(JTCC)」出場を記念して日産自動車系特装車メーカー「オーテックジャパン」がHP10型2.0TeベースにSR20DE型エンジンへのチューニングを行い180馬力への引き上げと同時に欧州仕様グリルと大型リアスポイラーとエアロが装着されたオーテックバージョン(HP10改)を発売。
1995年には英国製5ドアハッチバックセダン (FHP10)を国内製4ドアセダン同様に後期型へマイナーチェンジ同時にHP10型2.0Tmに相当する SLX(FHP10)と国内生産4ドアにはSV(P10)を追加、6月には5ドアハッチバックセダン (FHP10)を円高還元で値下げ、8月には9月にはP11系へフルモデルチェンジする関係から初代P10系の国内向け4ドアの生産が終了した。
その後、プリメーラはP11系へフルモデルチェンジを行い経営危機でありながら再び車種拡大を行っていたことからインフィニティG20仕様のフロントマスクのサニー店専売で平成に蘇ったスタンザと評された「カミノ」の発売とアテーサ4WD(HNP11)を除きマルチリンクと言いながら車軸懸架の「マルチリンクビーム」採用により国内ではWP10系ワゴンを発売してもミニバンブームにより販売が低迷、欧州では引き続き好評だった、3ナンバーサイズへ移行した最終世代のP12系は独創的なデザインと「ITドライビング」と言われる独特なインターフェイスが話題になったがさらなる販売の低迷が続き2005年12月にその後のレッドステージとブルーステージの事実上の統合による1チャネル制の日産国内販売網への移行へつながる全店全車種販売制による販売低迷と平成18年以降生産の保安基準に適合しないことにより生産終了、2008年にはルノー・日産の役割分担による選択と集中により英国日産自動車製造サンダーランド工場で生産される欧州仕様も生産終了となった。
個人的には当時の日産はバブル期でも販売網の一部地域を除く統廃合と同時に車種削減と複数チャネル併売化を進めていた関係から無理と言えますがP11系P10系の頃からW10系アベニールベースのプリメーラワゴンではなくP10系プリメーラベースで発売されていればいいと思うことでサードパーティーによる乗せ換え例はありましたがT4(HNP10)にSR20DETを搭載した仕様が純正で用意されていればキャビンフォワードによる狭いエンジンルームと言うことから狭いエンジンルームでありながらWRC(世界ラリー選手権)に出場するために230馬力に出力を上げたSR20DET型2.0直4DOHCインタークーラーターボを搭載した「パルサーGTi-R(RNN14)」同様に冷却効率に手間取ったと言えます。
代表取締役社長兼CEO(最高経営責任者)をはじめに会長兼CEO(最高経営責任者)を務め金融商品取引法違反と会社法の特別背任罪により逮捕・起訴され、出入国管理法違反容疑により再び再び逮捕状が出ているカルロス・ゴーン容疑者逮捕後、日産ブランドは「セダン拡充宣言」と言って北米と中国では再びセダンに力を入れるようになって日本国内でも北米では「セントラ」、中国では「シルフィ」として販売されるサニー系統の型式を受け継ぐB18系シルフィの国内販売が来年度に予定されているがプリメーラ系統を受け継ぐセダンは東欧を除く欧州での日産ブランドでのセダンの販売撤退から年数を経過していることから実現しずらいと言えます。
どっかの人間のように「5ナンバーセダンを復活しろ!」と言う無謀なことは言いませんが個人的には次期レヴォーグ(VN系 仮型式)の対抗車としてP30系プリメーラワゴン(仮称 仮型式)を次期エクストレイルベース(T33系)で発売すれば新しい日産ファンだけではなく旧来の日産ファンもユーザーとして取り戻せると言えます。
今回の画像については本日に発表(発売は2月19日)から30周年を経過した日産プリメーラ(P10系)を特集します。
1枚目の画像についてはP10系プリメーラでも1990年10月発売(海外では1991年発売)の「アテーサ4WD」採用の4WDモデル「T4」で1994年9月のマイナーチェンジにより助手席を含めたSRSエアバッグの標準化と同時にデュアルSRSエアバッグのメーカーオプション設定が行われ、コストダウンが行われた日産プリメーラ2.0T4後期最終型(HNP10)です。
2枚目の画像については同じくP10系プリメーラでも1990年10月から英国日産自動車製造サンダーランド工場で生産が開始された5ドアハッチバックセダンで1991年10月の前期2型と言われた一部改良と同時に日本国内に正規輸入販売された日産プリメーラ2.0e-GT前期型(FHP10)です。
Posted at 2020/02/01 17:05:03 | |
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