1月から始まっている今年の
大河ドラマ「八重の桜」
舞台は、福島県の会津
東北が舞台とあって、毎回
楽しんでいるドラマであります。
ドラマの流れは今の所、オーソドックスに
まとめ上げられた感もあり
この所、視聴率が下降気味だった大河ですが
初回放送では地元の福島地区で30.7%
は、例外としても、関東地区21.4%
関西地区でも19.2%と中々の数字のようです。
今まで観て来たところでは
松平容保候役の綾野剛さんがいいですね~♪(^^)
幕末の会津藩に下された
京都守護職という難題と
呪縛と言いえる「家訓15か条」のプレッシャーに
悩みながら、直向に取り組む若殿の姿勢を
見事に演じていると思います。
さて、幕末は乱世ということもあってか、
幕末四賢侯
・越前福井藩第16代藩主・松平春獄(松平慶永)
・宇和島藩第8代藩主・伊達宗城
・土佐藩第15代藩主・山内容堂(山内豊信)
・薩摩藩第11代藩主・島津斉彬
を初め、徳川最後の将軍である徳川慶喜 等など
有名な殿様や浪士が数多くいる中で、
会津藩9代目藩主松平容保候は、会津戦争での敗軍の将であり
白虎隊という悲劇もあり多くの方のイメージは決してよくは
ないように思えますが、聡明で人格者として知られ、
会津降伏後も藩士・領民に慕われ、世が太平であれば
会津藩史上に残る名君とたたえられたであろう人物。
3代将軍徳川家光の異母弟である
保科正之候が藩祖である会津藩は、
寛文8年(1868)に定めた「家訓15か条」
特に、第1条の・・・
「大君の義、一心大切に忠勤に存ずべく、列国の例をもって自ら処するべからず。
若し二心を懐かば則ち我子孫にあらず、面々決して従うべからず」
は、会津藩を、他藩がどうあろうと、将軍家に忠義をつくす藩だと位置づけたもので、
二心を抱く藩主には子孫としての資格はなく、従ってはならないとまで言い切る
峻烈なものになっています。
この遺訓が、容保候や会津藩士の気風を作り
また、重圧となり結果的に会津戦争の悲劇に発展して行き
容保候を悲劇の藩主と不当に評価を下げてしまったかもしれません。
会津戦争後の容保候は、程なく蟄居を許され、
明治13年(1880年)には日光東照宮の宮司となり
政治の表舞台からは去ります。
容保候の人柄が感じられる話として
人柄と才を惜しみ政治に復帰を促す声に対して
「自分のために死んだ家臣が何千人もいるし、
その家族も入れれば何万人にもなるだろう、それを考えると
自分だけが富貴な身分を楽しむことなどとてもできない」
と語り復帰を断ったという話が残っています。
また、明治21年の磐梯山の噴火では旧領の猪苗代、裏磐梯地域は
甚大な被害に見舞われます。事態の連絡を受けた容保候は
被災者を見舞う為に現地に急行、被災者は旧領主の訪問を喜んだと言われています。
ブログ一覧 |
雑感 | 音楽/映画/テレビ
Posted at
2013/02/19 01:20:28