2021年も残すところ
あと3日・・・今週で2021年も終わりですね
先日の12月26日(日)には・・・
フィギュアスケートの羽生結弦 選手が・・・
全日本選手権で優勝(^^♪
京都市で開催された全国高校駅伝で
仙台育英高校が女子が歴代最多となる
2年ぶり5度目の優勝♪を果たし男子は3位に入賞♪
と・・・嬉しいニュースが駆け巡りました(^^♪
さて・・・そんな日に最終回を迎えたのが
俳優の吉沢亮さんが渋沢栄一役で主演を務める
大河ドラマ『青天を衝け』新一万円札の顔と言う事もあり
多くの方が興味をもってご覧いただいたと思います。
数多くの企業設立に尽力した渋沢栄一氏でありますが
いすゞHPによれば・・・
歴史・沿革 | いすゞ自動車 (isuzu.co.jp)
「いすゞの創業は1916年。(株)東京石川島造船所と東京瓦斯電気工業(株)が
自動車製造を企画したことに始まり…」とあります。
そうなんですね~
この(株)・・・東京石川島造船所と東京瓦斯電気工業(株)
渋沢栄一氏が設立に尽力した企業の一つで
三金会(旧第一勧銀グループ)の渋沢系企業として
みずほ銀行・澁澤倉庫・清水建設・IHI・太平洋セメントと共に
いすゞ自動車の名前を見ることが出来ます。
渋沢栄一の2番目の奥さんとなった兼子さん
ドラマでは、大島優子さんが演じてましたが
この兼子さんとの間に生まれたお子様のお一人が
六男の渋沢正雄 氏
(三男・四男が逝去されているので、記載が異なる事も多い)
大河ドラマでは・・・竹内 寿さんが演じています。
この方が・・・いすゞ自動車と関係がある渋沢ファミリーとなります。
渋沢正雄 氏は、1915年に第一銀行に入行後
2年で退職して渋沢貿易会社を興すも1919年に破綻
1922年に東京石川島造船所取締役に就任ています。
この・・・東京石川島造船所は、渋沢栄一が、明治9年(1876)に
創立委員として関わり、後に取締役会長となった会社で
渋沢正雄 氏は、同社で飛行機・自動車部門への進出を主担当としていたようです
1924年に石川島飛行機製作所を設立して初代社長に就任
1929年に石川島自動車製作所(現・いすゞ自動車)の設立に尽力し、初代社長に就任しています。
大正時代には、東京石川島造船所自動車部において
1922年(大11)ウーズレーA9型国産第1号乗用車を完成させていますが
1927(昭和2)年に、東京石川島造船所取締役の
渋沢正雄氏は欧米視察時に、渡英した際
「ウーズレー自動車会社との契約解除に成功し、東京石川島造船所は
自由な立場において、純国産自動車を製造し得ることになりました。
1929(昭4)年(株)石川島自動車製作所として独立し初代社長に就任しています。
その後、1932(昭和7)年に商工省標準形式自動車の試作車を完成させ
1933(昭8)年ダット自動車製造を合併して自動車工業(株)と改称。
これに合わせ、渋沢正雄氏は・・・社長辞任しています。
この時期から製品の自動車の名称に、伊勢の五十鈴川に因んだ「いすゞ」を
採用。自動車製造を企画していた東京瓦斯電気工業(株)との合併で
1937年(昭12)東京自動車工業(株)を創立、戦時下の1941年(昭16)に
ヂーゼル自動車工業(株)と改称1949(昭24)年の再建整備の過程で
社名変更し、いすゞ自動車(株)となりました。
余談になりますが・・・
いすゞ自動車が開発した自動車用の
自動変速機を中心としたシステム「NAVi5」
アスカやジェミニに搭載されたシステムとして
ご存知の方もいらっしゃると思いますが・・・
この・・・NAVi-5の量産化にあたりいすゞ自動車と
合弁会社を立ち上げた会社が、旧古河財閥系列の富士通でした。
共に第一勧銀グループ融資系列からなる基になったグループ企業と言う事もあり
第一勧銀・古川・石川島は、すべて渋沢栄一 氏が深く携わった企業
渋沢栄一氏によって第一国立銀行として設立した第一勧銀・東京石川島造船所
石川島自動車製作所の初代社長として尽力し国産化の礎を築いた渋沢正雄 氏
そういえば・・・いすゞ車が、搭載していたのは・・・IHIターボでした。
著書で最近見直されている『論語と算盤』には
論語は道徳と公益、算盤は経済と利益でありそのどちらも重要であることが書かれています。
多くの企業を発起人やサポートという形で支える事で信頼する人間に会社経営を
委ねた人間力は、渋沢栄一 氏が多くの人に信用され、強固な人脈ネットワークの
形成を構築する事で「開放的な経営」と「倫理と利益の両立」といった
企業理念から生まれたものでは?と改めて考えています。
日々の生活においても、人同士の繋がりは大切にしたいものですねっ
Posted at 2021/12/28 17:34:22 | |
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