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2021年04月18日

「神皇正統記」はここで完成を見た!

「神皇正統記」はここで完成を見た!

国指定史跡・関城(せきじょう)は、

鎌倉時代に結城氏一族である

関氏によって築かれた平城。




南北朝時代の

激戦地でもあります。



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南北朝時代に入ると、

関宗祐(むねすけ)・宗政親子は南朝方にあったが、

暦応4年/興国2年(1341年)に

小田治久の離反によって

小田城を追われた北畠親房

この城に逃げ込んだことから、

近隣の大宝城とともに北朝方の標的となる。


戦いは2年にわたったが、

康永2年/興国4年11月11日(1343年11月28日)に

北朝側からの総攻撃を受けて翌日陥落、

関親子は討死し、

北畠親房は辛うじて脱出した(関城・大宝城の戦い)。


この戦いの最中に北畠親房

白河城の結城親朝に対して送ったとされる

『関城書』は有名である。

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今まで、

『神皇正統記』は小田城で完成したと思っていましたが

なんと、小田城主は北朝に寝返っていたんですね!!



駐車場にクルマをとめて、


少し歩くと、

「坑道跡入口」の案内が。




南北朝期の

攻城戦の跡がそのまま残っているなんて

奇跡的。

(南朝方、高師冬が関城を落とすために
坑夫を雇って掘らせましたが、地盤が柔らかく
崩落し、失敗に終わりますが。)


これを見たくて来たのですが、

関城は、

それ以外の部分も大満足のお城でした。




坑道跡を振り返る。
(木が目印)


関城の東側を回り、

南端をめざします。


こんもりとした森には

「八幡神社」が鎮座。
(あとで参拝します)



この日は風がとても強く、

一面の麦畑が

サラサラ、サラサラと

海のようにうねっていて

とてもきれいでした。






左側が関城。

右側(東)はかつては沼。




関城南端のカーブ。


西方より

関城南端を眺む。


なんだか、かつての威厳を感じます。

筑波山も麗しい。


カメラを左に振って

関城北側を眺む。


関城の中に入ります。


「北向地蔵尊」。






関宗祐父子の墓と伝えられる

宝篋印塔(ほうきょういんとう)。




(関宗祐は、宝治合戦(1247年)で没落した
関正泰の曾孫にあたるといわれます)



小田城に在城していた北畠親房を関城に迎えた関さんですが、

高師冬らの攻略に抗しきれず、

落城とともに戦死。


しかし、北畠親房は小田城で書いた

日本史の本『神皇正統記』に筆を加えて

ここ関城で無事完成させ

吉野へと無事に脱出できました。


攻め手である

下総結城氏7代当主・結城 直朝(なおとも)の

お墓は、木に侵食されています...。

(享年19歳とは、若すぎる...)



土塁上にある祠。




北関東でも

激烈なる南北朝の戦いが

繰り広げられていたとはな―。

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常陸合戦

南北朝時代の1338~1343年にかけ、
常陸国(現茨城県)の各地において
北畠親房ら南朝方の軍勢と
高師冬ら北朝方の軍勢の間で行われた、
一連の合戦。

【南朝勢】
興良親王、北畠親房、結城親朝、春日顕国、伊達行朝、小田治久、関宗祐、関宗政、下妻政泰
※太字は1343年までに北朝方に寝返った者

【北朝勢】
高師冬、上杉憲顕、結城直朝、結城直光、佐竹貞義、佐竹義篤
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※戦国最弱(?)大名といわれた小田氏治は常陸小田氏16代当主、
 上記の「治久」は小田氏8代当主です。



「八幡神社」に向かおうと

ふと道を東に曲がると……。


思わず、ニヤリとしてしまいました。

南北朝時代の

すんごい土塁とお堀の跡です!


この木、

今でも生きていたら

樹齢4~500年では

きかないでしょう。


堀跡、最東端より眺む。


土塁上にある

「浅間神社」。


間近で見ると

いろいろと崩れ去っていました。




このお城は

本当に穴場。

歩いていて実に心地よい!


人はいないし

景色は最高だし、

昔の城の様子がよーくわかるし。




「八幡神社」に到着。










ご本殿の裏に回ると...。

またまたすばらしい土塁。
















彼方に、愛車。


この関城、

竪堀(たてぼり)が

たくさん入れられていたんですねー。

(敵の横方向の動きを制限します)


お次は、

鬼怒川を挟んで

南朝方を必死に食い止めていた

「駒城跡」へ。


こちらは

城跡の北西部が残っているのみ。
(実際は東西120m、南北180mのお城)



小田城、関城、大宝城とともに、

南朝側の常陸国における重要な戦略的拠点。



このお城の奮戦がなければ

「神皇正統記」を書く時間が

確保できなかったといいます。


1340年、

北朝側の高師冬(こうのもろふゆ)の猛攻にあって

落城。






駒城くん、

あなたもよくがんばった!!!



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約670年前の南北朝時代、
ここに中御門少将藤原実寛が城主として立て籠もった。

南朝の北畠親房らは勢力を伸ばそうと、
延元三年・暦応元年(1338年)小田治久の小田城に拠った。
関城の関宗祐、大宝城の下妻政泰らと共に、実寛は城を固めた。

そこで北朝の将高師冬(こうのもろふゆ)は
山川城(結城市山川)に陣を置き、
延元四年・暦応二年(1339年)10月、
鬼怒川を渡り大挙して攻めて来た。

これに対して駒城の守りが堅く、
激しい戦いとなるも、
興国元年・暦応三年(1340年)5月27日に
師冬軍の猛攻によって落城し、実寛は捕えられた。
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ブログ一覧 | 歴史 | 日記
Posted at 2021/04/18 18:55:10

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この記事へのコメント

2021年4月18日 22:05
こんばんは。
この季節、城廻をすると『荒城の月』のメロディが浮かびます。
歴史を知った我々は当時の人達の生きざまに感銘を受け、想い・・・。
しかしそれは昔も今も変わりなく、皆、生きるために必死だった事。
あたりまえですが、いつの時代も変わらないなぁとつくづく感じます。
コメントへの返答
2021年4月18日 22:42
お城は昔の人の思いが伝わりやすいかもしれませんね。
平城や山城など、構造がシンプルであればあるほど、思いがダイレクトに伝わってきます。

プロフィール

「時が止まった、空の勇士たちの遺跡「鹿島海軍航空隊跡」(4/4)。 http://cvw.jp/b/861852/47704295/
何シテル?   05/06 20:17
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