先日腑分けをして皆のY60へ”魂分配”を済ませた弐号機ですが、今度は福島の地でさらに下半身を抽出されていよいよドンガラの道へと荼毘伏すようです。
なんせコレから語るようにイロイロと思い出の詰まったサファリです。
ドンガラだけでも利用しようかと、”イナバ”と法名を付けて物置に活用しようかと思いましたが(笑)、サファリショートはあまりにスペース効率が悪いのでやはり処分する方向で考えます。
弐号機は平成2年生まれのサファリショートADになります。
TD42生エンジン+5MTで、純製リアデフロック付きというレア物です。
これは当時(H4年頃だったかな?)我が旧い友人の@アツギ君が中古で購入したモノで、とにかく探しまくってやっと見つかって入手できたというシロモノ。
走行距離もほとんど新車と言えるようなもんで、一般的なクルマとしてもかなりのバリモノでした。
その頃ワタシはT車が誇る陸船80GX観音ナロー、前後デフロック+メカウインチという言わば”敵性車”に乗っておったワケで(笑)、@アツギ君は向こうを張ってサファリにしたというカンジです。
ショートと言う選択がかなり反則ですが(笑)。
この2台で今は亡きM谷の通称”ボルネオ”に毎週のように出没し、泥遊びの限りを尽くしていたのです(笑)。
ハチマルの前後デフロックも確かに良く走りましたが、こーいうヌタ場では走り抜けられてもフロントの操舵が効かず、抜けた先で難儀するというカンジも多々ありでしたが、サファリはリアデフロックのみで飄々と走り、ちゃんと良い位置に抜けられるのです。なので試しに同じ場所をリアのみで抜けようとしたのですが、ハチマルは見事にズッポリ埋まってしまうのですね(笑)。
そんなこんなでハチマルを降りてしばらくジープに浮気したりVR161に陶酔していた頃、@アツギ君の住む地域では例のディーゼル規制の関係でY60は今後登録が出来ないという事態が発覚し、それならばと栃木へ迎え入れたのが平成9年(だったかな?)の頃でした。
もう既に歴戦の勇者的なイデタチとなっていたY60だったので、まさに実戦で「すぐ乗れます」仕様車でありました。
VR161を友人に譲り名実ともにY60がワタシの看板となり、当時発足したばかりの「6年2組」旗艦として長きにわたり君臨してきたのです。と言っても特に実績はないのですが(笑)。
ハチマル時代に散々煮え湯を飲まされたり飲ませたりした(笑)あのサファリが、今度は自分の愛機として手足になるのです。縁と言うのはどこで繋がってるか解りません。
まず161と違うのは圧倒的に低速で扱いやすいのと、後ろ脚がとにかく良く動くという点でした。161もよく出来たリーフなのですが、5リンクコイルには敵いません。
3リンクフロントも動的にはきちんと追従してくれるのですがリアには及ばないので、ストローク的に前後バランスの良い161から見れば当然乗り方が違いますが、トータルのクロカン性能で言えばY60はVR161を完全に凌駕していました。
あの頃はそうやって毎週のようにヤマで走り込み、大会にも出たりしてのクロカン三昧の日々を弐号機とともに過ごしたのです。
ついでに経済的な理由からセカンドカーを廃止していた時期でもあり、ナニをするにもどこへ行くにも弐号機と一緒でした。
今の奥様と知り合ったのもこの頃(だったかな?)で、当時は文句も言わず喜々として弐号機と一緒に全国あちこちと出掛けたもんです(笑)。
モチロン、東京だって行っちゃいます。皇居もお台場も表参道もみんな黒煙まみれにしてやったもんです(爆)。
ワタシは当時ちょっとモノカキみたいな副職をしておりまして、たまたま呼ばれた出版社のパーティがなんとホテルニューオータニだったのです。
モチロン何も臆せず、漁船サウンド高らかに弐号機をボボボンッとフロントに乗り付けたのですが、ドアを開けた瞬間、警棒を構えた警備員に囲まれるという”事件”が(笑)。
その話を当日の会場で挨拶代わりにしたところ、ホテル側から多大なる陳謝とお土産まで頂いてしまって恐縮&ラッキーだった思い出があります(爆)。
弐号機にて初の駐車違反をした時は、雪の降る夜の餃子市内でした。
路肩に弐号機を停めて向かいのビルで雑誌の仕事の打ち合わせをしていたのですが、5分で終わる予定が白熱して2時間に(笑)。
気が付くと我がサファリがありません。
ありゃ?と言うカンジで辺りを見回しますが、電柱に「移動しました。栃木県警」の貼り紙が。
そこに書いてあった電話番号に連絡をして弐号機を引き取りに行ったのですが、よくよく考えると雪が降ってるので四駆に入れっぱなしだった筈なんです。
なのでお巡りさんに、
「四駆に入れてたハズなのによく牽引出来ましたね?」
と聞くと、
「おまえなあ、あの戦車キーが付けっ放しだったんだよ!」
と怒られてしまいました。
駐車違反よりも何よりも、盗難防止で保護されたという方が正解かも知れません(笑)。
暴走族(?)と戦った事もありました。
真夜中なのにミョーに渋滞してるのでおかしいなあと思い前を見ると、数台のバイクと2台の車が交差点を堰き止めているのです。
コッチはもうすぐにでも帰って寝たいのにピクリとも動きません。
信号が青になっても一向に行こうとしない先頭車を反対車線からちょっと失礼して抜き去り、交差点内で芸なくブンブンと回って楽しんでいるバイクを尻目に弐号機を進めますと、二ケツした段付きシートのバイクが蛇行運転で行く手を遮ります。
”多分、こいつはオレがビビって減速するんだろうと思ってるんだろうなあ、、”なんてぼんやり考えてましたが、メンドクサイのでそのまま加速(爆)。
見事段付きシートは宙を舞い、左の路肩にヨコになって着地しました。
このままにしちゃうとさすがにイロイロと厄介かもと思い、サファリを鬼バックさせて着地の場所と思われる現場に戻ると、ちょうど段付きシートを起こして追撃に移ろうとしている若者と遭遇。
元気に生きてるのが解って何よりですが、心配して戻ってきてやったのにナゼか逃げ出す二人なのです。
既に隣の車線ではワタシの後に続いた一般車が通行を始めており、避けるのも危ないし、つまりはメンドクサイのでそのバイクをバックで踏み潰してしまいました(爆)。
取り敢えず謝ろうかと距離をとって見ている仲間に近づこうとして、さらにサファリをバックさせたところ、こちらもなぜか散り散りに去っていく始末。
ん~完全にヤバい人だと思われたか?(笑)。
そして賑やかに赤色回転灯が数え切れないほど到着して、ワタシはその場で”確保”されてしまったのです。
その後、朝まで警察署でお巡りさんに何時間も同じ供述を何度も繰り返され、気持ちは解るが的な説教を食らい、定番である筈のかつ丼も出ないまま釈放(笑)。深く反省すべき一晩となってしまいました。
かのように弐号機での出来事は様々であり、これ以上数々のエピソードもありますがそろそろ紙面が尽きたようです(笑)。
いろんな車両に乗ってきましたが、このサファリほどモンダイを起こしてくれたヤツもいません(爆)。
もちろんその倍以上の楽しい出来事も嬉しい思い出もあります。
そして一番の宝は、弐号機に乗っていたからこそ参号機に繋がる系譜になり、その過程で知り得た多くの仲間たちだと思うのです。
なのでワタシは弐号機には深く感謝せねばなりませんね。
と言う割には晩年は完全放置でカビプレイでしたけど(笑)。
参号機にも弐号機の部品がたくさん使われてます。コレからも大物が移植を待ってます。
この前の腑分け大会で持って行って貰った部品も使って戴けるようで何よりです。こーいうのは感じ方かも知れませんが、趣味のノリモノの最期としてはかなり幸せな部類だと思われます。
どうか弐号機の”魂”を引き継いでやってくださいませ。