
昨日上げた
「九州時計回り(序章)」からの続きです。
2月23日。微風で天候は晴れ。午前7時半過ぎから鳴り出した横断歩道のメロディーの旋律に1日の始まりを教えられました。繁華街のはずれの交差点に面した宿の部屋の窓の外に広がるのは、江戸時代に毛利高政が築いた佐伯城跡を頂く小高い山。「佐伯の殿様は浦で持つ」と言われていたことから、きっと財政的にも余裕がって左うちわの生活を送っていたんだろうなー、と妄想しながら出発の準備を整えます。(実際は幕府からの度重なる手伝普請の要請のおかげで財政は厳しかったようです。)
2015年に開通した佐伯ICから蒲江ICを経て延岡市の延岡南ICまでは無料通行区間の高速道が整備されています。今回は最初にこれを通ってちょっと先の日向市までワープしたのちに佐土原の城跡に向かってみます。最近歴史ものばっかり廻っている気がしますが、前の水曜日にたまたま目にした歴史街道という雑誌の特集が「島津家久、豊久特集」だったもんで、つい、ね。
歴史街道 2016年11月号 (←バックナンバーですが買えるようです)
良く晴れた空にはよく育ったヤシ科の植物が映えます。ここは「道の駅 日向」。国道10号線から太平洋を望む絶好のロケーションに整備されています。隣というか海側の奥には「日向サンパーク」というキャンプ場?もありました。(今回は入ってませんけどね。温泉もあったらしい!!)
ここでおなかが空いてきたので、11時前だというのに朝寝坊のあおりで抜かした朝食を摂りに食事処に向かいます。ここで朝食をとってしまうと今回の旅の大きな目的の一つだった「ドライブイン大海」の伊勢エビを堪能することができなくなるのですが、背に腹は代えられません。…だって、大海があるのは南の果ての日南市ですからね。そこまで我慢できるかっての。
そんなこんなで立ち寄った「大衆食堂みやこ家」さん。北から向かうと道の駅日向の少し手前にお店を構えています。ここは朝6時から定食を用意しているという神のようなお店。
どうですか、朝からこのボリューム。この内容で980円というから二度びっくりです。しかも、ご飯のお替り無料です。良心的過ぎて涙が出ます。宮崎県下は食べ物が安いイメージがありますけど、いくらなんでもお得すぎ。
さて、時間もあまりないのでこの出会いを神に感謝しつつ再び10号線を南下していきます。
小一時間走ると、ワインで有名な都農町に差し掛かったので、ワイナリーの売店でちょっとした赤と、都農ワインの歴史本を記念購入しました。ワイナリーは山の上にあって、見晴らしがとっても良好です。冬なのに思わずTUBEのシーズンインザサンを聴きたくなるくらい良好です。
国道10号に戻って一ツ瀬川を超えたあたりから国道219号線に入ります。通称「米良街道」と呼ばれるこの道は、沿岸部から山奥の西米良村までをつなぐ道です。その途中でようやく見つけたのが「佐土原城跡」。途中に観光看板が全然なくてなかなかたどり着くのに力がいりました。最後はカーナビで探して何とか到着。(普段使わないんです。)
伊藤家と島津家の攻防の歴史を知る佐土原の土地には大小さまざまな城跡が散在しています。でもとりあえず今回はこの佐土原城跡だけ散策してみます。
しかーし、なんということでしょう。二の丸跡に整備されているお目当ての「鶴松館」は世間の休日のみ営業で平日はやっていないではありませんか。なんだかなぁ、と折れそうな心をなんとか鼓舞しながら道向かいの「城の駅」とやらに向かってみます。ここはいわゆる物産館です。
そんな物産館の片隅に並べてあった書籍をぼーっと眺めていると、観光担当の職員の方から声をかけていただきました。福岡から来たというと「佐土原町の中・近世城跡」という調査報告資料(町の歴史資料館においてあるような冊子)を差し出され、差し上げますとオファーされました。これはありがたい。しかし、いただくだけでもあれなので「佐土原城興亡史 日向の”中原”をめぐる伊藤氏と島津氏の攻防」という書籍を別途購入してから城の駅を後にしました。
あ、そういえば順序が逆になりますが、佐土原城跡に立ち寄る前に宮崎県立農業大学の敷地に面した「ルピナスパーク」というところにも立ち寄りました。名前からして庭一面にルピナスの花が咲き乱れているのかにゃーと期待して入りましたが、まだ時期が早かったようです。
しかし、ここには記憶から風化しかけていた「口蹄疫」への対処を記録した記念館があるということで早速「農業科学館」の2階に上がって見学することにします。
1階ロビーからつながるエリアは、いわゆるお子ちゃま向けの資料コーナーになっています。でも2階は違います。犠牲になった種牛50頭、防疫のために殺処分された数十万頭の家畜たちの記録が展示されています。彼ら、彼女らには畏敬の念を禁じえません。今、こうして問題なく我々が肉を食べていられるのも、このときの数奇な環境条件に巻き込まれて命を奪われた家畜たちの存在があってこそ。東国原さんが神経をすり減らしつつ、数多くの職員や自衛隊の方々が昼夜を問わずに対応されたあの出来事の記憶を消し去ってはいけません。
だって、口蹄疫のウイルスはお隣の国からアジア全域、アフリカ、南米と渡ってまだまだ活動しつづけているのですから。こんな困難な防疫を担当されている方にはほんと頭が上がりません。
さてさて、長くなってきたのでいったんぶった切ります。(続く)
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高回転でちょいと遠乗り | 日記
Posted at
2018/02/26 14:24:06