ガンダムシリーズの中では個人的に1,2を争う、日本のアニメ史上屈指の名作ですが、
そのラストシーンの良さもまた、名作と言わしめるものです。
戦争が終わり、故郷のヴーィックへ戻ろうとする、記憶も曖昧で失明したカテジナさんが、
偶然?シャクティと再会する場面です。
ここでのやり取りは、あまりにも・・・
こういう演出、今は出来ないんだろうな・・・。
お互い知らないなんて間柄ではありません。
時には仲間、時には憎しみ合う敵。
カテジナさんの方は、恐らく、ストーリー的にも、相当な強化人間化されているはずですし、
戦争が終われば、廃人そのものでしょう。
※ガンダムシリーズのなかで一番魅力的なヒロインだと思います。
次点でクェス(ミクっぽいからというわけではないはずだ。)、3番目にギギ・アンダルシア、
その次が、ラクス・クライン(ディスティニーの方)ですね。
?壊れているお姉さん系が好きなんですね。
シャクティの、
「目もご不自由なようですし・・・」
「メモリーはいつも使っているものですから・・・」
「そうですね・・・」
「道に迷った旅人よ・・・」
この台詞・・・重すぎですよ。
シャクティは、カテジナだと直ぐにわかったけれど、
カテジナのしたこと、また、いつまでもウッソの憧れの人であるカテジナへの嫉妬。
また、カテジナがどうも自分を認識していないようだ。
目に光が無い、挙動がおかしい。
ならば、この場は丁寧に帰ってもらおう。
そのような心境になったのでしょう。
「いつも使っているものですから・・・」
そう、カテジナが戻るべき場所までセットして渡す。
これほどまでに辛辣な冷たい親切もないでしょう。
この少しの動作で、
「あなたは、ここにはいらない人。二度と来ないで。」
ということを表しているんですから。
また、カテジナも曖昧な記憶の中、カサレリアへわざわざ来たのは、
道に迷ったわけではなく、実はウッソやシャクティなど昔の仲間を頼ってきたのでしょう。
「教えてくれるだけで良いのです、お金はありませんから・・・」
このカテジナの台詞にもそれが読めるかもしれません。
ただ、この時点では、この会話している少女がシャクティという認識は無いのかも知れません。
そして、その後のカルルマンが、知っている人に挨拶するように、こんにちはと声をかける。
カルルは、カテジナをもちろん、知っています。
カテジナは、カルルマンの名前を聞いて、
その少女が、自分が良く知っている少女、シャクティと確信した。
まるで、初対面の他人のように優しく、冷たく接したシャクティ。
そのメッセージ・・・戦争によって頼るべき家族もいない中、
かつての仲間にさえ、拒否されたその悲しみが、
カテジナに涙させた。
また、このやり取りにウッソの台詞
「シャクティ、手が氷のようだよ・・・」
この台詞にシャクティの心が表現されていると思います。
その後のシャクティの涙にそれをウッソに見抜かれてしまったことと、
また、先のやり取りへの自己嫌悪が現れているように思えます。
けれども、この他人行儀なシャクティの態度は優しさの裏返しでもあるのかもしれません。
カテジナのしてきたことを思えば、
本当は、シャクティの性格からも救いたかったのかもしれません。
戦争も終わり、恐らく、強化人間への投薬や、洗脳などで、
廃人になりかけているようなかつての仲間。
新しい家族にしても良かったのかもしれない。
けれども、恐らく、ウッソや他の仲間たちが許すことはないでしょう。
もう、戻ることは出来ないのですから。
オートコンパスを渡す、それがシャクティのせめてもの優しさだったのでしょう。
それが、曖昧な記憶や頭でわかったからこそ、カテジナは、
涙したのかもしれません。
なんにしても、けいおん!のげんこつくらいでクレームが来る様な、
鬱アニメが夕方17:30からやっていたわけですから、
リメイクや再放送はありえないでしょう。
しかしながら、最終回のこのラストシーンは、アニメ史上、なかなかのものだったと思います。
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Posted at
2013/12/02 00:20:29