ヨコハマ昔ばなし、夏に
第一回をアップして以来大変ご無沙汰しました。<(_ _)> やっと第二回のアップです。↓
ヨコハマの路上から姿を消してからかなり経ちますがやはり忘れられないのが
市電です。当時は市電の線路が市中に広く四通八達していてそれこそ何処に行くにも庶民の足となっていました。前回伊勢佐木町の話が出ましたが当時の国鉄(JRじゃない)終点の桜木町駅前(根岸線開通前)から市電に乗って出掛けて行ったのです。次から次へと市電が来ていた記憶があります。次の停留所などは目視出来る距離なのですが広い直線道路などではずっと先まで何台もの電車が見えていたものです。そこから山手の丘の上までとか、または山手トンネルを抜けて本牧通りを米軍基地を横目に根岸、磯子の先の杉田まで通じてました。繁華街は吉野町、16号を川沿いに下り磯子へと。今でも途中の滝頭に市電保存館があり実際に見る事が出来ます。しかし自動車の発達と共に脇に追いやられるようにして消えてゆきました。確かに自動車道と併用するので交通事故も多くなってきたんでしょうね。停留所近辺で鳴らす
チンチンという鐘の音(いくら好きでも敬語の「お」は絶対に付けないで下さい!)が可愛らしい愛すべき乗り物でした。今でも幾つかの都市で路上電車が実際に走行しているのを見るにつけ、その地で長く愛されて欲しいと思わざるを得ません。(
チンチン電車と呼び習わした記憶があります/
絶対に敬語の「お」は.....)
市電は元々明治期に神奈川⇔桜木町間に引かれたものが大正期に横浜市が買い取り以来路線網を拡げてきたものです。生麦から杉田まで行こうと思えば乗り継いで行けました。

(写真は昔の横浜駅東口/市電保存館より)
数年前にスタジオ・ジブリの「コクリコ坂から」というアニメを見て感じたのが
昔の横浜へのオマージュでした。主人公達も当たり前のように市電に乗り、坂の上の家から海を見はるかしていて自分が小さな子供だった頃の懐かしい風景がごく自然に重なり合いました。横浜をイメージして作ったと説明がありましたが、あの風景を本当に理解出来る年代は恐らくかなり限られているだろうな(自分より年長者)と思いました。
市電と似て異なるものに
トロリーバスという乗り物もありました。無軌条(むきじょう)電車とも呼ぶそうですが、上に張った電線に接する屋根から突き出た二本の角で電力を供給して走った乗り合いバスのことです。これも同じ頃に見られなくなりましたが路面電車と違いレール敷設の手間が要らないために低コストで採用出来たので横浜市交通局が導入したそうです。現在の横浜駅発着の市バス201/202系統(内回り/外回り循環)が後を取って代わりました。昔このバス(トロリーじゃない方)で岡沢町の横国大まで通ったのが懐かしい....
モータリゼーションの勃興と共に自動車が交通の主役となってゆき、結局脇に追いやられてしまい最後には廃止の憂き目を見た市電でしたがトロリーバスと共に「電力で走行する乗り合いの乗り物」ですからどこかでボタンの掛け違いさえなければロー・カーボンの低公害車両として今でも立派に生き残っていたかも知れませんね、ちょっと残念です。川崎でも走っていたのを覚えてます。しかし今でも広島、札幌、富山、鹿児島その他の都市で市民の足として活躍しているのを見るにつけ小さかった頃の記憶が甦ります。(そうだ、自分が住む東京でも一路線だけ今も残っているんだっけ!)
早くも年末となり今年一年この無常な日常ブログに目を通されてきた皆様に感謝を申し上げます。来年も気ままにのんびりやってゆきます。最後にオフ会でのSamS号のお尻のショットでケツをまくります(おぃ).........
Posted at 2015/12/30 10:55:15 | |
トラックバック(0) |
ヨコハマ昔ばなし | 旅行/地域