
連休の土曜日、環八を北へ向かうエレクトリック・ブルーのMINIクーパーの運転席にはSamSの姿があった。
そして助手席には妙齢の女性が座って時折SamSと談笑を交わしているではないか!
いつも一緒の奥さんは一体どうしたんだ?
してまた彼女の正体は.....?
連続殺人鬼SamSが配偶者を亡き者にしただけでは飽き足らず、次に若い女性まで毒牙に掛けようとしているのか.......?
ハイ、皆さん。ミステリイ仕立てのオープニングでしたが、一体どうしたんでしょう?
実は彼女の正体はSamSのDNAを半分受け継いだヒト、つまり連休を利用して家に帰って来た娘でした。そしてSamSは先週も参加したのですが、世田谷文学館主催の澁澤龍彦を偲ぶ連続講演に娘も参加したのです。シリアルキラー扱いされなくて良かった.....(^_^;)
先週末はひどい天気でしたが脳科学者の
養老孟司センセイがスピーカー(講演者と言えよ)でした。
ハテ一体どんな関係?と思いましたが氏のお兄様がT大で澁澤さんと親しい交友関係にあり、当時鎌倉駅前の養老先生の実家によく飲んで帰りが遅くなると泊まっていたそうで9歳年下の養老先生はいつも寝ている人と澁澤さんを覚えていたそうです。(澁澤さんの家は北鎌倉の谷戸を入っていった奥なので旅館代わりに使ったのカモ?)
今週の講演は独文学者の
池内紀氏でしたが、冒頭にお付き合いはほとんどなかったと告白してました。そりゃそーです、だって澁澤氏が亡くなって30年、「太陽」等の特集本を出す時にはいつも監修されていた種村季弘氏なども亡くなって十年以上経ちます。もう親しかった人達もほぼ鬼籍に入られたことでしょう。本日の参加者だって爺さん婆さんばかりだ(お前もなー)。笑)
池内先生の話の内容は主に「
文学(文学誌で後に廃刊)」の依頼によりたった1回だけ行った澁澤邸でのロング・インタビューでした。咽喉ガンで手術を終えた氏が筆談で応じたそうですが6時間以上掛かったとは病人にひどいことをしたものだと思いました。かなり体力を使い切った筈です。
氏はその半年後病床で遺作「高丘親王航海記」の最後の二章を書き終えて亡くなります。(読売文学賞を取ったのはその翌年で異例の死後受賞でした)
もう現代では三島とか澁澤を論じる若者の姿もなく世の中の移り変わりを感じさせます。文学自体も低調に推移(衰退)して文学雑誌の休刊(実体は廃刊)も相次ぎ、今に残るのはごく僅かです。
SamSのように車を論じる者が文学も語るという事もまず見られません。
ちょっとさびしく感じた本日の講演でした。
でも連続講演は来週もあって講演者はあの
四谷シモンです(表題写真の中の人形にご注目)。
SamSは関節が動く人体人形が大好きです。爆)
Posted at 2017/11/04 21:59:27 | |
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