
SamSが国大の学生時代、自動車部だったことは以前に明かしました。バイトでトラックの運転手として本牧の工務店で一日過ごすことがありました。水道工事屋さんから自動車部が頼まれて部員をドライバーに派遣してSamSも時々学費稼ぎに参加してました。
場所は本牧通りを進んで山手警察署手前の通りに面した古い工務店で車庫は裏手にあり車はエルフの4座キャブでした。朝ここに行き職人さんたちを乗せて出発し、仕事先でただ待機するだけ。読書したり勉強したりして仕事終わって戻ると日当一万円を頂けまして'70年代半ばにしては割りの良いバイトでした。
ある時、帰りが少し遅れて6時過ぎると本牧通りの反対側に赤い灯がついてどうやらバーのような店がひっそり存在していたことが判りました。今でいう山手署から先は当時米軍が駐留していてフェンスが続き、その内側にはカマボコ型兵舎とか一軒建ての芝生で区切られた宿舎がずっと点在していたものです。ソレはまさに柳ジョージとレイニーウッドの歌った「フェンスの向こうのアメリカ」そのものの世界でした。
山手署向かいには米軍のPX(言うならば購買部)とかFireStation(消防署)があったのを覚えてます。地元の人達がPXで買い物するためにはMP(憲兵隊)のいる場所を通らないといけませんでしたがほぼフリーパスでした。もっとも向こうのトレーナー一枚買うにも米ドル建ての値段でしたから旅行でドル紙幣を余らせたとかでないと手が出ませんでした。
さてその怪しげなレッド・ランターン灯る店に戻りますがベース(米軍基地)から歩いてツー・ブロックほどで米兵相手の店なのは明確でした。確か数軒隣には産科の看板も出てましたからあれはきっと堕胎専門の医者だったと思います。近くにチャブ屋もあった場所だし、米兵の子を身籠った夜の女性相手の商売だったのでしょう。
この広い本牧通りには昔市電が走っていたのはうっすら記憶にあります。さてそのバーのような店ですが、くねったネオン管は辛うじて'Golden Cup'と読めました。
.................え?! そうです、「ゴールデン・カップ」です。
実は気付くのに時間が掛かったのですが、あのGSのザ・ゴールデン・カップスとすぐには結びつきませんでした。だって時代は'70年代半ばでGSブームは過ぎてたしカップスももう解散した後だったんですから.....
(続く)
Posted at 2019/01/31 23:45:32 | |
トラックバック(0) |
ヨコハマ昔ばなし | 音楽/映画/テレビ