
6月の中旬に私の出したメッセージの返事が戻ることはありませんでした。
話は昨年の2月に戻ります。
この
ブログに見知らぬ方からイイね!を頂きました。
イイね!返しのために相手のプロフィールをチェックすると福岡・博多のスバリストの方でした。そしてイイね!を返す為にブログを拝見してみると...........怖)
なんと突然の病気の告白でした!
腫瘍が見つかり入院すると。
とてもひとごととも思えず思わず励ましのコメントを残してきました。
するとすぐ友達申請があり、SamSは即承諾して今後の病気その他生活一般の相談相手となって行こうと決意しました。
(無事日常生活に戻れたSamSには病人のサポートに何か使命めいた感情が芽生えていました)
恐らく彼にとって初めての経験でもあり、毎日が不安で一杯だろうと思い入院中の心配事の相談相手となろうとメッセージのやり取りを始めました。
当初こそ全く絶望の中といった風情でしたが、しかし絶対に病気を克服してまたスバルに乗るんだという強い意思は見られました。
しかしすい臓がんステージⅣで肝転移ありならば(口には出せませんが)余命半年以下かと.....
転移があるので抗がん剤治療となり(でなければ手術で切って簡単に終了です)、入院と退院を繰り返します。副作用も出て体力も徐々に奪われます。
脱毛、食欲不振、視力減退や聴力異常、口内炎とか皮膚の知覚異常や炎症等々あらゆるトラブルに出会います。
それらにうまく向き合えるように、そしてその後にどんな変化が身の上に起きるかもSamSが体験した範囲で伝えました。あらかじめ知っているのと知らぬとでは対処する上で気持の持ちようが違ってくるからでいわば予備知識です。ショックを和らげる効果があります。(あって貰いたくないことだらけですが)
やがて病気が薬剤耐性を得て薬が使えなくなり二番目に効果のある薬にスイッチする日もいつかやって来ることを伝えるのは辛かったのですが心を鬼にして知らせました。
現状すい臓がんを退治する薬がない以上はセカンドライン、サードラインと薬を替えることしか出来ません。
メッセージを交換するうちに彼の心の中に強い生存への希求があり家族と衝突したことが分かりました。奥様とよく話し合い、今はどうしても助けが必要な時なので自分ですべて解決しようと思わずに思い切って甘えてしまいなさいと自分の例を引いてアドバイスしましたが、九州男児の彼には当初は難しいようでした。やがて分かっていただけましたが。
それ以後はみんカラのメッセージで生活の邪魔をしないように時折やり取りを続けてました。彼もその後当初の薬の効きが薄まり別の薬に移行したことを淡々と知らせてくれました。がんが肝転移以外にも大腸や腹膜等の部位にも広がり拡大していることも身を切られる思いで拝見しました。
この病気の特徴で病状は良くなったり悪くなったりします。好転している時にはみんカラにブログをアップすることもありましたし、愛車のインプレッサを運転することもありました。しかし病魔は決して後退せずに進行してゆきました。
今年の1月にアップされたブログの最後の文章には心を打たれました。
人生の残り時間は限られている
それが長かろうが短かろうが
決してあきらめずに生き切るのみだ (そのまま引用)
もう迷いも消え澄み渡った青空のような気分なのだろうなと感じます。
ひと月に一度くらいのペースでメッセージのやり取りが続いてました。3月のブログには家族で雪の中をドライブして温泉で楽しまれた様子が出てます。恐らくは最後の旅行でしょう。
ブログには書かれていませんがその間に残酷にも病は進行し、ついにもう一度使用する薬を替えることになりました。二番目の薬も効かなくなったのです。
新しい薬が効きますようにとメッセージに添えられた言葉が痛々しく感じました。これでそろそろ挨拶の頻度を上げようと月二度にしました。
.......そして話は冒頭に戻りますが、ついに突然6月半ばのメッセージに返事をもらえませんでした。いつかは迎える日でしょうが、SamSもショックを受けてかなり落ち込んでました。
(もし時間があって、この件を見たい方がいらっしゃればSamSの友達から昨年2月に友達となった方を一発で探せます。彼がみんカラで同病の人を探し励ましあっていたこともブログのコメント欄で分かります)
私自身は最後まで悔いなく病の篤い人に寄り添うことが出来たのではないかとは思いますが、本人はさぞ無念であったろうと思うと今も胸が痛みます。
その思いを受けSamSもまだまだ彼の分まで生きて行くつもりです。
本日は長文かつ重い話を失礼いたしました。
実は表題でお分かりと思いますが、もう一人分次回に続きます<(_ _)>
Posted at 2018/07/24 22:32:28 | |
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