
さて、その1に始まり、昨日のその3まで続けてきた、シリーズ、我が青春の足跡を巡る "ことりっぷ"
いよいよ最終回。
その4で目指すは、我が卒業せし高校である。
ココで、O-Lineのショットを撮ったら、"ことりっぷ" も目標達成、任務完了である。
なお、今書いてるこのブログ、時を高校生時代まで巻き戻しての思い出し、なんかもしてるんで、
BGMに、スキマスイッチの "全力少年" を、全力でリピート再生で流して書いてる。
円山公園市営駐車場からO-Line発進!し、東大路通り南進で祇園を離れたら、向かうは、九条の"
東寺(またの名を、なんとも強そうな
"教王護国寺" とも言う)" である。
というのも、我が母校の経営母体は、あの弘法大使(マチガえた。弘法大使だとマグマ大使みたくなってしまう、正しくは
弘法太師、空海)が初代ヘッドの東寺なんである。
東大路通りを、七条通りで右折西進し、京都駅を過ぎ、どんつきの堀川通りにぶち当たったら、今度は左折、
すぐソコは、東海道新幹線の高架を潜るアンダーパス出口、八条通りは目前である。
このポイントで八条通りを右折、さらに西進、大宮通り高架のアンダーパス越えてそのまま行き、
壬生通りをまた左折南進し、東寺裏手(北側)にある路地というか小路に入れば、
母校は、ドドーンと現れる。
ついに、
本作戦の目的であり最終目標の、出身高校正門前でのO-Lineのショット撮影に成功!!

正門の銘板には、東寺が経営母体であることが窺い知れる
「学校法人 真言宗※※学園」(一般に通用してる高校としての名は別にもあり、
ソッチの方がフツーに世間一般では通じる)の文字が躍る。
実は、ココに(ダマって)停めたとき、写真では見切れてる守衛所中のヒトのから声をかけられている。
果たして怒られたのか?
イヤ、チガう!
まったくに逆である。
ナント、
「こちらからドーゾお入りくださーい」と
校内入場の誘導をされたんである。
イヤハヤ驚いた!
未知の者に対して発揮された、なんとも高邁な精神であろう。
さすが真言宗、さすが仏法の理を厳しく説くガッコだけのことはある。
でも、冷静に考えれば、単に勘違いしたダケだろーし、
受付もしてない者(クルマ)を
校内に誘う行為は、極めてリスキーと思うゾ!小生。
なので、クルマはそのままに、小生は守衛のヒトに、
「いえ、ココの卒業生なんですが、写真だけ撮らさせていただきたい」と、丁重に応えた。
すると守衛のヒト、
「そうでしたか! では、ドーゾお気をつけてお願いします(O-Lineを停めた車道の道端はクルマ通りがないワケではない)」と。
なんか知らんが、ウレシイ気持ちになった小生であった。
正門前O-Lineフォトハンティングを終えたら、守衛のヒトにお礼のヒトコト言って、本格的にガッコのグランドに接する駐車場に移動、駐車する。(周辺にはコインパーキングいっぱいあるが、ココはガッコの駐車場なんで無料)
で、
東寺境内の五重塔を遥かに望むバックショットの撮影にも成功!!!
なんでこんなコトまで、小生知ってるのか?
小生自身が卒業生なのはモチロンなんだが、実を言うと、とっくに大学も卒業して一人暮らしでBusiness personやってる我が娘もココに在学してたん(小生の後輩にあたる)である。
なので、保護者面談は四日市からクルマ(前愛機、A4 Avant)飛ばして来てたからなんである。
因みに、小生在校時は男子校、娘が入学する頃は男女共学、しかも付属中学持つまでに成長してた。(それどころか、娘も卒業して何年も経つ
今や、小学校まで持つ一貫校としてのビッグネーム)
さらに因むと、小生の叔父さん(オフクロの弟)も本学出身の大先輩で、その当時の先生が小生の時にもまだおられ、叔父さんとは、そいった話題で盛り上がったもんである。
ただ叔父さん当時その頃のココは京都でも有名な、わるが集う高校であった。なんせ、ココの学生、肩で風切って京の街に繰り出すと、
ヤーの連中もビビッて道空けた、なんてハナシもあるくらい。
なんで、中学3年の小生がココへの進学をオフクロに申し出た時、叔父の当時のその印象しかない彼女が言ったのは、
たった一言、「ぜったいアカン」であった。
その後の事情現状を詳しく説明して了解を得、晴れて入学できたが、往時の名残りは小生の時もあって卒業式は例年欠席する生活指導の教師もまだいた。
毎年欠席の理由聞きたいですかー?
いいでしょう、明かしましょう!
小生が卒業する何年も前、卒業式後、お礼参りと称する悪童に、日本刀で袈裟懸けに背中を切り付けられ、以来
トラウマで出てこれなくなった(卒業式だけは)、というハナシがまことしやかに流布され、ソレが皆の共通認識であった。
しっかし、もはや犯罪、傷害罪の構成要件は満たしてる、どころか殺人未遂で検挙、起訴されてもおかしくない事件である。
しかしこの事件、事実だとしてもガッコ側が揉み消してたハズ。
なんせ、前科がある。小生在校時に国と揉め大問題になりかけた案件がある。
当時からすでに、全国的強豪として名を馳せてた、体操部、バスケ部、バレーボール部、水泳部、ブラスバンド部。
これら部活動強化のため、ハイパー豪華設備の体育館(地下温水プールや体操場まで備えたもんを、おっとろしくカネ掛けて建設。さらにバスケやバレー試合の得点電光掲示器なんかも、何台も購入調達。(京都の社会人チームなんかまでもが借りに来てた。信じられますか!、奥さん!である)
でも、その資金、卒業生、在校生らの縁者からの寄付では賄えず、東寺の国宝を市場放出した(売っ払らった)実績を小生は知っている。
(イカン、クチは災いの元と言う。不用意なコト言ってたら消されるかもしれん)
さらにさらに因んどくと、我が娘のこのガッコでの同級生には、

がいる。
そう、陸上の
桐生 祥秀君でる。
もっとも彼は、通称スポクラ(スポーツクラス)所属の、滋賀は彦根からの越境者で、接点はほとんどなかったらしいが。
今もブログを書いてるそのしりから、まるで枯れない井戸、噴水のごとく、次々に青春時代のムカシごとが思い浮かんでくる。
もはや今回のこのシリーズ、「
我が青春の足跡を巡る "ことりっぷ"」では語りつくせないんで、今回で一旦止める。
また、機会を見つけて書くかもしんない。
で、ガッコの駐車場のO-Line、駐機したまま、しばらく東寺境内を散策、境内へは
【北門】から入場である。
スグのところにある東寺経営の参拝客用の駐車場(下はジャリ)に、
【アヴェンタドール】を発見!!

仏さんでなく、まじまじとコッチの方を拝ましてもらう、バチ当たりな小生である。
で、一通り見て回ったら、今回の目標は全て攻略と相成ったので、実家寄って
オフクロのカオ見てご機嫌伺いして、
30分ホド一服したら、四日市まで一路帰宅の道を行くダケ。
(この実家には盆の、12・13日にまた、にゃーも連れて再訪するので、
今日のトコロは、あっさり、これくらいでイイんである)
実家着いて、オヤジにせんこ炊いて、チーンして、まんまんちゃんあんしたら、
オフクロにコーヒーよばれて( = コーヒーをごちそうにあずかって)、しばしコトバを交わつつ休憩。
四日市への帰路は、R24を木津まで南下し、R163で伊賀まで出て、そっから名阪のつもりが、
さっき聞いてたFM、ジャテック(= JARTEC 日本道路交通情報センター)のおねーさんが言うには、
R24は城陽でトラックと乗用車の衝突事故のため片側封鎖・大渋滞とのことである。
急遽、経路変更。ワープ航法発動である。
これまたガッラガラ名神高速道、京都南ICより流入し、あっ、ちゅー間の、ヒトヨンマルマル(14:00)スギには自宅近辺まで帰ってきた。
今回 "ことりっぷ" の走行結果、

総遠征距離:235km、時間:6.25時間、平均時速:36km/h、オンボード平均燃費:15.6km/l
であった。
以上、 "ことりっぷ" 最終回その4(高校訪問編)にて、シリーズ全4編のオワリである。
しかし、スピンオフ企画も考え中である。
(ま、米の人気TVドラマシリーズ "The Walking Dead" から派生したアナザーストーリー、
"Fear the Walking Dead" みたいなもん...か)
内容はまだ、ぼやん、としたもので練り切れてないが、
この夏の休暇中の出来事を素材にするつもりである。
現在、鋭意構想中であるが、まとまり次第 "番外編" として、執筆に取り掛かり上梓(ウソ。ブログにまとめアップロード)する予定なんで、シバシ待たれよ。
Stay tuned, and don't miss it!
(同、省略。)
でも一旦はオワリは終わりなんで、区切り、ケジメとして一筆言上。
ココまでお付き合いいただいた読者の方々にお礼申し上げる。
ありがとうございました。
最後に、大橋卓ちゃん作詞の一節で締めくくりたい。

さえぎるものはぶっ飛ばして まとわりつくものかわして
止め処ない血と涙で渇いた心臓潤せ
あの頃の僕らはきっと全力で少年だった
怯えてたら何も生まれない
澱んだ景色に答えを見つけ出すのはもう止めだ!
濁った水も新しい希望(ひかり)ですぐに透み渡っていく
積み上げたものぶっ壊して 身に着けたもの取っ払って
幾重に重なり合う描いた夢への放物線
紛れもなく僕らずっと全力で少年なんだ
セカイを開くのは僕だ
視界はもう澄み切ってる!!
スキマスイッチ - 「全力少年」Music Video : SUKIMASWITCH / ZENRYOKU SHOUNEN Music Video
この心境でこれからもいくゾ! うん!