
学がないのは無学。学が浅いのが浅学。私のように知ったかぶりは上手でも、実はよくわかってないのはまさに浅学。
先日のことですが、その浅学の私にも機会がありまして、長崎大学の中部講堂ってところで、「千々石ミゲル」のことについての講話を聴きました。講師は、諫早市多良見町(伊木力)にある、「千々石ミゲルの墓所と言われていた場所」を「千々石ミゲルの墓所」と確定させた中心の方、大石一久先生でした。
私の知る千々石ミゲルは、「遣欧少年使節団」の4人の中の一人として渡欧し、日本に戻ってからはイエズス会の一員として布教に務め、途中からイエズス会を非難し、棄教の末仏教に帰依して天寿を全うした人という知識でございました。残りの3人の壮絶な最期からすれば、或る意味「生き延びた裏切り者」というイメージがありました。
でも、今回の講演を聞いたらそうでもないようです。お話の前段は、墓所が千々石ミゲル=千々石清左衛門を確定するまでに至る検証の数々。そして、共に葬られた奥様の棺から出てきたキリスト教関連の遺物。そして千々石ミゲルと思われる人骨周辺の状況についての講話でした。これだけでも十分面白い。
そして、後段の話では、千々石ミゲルの晩年の経過から、どうやら「千々石ミゲルはイエズス会の方針には反対であったが、キリスト教自身の教えは最後まで大切にしていた。」ということです。千々石ミゲルの足跡(長崎の県内でも隠れキリシタンがたくさんいた場所を転々としていること)からも、どうもそうらしい。そして当時は大村藩であったこの場所で、「大村が見える場所に葬ってほしい」という願いのもとに作られた墓所であること。
いやあ、何かちょっと感動してしまいました。これまでの見方から千々石ミゲルに関する認識が変わりました。
この年になっても浅学なことのいいところは、「新しく知る感動を、いい年になってもできること」なのでしょうね。いい勉強になりました。
Posted at 2025/07/31 05:52:06 | |
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