今回の旧車レビュー外伝ですが この先のレビュー本家にリンクさせるため
つーかどうしても避けて通れないと感じたのでの執筆です
俎上の鯉になるのは日産ローレルですが型式的には初代C30から5代目のC32
つまり
昭和のローレルについてです
これが調べてみるとまた結構なボリュームですが…(^^;
まずは時計の針を前回の東京オリンピックが開催された1964年に戻します
当時の乗用車ラインナップを日産と合併前のプリンスさらにトヨタで見てみると…
◆日産◆
2Lクラス:セドリック
1.5Lクラス:ブルーバード
◆プリンス◆
2Lクラス:グロリア
1.5Lクラス:スカイライン
※S54型スカイラインGTはレースホモロゲーションであり正式発売は1965年2月
◆トヨタ◆
2Lクラス:クラウン
1.5Lクラス:コロナ
まだまだ自動車が高級品かつ庶民には高根の花だった時代
セドグロ&クラウンも法人需要が主だった頃で
さらに庶民にも手軽にというコンセプトから大衆車(死語)
いや今風に言えばベーシックカーとしてサニー&カローラが1966年に発売
すると今度は上側に車種拡張が企画開発されることになるのは必須かと
いわゆるアッパーミドルとかハイオーナーかというカテゴリーですよ
その中でトヨタがコロナの上級仕様としてコロナ・マークⅡを
日産がローレルを1968年に発売するのです
両車の違いとしてコロナ・マークⅡが4ドアセダン・2ドアHTのほかに
ワゴン/バン/ピックアップなどの商用車をラインナップしたのに対し
ローレルは商用車を一切設定しない
まあ志の高さを示してるのですが…
じゃあプリンスはどうかというと1966年に日産と合併してますがね
Wikipediaによると…
510型ブルーバードより上級でかつ法人需要の多い130型セドリックとは
性格の異なるハイオーナーカーとしてエンジン以外は全て日産独自開発で企画
あくまで当時の事情を知る人から当社が聴いた話だとこれは違うというのです
※必ずしもWikipediaに書かれていることがすべて正しいとは限らないというアレです(笑)
それは
日産独自開発という点
実はプリンスでもこのカテゴリーのモデルを企画開発していたというのですよ
勿論日産本体でも同じようなことをしていたのは事実でして
合併により一本化されてしまったらしい
まあ合併後ならば独自開発と言っても差し支えないのですが
↓なことを考えれば満更間違いないんじゃないかと思います
◆リヤサスのセミトレーリングアーム◆
元々はGC10型スカイラインGT用に研究開発していたという説があります
結果的には1967年に発売された510型ブルーバードに初搭載されてますが
ドライブシャフト伸縮にはプリンスがS40型グロリアのドディオンアクスルに
使用していたボール・スプライン技術を応用していることを踏まえると
プリンスサイドで開発していた証じゃないかと?
同時にC10型スカイラインのフロントサスですが
当初はダブルウィッシュボーンで開発されていたそうでして
合併後にコスト面の観点から510型ブルで採用されたストラットに変更
こんな話もありますから元々の日産オリジナルとは考えにくいんですよ
◆村山産かつプリンス直系のG型エンジン◆
コストというか部品共用化で流用が容易な『この瞬間が日産車だね』がお家芸(笑)
ならばL型4発を搭載するのがセオリーですがスカイラインも含めて4気筒搭載車は
50年排ガス規制まではプリンス開発のG型なんですよね
またステアリングもブルがボールナットなのに対して
C30型ではラック&ピニオンをというあたりが合併後も日産直系と確執があった
プリンス残党技術陣の意地みたいなモノを感じます
まあ↑な点からプリンス直系村山工場で製造というのも辻褄が合います
◆合併後も荻窪事業所が開発していた◆
荻窪=生産拠点が村山移転前のプリンス工場であり開発拠点ですね
経営不振で合併直前でも新規開発を行っていたのは有名な話で
1970年に発売された日産初のFF車チェリーもここの技術陣による開発で
今の日産FFの原点は荻窪から始まると言っても過言ではありません
さらにローレルもC31型まで スカイラインもR30型まで
このほか櫻井眞一郎氏が絡んだF30型レパードや櫻井氏の一番弟子である
伊藤修令氏が開発主管を勤めたK10型マーチなども荻窪発なんですよ
※荻窪事業所は1981年厚木市に完成したテクニカルセンターに発展的解消で消滅
◆スカイラインとのパーツ共用ならびに先行搭載パイロット的役割◆
サスペンションこそ510ブルにパクられましたが…(笑)
本来ローレル用ならばC30型はC10型より先行発売でしたからね
G18型・RB型(NEOも含む)なんかはローレル先行搭載
技術面の先進導坑みたいな役割もあったということですね
さらには歴代開発主管は旧プリンス系出身者やその系譜も踏まえると
日産独自開発に違和感なんですよ
と同時にプリンスでもアッパーミドルを開発していたというのは間違いない
そう思うわけでもし日産との合併がなければ
プリンス・ローレル
↑なっていてもおかしくないわけでタイトルもそれに呼応させたわけです
で…
結構長くなりますが昭和のローレルについてまとめてみました
☆初代 C30型(1968年 - 1972年)☆

そう!この直線基調のヨーロピアンスタイル

インパネも時代を感じるけどこれが当時のアッパーミドル

プリンス直系G18型SOHC直4エンジン

そして1970年に追加された2ドアHT
コイツはこの時代なのにトンでもな装備がありました
なんと
シーケンシャルウィンカー
◆C30ローレル 2ドアHT シーケンシャルウィンカー動画◆
技術の日産といえば技術の日産なんだろうけど
これはプリンスの技と言いたいですね
累計新車登録台数は150,211台で↓にフルモデルチェンジ
☆2代目 C130型(1972年 - 1977年)☆

大きくアメリカンナイズされた2代目
プラットフォームをC110型スカイラインと共用化したことからL20系直6を
搭載したモデルも設定 さらにL26→L28の3ナンバー車も製造されますた
しかし2代目はセダンよりも注目を浴びたのが2ドアHT
それはこのリヤからの眺め
◆C130 4ドアセダン リヤビュー◆
◆C130 2ドアHT リヤビュー◆

ハイハイ…コレですよ
ボディー外板に燈火類が無くバンパーに附帯させた特徴的なデザイン
通称ブタケツ
トランク外板が真下に落ちるような構造でして当社の周囲では
絶壁ローレルとも呼んでましたが…(笑)
これがですねえ何故か珍走団を含む当時のやんちゃ系な方にバカウケ
ヘッドライドをC230系HTの角型2灯にしてベッタベタの車高短化
極太タイヤと強烈なネガティブキャンバーでハの字にしちゃう↓が定番(笑)

エンジン関係では呪文みたいな↓も定番
ソレタコデュアル
わからない方に解説をしますが
ソレ→ソレックスキャブレター3連
タコ→タコ足=エキゾーストマニホールドの交換
デュアル→デュアルマフラー交換
爆音上等でパワーアップしたがるんですけど
ソレックスキャブも口径がデカ過ぎると調整がシビアになるだけ
L20ならせいぜい40φまでが適正で瞬間パワーが欲しいから44φにしちゃうと
アイドリングも不安定でスロットル開けてもボォボォ言って失速しちゃう罠
排気系統も車高を落とし過ぎると擦りまくるだけという百害あって一利なし
でもみんなひと通りやりたがるんだよなあ(笑)
そうそうパープル系に再塗装もトレンドだったりしますよ
これがですねえ2020年代の今も旧車會を中心にやってるのがいるんですよ(笑)
バブル期に工藤静香が確立した前髪立てたアクセントなワンレンに
肩パットバンバンなミニボディコンスーツとピンヒール
今もギロッポンあたりのお水系おね~さんの定番と同じで最早様式美です
まあ↑なモディファイのおかげでノーマルな個体残存数は35万台も売れた割に
少ないと言われてますがどうなんでしょうか?
☆3代目 C230型(1977年 - 1980年)☆
引き続きアメリカンナイズデザインを継承した3代目
4ドアHTを追加設定し歴代モデルで唯一4ドアセダン/2ドアHTの3種が存在
そして最上級グレード
メダリストを設定したのもこの型からでした
C230前期→C231後期では当時のお約束ヘッドライドの丸目→角目化を実施
◆C230 前期4ドアセダン◆
◆C230 前期4ドアHT◆
◆C231 後期2ドアHT◆

イメージキャラクターはプロテニスプレイヤーの石黒修氏
俳優 石黒賢のお父さんです
倅が出演したドラマに『振り返れば奴がいる』というのがありましたが
売上的にもライバルのマークⅡ19万台に対して31万台を売ったそうで
見事にリンクしてますなあ(笑)
☆4代目 C31型(1981年 - 1984年)☆
ここから型式名の附与方式が変更になります
4代目はあの櫻井眞一郎氏が開発主管を勤めたことでも知られてます
今までのアメリカンナイズ路線からヨーロピアン指向に軌道修正
キャッチコピーも『
アウトバーンの旋風』でしたからね
それと本モデルでは2ドアHTが廃止されました
◆C31 4ドアHT◆

ただ…これは売れなかったんですよ
丁度マークⅡ&チェイサー連合軍にクレスタを加えて
敵は新しい1Gエンジンで途中からツインカム24の1G-Gも追加されたことで
売上的には大苦戦で累計新車登録台数はC230型からマイナス10万の21万台
デキはそれなりによかったんですけど…惜しいです
☆5代目 C32型(1984年 - 1988年)☆
伊藤修令氏が開発主管を担当って…
ここまでスカイライン先行か?(笑)
とにかくカクカクしたボディは再びアメリカンナイズ路線に回帰で
キャッチコピーは『
ビバリーヒルズの共感ローレル』

室内もこの時期の日産車らしくカクカクですよ(笑)
↑は当時の日産公式画像なんですけど
イメージキャラクターの渡辺貞夫氏の姿も確認できます
◆日産ローレル CM 1985 グランドエクストラリミテッド登場篇◆
ナベサダさんって
草刈”ズンドコベロンチョ”正雄と共演したブラバスのCMや
♪カリフォルニアシャワーなんていうナンバーも含めて
ウエストコーストの匂いがする人なんですよ
なのでこの選任はズバリだと言ってもいいくらいの素晴らしさ
尤も
このCMでは宇都宮出身のオッサン丸出しなんですけど(笑)
C32のスゴかったというか面白いなと感じたポイントは
↑のCMにもあった世界初の電動折り畳み機構を内蔵したドアミラーと
選べる6気筒エンジン
直6はこれまたR31スカイラインの先進導坑となる新型RBエンジン
歴代モデル唯一のV6はVG20
そしてディーゼルエンジンはLD28をそれぞれ搭載したんです
尤も廉価グレードや教習車仕様などはCA18という非力な4発でしたけど…
C32型は昭和の終焉直前1988年12月に製造終了
同月中に次期モデルとなるC33型が発表され平成となった1989年1月に発売
オーナーカーとしては昭和最後のローレルとなりました
しかし…
C32型は1993年まで継続生産された
ええ…それはCA18Pエンジンを搭載するタクシー仕様というヤツです

タクシー仕様は法人向けのスタンダードと個人向けのLRが設定されてました
LRはスタンダードに対して
シートをビニールレザー→ファブリック
全席パワーウインドウを装備
ラジオアンテナをAピラー手動→リヤパワー化
サイドミラーを電動リモコン化
FM - AMラジオならびにホイールカバーを標準装備
リヤグレードエンブレムはスタンダードはなしでLRはトランクリッド左側
尤も日産は小型タクシー用に910ブルバードを設定していましたが
トヨタが小型車のハイグレード化でコロナの他にマークⅡへタクシー仕様を
設定したことから対抗上出さざるを得なかったということです
何でこんなこと知っているかというと…
当社に
セリカGT-FOURと
Y31セドリックを無理矢理預けたあの人のおかげ(笑)
もうお気付きというかお察しの通りパイセンはやはりコレクションしました
一度LRグレードに乗せてもらいましたが後ろに乗る限りはいいクルマですたね
昭和のローレル最後のC32タクシー仕様は
1993年にクルー製造開始に伴い販売も終了したわけですが
5代24年に及ぶ昭和のローレルも山あり谷ありの歴史
当社的にはプリンスの血が感じられるので魅かれたということもあり
この後に平成のローレルに手を出しちゃうことになります
その話はまた改めて…