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国立自動車総研のブログ一覧

2022年05月30日 イイね!

【おじさん的昔車レビュー15】失敗は成功のマザーと言ったのは某終身名誉監督ですが…【M30型日産・VW サンタナ】

【おじさん的昔車レビュー15】失敗は成功のマザーと言ったのは某終身名誉監督ですが…【M30型日産・VW サンタナ】←のクルマのこと
もしBGMを付けるなら当社は迷わず
森田童子のこれ以外思い付かない(笑)
クルマそのものとしては悪くない
ただ…時代とマッチしなかったこと
そして…作り出す側の思惑がダメだった
おかげで変態好みの珍車になっちゃったという話です

考えたら昔車レビューはもう1ヶ月書いてなかったんですよ
じゃあ次は何を書こうと考えたら…
時間軸でいえばR34シリーズに着手なんだけどこれだけで4台
もう少し練ってからでも悪くないと思ったんですよ
じゃあR34の間に挟まるK11マーチでもと考えたのですが
むしろ難しいネタにあえてトライしてみても面白いという天邪鬼な心が…(笑)
今回の1台は借り物で約半月1,000㎞以上乗った↓な珍車をチョイスしてみました

☆日産・VW SANTANA (M30)☆
↑はあえての初期型公式画像
1984年から日産座間工場でノックダウン生産されたVWブランドの4ドアセダン
ガソリンエンジンは当初AUDI製直列5気筒SOHC1,994㏄J型のほか
VW製直列4気筒SOHC1,780㏄JN型およびディーゼルターボでは
直列4気筒SOHC1,588㏄CY型を縦置きに搭載し前輪駆動(FF)とした
1987年1月には2LエンジンにはDOHC化したモデルを追加した一方で
ディーゼルターボ車を廃止するなどのマイナーチェンジを実施
1990年に約5万台の製造をもって日産でのライセンス生産を終了した

戦後復興期で戦争で中断された自動車メーカーが技術取得のため
ノックダウン生産なら理解できるのだが日本車が世界を席巻していた
1980年代に日産がなぜVWブランドの製造に乗り出したのか?
正直理解に苦しんだものですがすべては当時社長だった石原俊氏の思惑
国外展開戦略に積極的だった石原氏はVWとの全面提携を所望し
その足掛かりとしてサンタナの製造販売を提案し1981年に契約が成立
結果として生まれたのが日産製VWサンタナ
つまり…MADE IN 座間の独逸車
日本側の開発主管にはそれまで欧州拠点の責任者を担当した日産一の欧州車バカ
変態エンジニアの異名を取る津田靖久氏が就任した

あれ?これおじさんの車歴にあったっけ?
ええ…所有はしてないんですよ
所有してたのはY31セドリックLPGST165セリカGT-FOURなどの
変態クルマ大好きで当社に預けてしまうあのパイセン氏です

2007年のことです
諸事情があって仕事を休業にせざるを得ない状況かつ引きこもりに陥ったのです
このままでは精神的にやられるなと思っていた時の事パイセンから電話が…
それまでの経緯を話すとパイセンは…
何も言わずエアチケットだけとって来い
後は何も考えてなくていい
また面白いおもちゃ貸してやるから

こういう時はホントにええかっこしいなんだけど…(笑)
そこまで言うには何かあるな?と思いながら
3日後に当社は新千歳空港に降り立っておりますた
パイセンはご丁寧にお迎え
それもわざわざC32ローレルセダン個タク上がりのLRで…
パイセンは当社がC33C35ローレルを所有していたことは把握しています
昔を思い出して元気出せよという視点からC32なのか?
いやいやチョット待てよ!
LPGじゃ札幌周辺の都市部はとにかく田舎行ったら燃料ヤバイじゃん
困惑のうちにパイセンのガレージに到着したら↓が鎮座ましましてでした

☆SANTANA Xi5 Autobahn DOHC☆
1987年1月のMCで追加されたDOHCエンジを搭載する最上級モデル
時を同じくして開発主管の津田靖久氏は後にプリメーラとなるP10型の
開発に携わることが決定しサンタナから離れることになるわけで
正に置き土産とも言える最終進化系と言っていいかも

そしてこんな貴重かつ変態好みの1台を前にしてパイセンは↓言いますた
好きなだけ乗ってイイから
北海道の隅から隅まで
アウトバーンのつもりで走ってこいよ

いや~ありがたいです
ホント涙が止まらなかったなあ

で…
ええ話やなあはこの辺にしてレビューに戻しますね
この個体は1987年4月登録126,000㎞走行のセカンドオーナー車で
パイセンが2006年に入手したものです


最高出力140psをマークする4バルブDOHCエンジン
当社的に直列5気筒はこれとアコードインスパイアしか経験はない
インスパイアのそれは電気モーターのように回りパワーもそれに追従してくるが
サンタナのそれはスペックほどパワーは感じない
むしろトルクフルな調教をされていて少々ズボラな運転でも
クルマの方でフォローしてくれる感じだったことが強く記憶に残っている

そしてパイセンが面白いと言ったのが↓

実はパイセンの個体は5速MT車
太い低速トルクでの扱いやすさをテンポの速いシフトチェンジで走らせば
結構な速度になっていることに加えて直進安定性の良さが特筆モノ
前:ストラット/後:トレーリングアームの4輪独立サスが
セッティングも含めてこの辺はアウトバーンの国で育ったクルマの証
しかもですよ!タイヤサイズが195/60-14なんて今じゃ使ってるのか?
そんなサイズでよくぞ出せるなあと感じたのもまた事実
また縦置きFF車ゆえに小回りが利く意外な良さも実感

当社的にこれはガイシャなんだと感じたのが↓

如何にも質実剛健という独逸車らしいインパネ
↑はタマタマ拾い物のAT車のモノですけどシフト周辺を除けば共通
これだけで日産が作ったというのは都市伝説じゃないかと思ってしまう

ガイシャというか業務提携という複雑な生い立ちを経てる証が↓

↑はエアクリBOXなんですけど日産・VW・AUDIのロゴが入るって…(笑)

半月近く借りて乗った結論は…
面白いに尽きる
北の大地を隈なく走って心まで吹っ切れた当社が導き出した解答ですが
さらにこう続きます
なぜ売れなかった?
当初日産では月販目標を4,000 - 5,000台程度と見込んでいたのですが
実際には製造終了の翌1991年までに新規登録された台数は49,658台
年間7,000台程度という明らかな不人気車
そうなったには理由つーか原因はいろいろあると思います
あくまでも当社目線というなかでの話ですがその最たるものが
2LクラスのFFサルーンが
まだ受け入れられる時代じゃなかった

まずはこれに尽きると思います

バブル突入直前のこの時期ってコンパクトカーこそFF化が進んでいましたが
2Lクラスではまだまだどころかボーイズレーサーと呼ばれるFFテンロクスポーツ
カローラFXやワンダーシビックに初代CR-Xに関して言えば
トルクステアの問題がまだ克服されていなかった時期でもあります
そんな中で三菱が最高出力200psのシリウスダッシュを搭載するFFサルーン
ギャランΣをリリースしてくるのですがこれがじゃじゃ馬そのもの
こういったこともあり中排気量以上FFに対する拒絶反応があった時代で
そこから敬遠されたというのもありますね

これを証明するわけではないのですが
同時期にメルセデスからは小ベンツこと190シリーズ
BMWからは六本木カローラの異名を付けられた2代目3シリーズ(E30系)の
独逸製FRモデルが日本ではベストセラーになっていることを考えると
それは満更でもないと考えますね
ちなみに当時のプライスはサンタナが約290万円
190が約530万円 BMW320が約390万円
いくらサンタナがお買得であっても敬遠されたのには理由があるということです

次にこのクルマのサイドビューを見てみるとわかるかと思いますが…

2LクラスのFFサルーンにしては不思議なディメンジョンなのですよ
直列5気筒エンジンを搭載する関係からフロントオーバーハングを長くする必要は
とにかくとして対になるリヤのそれも長くとらないとバランスが悪くなる
それも理解した上ですがそのしわ寄せがホイールベースに来る
何と2,550㎜しかない
今現在当社が所有するMAZDA2のそれが2,570㎜ですからねえ
全長4.5m強のサルーンにしては…ということで後席の居住性も
決して広々ではなかったというのも購買層が敬遠する一因になったのかと?

尤もこればかりはプラットフォームを共用というか
ベースになったAUDI 80(B2)も似たようなモノですけど…


さらに…
トルコンATも4速化が推進されていたこの時代にも関わらず
オーバードライブを持たない3速ATだったこと
そしてそのATに暴走事故に関連して国会で
アイドル回転制御装置の欠陥が直接指摘される事態にまで至ったことが
致命傷になって販売に影響を与えたということもあります

またエンジンを縦置き搭載するからの問題点もありました

ラジエーターをエンジンベイ最前列に搭載できない
そこで小型化して左側にオフセットした上での搭載となったのですが
もうこれだけで冷却能力不足はハッキリしてまして
オーバーヒートしやすい弱点を生まれながらに抱えていたわけです

↑に関してパイセンから借りる時に
5月だから大丈夫だけど注意してね
カナリ念を押されたわけですけど完全に持病でしょう

結果的にVWもこれらの問題に対して何ら対策をしなかったわけで
日産もライセンス生産という立場から改良することさえできず
自滅しちゃったような感じです
↑の背景は全面提携を所望した日産は足がかりと考えたのに対し
VWはノックダウン生産に関する提携は成立したが
それ以上には関心を示さずサンタナの商品として絶対的自信から
売れないのは売り方が悪い
↑な上から目線で対応し続けた開き直り これに対して日産も
売れないのは改良しないから
こうなるともう修復しようがないですよ
サンタナ製造終了後VWは3代目パサートの販売を押し付けて1992年に提携終了
そして今度はトヨタと販売提携を結んで日本市場拡大を図ろうとするのですが
この際にも他の問題を残しているんですよ

サンタナ以前のVW車の日本での販売はヤナセでほぼ独占的に行われましたが
サンタナに関してはヤナセでの販売台数枠を少量としたために
関係が悪化し決裂したというオマケがあるんですよ

尤もVWの高飛車つーか結構ご都合主義は結構なもので
トヨタとの提携も2009年に終了させてしまいます
何だろう?結婚&離婚クセが付いちゃってるといえばいいのかな?(笑)

結局VWとの提携は日産にとって失敗だった
サンタナに関して言えばそれが着地点だったことは否定できないですね
でも日産は転んでもタダでは起きなかった
FFの進化はT12型オースター&スタンザで欧州でもそれなり評価され
サンタナ開発主管だった津田靖久氏はP10型プリメーラを発表した際に
サンタナで得たノウハウを活かすことができたと発言されてます
そして日本のみならず独逸を含む欧州で大ヒットになったわけですから
失敗は成功のマザー
人間万事塞翁が馬
災い転じて福となる

↑いうエンドが訪れるわけですから…

そうそう!
パイセンのサンタナその後ですが2010年にドライブシャフト脱落のトラブル発生
これも持病のようですが対比用効果を考えた結果廃車にして
部品取りのドナーとして同じような変態マニアさんに引き取られたそうです

いろいろな意味で面白いクルマだったんですけど…
でも一瞬でもその味を楽しませてもらったことに
当社が感謝していることは間違いありません
日産・VW・AUDIそしてパイセン…

どうもありがとう!
Posted at 2022/05/30 02:14:53 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旧車レビュー | クルマ

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「これはやはりですねえ…ヤツらの仕業ですた http://cvw.jp/b/3408570/48577997/
何シテル?   08/02 20:55
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