いきなり古典落語じゃないけど…
前回の
BG系ファミリアのレビューで↓なことを書きました
『ファミリアといえば赤』
こう言い切ってしまうと逆に気になってしまったというわけで
↓を書かなくてはいけないと思っちゃったわけです
赤=ファミリアの原点はどこだ?
まあ初代モデルから赤系塗装の設定はありましたが
↑のひとことを聴くと大概の人は社会現象とまで言われた↓を思い描くかと?
5代目BD系ファミリア
FF化された最初のファミリア
赤の3ドアXGは売れに売れたのでこれをイメージする方も多いかと思いますが
当社的(あくまでもですよ)には違うと分析します
↓が本命だと思うのですが…
4代目FA4系ファミリア
1977年発売
3代目までの3BOXボディから全車2BOX系に変更
既にライバル車というか同クラスはFFでリリースされはじめていたが
東洋工業(当時の社名)ではFRでもパッケージ次第では充分に行ける
※同様のアプローチが1978年発売のKP61スターレット
そのような判断がなされたと言われてはいるけれど
現実には経営不振から再建中だった同社は当時FF車を製造しておらず
新たにラインを稼働させるだけの余裕がなかったとも言われるが
最終的には1980年のBD系フルモデルチェンジまで
日本国内89万台のセールスを記録した
ちなみに…
別名X508
OP設定されたデカールは本モデルの開発コードである
いや~…確かにコレは売れたわ
当時住んでいたところのご近所でもガレージにあっただけでも3軒くらい
青空駐車場でも5 - 6台はありましたから
まあ確かに価格設定を安くしてたこともありますな
これはインパネを見てもわかります

簡素というか質実剛健
今だったら貧弱だけど当時のファミリーカーとしてはまずまずかと?
それと売れた要素に車体色設定もあるんじゃないかと当社は思うのですよ
発売時にイメージカラーではないものの↓な色もありました

原色系ダイスキのMAZDAらしいといえばMAZDAなのですが
これが三河や日産だとどうかな?とも思っちゃうのもまた事実で…
当時の世相背景として第一次オイルショックと悪夢の50年排ガス規制から抜け出し
さらには経営再建に奔走していた東洋工業が社運を賭けたというと大袈裟だけど
せめてクルマくらいは明るくという思いがあったと思いたいわけですよ
つーか似合ってますけどね(笑)
そういえば…
同時期にリリースされたSA22系RX-7もこの系統の色設定がありましたな
緑のヤツはカエルちゃんなんて呼んでいた輩もいましたが…(笑)
でもなぜこのモデルで赤=ファミリアと言い切ったのか?
↓が最大の理由だと思うのですよ
幸福の黄色いハンカチ
1977年松竹制作配給 山田洋次監督
高倉健・武田鉄矢・桃井かおり主演のロードムービー
ストーリーや詳細は↑のリンクを参照してもらうとして…
この映画のもうひとりの主役というか重要な脇役が
武田鉄也扮する花田欽也がドライブする赤のファミリアだったわけで…
これに東洋工業が制作協力というか車両提供したわけですが
このことがキッカケになって赤の販売数が格段に増えたとのこと
だからこそタイトルになぞって
ファミリアは赤に限る
あくまでも当社的にはそう言い切っちゃったわけなのですよ
尤もイメージカラーかといわれるとそこまではなかったのですけど
ちなみに…
撮影用にファミリアは2台提供されたそうですが
そのうちの1台は2021年の現在でも舞台となった夕張市で保存されてるそうです
むしろですよ
当時の東洋工業で赤をイメージカラーにしてたクルマがありました
2代目コスモ
1975年発売のスペシャリティカー
ルーチェと共用シャシーを持ちファーストバックのクーペスタイル
搭載エンジンは13B/12AのREと1.8L/2Lのレシプロの4タイプが設定された
いや~CMが何種類か制作されましたが
いずれも出てくるコスモは赤でしたからね
それとセットが しばたはつみ 歌唱のナンバー
これホントYouTubeで見てごらんなさいよ
当社の言ってることに間違いないから(笑)
ただ後に追加されたノッチバックVersionのコスモLは白がイメージカラーなんです
だからMAZDAは赤に限るとまでは言えないんですけど…(笑)
適材適所で赤を持ってくるのがウマイのは事実でして
この辺がラテン系ともいえるMAZDAだということを再認識したわけです
あっ!
今回は実際にハンドルを握ったことのないクルマであることと
よもやま話に近いところがあるので外伝という形態にさせていただきました