
スポーツカー親爺もクルマの「楽しさ≒愉しさ」について、ひとこと。
上の写真は、少し前にゴルフGLiを手放してしまった僕が、暮れから正月に掛けて足にするべく借りていた広報車のMINI ONE=ミニ・ワンのプロフィールですが、僕としてはミニのベーシックモデルであるにもかかわらずかなり低い車高、それにアンダーステア殺しを連想させる前下がりの姿勢が妙に気になりました。
そしてこのミニ・ワン、僕がクルマの愉しさの重要なファクターであると考える「低速官能」に大きなヒントを与えてくれたのです。
僕がいう「低速官能」は、渋滞に市街地を流しているときのような、ごく普通のドライビング操作しかしていない状態に生きてきます。つまり、ワインディングロードをクルマの限界近くまで追い込んで飛ばしているような状態とは、まったく逆のシチュエーションですね。
コーナーの連続をクルマの限界近くで攻めているというときのドライバーは、それがどんなクルマであるかにかかわらず、愉しいのです。ごく普通のクルマの代表として例えばカローラの名を挙げれば、箱根芦ノ湖スカイラインを本気で攻めていれば、それがカローラであっても、ドライバーは充分に愉しい。つまり飛ばしていれば、基本的にどんなクルマでもそれなりに愉しいんですね、よほど出来のひどいクルマでない限り。
じゃあ、都内の渋滞になかでカローラを走らせていて愉しいかというと、決してそうではない。場合によっては苦痛か、そうではないまでも退屈なのは間違いありません。
だから、同じ渋滞のなかを低速で流していても苦痛でも退屈でもないクルマ、例えば964C2GTのようなクルマを、「低速官能」のあるクルマだと僕はいいたいのです。
そこで、暮れから正月に掛けてミニ・ワンに乗っていたら、そこにも「低速官能」がちゃんあったのを発見したのでした。つまりミニ・ワン、都内を低速で流していても、なんだか愉しい気分にさせてくれるんですね、僕を。
しかも、964C2GTをはじめとするポルシェがそうであるように、多くのスポーツカーの低速官能の最大の要素はエンジンにあるんですが、ミニ・ワンはそうではなかった。実はミニ・ワンのエンジン、正直なところBMW主導で開発されたものとは思えないほど感覚的には退屈、あるいは普通なエンジンで、決して官能的ではないんです。
にもかかわらずミニ・ワンに低速官能が感じられたのは何故かというと、シャシーとボディが官能の主なファクターになっているんですね、このクルマの場合。メーカーいうところの「ゴーカート・フィール」を生み出すために締め上げられたサスペンションと、その動きを確実に受け留める剛性感溢れるボディが、ミニ・ワンにゆっくり走っていても愉しい低速官能を与えていると考えられるのです。
実はこれは凄いことなのです。何故ならそれは、エンジンが官能的でなくても低速官能に満ちたクルマを生み出すことができることを立証しているから。
そう、喩えパワーユニットが心地好さに満ちたポルシェ・フラット6でなくても、さらにいえばピストンの上下動が回転運動に変わってパワーを生み出すレシプロエンジンでなくても、表現を変えればパワーユニットが電気モーターであっても低速官能のあるクルマを生み出すことが可能であることをミニ・ワンは示している、と僕は実感したのであります。
つまり僕がスポーツカーに、さらにいえば魅力的なクルマに求める「低速官能」というファクターは、EVや燃料電池車の時代になっても実現可能であるということを、ミニ・ワンは教えてくれたのでありますね。
ただしそれを実現するには、聴覚を刺激するエンジンの咆哮や心地好いスロットルレスポンスの助けを借りられない分、ボディやシャシーの設計者やテストドライバーに、これまで以上に研ぎ澄まされた知性と感性を要求することになると思いますが。
Posted at 2009/01/07 10:07:37 | |
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