
福島第一原発も予断を許さないながら一部の原子炉に電源がつうじるなど作業の進展を見せ、地域によっては小学校が再開されて久しぶりに友達と会った生徒たちの愉しそうな笑顔が新聞の一面を飾るなど、今回の東北地方太平洋岸を中心とする大震災、依然として多くの方々が極めて厳しい状況を強いられているなかにも、復興の兆しが少し見え始めてきたようです。
そんななか、先週の木曜日から日曜日まで、2泊4日でスペインにいってきました。
同じ頃、メルセデス・ベンツもヨーロッパでプレス試乗会をやっていたようですが、僕が参加したのはアストンマーティンの試乗会で、日本から僕を含めて3人のジャーナリストが参加、さらにこの試乗会には後半組のプログラムもあって、そっちにも日本から3人がいっているはずです。
被災地が大変なことになっているときにヨーロッパまでスポーツカーに乗りにいくのは「不謹慎」ではないかと思わぬではなかったけれど、以前から決まっていた事柄であり、しかもこれは僕の仕事なので、いくことにしたわけです。
「不謹慎」の3文字に過剰に神経質になってやるべきことを取り止めるのは、もちろん事柄にもよるけれど、必ずしも正解ではないと思うからです。
というわけで、ちょっと勇気を出して日本を飛び立ったのですが、結果として、そうしてよかったと思いました。
アストンマーティンの2つのニューモデルが想像以上に魅力的なクルマだったことはこのさい別にしても、世界中からやってきたジャーナリストの多くが「日本は大丈夫か?」と尋ねてくれて、僕らの極東の島国が孤立しているわけではないことを実感することができたからです。
しかしその一方で、今回はエールフランスを使ってパリ経由でスペイン南部のマラガまで飛んでいったのですが、その帰路のパリ発成田便ではもうひとつの現実を突き付けられました。
まず席がこれまで経験したことがないほどガラガラに空いています。今、日本を訪れようという外国人などほとんど皆無なためで、乗っているのは僕らのようなヨーロッパから帰国する日本人が大半でした。
しかも帰路のエールフランス機は、いつものようにパリから成田に直行せず、韓国ソウルのインチョン空港に降りて、そこで1時間半ほどストップしたのです。
その理由は、そこでパイロットや客室乗務員といったクルーを交代させて、新たに乗り込んだクルーが成田まで飛び、そのまま成田に降りずにソウルに帰ってくるためなんですね。
つまり、日本人を含む自社のクルーを福島第一原発からの放射能汚染の危険性が想定される成田にステイさせず、ソウルを日本便のベースにするという考え方なわけです。
とはいえエールフランスはまだ成田まで飛んでくるからいい方で、ドイツのルフトハンザやイタリアのアリタリアは、同じくソウルでストップした後そこから成田には向かわず、より放射能の影響が少ないと想像される関空もしくは中部国際空港に飛んでいく航路をすでに運航しているといいます。
国連の専門機関である国際海事機関=IMOや、同じく国連の国際民間航空機関=ICAOが「(原発からの放射能漏れに起因する)日本への渡航制限はない」とする見解を発表し、世界保健機構=WHOも同様の見解を公表、さらに国際原子力機関=IAEAも「東京都内に健康上の危険はない」との評価を出しているにもかかわらず、外国の企業や機関が東京を避け始めているのは、いささか過剰反応であるように思えます。
それはそれとして、ソウルのインチョン空港を飛び立ったエールフランス機が午後7時過ぎ、すでにとっぷりと暮れた房総半島の上空に至って成田に向けて下降を始めたとき、眼下にいつもと同様に街の灯りが瞬いているのを目にしたときの安堵感は、なんともいえないものがありました。
抜けるように碧い空が頭上に広がっていたスペインはたしかに魅惑的だったけれど、僕の帰る場所はここしかないなと、あらためて思ったのであります。
さ、みんなで元気を出して、日本を「不謹慎」の3文字なんか気にすることなく大好きなクルマの話ができる国に、そして外国人や外国の企業が魅力を感じて積極的にやってくる国に、戻していこうじゃありませんか!
Posted at 2011/03/23 04:27:24 | |
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