この三連休を使って、いつもFBMでお世話になっていたペンション「あれ!あれ!」の八ヶ岳延長一周サイクルイベントに参加してきました。
あれ!あれ!はこの9月に営業が終わってしまうのですが、あれあれサイクリングのことは前から認識しており、一度は参加してみたいと思っていたのでした。
しかし、今回参加した八ヶ岳一周はただの一周ではなく、そもそも車山を基点とした八ヶ岳の一周のみならず、それに延長パックも追加した距離160km。標高差3500mの足に覚えのある方のライドでした。
一つ付け加えておきますと、元々は通常通りの八ヶ岳一周。距離130km。標高差2800mの予定でしたが、今回は参加者が私だけだったので、お願いして延長ルートにしていただきました。
このために、いろいろと準備を重ねてきたのです。
ガタが出たバイクを完璧に整備してもらったのは当たり前として、
この週末の仕事を回避するべく、本当にやれることはやりました。本当にすいません(?)
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# Day 1
さて、そんな状態で長野までドライブするのですから当然朝早く起きることはできず、私としてはお昼同然の4時に起きて5時出発。
そうですよね。もう5時なんて渋滞がすごいのです!
8時か9時には車山に入っているだろう。。。
高を括っていたのですが、見事に渋滞にはまりその予定は八王子を前にして早くも崩れました。
ようやく8時を過ぎて相模湖を越え、予定を組みなおしていた時でした。
家から出た手順を確認していると、忘れてはいけないものを忘れていることに気付きました。ボトルです。
考えました。
影響。代替策。
影響は多大です。ボトルがなければ走れるはずがありません。
代替策。
幸い車山はハイキング客がとても多い場所です。
売店にボトルの代わりになるものがあるかもしれない?
しかし、「元」山ヤの私に言わせると、自転車のボトルは登山の給水システムから大きく20年は遅れたシステムです。
あんな旧来なボトルは登山の世界からは既に絶命しています。これもダメ。
となるとボトルが買える場所を探す必要があります。
現在9時、場所は原村に入っていました。
諏訪地域のバイクショップは詳しくありません。
長野、松本地域のバイクショップで思い当たるところといえば、鈴木雷太氏のBikeRanchしか思い当たりませんでした。
泣く泣く、諏訪を通り越し、松本へ。
さて、一体今年何度目の松本か?
松本に着くと、BikeRanchの営業時間を調べました。営業開始は11時。
まだ1時間30分は時間があります。
松本に降り立つということは、初日のライドはツールド美ヶ原のコースと決めていました。
私の脚でゆっくり目で走って1時間30分。遅くとも11時には走り始めていたい。
それにはもっと早くから営業しているバイクショップを探す必要がありました。
幸い、検索でヒットしたのは19号線沿いのミタニサイクルで9時30分から営業していました。後であれあれのマスターに聞いた話では、業団のガチレーサーであったそうで。。。すぐさま急行してボトルを手に入れるとツールド美ヶ原スタート地点に向かいます。
異常に静かなスタート地点。
なぜこんな静かなのか?確かに違和感を感じていたのです。
ツールド美ヶ原は本当に好きなレースなので、違和感ありあり。
まあ、でも、その分静かに走れるというのはいいことです。
さあ。行きましょう。F○cking Go !
浅間温泉を駆け上がり、急激に細くなる登り。
そしていきなり始まる激坂区間!
今回は、激坂を走る想定ではなかったため、零戦に25-12Tのスプロケット。
もちろん登れるけどやっと登れるかなり厳しいギアです。
ダンシングでとにかく抑えながら、抑えながら登っていると、例の20%直線激坂の終了地点あたりに、何か白いぬりかべが鎮座しているようにも見える。
あれはなに?!
(涙)
俺の最強激坂が!
ダウン!
しばしボーゼンとする。
が、気持ちを入れ替える。
どうにもならない、次を探そう。
浅間温泉に降りると、偶然登ってくる若い夫婦を見かける。
「上に行くのですか?」
私はそう話しかけ。この先が通行止めであることを伝えた。
であれば仕方ありませんね。
私はきっとこの夫婦がそういってくださるのをニヤニヤしながら待っていました。
が。夫婦の次の行動に私は不安を感じてはじめていました。
なにやら地図を見始めたのです。
やめましょう。通行止めなのです。なにも行かなくていいじゃないですか?
というか。他のみんなも、行かないという決断を目にして、私はこの行為が敵前逃亡でなく、仕方がない、いや、戦略的撤退であると認めたかったのです。
確かに、美ヶ原の目前、それも激坂区間で帰ったとあれば、国に帰れば敵前逃亡、非国民と非難されても仕方がない行為でしょう。
ですが、これはどうしようにもできないのです。きっと次のチャンスで挽回できれば、その汚名も消えることでしょう。
私はその答えを待っていました。
夫婦は地図をみて次のように言いました。
「じゃあ、ここから行こうか?」
??
うそ、、だろ?
夫婦のその言葉に。私は目の前で何が起こっているのか理解できないでしました。
よく考えてみてください。
美ヶ原です。
最強激坂です。
途中区間が通行止めなのです。
なにも、行かなくても良いではありませんか?
既に青ざめた私とは対照的に、とても健康的な笑顔でここから登れそうです。
というお二人。
その道は美ヶ原のアップに使った道でした。
確かに美鈴湖まで行けそうです。
「その道は大方わかります。ご一緒してもよろしいでしょうか?」
是非にと同意を得ると、私はお二人をその道まで案内しました。
特に旦那様はサイクルロードレースに明るく、のぼりの最中今年のツールやらなにやらの話でとても盛り上がりました。
ですが、私は心の中で本当に上までいけるのか?もう不安でした。
というか美ヶ原まで行かなくて良いという期待を裏切り?
やっぱり、やらないとダメなのか?
とイヤイヤな感じであったことを告白します。
美鈴湖の管理センターで通行止めの詳細を確認すると、浅間温泉から美鈴湖までの区間が通行止めとの事でした。
うれしいでしょうか?
私は悲しかったです。いっそ、上までいけませんと言ってくださった方が良かった(泣)
なかなか姿が見えない夫婦を管理センターで待ち、その事実を夫婦に伝えました。
最後の望みは唯一つ。
そろそろ限界なので、今日は湖を見て松本に下ります。
そう言って下さるのではないか?
正直に白状すると、私はそれを期待していました。
その事実に、夫婦は俄然モチベーションがアップした模様でした。
こんなはずではなかった。。。
こうなったら、私も腹を括りましょう。
1人で行くのはさびしいし、この美しい美ヶ原を登って、目に刻んだのは道路のアスファルトの切れ目と、斜度と、パワーだけ、というのは容易に想像がつきます。あれあれサイクリングの事を考えると、今日は足を残す必要があります。
それなら、ゆっくりなペースでも、美ヶ原を登りたい。。。
やっと覚悟を決めると、夫婦に同行をお願いしてご一緒させていただくことになりました。
聞けば美ヶ原は初めてとの事でした。
確かに、それならばよほどな理由がない限り上りたいはずです。
「上の景色はこんなものじゃないですよ」
「もう少しで森林限界ですよ。もう着いたも同然ですよ」
思えばそればかり話しかけて上りました。
笑っちゃうものです。思えば美ヶ原ののぼりなんて、私はよく理解していないのです。
頭に入れているのは、どこで、どのくらいの斜度があり。
どこで補給ができて、どこで我慢すればよいのか。
どこで、どんな花が咲いていて、どこで、どんな景色が見えて。。。
そんなのまったく知りません。
このカーブは13%ある。ここを越えれば斜度が緩まる。
そんな事ばかり詳しいのです。
ペースをあわせて登り、景色をみて。
森の空気を楽しみながら登る。
今までにないスタイルですが、それも、本来山ヤとして好きなスタイルだったはずです。何か新しいものを発見させていただいたような気がしています。
ゴール地点までお二人をお連れして、
ご挨拶したのち、私はこれまでにない感じを持って浅間温泉に下りました。
二人では、ここまで登れなかった。と謝意を受けましたが、それは、私もまったく同じでした。
山ヤには、確かにハセツネカップのような山岳レースはありますが、競い合いなんてそもそもありません。
山を楽しむ。高山植物と会話をする。もともと私の山のスタイルだったはず。
ヒルクライムレースに出るのをやめたら、このコンペティションな世界からきっぱり足を洗おう。そう確認しました。
さ、浅間温泉に下ると、今度はClioで美ヶ原を登りなおします。
いつもの宿へ到着。
FBMでは、フランス車で一杯になるペンションビレッジですが、ここはいつもどおりの静かな場所でした。
Day 1の獲得標高は1800mでした。
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# Day 2
あれ!あれ!サイクリング「八ヶ岳一周」へ。
八ヶ岳一周の経験はあります。
ですが、それは小淵沢を基点とした、たったの100km、標高差も2000m程度のライドに過ぎません。
あれあれサイクリングそれも延長バージョンのそれは、距離160km。標高差3500mのルート。ツールドフランスの山岳ステージに出てきそうなものです。
八ヶ岳一周 延長バージョン
清里近辺の登っては降りての繰り返し、
まったく知らない馬越峠、
超級の麦草峠、
残った気力を全て奪い取るすずらん峠、
駄目押しの大門峠
一つ一つはまあまあな峠ですが、これを組み合わせるとサイクリストを亡き者にするために開発されたルートとしか思えません。
特に、私には今年のツールド八ヶ岳で無念のダウンを喫した麦草峠がトラウマです。
それに、昨年のFBMの時に大ハンガーノックで通過したすずらん峠にも良い思いいれはありません。
それらを頭に思い浮かべると、もう恐怖でしかありません。
本当にこのルートを走れるのか、不安でもあります。
そんな不安をよそに、車山を出発し大門峠をエコーラインまで下ります。
これから始まる序曲であり、この痛快な下りはまるで地獄へまっさかに落ちていくようでした。
私はそんな恐怖のためか、とにかくペースを抑えていました。
パワーをかけず、後半に体力を残すべく、セーブモード。
しかし、反時計回りのエコーラインは下り口調で、富士見に入るころにはインナートップ、ケイデンスは110rpm。引っ張られるように進む様はまるでセマス練の様相になっていました。
そうそう。。。
先日の「
美しい村」ライドの集大成として、
Day 3。東京への帰り道に富士見高原病院によって来ました。
想像とはまったく違った、町の中にある病院でした。
近年サナトリウムを取り壊し、建設途中の病棟を見てきたのですが、
確かに、この地域の総合的病院として、最新の建物が必要なのはすぐにわかりました。
来年新しい病棟が完成したら、その中にできるとアナウンスされている、サナトリウムの資料館を見に来たいです。
道の駅小淵沢で小休止することには、既に調子の悪さを感じていました。
たった1時間前に食事を取ったばかりなのに、空腹感があるのです。
このままではすぐにハンガーノックになってしまう。。。
大量に携行していた行動食を口にして、だましまだまし進みます。
道の駅こぶちざわのすぐ裏手にある三分一湧水です。
この後。私はしばし無言になり、血糖値があがるのを静かに待つのみでした。
正直言いますと、この時点でこの先に調子の面で不安を抱えていました。
JR最高高所にて。
この後、コンビニで第一昼食をとることができました。
これで、ハンガーノックの心配はなくなりました。正直ほっとしました。。。
さあ、野辺山を通過して本日最初の登り「馬越峠」へ。
まったくプロフィールも確認していない無知の峠です。
しかし上り始めてその斜度が丁度よく、ペダリングを意識しながら登りました。
乗鞍が終わっていらい、調子を落としていた私でしたが、このときひさしぶりに250~270wと良いときの調子を取り戻したライディングができました。
うれしかったです。元の自分を取り戻したかのようで、また自信が湧いてきました。
馬越峠を越えて麓の立岩湖にて。
今まで着た事のない場所です。ここまでの疲れを忘れて景色を楽しみました。
しかし、疲れを忘れたのはここまででした。
既に2000mは登っているのです。スタミナは正直言って1/3しか残っていませんでした。
佐久穂で第二昼食を取ると、あのトラウマのツールド八ヶ岳コースを登り始めました。
ただし、体をだましているとはいえ、残っているスタミナは1/3。
しかも、トラウマが作用しているのか、モチベーションは最悪。
自然と下を向く私。
マスターから、その記憶をここで書き換えるべきだ。とハッパをかけていただくのですが、もはや自閉症気味の私。
あの日の記憶がそのままロードされます。
信じられないスピードで進む先頭集団。
そのスピードに耐えられるのか?不安な私。
しかし、負けられない意地。。。
次第に落ちていく私。
我慢だけで何とか進む。
後輪がパンクしたような感触。
まるで進まなくなる。
出力が低下し、ギアを落とす。
自分に何が起こっているのか?まるで状況を読めない。
。。。
それは過去の記憶のはず。
しかし、今回も「それ」を忠実に再現してしまう。
次第にパワーが落ち、ただの疲れとは違う何かに襲われる。
それまで平坦に思えた道が、とたんに重くなる。
自分だけが取り残されたような感覚に襲われる。
後ろを見る。
まだ自分は走っているのか?
後ろを見る。
先ほどまで一緒だった集団に抜かれそうな恐怖に襲われる。
このトラウマに、やはり勝てないのか??
マスターが、必要以上にこのトラウマに取り付かれている私を気にかけ、
途中のドライブインでの休憩を提案してくださいました。
ドライブインに着くと、あの日と同じ、地べたに座り、下を向くのがやっと、最後の気力を振り絞って自動販売機でドリンクを買うと、マスターの到着を待つまで、いっそこのままの垂れるか?と思う私。
何とかバイクに乗る気力を取り戻すと、再び上り始める。
あの日とまったく同じ。
こんなのじゃ、来年のツールド八ヶ岳にはまったく出れる気がしない。
なにがダメで、どうすればよいのか?
そればかり考えていました。
そもそも、ここまで2000m以上登り、疲労困憊。スタミナも1/3しかない状態で登っているのですから、この状態はむしろ当たり前なのですがね。
それでも何とか麦草峠を上りました。
おかしいです。つい1ヶ月ほど前にも、自主練でここには来ているのですが、
今回はここに至る事が、まるで人並外れたことであるかのような気すらします。
しかし、私はこの時点で、終了なんてものはとっくの麓で迎えていて、
今ここで気を失ってよいといわれたら、喜んでビバーク(つまりそのまま疲労凍死)できる状態。
佐久穂で買ったジェルを口にして、あとはバイクにつかまるだけ。
でも、この後、非情な峠は続きます。
まず、すずらん峠。
昨年も車山に帰る途中、すずらん峠で見事にハンガーノックで体が動かなくなり、フランス車乗りの仲間と会話をすることで何とか気力だけ取り戻して帰れました。
今回は、疲れて補給食を食べる気力もなく、ボトルに手を伸ばす気力もなく、10度を下回っていた麦草峠で感触を失った手足。。。
残っているのは気力か?
違うね。
車山に帰らなければ行けないという事実だけ。
気力なんてもう1mmも残っていません。
この時点で3300mは上っているのですから。
すずらん峠手前の展望台にて。
もう、帰った。もう、車山に帰った。
もう、あの世へ帰った?か。。。
最後大門峠から車山までの登り、そして車山からペンションビレッジまでの登りなんて、落ち武者そのものでした。
Day 2の獲得標高は3500mでした。
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# Day 3
翌朝。
起きたら、窓から見える景色は車山でした。
どうやら、生きてる。そうか。。。
それならば、生きているうちに、最後の車山~車山肩ヒルクライムへ。
つい先日まで、ここのタイムトライアルレコードを持っていたのですが、
塗り替えられてしまった模様。
未来永劫塗り替えられることのないレコードを作って終わりたかったのですが、
力不足でした。
もちろん、この日はここまで上るのがやっとでした(笑)
これでDay 3の獲得標高は350m
3日間で5600m上りました。
あれ!あれ!では、すばらしい思い出を作ることができました。
それはいつでも私の胸の中にあります。
最後はお決まり、1人FBM。
ここがフラ車で一杯になるのは後1ヶ月後です。
残念ながら、今年FBMに行くかどうかは判りません。
仕事が重なるのと、それに車山に行く楽しみを一つ失ってしまいました。
しかし、FBMでは沢山のフランス車仲間に再会することができます。
機会を見つけて。。。
また、ヒルクライムかな?