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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2011年09月21日 イイね!

テレビも新聞も見ない人

テレビも新聞も見ない人テレビも新聞も見ない人がいます。
それは紛れもなく私です(笑)
天気予報ですら見ません。とはいえ、うまくできているもので、妻がテレビを見ている狭間にいたり、知人や友人の会話の内容を聴いたりして、なんとなく情報が入ってくるのですな。
なんとも、ハイパーな情報社会ではアリマセンカ。
遁世でもしない限り、情報は常に偏在しているのが現代社会なんですね。
「方丈記」や「徒然草」のような作品も、よくよく考えてみれば、世間のことを知悉していて、むしろそれがこれら随筆の売りだったりしますよね。
となると、遁世したとしても情報が遮断されるとは限らないということにもなりますね。
ただし、情報を吸収し、受け入れるかどうかという選択肢が我々にはあると私は考えています。私たちは主体的に情報を得たり、得なかったりすることができると考えるわけですが、なぜそう思うのかは割愛します。
なぜかということをどうしても知りたい方は私の銀行口座に千円を振り込んでください。PDFファイルにて詳しい理由を記したデータファイルを送ります(笑)

ということで、今現在台風が来ているということを昨日ようやく知りました(爆)
昨晩からの激しい雨を浴びて、「ああ、なんかきているな」とは思いましたが、そう思いつつ、ニューワイパーの試験走行をしていました。環八近くに用事があったもんで。
さて、00年の名古屋の大水害のときに、ちょうど名古屋市街に滞在しておりました。愛車のウィンカーユニットの交換作業をしていたら、いつの間にか道路が川のようになっていました。今回も詳しくは知りませんが、かなりの水害が出ている模様。
00年の水害のときはさすがにクルマも放置して、知人宅に避難したのですが、水が引いて関東に帰るという段になって、ちゃんとエンジンがかかったというのはさすがだなと思いました。タイヤの部分はほとんどすべて水に浸かっていたかと思いますが。
話が逸れましたが、要所要所で私はちゃんと安全に帰宅できるようになっているんだなということを実感した瞬間でした。

9・11事件のときに私は芝浦で働いていました。そのときに会社の先輩が「貿易センターが破壊された」と休憩中に話してくれたのですね。
破壊されたという割には音もしませんでしたし、妙だなと思っていたのですが、破壊されたのは周知のとおり、ニューヨークのWTCでした。浜松町の貿易センターでは無かったわけですね(笑)
とんだ笑い話(芝浦のその会社の中では)でしたが、情報というのはそれだけ主観的解釈の強いものです。
とはいえ、客観的な情報なんてものが存在することはないでしょう。情報自体が主観性を帯びる性質なのですから。事実をありのままに記すはずのジャーナリズムの世界ですら、ジャーナリズム個々の情報に対する受け止め方の違いがあります。
と、ここでメディア批判論を展開する気は毛頭なく、むしろマスメディア業界は金回りがよさげなので、積極的によいしょして癒着したいと考えているくらいですから(笑)

以上、具体例を示しながら情報が浴びざるを得ない性質を考察してみました。
しかしながら、私がここで考察したもの(≒情報)は読み手次第で異なる解釈があることでしょう。「さすがはワルさん、卓見です!」と評価してくださる人もいれば、「だらだらとくだらないことを書いて」と批判される方もおられるでしょう。
それで良いと思います。
ね?やはり情報って主体的にそして主観的に受け入れられるものでしょ?



Posted at 2011/09/21 11:26:01 | コメント(5) | トラックバック(0) | 思索 | ニュース
2011年09月21日 イイね!

女子中学生とお友達になってしまう時代

女子中学生とお友達になってしまう時代近年の地球社会の価値観というのは刻々と変化している。
実はみんカラ以外にやっているSNSでお友達ができたのだが、なんと相手は女子中学生。
もっとも、SNSの性格上からして別に相手が中学生でも問題はないし(年齢はあまり関係のないSNSとも言えるかもしれない)、私はそもそも年齢で交流関係を規定するのを好まない性格ゆえに、なおさら問題ないのであるが、実に不思議な気分だ。

お互いに甘い物好きということで、好きな食べ物を挙げてみたりしたのだが、私が中学生のときに今の私の年齢の人間とそういう話がきさくにできたかなというと、そんな機会は全くなかったといって良い。
PCの普及率も低かったし、インターネットというシステムが本格的に導入される前の時代であった。高校のときにようやくポケベルが普及し始めて、ませた女子が私にポケベルの番号を教えてくれたりしたのだが、どうにもこうにも面倒で結局は、卒業して一人暮らしを始めたときに、始めてポケベルを持った。しかもレンタルである。そんな時代に私は十代を過ごしたのだ。

こうした私の十代の頃に比して、彼女はたぶん年齢や世代という記号にはあまりこだわりがない世代なのだろう。
私はそういう世代が生まれたことを歓迎する。
なぜなら、私自身が年齢やら世代やらを気にして文章表現を工夫したり、配慮を示すということを好まない性格だから。

私は年長だからとか、年上だから云々という考えはあまり好まない。もっとも、ことさら若い奴が生意気を言うこともないと思うけれども。
小学生だろうと社会人だろうと私は等価に相手と対峙する。
そもそも、生命体として誕生した期間が早いか遅いかだけのことであり、お互いに敬いあうのは大切だが、年長の者が経験とかいう抽象的なものを手形のようにしていばりくさるような風潮は嫌いである。ガキが無鉄砲の名のもとに奔放に生きるというのも好きではないけれども。

我思うに、インターネット空間の中だけでも、年齢や性差を超越したコミュニケーションの在り方が普通になってきていいと思うんだよね。
それは何も年下が年上にタメ口を聞き、年上が年下に配慮を示す文章を記すという具合に狭く規定されるものではない。
年齢なんて関係がないんだ。その上でコミュニケーションをして相性の諾否等を判断すればいいのではないかと思う。

私の個人的な経験だが、私は胎児のときの産湯の記憶を覚えているんだ。そしてそのとき私は大人の言葉を発したつもりが、鳴き声しかでなくて、その瞬間にこの世の中とはそういうものなのかと思ったことがある。なんだか三島由紀夫みたいだけど。
だから、私はいわゆるガキ共にも敬意を払うし、コミュニケーションする上で子供扱いしたりはしない。一人の個として敬意を払っている。
私は胎児の産湯のときの記憶があるからなおさらそう思ってしまうのかもしれないが(別に信じる必要はありませんよ)。

人間存在としてこの世にある以上は本当に平等であって、それゆえに私はどんな人間存在であっても、同じように接していきたいと常日頃思っている。





Posted at 2011/09/21 03:07:42 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思索 | 日記
2011年09月14日 イイね!

我流自己中心主義

我流自己中心主義かつて私はマルクス主義者と言われたことがあります。
てっきり産経知識人だと思っていたのですが(笑)

私はマルクスについてとんと知らないんですよね。歴史の段階的発展論程度かな。
まあ、マルクス「主義者」といわれた時点で、カール・マルクスやエンゲルスの思想を奉じる者ではなく、レーニズムやスターリニズム、毛沢東主義やらの輩という意味になるのでしょうが。
それらについてはなおさら分かりません(笑)

そんな大文字のイデオロギーの時代も今や懐かしですね。私が学生のときだって、とうに冷戦は終結していましたし、学生運動の気配もあらかた霧消していましたが。
ただ、戦後民主主義批判の書物は割合と読んでいて、ゆえにこそ、マルクス主義者とは真逆だろうとも思うのですが、そうならないところが面白いですね。

ところで、私はマルクス主義もキャピタリズムも源流は体系的で秩序だったキリスト教的システムから派生しているようであり、それらを思想として論じるならば、少なくとも西洋合理主義を知らなきゃなあと思っていました。
いや、今思ったんですけどね(笑)
まあ、デカルトからポストモダンまで学習してみました。何を言ってるんだかよく分かりませんでしたが(笑)

デカルトからだいたい始まるとされる近代合理主義やアンチ合理主義をみていて考えたんです。
とある普遍的な基準を置き、そこから演繹的にシステムを組もうという考え方は、やはりキリスト教的(ユダヤ・イスラムでもよい)だなと思ったのです。
ヤーベ(アラー)という普遍絶対があり、そのなかで秩序だったシステムができる。
プロレタリアートの革命も、神の見えざる手も、社会福祉主義も、そこには理念があります。
明確な理念が遂行される社会。
ここに小気味良さがあるのでしょう。日本的あいまいさはありません。
大江さんなんかは、あいまいよりも明晰さが好きなんでしょうなあ。

昔の私は普遍を求めるところがあり(今もそうです)、あいまいさが大嫌いだったんですね。
だから、その昔に学生運動で騒いだ人たちが、卒業してから、さんざ批判していたキャピタリズムの巣窟である会社共同体に続々と入ったという事柄を知り、私はその変節ぶりが長らく許せなかったんですよ(笑)
転向とも呼べない。

未だによく分からないんです。本気で学生運動をして、本気で就職していったのは何故かということを。
功利的な計算を働かせたともいえますが、一方で日本は大東亜戦争のときのように右向け右で突っ走る面もある。
この不透明さは何だろうという疑問が未だにあります。

ただ、最近は自己中心主義を推し進めているので、斯様なことはエポケー(考えない)して、楽しくやっていこうとしています。
価値観は本当に多様であり、互いを理解するのも大事ですが、まずは互いを尊重し合うことが大事。人には人の数だけの生きざまや見解があるのだから、少なくともそれは許容しようと思い、今日に至るわけです。
それはある種の相対主義ともいえますが、一番大切にしたいのは自分で感じたことや、それを通じて考えたことだと思います。
これが私の自己中心主義です。いい考え方だな~(自画自賛・笑)
Posted at 2011/09/14 04:48:58 | コメント(5) | トラックバック(0) | 思索 | その他
2011年08月23日 イイね!

思考から感情、そして行動という順序

思考から感情、そして行動という順序
過日15日にけい378さん(以後、けいさんと記す)と初めてお会いしたときの模様を、同日にブログに記した。


空と緑 ~初めての顔合わせ~


この時点では場所を明かさなかったが、それはけいさんの丹念なフォトギャラの完成を待っていたのであった。
けいさんのブログを参照すれば、場所はすぐにわかるが、東京都下にある調布飛行場に隣接しているプロペラカフェという喫茶店と深大寺の二箇所を巡った。普段では体験できないようなプロペラ飛行機やヘリコプターを間近に垣間見たり、境内の涼しい風に吹かれながら地元の人と歓談したり、或いはその途中にけいさんとはクルマの話に限定せず、いろいろな話柄について楽しく歓談したように記憶している。
さして昔の事柄ではないけれども、妙に心が癒された心持ちがした。

最近の私は具体的な行動よりも思索を重視している。思考が整ってからこそ、良き行動ができるのではないかと思うからだ。この点、対外的な行動を放棄したかのようにみえる夏目漱石「それから」の主人公の代助とは様相を異にするのだが。それはともかくとして。
思索の基盤としては、やはり穏やかな精神(簡単に言えばリラックスしていること)が根底としてあることが大事だ。
従って、私の行動原理は、

思考→思考に対する感情の評価→具体的行動

という順序を踏むようにしている。

「何かをしなくてはならない」という思いは強迫観念だと思う。その根底にはネガティブな想いがあるから、何かを成し遂げたとしても満足感はあまりないように思える。
それならば、逆に思考の領域において、完全なる自分というのを想定しておけば、行動はその満足した思考に基づいてなされるものだから、自分にとって快な結果になるのは目に見えているのだ、と思う。
別に難しいことではなく、一般的に人間は行動をすることによって何かを得ようとする。それを私は思考を整えてから行動するという風に少しアレンジしているだけである。
私たちは行動をする。しかし、行動をする際の言説をよくよく見ていると、「~しなければいけない」とか「~が足りない」という欠落をベースとしていることが多いように思える。
そうではなくて、行動をするときは思考を整え、感情が楽しくいい気分になったときに行うほうがより自然
だと私は思うのだ。
「~をしたいな」とか「~できてわくわくする」と行動したときに考えていたほうがよほど健全ではないか。

けいさんとの初対面では、感情を楽しくいい気分にするということが完璧に遂行することができた。そして、そういう気分のときは不思議なもので、ますます相手が楽しくていい気分にさせてくれる。もちろん、その相手の方の資質もあるだろうが、その方の資質に焦点を当てるには、自分がまず楽しくていい気分になることが必要だと思う。

気分が落ち込んでいるときには気付かなかったことが気分がよくなることで気付くことがある。雑草の中に咲いている一輪の花に喜びと美しさを感じることはすさんだ感情下においては難しいだろう。気分がよくなり、肯定的な気分が充満しているからこそ、一輪の花に対して喜びや美しさを感じることができるのだ。
私はそう思う。

はい、そんな私の素晴らしい内面的洞察にイイね!をよろ乳首(笑)

Posted at 2011/08/23 22:59:01 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思索 | 日記
2011年07月29日 イイね!

人間心理考察《山モードと海モードとの違い》 ~コールマンの椅子に腰掛けながら~

人間心理考察《山モードと海モードとの違い》 ~コールマンの椅子に腰掛けながら~
書斎の椅子をコールマン製のものに変えてみた。
もう部屋の中にいるだけで、アウトドア気分というわけだ。
照明もほのかな橙色のものに変えてみようかな。
気分としては橙色のほのかさが、アウトドアという環境に似合っているように思える。

山間いの渓流や海でバーベキューをするのがいいかな。
渓流に足を浸しながら、絶えることのない清らかな水を静かに眺めるのもよし。
大海原の潮騒をBGMにして、白波に沿うように泳ぐのもよし。
後者ならナンパするという楽しみもある(爆)

そうそう。不思議なことなんだけれど、山というのはどちらかというと自分の内的なものが満腔としていて、山を登る楽しさや見晴らしの良い場所に到達したときの満足感がまず初めにくる。すれ違う登山者と気持ちの良い挨拶を交わすことはあるが、ナンパしようとは考えない。
ところが、海の場合は、広大な空と海がもたらす広漠な空間のためだろうか。開放的な自己が発露される。
もっとも、私はいつでもナンパを考えているわけでもなく(半ば冗談で書いているのだよ)、案外と淡泊なのだけれども(理由はわからない)、気分としては見知らぬ異性とのカジュアルな交流が、夏の海には似つかわしいように思える。自由闊達な人間の本性が発露されうる空間。それが夏の海なのではないだろうか。
異性との恋物語を歌う際にも、険しい山よりも海が似つかわしい。それも夏の開放的な海原が似合う。

どちらも魅力的である。
そして、それとは別に、山と海という二大自然における人間心理の違いというものにすごく興味がある。
十分に心理学の領域として考察されてもいいんじゃないかなと思う。
そして、そのことをネタにした本を出したら売れそうな気がする。



Posted at 2011/07/29 23:24:00 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思索 | 旅行/地域

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何シテル?   08/27 00:55
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