• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ワルめーら@Terryのブログ一覧

2011年07月27日 イイね!

扉を押してごらん

扉を押してごらん
ものすごく頑丈そうな扉があって、何度も何度も引っ張るけれどもウンともスンともいわない。この閉塞した部屋に閉じ込められたままで私はいるのだろうか。
いわゆる苦悩や不安に満ちた人は扉に閉じ込められたと考えている暗い部屋の住人だ。
試しに扉を押してみればいい。
実に簡単に扉が開くことがあるのではないか。
これって、単純なことのように思えるけれど、本当に単純。
視点を入れ替えればいいんだ。
人間はしばしばある種の固定した価値観を抱いている。そして、それは容易に変化しないと考えている。
そんなことはない。そんなものは一瞬で変わる。
扉を引くのを止せばいい。疲れるだけだ。
扉を押せばいい。力など入れなくとも自然に開く。
部屋の中には新鮮な空気が入ってくる。
一気に部屋の雰囲気は変わり、あなたはいい気分になるはずだ。

扉も何もない部屋に閉じ込められたって?
絶望感しかない?
ふむ、気が向いたらその扉のない部屋についても述べてみよう。
Posted at 2011/07/27 23:33:38 | コメント(3) | トラックバック(0) | 思索 | 暮らし/家族
2011年06月25日 イイね!

波動がすべてであります

波動がすべてでありますここのところ、ブログで度々話題にしている日帰りバス旅行当選の件ですが、今回は当選を引き寄せるコツを通じて、人生に起きる事柄が起きる理由について考えてみましょう。心を素直にしてみてくださいね。

実はバス旅行の応募は夫婦連名で行っており、投函は私がしました。応募に誘ったのは私でした。
なので、私も当たったとは言えるかもしれません。

それはともかくとして、応募の際のコツを心理的な側面から述べてみようと思います。

まず、応募するときは当選したときの様子を喜びを持って思い浮かべる。できれば、当選して既に旅行を堪能している有り様までイメージできればいいですね。ここで、未来に対する期待のエネルギーが生じます。

ここで重要なのは、期待をしつつも、当選を願って力まないことです。
応募したあとは、応募した事柄すらすっかり忘れるようなくらいだと丁度いいですね。

抽選は確率論ではなく、人付き合いと同じように捉えるといいと思います。
誰しも、力んでいる人よりも、何かに積極的な期待を持っている人のほうに近付きたいでしょう。
当選の女神も同様で、ランダムではなく、希望を持った人たちを誘うと思うのです。

さて、応募後に忘れるくらいが丁度よいと申し上げたのは、期待のエネルギーを持続させるためです。
忘却している間はエネルギーに変化はありません。だから、期待して忘れるのが、執着し過ぎなくて丁度良いのです。

科学的検証はしません。
まずは、なんとなくそうかもしれないなと感じていただければ、幸いです。
当選に限らず、願望はすべて引き寄せられることが経験的にわかるはずですから。

万物を微細に見ていけば、分子や原子と続き、やがて粒子になり、波動になります。
波動の特質は周波数が同じものと共鳴しあうことです。
これを応募行為に当てはめれば、当選するような波長に自分を合わせればいいだけです。

「類は友を呼ぶ」という言い回しがありますよね。
何か自分と似たような人間を引き寄せたり、同じような経験を続けてしまうということはありませんか?
波長が合致しているから、似たもの同士は引き寄せられ、波長パターンが変化しないからこそ、似たような経験をいつまでも繰り返したりするのだと思います。

感覚的に理解していただければ嬉しいです。
良い土曜日を!
Posted at 2011/06/25 13:07:20 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思索 | 暮らし/家族
2011年06月01日 イイね!

マイクロスリップ ~適応能力~

マイクロスリップ ~適応能力~
近所の書店で購入した『街場のアメリカ論』(内田樹著・文春文庫)を読んでいたときのこと。
読み始めゆえに、断定的なことは述べられないが、本書の中心論旨からはやや離れていると思われる箇所に面白い記述をみつけた。この箇所は、むしろ本書で考察する対象を見ていく方法論の比喩として述べられた感が強い。
興味のある方は上記書を参照されたい。
さて、その面白い記述箇所とやらを引用してみよう。

「すぐれたアスリートは身体と環境をなかなか決定しないで、決定を先送りする能力がある」(上記書43ページより引用)

たとえばイチロー選手のような卓越した野球選手は、バットがボールに接触する最後の最後の瞬間まで、最適な接触位置を決めるため、バットがずっと揺れているらしい。それでは、バットが揺れているということはどういう意味合いがあるのか。
すなわち、どんな球がきても融通が利くという優れた運動能力の証であるともいえる。ストレートがきてもカーブがきても柔軟にぎりぎりまで対処できる能力(決定をできるだけ先送りできる能力)のことといってもよいだろう。
こうした能力のことを「マイクロスリップ」というらしい。
内田氏自身が佐々木正人氏『ダーウィン的方法―運動からアフォーダンスへ』(岩波書店)から参照されたようだから、少なくともマイクロスリップとは何ぞやということを知る際には同書や関連書籍を参照するなり、ネットを参照するなりするのが適切だろう。
マイクロスリップという概念は上記に挙げたような、アスリートの決定先送り能力(最後の最後の瞬間まで最適な動作をすることができる能力)だけに留まらない、より広義な領域のようなので、ここでは詳細な言及はさておく。

なお、マイクロスリップを理解する際には、どうやら、アフォーダンスという考えを理解する必要がある。
博覧強記の松岡氏なりの個的理解かもしれないが、それでも紹介しておこう。
そして、まずリンク先の文章のなかで、面白いなと思った文章を引用してみよう。

紙はわれわれに何かを与えているのである。イメージをもたらしているだけではない。われわれに動作を促しているのだ。

この一文だけでは、ぎりぎりまで決定を先延ばしできる能力とどう繋がるのかがわからないかもしれないので、興味のある方はやはりリンク先を参照願いたい。
四捨五入的な大雑把な考えを肯定するのであれば、マイクロスリップとは、端的にアフォーダンスに修正を来たしたときに対応する動作の手続きといっても良いかもしれない。再び引用する。

アフォーダンス理論で「マイクロスリップ」とよばれている興味深い動作変更の手続きがある。たとえばサラダを挟む用具を初めて持とうとしたとき、うまくその用具が扱えないと、ただちにそれを指先が持ち変える。誰もがしていることだ。自動販売機にコインを入れようとして入りにくければ、すぐにコインを持つ角度を変える。

これで、優れたアスリート(イチロー)とマイクロスリップとの関連がかなり明瞭になったはずだ。
こうしたマイクロスリップというのは引用文を参照するまでもなく、われわれの日常にごくごく存在していることも同時に理解できるだろう。たとえば、とても固い蓋を持つ瓶を外すとき、私たちは手の力を増大させるために、手にひねりを加えた形に手の位置を変えているはずだ。もう片方の手も、蓋を外す力が集中できるように手はいつも以上にしっかりと瓶に添えられているはずだ。

ところで、対応能力(マイクロスリップ)に関しては個体差があるのかもしれない。
誰しもがイチローのような能力を保有しているわけではない。
しかし、どのアフォーダンスかによって、マイクロスリップの能力も人によって異なるだろうし、ゆえに、個体差については一切気にする必要もないし、マイクロスリップは経験(慣れ)によって補える部分が大きいはずだ。

たとえば、自動車の運転などがそうだろう。
考えてみれば、発進して適切なレーンを走行し、適切な箇所でブレーキをしたり曲がるだけでも大変なことだが、運転に慣れてしまえば、不意な事態が起きても、各人が持つマイクロスリップがうまく対応してくれる。
サーキットというアフォーダンスに接していれば、サーキットでのマイクロスリップが適切に行なわれやすいだろうし、勝手の知っている道路というアフォーダンスであるならば、まったく通ったことのない道路よりも、適切なマイクロスリップが発揮できるだろう。

さて、自動車の運転に関する例を最後に持ってきたが、アフォーダンスの理論により、自動車の運転環境に資する面が多いのではないかという希望を私は抱いている。
或いは既にアフォーダンスという認知の考えは自動車工学等で取り入れられているかもしれない。
最近の電子デバイスの氾濫に関しては、マイクロスリップの自動化として捉えられるかもしれない。そうした傾向については良いものだと私は思うが、やはりスポーツなどでマイクロスリップが重要な要素を果たすように(私がはまっているテニスもそうだ。出来る限りぎりぎりまで軌道修正できるようにすれば、もっと上達するはずだ)、最終的には人間自体のマイクロスリップという秘められた可能性を開花させる方向を私は支持したい。
人間自体の適応性を高めて、さらに電子デバイスによる適応性の自動化がなされれば鬼に金棒ではないか。

Posted at 2011/06/01 00:52:42 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思索 | クルマ
2011年05月24日 イイね!

お金についての考え方

お金についての考え方ご存知のとおり、ワタシはお金が大好きな人間でございます。
私のようなセレブ(笑)はお金を愛するくらいに好きなんです。
それは人間や動物に愛情を注ぐのと変わりません。

お金が好きといっても、厳密にいえば、お金を使って実現できるさまざまな豊かさや素晴らしい経験、喜びや楽しさを味わうのが好きなのですね。
もちろん、お金だけがすべてではなく、お金自体は価値中立的です。
お金を使わなくとも達成しうる幸せというものもごまんとあります。

さて、必要なお金の量というのは、社会的な価値観(常識)で決めるのでなく、自分次第だろうなと思っております。一億円欲しいという漠然とした欲求よりは、海外で音楽の勉強を存分にしたいから、一千万円欲しいと思うほうが、お金の求め方としては健全かなという気がしています。

これが手に入ったら気持ちいいだろうなと思うことを考えます。
たとえば、温泉に浸かって身体がリラックスしてきてとても心地よい様子をイメージします。最近は日帰り温泉が隆盛ですから、交通費を含めて二千円くらいで用足りるでしょう。
そんな感じで、いろいろと使うと気分のよくなる事柄を探し、その合計額がおそらく自分にとって必要なお金の量なのだと思います。

お金は目的ではなく手段です。
しかし手段だからと冷たく扱うのではなく、お金を愛してあげましょう。
手段(過程)はとても大切ですから。
人間は目的を達成したのち、必ず次の目的をたてます。
だから目的を実現する手段(過程)も生きている限りは永続的なものなのですよ。

ええ、今日もいいことを言いましたね、私(笑)


昨年は三浦半島を中心にオープンドライブを楽しみました。まぐろうまかったなぁ(じゅるじゅる)。ビートルは横浜のレンタカー屋さんでお借りしました。あれからまだ十ヵ月程度なんだな。。


先だって、105円(税込)で、大金を手に入れました。
ゆえに、心ウキウキ状態です。これらのお金をどのように用いようかなと考えようと思います。
おっと、画像を参照して、失笑しないように(笑)
想像上のお金でいいんです。心で考えたことは、潜在意識に心理パターンとして記憶され、実際のお金を運用するときにも反映されるようになりますから。
だから、私は子供銀行って侮れないと思うんですよ。
105円で金銭に対する心理パターンを変える手段にも成りうるのです。
大特価で葱が一本20円で売られているときよりも嬉しいとは思いませんか(笑)


Posted at 2011/05/24 20:17:05 | コメント(9) | トラックバック(0) | 思索 | 暮らし/家族
2011年05月18日 イイね!

調子がよく感じる 思考のベースは自分にあり《利己心のすすめ》

調子がよく感じる 思考のベースは自分にあり《利己心のすすめ》
最近、とみにはまっているテニスを楽しみつつも、先ほどはバッティングセンターにて
快音を響かせてきました。ものすごく調子がいいです。
久しぶりながら、ボールは柵越え連発です。まあ、実際はネット最奥・最高部直撃ですが、それはさておき、かつてのバースやローズもかくやという感じですね(笑)
ちなみに、私は長さの短い金属バットを使っています。
ボールがバットに当たったときのカキーンという音がたまりません。

さて、プロゴルファー石川遼選手がコラボしたというサポーターを最近装着しています。
実はかなり前から持っていたのですが、最近どういうわけか、このサポーターを左腕に巻くととても安心するんです。そして、テニスのスイングのときにせよ、バッティングにせよ、安心して楽しめるのです。それ以外のときも装着していると安心します。気分もとてもいいです。
また、実に不思議ですが、よく使用する右腕よりは左腕にしたほうがしっくりきます。
もともと左利きだったことも関係するのかどうかはわかりませんが、面白い現象です。

私は科学的実証性やプラシーボ効果といったことはあまり気にせず(いや、プラシーボは暗示効果だから、ポジティブな側面で活かせるなら活用したいです)、
単純にそこにあったり、装着していると気持ちいいなら、そうすればいいじゃないかと、単純に考えるタイプです。
ですので、しばらくはこのサポーターをごくごく単純に「よきもの」として、装着していると思います。

気分が良くなることや安心したりする人間の精神については、脳科学的な説明や心理学的な説明など、さまざまな観点から研究されています。
信仰を持った方ならば宗教的な側面からも説明できるかもしれませんし(広義には心理学の範疇としても扱えるかもしれません)、なかなかに奥深いです。
ただ、私としてはそうした分析も好きなのですが、「気分が良ければそれでいいのだ」、或いは、「安心できればそれでいいじゃないか」という具合に考えの比重を置くので、今の状況はとても良いと考えていますし、その良い状況を受け入れます。

結局は感情の問題なんですよね。気分の良さも安心ということもすべて感情が快か不快かという二択に集約できるでしょう。
それならば、感情をいかにいい方向に維持・発展していくのかを考えるほうが私は合理的だと思います。
哲学的な考察をしてしまえば、いい感情とは何ぞやといった形而上学の問題も浮上するでしょうし、人によって、いい感情というのは異なるかとは思います(ただし、一番根っこの部分では万物に共通のいい感情というのが存在すると私は考えます)。
ですので、このケースにおいても、あくまで私にとってのいい気分であり、私にとっての安心感という問題に過ぎません。
私という主観的世界の中で私が感じうる感覚(クオリア)であって、再現性や証明は不要ですし、不能でしょう。

しかしながら、とりあえずは私のように問題を自分に引き寄せて、自分にとっての価値や概念を考えてみたり、感じてみたりするというのは、重要ではないかなと思っています。
なぜならば、人々は幸福や自己の欲求の実現を求めています。こうした事柄を実現するときの気分は必ずいいはずです。一般的に気分のいいことや悪いこと、良いことや悪いことという区分はありますが、一番大事なのは、自分にとっての幸福や自己欲求の実現なので、まずは自分を軸足に置くべきかと思います。
それが自己中心的というのであれば、それでいいと思います。
自己がしっかり確立されてこそ、他者への思いやりや配慮が円滑になされるものだと思っていますから。
まずは自己の調和。
自分が風邪を引いているのに(不調和な状態)、もっとひどい風邪の人のところに看病に行くのってどこか変じゃないですか。
看病に来られた方も感謝はするかもしれませんが、風邪をもっとこじらせるかもしれませんし、風邪っぴきの方も風邪を悪化させるかもしれません。
利他心はとても尊いと思いますが、まずは利己心(巷いわれているエゴイズムとは異なる意味で、自分を軸足に考えるという意味です)について、思い馳せてはいかがでしょうか、なんてことを思っています。

それにしても、左腕に巻いていると安心するし、気分がいいわ~(笑)
運転するときの気分の良さも、構造としては同じような気がしますね♪

Posted at 2011/05/18 19:27:32 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思索 | 暮らし/家族

プロフィール

「おや、LFAじゃないの。」
何シテル?   08/27 22:31
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
34567 89
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

リンク・クリップ

トライアルC25さんのスズキ スイフトスポーツ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/10/16 23:35:54
April 6th,2024 エンジンオイル交換(エレメント○) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/07/31 22:58:43
子連れ向きの海水浴場 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/05/23 09:42:28

愛車一覧

スズキ スイフトスポーツ スズキ スイフトスポーツ
2025年5月26日納車🌸 赤黒2トーンのファイナルエディションです。Dオプを付けま ...
スバル インプレッサ WRX STI 涙目だけれど笑顔号 (スバル インプレッサ WRX STI)
36万キロエンジンオーバーホール歴無しの全国周遊マシン👍 黄色くラッピングされた給油口 ...
スズキ スイフトスポーツ 鈴木の運動車 (スズキ スイフトスポーツ)
ノーマルのスイフトに加えて、二代目のスイフトスポーツを購入。 5速マニュアルのチャンピオ ...
その他 なんでしょ その他 なんでしょ
令和のクルマも手に入れたので、時計の針を戻して、今度は久し振りに昭和を偲ぼうかとも思って ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation