
この時期は桃の季節らしく、甲府盆地で春先に美しく咲いていた桃の花の果実がいよいよ熟されて、私の五臓六腑に染み入る。
朝方、レンタカーを持ってきてくださった初老の方がいらっしゃった。
仕事を都度請け負って、配車するのだという。形態としては独立した個人事業主であろうか。
帰路はといえば、電車で帰れば余裕ということで、颯爽と徒歩で帰っていかれた。
「伝票は自分が書いたので、不要なら適当に捨ててくれ」という台詞を残しつつ。
ソビエトの計画経済は破綻したが、私の計画的な車両搬送・入替え計画は成功裡に終わったといってよかろう。
搬送のローダーが入りやすい場所にクルマを移動させて、後事を託す。
スターリンよ、余を見習うがよい。
それにしても人生で何十回、ローダーのお世話になっているんだろう。
いわゆる高品質と呼ばれている国産車ばかりを乗り継いできたものの、どうもローダーに縁があり、北は福島、西は名古屋でローダーのお世話になった。
見送ったしばらく後に、私もレンタカーで出発。コンクリートジャングルを駆け抜けていく。そしてお店に到着。
「見積もりは概算でも見当が付きません」
とのことだ。衆生の皆様にアンケートを出していたところ、半数の50パーセントの人たちが「あくまで修理」という選択をご回答された。
ここは民意を反映させようか。民主主義の多数決制度というものを私は好まないけれど、背中を押してくれるかのようである。
民主主義の多数決は多数派の専制を特にこの国では生み出すようだし、多数派の大きな声の意見に合している人たちは、それが絶対的な正義であると、あらゆる要素をエポケーして唱えているように思える。
「おまえはアホじゃ、ボケ」ということが平気で言えるし、そんなことが問題にならないような社会こそが理想である。
身分制社会では分をわきまえるという発想が根底としてあり、上のような問題は生じようがなかったと思われる。だからこそ、数十年も前から封建主義実現を目指すと呉智英が述べているわけだが、彼が提唱していた封建主義というのは、文字通りに江戸期とまったく同じ封建主義に戻すということではなく、差別も許容する明るい社会というところにその眼目があったはずだ。そしてまた、分をわきまえるからこそ、多数派が理想とするライフスタイルに合わせようと、好みでもなく、才覚もないのにも関わらず、もがき苦しむこともない。
各々には分を超えたことをするという発想がそもそもないのだから。
封建主義再建という言葉からして、奇矯な冗談を述べていると思っている人が多かったとは思うけれども、要は今の社会へのカウンターであり、ここ最近は呉智英の鋭い指摘と封建主義という言葉に込められた意図に対して大いに共感できる。
では、人間はあくまでその身分に従って生きろといえば、そんなことはなく、江戸期の封建主義と呼ばれる時代においても階層移動はあった。町人身分で士分に取り立てられるということは多々あったし、階層の移動などなくとも、エタ身分の浅草の弾左衛門(世襲名)の職掌範囲はまことに広大であった。
この日はつくば在で徒歩でぶらりと居酒屋に現れる先生と夜にお話をしたのだけれども、結局のところ、絶対にこのクルマがいいという情熱は私にはさほどにはなく、いろいろなクルマに乗りたいという意欲も高い。
例えば、一千万円掛けてもランエボを維持したいというような意欲はない。強い憧れを持つクルマがあるかと言われれば、「まあ、ないでしょう」と答えるほかない。
しかしながら、仮に売却してそれを原資にした額で欲しいクルマがあるかといえば無い。
ま、取り敢えず成り行き任せである。
ところで、人間は直線的な時間を生きようとしている。「過去→現在→未来」である。このベクトルというのは果たして普遍的なものなのだろうか。
過去も未来もある種の幻想ではないか。今現在が思考した妄想の産物ではないか。もっといえば、現在にいるという認識自体が幻想なのかもしれないけれど。
人間が直線的な時間を生きているというのは、実は近代人の特徴だそうで、時間という概念を持たない種族も世界にはあまたいる。
時間は幻想的なものなのだ。心理的なものなのだ。
だから、なすがままにした方が良い場合も多々ある。
なすがままに水戸街道を走ってみたけれど、存外に渋滞しやがったので、少し田舎に行こうということで、柏の布施弁天に詣で、東屋で蕎麦と
桃のスイーツを堪能した次第。テラス席ができる前から知っているけれど、ますます植生も豊かになり、実に心地よい空間だ。我が家もベランダは広いので、ここほどではなくとも、模倣できなくもないけれども、そこに面倒さを感じてしまう点で、私には余裕が無いのかもしれない。
首都圏の喧騒から離れてみようと思ったので、またしても利根川を越えて茨城県に入ってしまった(というか柏の布施からだと茨城はいわば世田谷の東急沿線から川崎に行くくらいに容易)。土浦の温泉(今回は泡風呂探訪が目的ではない)に向かう途上、
「結城三百石記念館」なる看板をあちこちで発見。結城?
たしかに、茨城には結城市があるが、ここは結城とはまったく離れている。
私でも作成できそうな程度の案内板で、それがいかなる記念館なのかという説明は見当も付かない。
ともあれ、これは神が導きたもう運命と思い、集落の狭い道を入っていく。
旧い農家があり、北海道から当地にいらしたという初老のMさんからいろいろとご説明を受けたり、雑談をしたりする。
来歴からいえば、今の結城市には結城氏という名族がいたのだけれど(家康の次男も養子に入っている家柄)、そこの某が侍身分を捨てて、当地に移住して、名主として暮らしたという。しかしながら、式台の玄関等は通常の農家では見られないほどに格式の高いものであり、三百石を賜っていたということで、結城三百石と呼称したのだという。もっとも、結城という氏を名乗り始めたのは、明治時代になってからだそうだが。
歴史に関心がなくとも、フクロウの雛が見かけられたりとまことにのんびりとした空間である。
また、歴史や民俗に関心を持つと、ここがいかに物持ちがよい宝の山であるのかがわかる。が、茨城の放置プレイ文化はここにも及んでいるらしく、予算も出ずに、藁葺屋根はついにトタン屋根に変えられてしまった。
つくばエキスプレスという都内まで一時間以内で行ける電車ができたのだから、
誘致したりするなどして資金を稼ぐという手もあるのだけれど、そういうことをしようとしないんだよな。
同じ思いはMさんも抱いているご様子で、茨城の県南地区は気候温暖で災害も少ないがゆえに、何かをしようという意識が極めて緩慢なのではないかという意味のことをおっしゃっておられたが、さもありなん。
が、都会住まいの人間からすると、このある種のずぼらさが羨ましくもあることも確かである。
東京からのいわば移民で、自動車書籍や雑誌、カタログの販売をされているお店に来訪。
店主さんに難しい質問をされてしまった。
「どうしてSUVが主流なんですかね。燃費がいいというわけではないですよね」
これは私も考えていて、今やほとんどのメーカーがSUVをリリースしているけれども、これほどまでに一分野として支持されて定着した理由が、店主や私にはわからないのだった。クロカン系の人たちが乗っているというわけでもないし、例えば、大容量のバッテリーを積んだりするときには便利だが、それはユーザー側の要請ではない。ミニバンほどに家庭感が剥き出しにされない程度に家庭空間を持ち込めるからだろうか。
SUVに対する好き嫌いではなく、単純素朴な疑問なのだ。
ちなみに、店主は「ハッチバックはまだいけるのではないでしょうか」と仰っていたが、コンパクトカークラスだけでしょうねとそのときに答えてしまった私。今考えれば、コンパクトカークラスのハッチバックはSUVの縮小であるとも見做せなくもない。
「昔のように、ボーイズレーサーが乗るという感じでは無くなりましたけれど」
さすがに鋭いところを付いているけれど、SUV隆盛の謎は未だに解けないでいる。
土浦の一角にひっそりと佇んでいる
超音波が発せられている温泉で身体をメンテ。三週連続で泡泡でもよかったけれど、夕食がてらにつくばの居酒屋(アルコール無し)に向かうことにする。東京にもよく行かれている常連さんとお話していると、ふらりと現れたのが件の先生であった。
ガラリと戸を開けたときの常連感が羨ましくもあった。
零時過ぎまで来店して、常磐道から首都高へ。どうも眠気がしてきたので駒形でひと眠りをして帰宅。
日曜日になっていたが、この日はこの日で様々なメイクドラマがあるといえば、あるのだけれど、いったん打ち止めにしておこう。
昨年、イオンで買ったソアラのTシャツを意図せずに着ていた私は、、
(73.5パーセントの確率で続く)