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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2023年06月29日 イイね!

懐かしいねえ 世田谷ご近所オフ

懐かしいねえ 世田谷ご近所オフインプ乗り同士で温泉に行ったときの記事を探そうとしたものの見つからず。
十年前ほど前のブログをいくつか発見。

世田谷ご近所オフかあ。懐かしい。
立ち上げたのは00年代中頃だと思う。

ご近所オフには昼の部と夜の部がありましたな。
たまに遠征で区外を出ることもあったり、遠くは群馬県から参加される方もいて面白かった。
また企画してみようかなあ。
集まるのだろうか。別に三台も集まれば充分なんだけど。

月日は百代のなんちゃら。
消息の無い方もいらっしゃれば、未だにみんカラにいる方もいらっしゃる。


この記事は、世田谷ご近所オフ ~ワルめーら欧州車を堪能~について書いています。
Posted at 2023/06/29 01:48:57 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思い出
2022年10月11日 イイね!

レコード喫茶・ハッチバックの集い・疑似富士山

レコード喫茶・ハッチバックの集い・疑似富士山栃木のレコード喫茶に赴くことにした。
「きちんと動きますよ」
マスター夫妻不在中にふとカセットデッキにアリスのカセットをいれて、動作確認。
冬になると雪で覆われるこの喫茶店に巡り合ったのは数年前のこと。
マスター夫妻は那須町のイベントに屋台を出しているとのことで不在。数年間お会いしていないので、店番の女性とマスターの奥さんのお姉さんに勧められ、会いにいくことにした。「絶対、あの青いクルマでわかるから」と。
ちなみに、マスターは国産旧車派で、乗用車ではセダン系、その他、トラックやバスも所有しており(保有台数不明)、謎めいた人でもある。
そんなわけで、近年は店番女性とよく雑談するようになったのだが、毎回、よく覚えていてくださる。記録より記憶。長嶋茂雄みたいだ。
ガキどもがじっとみている。エンジンをかけると僅かに手を振ってくるので、手を振り返す。色も大切だけれど、音も重要なのだ。人間には聴覚があるから。無音のクルマにはエンジニアリングの視点以外の何かが欠落している気がする。余談。
ガキたちにVサインをしたりして辞去。マスター夫妻のところに赴く。イベント終了前にビールが無くなってしまうほどの繁盛ぶりだったらしい。途中から四号高速を逸れて、茨城県の居酒屋でノンアルで談笑。それまでの北関東の山道は推して知るべし。都内に戻ってきたころには空が明るくなっていた。






















「奥多摩にいます」
Kさんからメッセージが届いていたので、いわゆる「放課後」に参加することにした。スカイライン以外、ハッチバックが勢ぞろい。しかも、どれも生活車として使用されることも多いハッチバックであり、それがこの放課後活動の見どころの一つでもあろうか。スイスポに関しては、青い車体に黄色いラッピングをすればいいのではという案も。いや、もう車体が黄色ですが。
















祝日の都心部の一般道は大概空いている。
二回連続でシェルのガスを入れて(金曜日は入れ過ぎて車内がガソリン臭くなった)、館山から源頼朝が勧請して創建されたという品川神社に向かう(近隣に同名の神社あり)。
江戸期に富士講、要は富士詣でが流行っていたのだが、実際に行けない人のために、疑似富士山が今の首都圏各地に作られた。疑似お遍路みたいなもので、便利なシステムである。ここの疑似富士山(明治初頭創建で新しい)は今現在でも眺めがよい。京急ファンにもお勧め。なお、神社裏手にひっそりと板垣退助の墓もあるが、気付く人がどれほどいるのだろうか。都心では珍しい無料駐車場はなにぶん狭い急坂を登るので、車高の低いクルマは諦めましょう。
レインボーブリッジの下層部分を経由して、東雲のアピットでしばし休憩。現行スイスポのパーツや書籍は実に豊富だ。安価で軽量で速く実用性もある上に、剛性や操舵感にも優れており、「安かろう」のクルマではないことも支持を受けている理由かと思われる。
日暮里に行くことにした。駅から少し離れると途端に駐車料金が安くなる。当地でフィールドワーク。こうして生の情報を掴んでいく。ネットでは獲得できない情報である。
なお、日暮里は太田道灌の山吹伝説の地の一つのようだ。ご存じであろうか。






(1292文字)
Posted at 2022/10/11 12:50:15 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思い出 | クルマ
2022年09月27日 イイね!

乗り物大好きおねえさん

乗り物大好きおねえさんおねえさんと聞いて、ただならぬ雰囲気をかぎ取った貴方、残念でした。
おねえさん系についてのあれこれは有料ブログにて写真と動画付きで綴っております。ジュニアを奮い立たせて、ご登録ください。
商用サイトだと間違えられそうなので、申し上げますが、商用ではなく、人間を幸福にするためのいわば私のボランタリーな精神から生み出されたものですので、お伝えしておきます。

最近、インプの屋根の白濁化が進行しております。加えて、撥水のノリが悪くなってきたので、この辺りを含めて、メンテをしてきました。屋根やボンネットとサイドの色味が異なりますし、比較的紫外線の浴びない環境で保管しているとはいえ、それ相応に浴びているんだなと思っています。









その後、タラフマラサンダルに履き替えて、昭和の時代がそのまま根付いている中華料理屋さんで昼食。昭和63年の駒沢公園前の駒沢通りを写しているカレンダーがあったので、「懐かしいですね」と思わず述べてしまいました。
が、奥さんはまったく意識していなかったらしく(ご主人は出前に行かれました)、変わらないお店というのは、過去のことについての特別な関心というのが希薄なのだと思います。だから、自然に昭和な雰囲気のままのお店が残るという道理になるような気がしました。





















閑話休題。先日の丸目インプ試乗でピックアップがいいクルマなんだなということに気付き、といって大掛かりな作業もしたくないので、お手軽な減衰調整をしてみることにしました。

ハイパワーターボスポーツ四駆試乗会とライン交換お願いできますか



※助手席側のつまみが渋くなってきたなあ。



やはり、現状の減衰でベストだったのかなあ。結局、フロントがごく普通で、リアを少々硬めにするセッティングにしました。
ということは、フロントのバネは素早く伸び縮みすることになり、ハンドリングとしてはクイックとはいえないということにもなるかと思います。
ただ、段差は拾いにくくなり、扱いやすくなるのだろうと思われます。

むろん、こんな単純な要素だけは決まりませんし、32段の車高調で調整した程度ですが、そのことを前提に。
一方。リアはゆっくりとバネが伸び縮みすることになりますよね。てことは、抑え込む力が強くなり、段差にのるとサスは一気に縮む方向になります(極端に固めた場合)。
うーん、どうして、フロントを柔らかめにしてリアを硬めにするのが一番、しっくりくるのかについてはよくわかりませーん。
一ついえるのは、顕著なクイックさはドライビングに求めていないということでしょう。インプレッサのクイックステアリングの挙動は本当にクイックなので、
もう少し、落ち着きをもたせたいと考えているのだと思います。
ステアリングも小径のものですし。

シフトフィールは相変わらずカチッときまります。一方でやはり初動の重さを感じてしまいます。二千回転を素早く超えないと、遅さを感じてしまいます。
あの丸目にはその重さが無かった気がするんですよね。
むろん、基本的にはめちゃくちゃ速いです。特にタービンをずっと回すような運転をしていれば、超速いです。が、現実的ではありませんね。サーキットに通うことはインプでは考えていません。

まあ、天気もいいのでセッティングという崇高な目的のために第三京浜や首都高(神奈川区間のみ)を利用しました。
が、ふと横浜のニスモ本社の近くにある日産エンジンミュージアムのことが頭をよぎり、立ち寄ってみることにしました。横浜工場にあります。
ちなみに、ミュージアムの建物は文化遺産にもなっています。












この日はイオンで以前に買ったダットサンと書かれたTシャツを着ていました。
昔はアニエスベー(フランス語表記を忘れました)のものが好きだったのですが、モード系にするには気温が高かったので白色のダットサンTシャツを着ていました。
受付の女性に「ダットサンですね!」と言われて当初はきょとんとしていた私でしたが、それをきっかけにいろいろとお話をさせていただきました。
クルマに限らず乗り物が大好きな方のようです。ダットサンがイチ押しとのことでしたので、写真のモデルをお願いしました。








R35のT-SPECが置いてありました。気難しそうな顔をした白人が目を向けています。「写真を撮ってくれます?」とのことなのでパチリ。スペンサーという名前だそうです。最後にNice to meet you. Nice to meet you,too.とやり取りして、
エンジンを観に行きますが、閉館時間も閉まってきたので、ざっと眺めるに留めて、日産の歴史コーナーに行きます。横浜工場内で初代のフェアレディZの車内発表会があったようで、そのときのことが模型で表現されており、それがもっとも印象的でした。






































帰り際はご挨拶だけして帰ろうと思ったのですが、いろいろとお声がけくださり、クルマの話に関しては、「スカイラインとGT-Rというのは別物なのでしょうか」というかなり深い質問をいただいたので、プリンス自動車の初代からに至る歴史を琵琶語りでお話させていただきました。
私自身もスカイラインやGT-Rを見直すいい機会となり、感謝しています。

別の女性スタッフの方ともお話をしたのですが、インプの姿というのは、いわゆるスポーツカー的に捉えられるようで、印象を規定するのは、遺伝なのか環境なのか人間に普遍的なイデア的なものがあるのかどうかという私の思索を深めさせていただきました。今度は早い時間に来たいと思います。
警備の方もいつもよくしてくださり、ありがとうございます。まだ、二度目の来訪ですが(笑)

で、そのあとに大黒に向かうのですが、有名な大黒パーキングエリアではありません。
大黒海釣り公園です。ここは知っている方が少ないかと思います。のんびりと海を眺めたいならここがおススメですね。たしかに横浜の市街地の海はとてもきれいなのですが、B級感とのどかさがあっていいですね。ベイブリッジと富士山、ランドマークタワーを一堂に見ることができます。
B級ということであれば、横浜港シンボルタワーもおススメしておきます。





















































セッティングのために(笑)、いわゆる大黒に向かいます。
すると、昨日、チバラギで出会ったシムカが置いてあります。お声掛けさせていただきました。
よくあることかもしれませんが、和田公園と大黒パーキングなので、ギャップを感じてしまいます。お友達との待ち合わせがあるようでしたので、私もセッティング走行のため、大黒を後にしました(笑)



















話は変わりますが、八月に亡くなった義父のワゴンRを廃車しました。
生前の義父が懇意にさせていただいた自動車屋さんに預けていましたが、二人で悩んだ挙句に廃車にすることになりました。都心住まいでなければ引き取っていたかもしれません。実は都内の月極駐車場の打診をしたことがあります。乗らないと朽ちるだけですし、雪国スペシャルにするにしても、冬はスタッドレスに変えなければなりません。が、縁がありませんでした。
最終的には家内の意思を尊重することにしました。一万円で買い取ってくださったようなので、御の字ではないかと思います。




というわけで、「乗り物大好きおねえさん」の本編をお読みになりたい方は、
別途、登録が必要になりますので、ヨロシコシコです!

















































Posted at 2022/09/27 13:54:39 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思い出 | クルマ
2022年08月29日 イイね!

房総駱駝 飲め飲め地元祭 イチジクのかき氷

房総駱駝 飲め飲め地元祭 イチジクのかき氷【房総駱駝なるもの】
房総駱駝と漢字四文字で書くと、古えの西域地方に生息していた駱駝を彷彿させてくれ、非常に歴史的浪漫をそそるのだけれども、千葉県外房にある御宿で、駱駝がなんちゃらの詩を謡った等で御宿の名をたからしめている駱駝のことを述べているに過ぎない。しかも、駱駝はたしか常駐はしておらず、駱駝の像があるだけ。という程度の認識しかないのだけれど、御宿自体は好きだ。

【サザエが蓋をしたごとく】
御宿は太平洋に面しあらあらしい波を堪能することができる。
幼少期は湘南や伊豆、内房でなければ、外房や福島いわきなどの外洋で海水浴をすることがもっぱらで、海といえば、あらあらしく波しぶきをあげるイメージが浮かんでくる。波の引きも強力でいわき辺りでは盆を過ぎると、海岸沿いの施設自体がサザエが蓋をしたごとく、おとなしくなっていたことを覚えている。
江の島辺りの密密密とおよそ好対照であった。
香川出身で愛媛在のとある執筆者は、私を松山郊外の海際に誘い、島が無数に浮かぶ瀬戸内海こそが、海であるといっていたが、そのように環境が人間の価値観を規定するのだろう。




















【初の機械洗車】
目指したわけではないけれど、結果的に、というか、ともかく夕方に御宿に着いたのだが、水着の持ち合わせが無かったので、サンダルに履き替えて海岸線と多少の浅瀬を歩いた。
そこは太平洋の波らしく、きまぐれに腰のあたりまでうねりを挙げてきたりする。最終的には昔ながらの銭湯を改修しきれていない(それゆえにグーグルマップで低評価を得ていた)木更津のお風呂で潮っ気を落とし、そして、インプレッサも初の機械洗車で省力化。
もはや、手洗いにこだわるわけではないけれども、あの巨大なエアインテークとリアスポがあるので、なんとなく自分では機械洗車をしにくかった。ついでにいえば、サイドバイザーの割れているし、云々云々、まあ、旧いクルマなのである。
アクアラインをゆっくり走行しても木更津市街から一時間ほどで帰宅できる。木更津はウチから思いのほか近いのだ。外環道ができたとはいえ、関宿や銚子の人が木更津に行くとすればかなり大変だもんね。




【実は薔薇十字団の】
実はこの日は太宰治が逗留時に通っていた甲府の銭湯に行こうかなとか、あれこれ思案していたのだけれど、天気予報をチェックした結果、房総が良いという結論に達した。道が渋滞していたりして、結局は房総半島をアクアライン経由でないルートで向かうことにした。
23区でも城南地区住まいの私にはかなりの迂回路なのだけれど、
考えてみれば、昔は東京湾フェリーを使用するか、ぐるりと東京湾を一周して、ようやく館山や鴨川、九十九里などに行っていたものだった。
なお、フリーメーソンにも影響を与えたとされる薔薇十字団は姿を変え、ここ房総の地にも逗留していたそうで、そのことも久方ぶりの房総行きを私に決意させたのであった。ま、薔薇十字団の痕跡が日本にあるはずもないけれどね。すなわち、うそぴょん。






















【ずっとバック いや~ん】
房総の内陸部は離合は可能だけれども、やや狭めの道路が縦横無尽に走っていて私好みであるが、そういう営みをすっかり忘れてしまっていた。久しぶりに挿入しようとしたけれど、どっちがどっちの穴だっけみたいな一瞬の戸惑いを見せる程度には久方ぶりであった。
昔はガンガンと狭い道を突っ込んでいったものだけれど、特にインプレッサでは保守的な運転をするようになってしまい、これではアカンと思い、房総半島内陸部に無数にある狭い道(西日本の酷道に比べればかわいいもの)をチャレンジすることにした。久しぶりにUターンもできない道路に出くわし、数キロバック。
しかし、諦めずに外房の某ダムにも立ち寄ったりした。
















【かなり】
翌日は夕方くらいまで家に籠っていた。が、散策だけでもしておこうと外へ出ると、久し振りに祭が開催されていた。
先週に土浦の居酒屋で飲んだばかりであったが、飲酒解禁。勢いで同じく近所の居酒屋で飲み直し。随分飲んだかも。
祭に関しては、若年層が中心になって企画したものだと思う。基本的に若い街なのである。いわゆるおしゃれな雰囲気が漂っているのだけれど、東京音頭をみんなで踊るような盆踊り大会のようなものを個人的には好んでいる。が、場所がないか、我が街は。























【イチジクのかき氷】
月曜日は少し前から千葉にある布施弁天の東屋に行こうという話になっていたので、またもやインプを始動。桃の季節は終わったようだが、イチジクが本日から入荷したようで、値段は千円を優に超えるけれども、食べてきたぜ。イチジクのかき氷を。
そのうちに、どんどん涼しくなってきて、おそらく九月下旬くらいの涼風が吹くようになったが、そんなときに熱いお茶を持ってきていただくお心遣いがありがたい。ここは赤いロードスターで初来訪して以来、ちょくちょく訪れており、顔を覚えられるくらいにはなった。当初は高台から筑波の山々を眺めたりする心地の良い風致が特徴であったが、さらにテラスを新築し、植生物をセンスよく配置することで、すっかり人気店になったようだ。




















































【ああ、また】
筑波山は利根川の後ろに鎮座している。もう隣は茨城県で、柏市でも外れの地域にあるがゆえに、柏市街よりも、茨城(守谷等)との結びつきが強い。
「ああ、また茨城か」
と心中思いつつも、利根川越え。
で、勢いで筑波山を目指すも、長居をする暇が無かったので、つくばエクスプレスの万博記念公園駅(秋葉原まで直通)駅前の駐車場入口のポストにお金を入れて、ホテル隣の喫茶店でしばし寛ぐ。
が、例の方は現れなかった(笑)
To my regret,the man never showed up..
なお、岡本太郎の作品についてはよくわからないけれど、彼の考え方にはとても共鳴していることをお伝えしておこう。


















【85年の思い出】
つくばといえば、1985年のつくば科学万博のことは今でも思い出すなあ。閑散としたチュニジア館のことを(笑)
神奈川(87年にバブル前夜の東京に越してきたのであった)から遥々つくばまで来たものの、人気パビリオンは人があふれかえっていて、空いているところに入ろうということで、チュニジア館に入ったわけだけれど、私とアラブとの接点は或いはこのときが原点なのかもしれない。
トルコからエジプトまで中東の人たちとは随分と仲良くなったし、アフガニスタンやパキスタンといった人たちのアパートで民族料理を振舞ってもらったりもした。その後はイラン大使館やトルコのジャーミーに行く機会もできたのだから、
チュニジアという地中海沿いのイスラム国の一つのことを印象深く刻んだことは私の人格形成に何ほどかを与えたに違いない。






【メシ】
つくば市のはずれにある「笹」でカツを食す。ここも、試乗会から宿泊先に向かうときに見つけた場所で、散策ツアーのコースでも向かったお店である。
閉店間際で入れないかなと思ったけれども、セーフ。
水海道(みつかいどう)駅の看板を見て電話をしてみたが、別のところに繋がってしまった。
水海道かあ。いかにも豊穣、過分に豊穣であるがゆえに、龍のような荒々しさで、水流が陸地を浸食していく様が想像される地名である。竜ヶ崎という地名も布施弁天で龍の伝説があるのも、関東がいかに水浸しだったかということを傍証としているような気がする。関東が沃野となったのは江戸になってからと云われているが、今でも水海道の辺りは洪水に見舞われることがある。























【佐竹は美人を】
てことで、またもや、茨城である。
鎌倉時代には既に常陸の国に盤踞していた佐竹氏は関ヶ原の戦いののち、秋田に移封されてしまう。秋田に行くとクオリティの高さにびっくりする。
、関ヶ原の戦いで西軍の実質的中枢であった石田三成と懇意であった佐竹氏が秋田にいざ移るときの伝説が私にはおもしろおかしいのだ。
佐竹は秋田移封の腹いせとして、領内の女性のうち、美人だけを秋田に引き連れたというもので、こういう面白い言い伝えをポリティカルなんとか等で、滅却されていくのは本意ではない。
仙台・水戸・名古屋の日本三大ブスという虚構的なからかいも近頃は聞かれなくなったし、イケメンという言葉が許容されるのであれば、ブスなんて言葉はなんともないと思っている。当人の前で言うのは憚られるけれども。

【擬制】
ちなみに、「美人=よい」とは思っていないけれども、逆に悪いとも思っていない。
そんなものはどっちでもいい。
ともあれ、秋田美人が輩出される理由としては、一年の日照時間の短さや大陸との関係性を指摘する声もあるが、これは興味があって、個々人の好みはあるとは思うけれども、秋田のレベルは断トツで、何が言いたいかというと、地域性と美人(多分に主観や歴史的・地域的な美人の概念により規定はされる)に興味があるのだ。
人間の属性などどうでもいい。
どこからどこまでがその人間の境界線なんだ?
属性は言葉と同様、便宜的に対象を区分けするために構築された擬制に過ぎない。


















Posted at 2022/08/30 00:51:47 | コメント(3) | トラックバック(0) | 思い出 | クルマ
2022年08月22日 イイね!

千葉も茨城も 千葉編 三里塚とかつての成田空港駅

千葉も茨城も 千葉編 三里塚とかつての成田空港駅千葉に対して最大限尊敬している私は、千葉に対してエピソードを交えて最大限の賛辞を記したつもりでした。偉大なる異界であります。

千葉も茨城も 茨城編 朝まで土浦・仮釈放・夜も土浦

『「東京」「ドイツ」「村」なんていうネーミングを些かの衒いもなく使用する千葉は私にとって異界でした。
当時の足車であったホンダのNS-1で江戸川を越えて市川に入るとマックスコーヒーという甘ったるい飲料がほぼすべての自販機に設置されており、東京東部(なかなかなハードボイルワンダーランドでした)以上にやる気のあるヤンキーさん達が闊歩しており、バブル期に親父が佐倉の新築物件の抽選申し込みに行ったときに、私は「あんだてめぇ、どっからきたんだぁぁ」という勇ましい掛け声をお声がけしてくださりました。異界の人にもコミュニケーションを取ろうとする千葉の人たちの温かみを知ることができたというわけです。
さすがは鎌倉以前からの豪族千葉氏が盤踞していた土地柄だなと感心しました。
ちなみに、抽選には当たりませんでした。億ションと化していた実家からフロンティアスピリッツで歩みだすという人生経験をすることはありませんでした。』

臆面も無く、というよりも、ネズミ島はともかく、その他の地域の折々で、「東京」という符牒をごくごく自然に使用している点に、素直さや純朴さを看取しています。千葉県は北から下総・上総・安房という三つの国に分かれていましたが、古来、武蔵国(東京・埼玉・川崎市・横浜市)よりも先進的な地域であった可能性が高いとされています。昔は舟運が主流であり、また家康の江戸入部までは関東平野はどろどろべちゃべちゃな大湿地帯だったので、たとえば、江戸や品川の湊よりも、木更津等にいったん辿り着いてから、下野(栃木)や常陸(茨城の大部分)、上野(群馬)と交通することの方がどうも主流だったらしいです。
東京なんて、明治になってからできた人工的な地名なんですから、チバリーヒルズや千葉フォルニアのように、どうか自信をもって「千葉」という名称を使っていただきたい。
鎌倉期以前から盤踞している豪族千葉氏は板橋辺りも勢力下に収めており、力関係は今とは真逆。

昔、ペリーが浦賀ではなく木更津に上陸していたらと嘆息していた千葉県民の方がいましたが、ここは面白いところで、その後は陸路も発達するので、いずれにしても神奈川が発展していたでしょうし、仮に発展していても、今のような格安な土地の値段は生じえなかったことでしょう。
アクアラインができる前は半島経済という言葉もあったくらいでしたし、半島は陸が交通のメインになるとどうしても不利になってしまいます。

昔、千葉の我孫子に母方の祖父母が住んでおり、クルマ(KP61か赤いファミリアだったと思います)で我孫子に向かう途上、成田近辺を通過するときに、とても厳しい検問が行なわれていたのが印象的でそれ以来、三里塚というのは気になっていました。
実際に20年くらい前までは三里塚の空港建設反対派のニュースが割合と頻繁に流れてきましたし、とても気になっていました。

数年前に三里塚公園という小さな公園を見つけて、立ち寄ったところ、闘争とは別にして、かなりの枢要な地であることがわかりました。また、みん友さんのお住まいがあることもわかりました(笑)
三里塚には和洋折衷型の皇族の迎賓館があり、昭和40年代まで使用されていたようです。外観だけなら見学することができますし、見学する気がなくとも、ボランティアの方にナンパされます(笑)



















また、今の上皇が皇太子だった戦時中、皇太子用に防空壕が建てられたことも事実のようです。実際に上皇が立ち寄ったという記録は残されていないのですが、
ともあれ、残されていて、こちらも見学可能です。
どうも、東条英機の反対で上皇が三里塚に避難することは取りやめになったという話もあるようなのですが。九十九里浜から米軍が上陸するという憶測も当時あったみたいですしね。










































空港が隣接している今となってはこじんまりとしたのんびりした公園ですけれど、歴史の一断面が濃縮に詰まっているんですね。資料館もあります。











続いて、私がずっと行きたくて行けなかった芝山鉄道線で東成田駅に行くという夢がかないました(前回は芝山千代田駅の駐車場付近のタイヤトラブルで、紆余曲折があり、結果的に中2さんにお会いすることになりました)。東成田駅というのは以前は成田空港駅と呼ばれ、殷賑をきわめていたようで、私も利用したことがあるかもしれません。覚えていませんが。
今は閑散としており、成田空港駅時代のままの状態(手入れはしているものと思います)で、ホーム一面が時代からぽつんと取り残されている様子を見ることができます。
ちなみに、東成田駅は今でも運行されていますが、列車の到着を知らせるアナウンスは一切ないので、くれぐれも白線の内側に下がったままにしてくださいね(笑)
今でも駅として残されているのは、需要がゼロというわけではないからですが、まあ、空港に向かう駅だった頃に比べれば、非常に寂しく、朽ちかけ始めているエスカレーター等もあります。もともと芝山鉄道線自体が空港建設用地提供の代償として鉄道建設された路線なので(ただ、現在でも芝山千代田駅までしか伸びておらず、今後伸びる可能性はゼロに近いかと思います)、その辺りにも成田空港建設にまつわる政治性や歴史性を感じられます。
近頃では乗車記念証の配布(無料)や記念乗車券も販売しており、京成とつながっているので、都心へのアクセスも(結局、東京か)良好なので、変わっていく可能性もあります。
廃墟的なものを期待する方には物足りないかなと思いました。が、空港建設にまつわる政治性や歴史性も堪能したい向きにはお勧めできます。
なお、東成田駅ではICカードが使えますが、芝山千代田駅では一切使えず、
次回、私がどこかのICカード対応の鉄道に乗るときはそのことを申告しなければなりません(笑)



















































































もう一点、今の私は反体制の闘争が好きなんです。昔はそういう騒ぎ(?)があまり好きではありませんでした。だいたいにおいて中核やら革マル系やらが絡んでいましたし。ただ、今は政府の失態に関してもせいぜい茶の間で批判する程度で、どうにもこうにもなすがままにされているとしか思えません。それで国民国家が崩壊するのであれば、私としてはよろこばしきことですが(国民国家の歴史もせいぜいナポレオンが活躍して以後のことで、そこに歴史的普遍性はないと思います。国民というのは作られた存在に過ぎません)。

三里塚闘争

というわけで、茨城とは異なり、千葉では、成田空港というものをテーマに散策していたわけです。今では新東京国際空港って言わないんでしたっけ?
東京という符牒が無くなったことは千葉らしくないかもしれませんが、千葉のオリジナリティを高める意味ではよいことかもしれません。
しかしながら、逆にいえば、羽田空港に国際空港としても役割をどんどん奪われるわけで、そうなるとあの辺を喜び勇んでいくのは、適度なワインディングが続く道を走りながら、三里塚闘争時代を偲ぶ私のような人間だけということになるような気もします。

富里のでっかい施設の傍を通りました。もしも、成田空港の地盤沈下が進んだら、アカスリも予約無しで簡単に入れちゃう(今でもそう?)ということになるかもしれません。
いずれにしても、三里塚を含めた成田空港というのは業の深い地域だなと思います。
Posted at 2022/08/22 14:27:28 | コメント(3) | トラックバック(0) | 思い出 | クルマ

プロフィール

「ほぼ閉店状態 世田谷地域交流版 http://cvw.jp/b/730895/48571783/
何シテル?   07/30 14:39
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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令和のクルマも手に入れたので、時計の針を戻して、今度は久し振りに昭和を偲ぼうかとも思って ...
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