
先述したとおり、数年前に私はソウルに遊びにいった。
そのときにヒュンダイのディーラーに立ち寄った話もしたのだが、
ぱっと見てかっこいいなと思ってもらってきたカタログがこのヒュンダイトスカーニことヒュンダイクーペ(日本での名称)のもの。
マニュアルは6速もあるし、レギュラーガス仕様らしいんだわ。
奇を衒わないゆえに、万人受けしやすいクーペだと私は思う。
デザインは情緒をそそるような美しさというよりも、例えば夜の川崎のコンビナートを見て感じるような無機的な美しさを感じる。機能美とは違うのだろうけれど、車体色が金属の存在を盛んに煽り立てるかもしれない。
デーウのREZZOと異なり、こちらは日本の街中でもまだまだ現役で走っている車両が多いはず。ホイールも数種類擁されていて、かなりかっこいいのだけれど、私なら
OZラリーレーシングを履かせたい。色はシルバー塗装ならば白。
まあ、ここまで入れ込んでおいても、やはりプリメーラの方が好きなのだが、私はクーペが好きなので、どうしても入れ込んでしまうんだな。より広い視点からいうなら、自動車なら何でも好きだし。どんな自動車にも固有の魅力があると私は思うから。
さて、そのヒュンダイトスカーニである。
ゆったりと首都高湾岸線を昼間に流して、それから江戸川区辺りのスーパー銭湯に入るっていうイメージが湧いた。そして、お台場の友人宅で食事をご馳走になり、レインボーブリッジ経由で帰ると。
なかなかよさげではないか。
下のカタログ写真はどことなく、首都高の三宅坂のトンネルみたいな、気がしなくもない。いや、東横浜トンネルかな?
トンネルを越えてしばらく走ると、みなとみらいの街区が展望されるような感じもする。
実物を見たことがほとんどないゆえ、記憶から遠ざかっているので、もう一度実物を見て、イメトレ(ビジュアライゼーション)をしたいもんだ。
二夜連続に渡って、韓国の自動車のカタログを紹介してきたが、私は先述したようにどんな自動車にも固有の魅力があると思うから、せっかくならばその固有の魅力を見いだしたいと思っているんだよね。そのほうが楽しいだろうし。たぶん、自分自身の視座が広がると思うゆえに。
韓国というか朝鮮半島に興味を持ちだしたのは、15年くらい前かな。
冷戦が終結していても、まだ分断されている半島のことを私はお隣の国の人間なのに何もしらないから、ちょっくら勉強しようかなと思ったのがきっかけ。
在日の方のことなんかもまったく知らないで、今考えると、小学校のときに、朝鮮民主主義人民共和国に帰ると述べていた知人のことがなんとなく分かるようになった。
現在は古代の歴史に興味があるから、今のように儒教国になる前の半島のことどもを想像すると楽しいし、奈良時代くらいまではかなり多くの半島人が帰化したり、渡来したことも分かるようになった。
だから過去に思いを馳せるのも楽しい。
隣国であるがゆえに、その交流は欧米の比ではないのだなということが、歴史というたぶんに浪漫主義になりがちな想像世界の領域のことながら、理解できるようになって嬉しい。
在日の方ではないのだが、学生時代に東京の田端に住んでいる知人がいて、そいつは韓国語を専攻していた。田端といっても、ほとんど荒川区の尾久に近く、
あるとき尾久のちっぽけなハングル文字表記のお店に行ったのだが、言葉が通じないことがあった。おばあさんが一人いたのだが、おそらく一世の方だったのだろう。
その友人が通訳してくれたので、ジンロとキムチとキャベツだかなんだかを食べることができたんだけれども、世代的にもしかしたら日本語を解していたのかもしれないなと今となれば思うこともある。
結果として、日本語が話せる娘さんが店に戻ってきたから、普通に韓国料理(?)を食べることができたのだけれども。
中国東北地方に朝鮮族という民族がいる。朝鮮民族であることは間違えないが、単に半島ではなく、東北地方に在しているから、中華の多様な民族の一つとして、そのように呼ばれていただけである。
私は中国人がマスターの焼き鳥屋の常連だったことがあり、客は中国語を話す中国人や中国語を話す日本人だったりと、面白い言語空間だったわけだが、何度か朝まで飲んだことか。
そこのお客に朝鮮族の若い男性が常連になってきて親しくなった。
ちょうど「冬のソナタ」がはやっていた頃だ。奴はカラオケが上手だった。まあ、ハングルが分かるのだし、流暢に歌えるのは当然だが、いい声をしていた。
とりあえず、韓国語が分からないので、中国語共々物まねをしてみた。タモリのように。どういう反応をしていたのかは覚えていない。
件の焼き鳥屋の中国人マスターが私のインチキ中国語に大爆笑して、「とっても似てるよ」と言ってくれたことははっきりしているんだけれども。
そういう具合で、半島と隣接する大陸の民とも親交を深めていたわけだ。
こう考えてみると、非常に楽しい人生を送ってきたなと思うし、私にとっては言葉の壁なんて言葉は存在しないわけだ。私もカラオケでずいぶんと歌っていたもんだし。
そこで、ヒュンダイトスカーニとどう繋がるかという話になるわけだが、はじめは韓国メーカーの自動車のカタログについてブログを認めようと思っているうちに、韓国にまつわる数々の想い出が湧いてきて、ひいてはハングルやら半島やら朝鮮族やら焼き鳥屋やら中国人やらという多様な人や対象について思いを馳せることになったということの不思議さと素晴らしさについての喜びという結論に持っていきたい。
例えば、アルファロメオ145で軽快に走ることと。イタリアのミラノ辺りからシチリアまで行って、シエナまで戻って、ベニスに行って、様々な文化交流をするということは直接的な関係性はない。けれど、例えば、アルファロメオだったら、イタリア車という知識がある前提でいえば、イタリアというものに思いを馳せてしまう性質が私にはある。そういう観点からすれば、上に述べた両者は間接的ながら思考を通じて関係を帯びてくることになる。
例えを韓国に当てはめても同じだ。
国産車に当てはめてもそうだろう。
プリメーラならプリメーラに対する固有のイメージがあるだろうし(これは必ずしもすべての人には当てはまらない)、それに付随する想い出もたくさん湧き出てくる。
自動車の魅力というのは、こうした連想性を持たせてくれることだと思う。
確かに、世界は均一化し、世界中が似たり寄ったりの自動車ばかりになった面はあるかもしれないけれど、ヒュンダイトスカーナ一つとったって、韓国の文化性とまでいかなくとも、漠然とした韓国へのイメージくらいは喚起される。
この連想性は人間が思考する生き物だからこそできるものであり、大変素晴らしいものであると同時に、先にも述べたように自動車の素晴らしさでもある。
自動車はハードだけではない。
今現在はプリメーラが私に様々な連想を与えてくれる。
この画像は気持ちいい道を気持ちよく走ったあとに辿り着いた静かな佇まいのお寺の入り口付近で、エアコンがなくとも杉木立の中がとてもひんやりとしていたということを覚えている。
アンニョンハセヨ。
カッサハムニダ。