• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ワルめーら@Terryのブログ一覧

2014年09月28日 イイね!

A journey to a small island and hills 答志島・奥伊勢紀行

A journey to a small island and hills 答志島・奥伊勢紀行On last weekend,I took a trip to an island and hill. I could see beautiful sky,sea and trees from ferries,boats,the inn in a small island,the top of the hill,deep forest and such.My buddy is Subaru Imprezza STI. It goes without saying that I enjoyed driving especially on pass roads. However you couldn`t go to an island. You need to get on a small boat to there. I stayed an inn in the island. Everything seemed to be different from our neigbor areas all over Japan. For example,all local people didn`t put their helmet when they rode on motorbikes. I fancy it look like the scenes of South-East Asia.The meal in the inn was so great. Take a look at my photos.Anyway,I really had a great time during the journey.





昔から島に感心があった。辺鄙な箇所で特に半島の突端だとか駅の終着駅のように、この先にはもう別世界しかないという場所が好みでこれは今も変わらない。地図を適当にめくってみた。紀伊半島に行く際はもはや馴染みとなった伊勢湾フェリーの航路を辿ると大小いくつかの島々があることにいまさらながら気が付いた。そんなわけでごくごく適当な感覚で答志島に宿泊することにした。日本自体が島国であるということはさておき、まさに島であり、徒歩で渡船するほかない。





島に到着すると小学校で運動会が開催されていたこともあり、賑わいのある場所もあったが、あとは小さな乾物屋があるだけで、人文風致的には昭和そのものである。人々はノーヘルでスクーターに乗り、軽トラの荷台に小学生が乗って、そのまま校庭に入る。こうした光景どもが好ましい陰影を私の心に投影させてくれたのである。




宿での食事は豪華且つおいしく、新鮮であり、窓外には伊勢湾と太平洋が見える。そして民家の屋根が軒を連ねている。皆、どことなくくたびれているようなくすんだ色の屋根ばかりである。












二日目は対照的に伊勢に行く道路の頂上や奈良県境の廃れた峠道を通るなどして、主に山間の風景を愉しんだ。この辺りは土地の起伏が激しいので、少し山間に入り、ふと隙間の無い樹林を時折抜けると、広大なパノラマが拡がる。むろん、大海原もそのパノラマの一情景となっている。山塊と海原のコントラストは自然の風致としては絶景の双峰ともいえ、そういう意味では私は大いに贅沢を味わった。








(付記)
というわけでございまして紀行文を書いてみました^^v
伊勢湾フェリーもすっかりお馴染みになりました。
伊勢湾は我が故郷のような感するします。来月もまたドライブ旅をしてみたいと思っています。
なお、今回は東吉野や宇陀など奈良県東部まで赴くことができました。
いにしえの雰囲気が味わえる地域でもあるので、私にうってつけかなと思っていたら、やたらと北畠という言葉が地図だとか自動車屋の看板に出ており、なんとなく舵を進めたら北畠神社というところに到着しました。
ご承知の方もおられるでしょう。南朝の後醍醐天皇に従事した北畠顕家を出した名家ですね。信長の時代に実質的に乗っ取られるのですが、そんなわけで信長のことがぼろくそに書かれていました(笑)

それでは皆さまも素晴らしいドライブ旅を!




Posted at 2014/09/28 08:25:15 | コメント(3) | トラックバック(0) | 定例の宿泊旅 | 旅行/地域
2014年08月29日 イイね!

久し振りの宿泊旅 島に行ってきます♪

久し振りの宿泊旅 島に行ってきます♪思えば寒い冬のなか、銚子で宿泊旅をして以来、今年は一切宿泊旅をしてこなかった。というわけで、来月に宿泊旅に行こうと思う。直感が湧いたのだ。




上にも述べたが、行こうと思ったきっかけは特になく、インスピレーションで決めた。急に旅人になりたくなったのだ。
個人的には日帰り圏内だけれども(秋田・岩手・兵庫くらいまでなら日帰りで観光したことがあります・笑)、一般的には関東からだと一泊二日エリアだろうか。
海原に囲まれた島がある。望見したことはあるが見たことはない。私はその島の中にある宿で一晩枕を共にすることに決めた。
楽しみだ。






Posted at 2014/08/30 00:08:36 | コメント(1) | トラックバック(0) | 定例の宿泊旅 | 旅行/地域
2014年01月23日 イイね!

銚子の夕陽に包まれて 

銚子の夕陽に包まれて 承前
佐原「お江戸見たけりゃ佐原へござれ」 ~水運で栄えた都市の佇まい~

小江戸とも称される佐原の街を出た後は、四方八方ともに田圃に覆われている大平原の中を疾走する。
日は傾きかけているが、冬至からしばらく経ったせいか、太陽の物持ちがいい。つまり、日没の時間が存外に長いということだ。
結局、太平洋岸にある小さな漁港にクルマを停めて、波しぶきを時に全身に浴びながら、陽が暮れるのを待つことにした。
私は本当に旅運が良くて、海原に沈む夕陽を見るといったことも、特段の意図はしないけれども、うまい具合に遭遇する。天が実にうまく配剤してくれるのだと思う。感謝することしきりである。



この日は銚子市街地の旅館に宿泊することにした。江戸初期からの開業とは相当な老舗だけれども、太陽同様に銚子も物持ちがいい。江戸時代には水運で栄え、現在でも全国有数の水揚げ量を誇る港を擁するだけに、街に余裕があるように感じる。
銚子駅から利根川に向かう道路はとても広く、そして綺麗に整備されている。歩道も非常に広くて歩きやすい。
腰掛けがあってヒゲタ醤油と銘打たれているところが、いかにも銚子らしい。
そう、銚子はヒゲタ醤油とヤマサ醤油のお膝元である。宿の朝食で用意された醤油の瓶にもヒゲタと書かれていたから、醤油の材料となるものこそ自給できなくなったとはいえ、醤油と共に発展した街の伝統が今も息づいている感がした。



翌朝はまず犬吠崎を目指すことにした。荒ぶる太平洋の荒波を眼前に眺めることができる絶景の地だ。
しばらく太平洋を横目に犬吠崎周辺をコトコトと運転したあと、崖上と崖下を散策した。もっとも崖下は震災の影響なのか、回遊路が軒並み破壊されていたが。
私は太平洋沿いに親しみがあるので、この荒波を見ているととても落ち着く。特に犬吠付近の波は非常に高く、油断していると波しぶきを浴びてしまう。この日も少々浴びてしまった。この時期としては驚くほど風の無い穏やかな日でいつものような豪快な波濤が蠢いているというわけでもなかったのだが。






銚子市街に戻り、市街地を散策する。お土産屋さんではお腹がたくさんになるほどの食べ物の振るまいを受け、お腹がいっぱいになった。
「夏に銚子においでよ」と店のおばさんは仰ってくださった。
どうも犬吠崎近辺の波濤の海原の印象が強いので、夏の銚子の魅力とは何なのだろうと思ったのだが、存外と海水浴場が多いらしい。なるほど、また夏に再訪することにしよう。
銚子電鉄に乗り、終点外川の街を散策することも考えていたのだが、あいにくの運休であった。しかしながら、おかげさまで海のような巨大な利根川下流の岸でのんびりと対岸の茨城県にまで架かっている銚子大橋の雄姿を眺めたり、駅前の喫茶店でまったりとする僥倖を得た。





翌日は自動車好きの祭典である東京オートサロン(千葉の幕張にて開催)に行く予定で、自宅に戻るか、またもや千葉県内のどこかで宿泊するかを決めかねていたが、九十九里に向かって走ることにした。
途上、陽が暮れて来たのだが、ここでは前日にも増してあかね色の美しい夕陽が海に静かに沈んでいく様を見ることができた。これまた、なんとなく丘に登ってみようかなと思っていただけなのだけれど、素晴らしい景色
を見せてもらえた。「地球の丸く見える丘展望館」の近くにいたようで、次は展望館から夕陽をじっくりと眺めてみたいと思う。
銚子へは数度足を運んだことがあったが、考えてみれば、朝日を拝んだことはあるものの、夕陽を眺めるのは初めてであった。さすがに東方には広大な太平洋しかないだけあり、夕陽とはいえ、その姿は観賞の価値が十分にある。さらには東洋のドーバーと言われているらしい屏風ヶ浦を見ることもできた。
前日にどうにか見ようと思ったものの、道中不案内で適わなかったのだが、思わぬところでいとも簡単に見ることができた。まだ完全に陽は暮れておらず、横いっぱいに屏風のように拡がった、海に連なる崖を見ることができた。






九十九里海岸近くの海水分豊富な温泉に浸かり、内陸部の閑散とした道路を快適に走らせる。やがて街灯りがぽつんぽつんと見えてきて、次第に闇を照らす大きな光となった。千葉市街に入ったのだ。千葉市となるともう都会そのもので、銚子からの道中が夢物語のようでもある。
一泊して、翌日幕張に行くことに決めた。
Posted at 2014/01/23 02:44:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 定例の宿泊旅 | 旅行/地域
2014年01月19日 イイね!

佐原「お江戸見たけりゃ佐原へござれ」 ~水運で栄えた都市の佇まい~

佐原「お江戸見たけりゃ佐原へござれ」 ~水運で栄えた都市の佇まい~関東平野というのは山に囲まれた日本にしては異質な風景で、特に田園が拡がる茨城や栃木の一部、千葉北東部などでは真っ平らな土地が一面に拡がっている。
関東地方のど真ん中に筑波山が鎮座しているが、このような風致であるがために、独立した峰となっていて、かなり方々から見渡すことができる。
実際、江戸時代では江戸から筑波山が見渡せたようだし、当方が卒業した中学校(東京都内)の校歌の終わりにも「霞むは筑波か」という作詞が挿入されている。
広大な平原にはいくつもの大河が流れており、そのうちもっとも大きいのが利根川である。流域面積は日本一を誇っており、江戸時代には水運で大いに繁茂した。

先だって、利根川の水運で栄えた佐原(さわら)と銚子を旅してきたので、紀行文を綴ってみたい。
東京から千葉の幕張付近を過ぎ、千葉の北東部に向かうと建物もだんだんとまばらになってきて、関東平野の形状がよくわかるようになる。そして、大河川利根川の手前で高速道路を降りて、香取神宮を横目に、しばらくクルマを走らせると、昔ながらの木造家屋が軒を連ねている街区が現れる。



「お江戸見たけりゃ 佐原へござれ 佐原本町 江戸まさり」とかつて謳われていたこの静かな街区には一本の小さな運河が通っており、その両端にこじんまりと木造の家屋が軒を連ねているという風で、物静かなことこの上ない。しかし、商品経済が発達した江戸時代、殊に水運が物流交通の中心であった時代においては、佐原のような利根川沿いの水運都市は商業都市として大いに殷賑を極めた。
江戸に近いという利点もあり、その賑わいはおそらくは現代の静けさからは想像も付かないほどと思われる。




佐原の街には偉人が輩出している。伊能忠敬である。
忠敬は現在の基準から見ても非常に精密な地図を測量・製作したことで知られているが、忠敬は50歳まではこの佐原という商業都市で商売(酒造業)と名主をしていて、日本地図の作成とはおよそ無縁の生活を送っていた。
ちなみに、忠敬は伊能家の分家筋に養子に来た人間で、本家のご子孫の方に忠敬の功績をお話しをすると、「あの人は分家の人だから」というつれない答えが帰ってきた。
もっともそれも無理はなく、本家の伊能家はなんと天正時代(戦国時代である)に千葉に勢力を持っていた里見氏の敗亡により、佐原の地に移ってきたのだという。
佐原が商業都市として栄えるのは江戸時代になってからだろうから、本家伊能家は、閑散とした田舎(だったと推測される)だった頃から佐原の地に足を落ち着けていたということになる。
家康が関東に入府する以前の関東は葦が生い茂る鬱蒼とした湿地帯であったというから、本家伊能家はまさに土着の佐原人といえるかもしれない。
ただ、だからといって忠敬の評価が下がるものではない。
二百年以上前から実際に使われていたという椀の中のあんこ汁をすすりながら、こんなことを考えていたが、椀と椀を置く台までもが、二百年以上前から実際に使われていて、それを今でも現役で使っているというとことに、凄みを感じた。彼らの歴史感覚は実に雄大で長大である。



忠敬の業績を表彰するミュージアムがある。
彼の業績をいまさら記すことはあるまいと思うが、50歳という年を過ぎて、江戸へ出て、改めて自分よりも遙かに若い天文方の高橋至時(よしとき)の門を叩いたという、向学心が素晴らしい。ましてや、江戸時代での50歳と現在の50歳とでは大いに異なる。隠居して悠々自適する年頃であり、寿命を迎えるものも少なくなかった。忠敬がいつ頃から測量に関心を抱き始めたのかはわからない。48歳のときに行ったお伊勢参りのときに、緯度や方位観測を行っていたとされており、この頃から測量にも興味を持っていたと思われるが、それまでの前半生が佐原という商業都市での商人であり、名主であったことを考えると、知的好奇心を抱く素地は存分にあったにせよ(江戸時代の知的水準は高かった)、それを情熱に移す気概を人生五十年の時まで抱き続けていたことにはただひたすら敬服するのみである。

通称伊能図と呼ばれる精密な測量図は数回に分けた測量紀行を元に作成されたもので、のちにはシーボルトがこの地図を持ち出そうとして、発覚し、国外追放の憂き目にあった。
話をそらすと、シーボルトはオランダのスパイだったとする説がある。一方で密告者にして樺太探検で有名な間宮林蔵は伊能忠敬の弟子筋に当たるだけではなく、隠密であったとする説がある。
より関心が湧いてくれば、その辺りの事柄もいずれ記そうと思うが、今はさておく。

運河に一艘の舟が浮かんでいて、運河を曳航してくれるという。
この日は天気が良かったが、非常に冷え込んでおり、私は午後に乗船したにも関わらず、一番客だという。
一人船上の客となり、茨城や福島の海沿いと同じような訛りを持つ老婦人が船頭となり、運河を進む。仲間内での会話では自分のことを「おれ」と呼んでいた。江戸時代の農村に迷い込んだ心地がした。



そんな老婦人と二人で深々とした運河の上をゆるりゆるりと動く。
老婦人と様々な会話をした。
かつてはたくさんの舟が運河を往来していたものの、自動車の発達等により、廃れたという。利根川近くの田園で農作業をするときの足としても活躍しており、舟の裁き方などはお手のものだという。正しく佐原の民である。
ところで、佐原の辺りは東日本大震災で被害を受けた箇所が多く、特に佐原は昔ながらの家並みが残されているために、特に瓦が落ちてしまった家々が多かったという。
ただ、家並みがこれから大幅に現代化されるという気配はなく、風致は往時の水運都市の面影を大いに留めたものになると思われる。現在の佐原ではこの風致が観光としてのウリでもあるからである。



国際空港を要する成田市からは至近の距離だが、首都圏にはまだまだこうした佇まいがほとんど変化していないと思われるような心地の良い歴史的景観を楽しめる場所がたくさんある。佐原もその一つである。



佐原を去った後は銚子までの平原を疾走する。



やがて、関東の東端の銚子市街に入る。銚子は高地などの場所を覗けば、日本でもっとも早く朝日が見られる都市として知られている。
朝日では無かったが、銚子の名の知られていない漁港で運良く夕陽を眺めることができた。太平洋の海原を照らす夕陽の灯りが美しい。
実は翌日も運良く夕陽が海原に落ちるところを見ることができたのだが、それは後ほど記すことにしよう。
なお、この日の宿は江戸初期から続く老舗旅館で、銚子も佐原と同様に伝統の息づきが濃厚に感じられる。



Posted at 2014/01/19 01:50:26 | コメント(2) | トラックバック(0) | 定例の宿泊旅 | 旅行/地域
2013年10月18日 イイね!

伊良湖・伊勢の旅 その2

伊良湖・伊勢の旅 その2
こんにちは。いい陽気ですね。昼間は程よく暖かく、夜も程よく涼しい。
思えば、僅か半月前の旅でもそんな陽気だったような気がします(夜はもう少し暖かかったですけれど)。
さて、前回の伊良湖・伊勢旅行の旅模様の続きを以下に記します。
今回はやや硬めの紀行風に記してみましょう。

伊良湖・伊勢の旅 その1

伊勢神宮にて神々しい儀式を見る僥倖を得た私は半島南端にある南伊勢町の旅館に宿を取った。東隣の志摩に比べて観光地化もされておらず真に閑散としている。
旅館の創建は大正時代で、現在の建物も戦前からのものであるらしい。
館内は如何にも昭和な旅館という風情で、冷蔵庫には瓶のジュースや日本酒、ビールが置いてあったし、鏡台まで設置してあった。
夜も朝も温泉に入浴。
脱衣場を出るとすぐにフロントになっており、そこ様子がまた旅館らしい風韻を保っているように思えた。小さな和風の小庭があり、灰皿が置かれた机を長椅子が取り囲んでいる。
顔立ちの良い給仕の女性が膳に添える食べ物を運んだり、飯をよそってくれたりしてくれた。
朝食はカマスという魚が彼女との会話の導線になったように記憶している。
この地域は基本的に温暖なのだそうだが、近年はとみに温暖になったというお話を伺った。どうもカマス科の魚は熱帯地域に多くみられるようだ。




志摩半島南部の天気は最高に良く、陽射しが眩しかった。快適なワインディングロードを駆け抜けたり、リアス式海岸沿いに立ちならぶ漁村集落内の道路を塗ったり、高台(鵜倉園地)に登ったりして、蒼々しい黒潮の太平洋を存分に堪能した。少々歩くだけで、汗ばむほどの陽気で、この点私はいつも太陽の恩恵を受けているように思える。
ところで、鵜倉園地はなんとなく行ってみようと思った場所だが、ここは大絶景を楽しめるのでオススメする。地元の人によくこんな場所を知っていますねと言われたくらいなので、あまり知られていないスポットなのかもしれない。













海をより高所から俯瞰しようと思い、県道46号線に入り、一気に山あいの道路に入ったのだが、酷道・険道路慣れしている私でもやや難儀した。
途中ではもともとは飼われていたであろう犬二匹に先導されたり、囲まれたりしてのそりのそりと進む。時には道路に落石した土砂や岩の処理をしながら進む。
そんなことをしながら、最高部の峠(藤坂峠)に行くと急に見晴らしがよくなり、まさに意図していた通りに俯瞰的に蒼い海原を眺めることができた。地元の人でもまず使わない道路だそうだから(県道指定は受けているし、地図から見るといい抜け道のような気もするが、まったく整備されていない)、このような絶好な好天のときに峠に行くことができたのは、とても素晴らしい経験であった。大自然のほかには誰ひとりといなかった。
峠から下る道はさらなる悪路。地元の方が仰っていたとおりだった。内陸側はさらに酷道さらしさを醸し出しているが、昔からそういう道路に抵抗はないし、木々に囲まれて気持ちが良かった。狭隘で急なカーブの連続もまた愉しかった。











ようやく悪路から抜け出すと穏やかな日本の田舎の典型のような集落が広がっていた。ただし、道路は非常に良い。帰路もフェリーを使う予定だったので、まっすぐ鳥羽に向かうことにした。
いい意味で案に相違して、ちょうど乗りたかったフェリーに間に合った。
依然として陽気は素晴らしく、船上から広がる海は光に反射してまばゆかった。
伊良湖の岬が見えてきたとき、もう帰ってきたなと思った。
実際は東京まで300キロの距離があり、まだ帰路道中の端緒なのだけれど、どういうわけかそういう心持ちがした。







I stayed at Japanese style inn at that day.
It reminds me of old Japanese scenes.

It`s sunny and hot.
I enjoyed driving on seasides along rias coast.
I passed on fishermen`s settlements/villages on my way.
The sea was very beautiful.
It`s just shinning.
I could see such an awesome scene from a observatory at the top of the cliff.
I drove a pass road as well. It was rough,highly crooked steep roads.
I had to remove some rocks on the road.
In addition,I was surrounded by dogs which seemed to be not native wild ones.

I used a ferry again on my way back to home.
I want to thank for everything as I could see lots of amazing scenes and wonderful experiences in my heart.


Posted at 2013/10/18 14:04:03 | コメント(2) | トラックバック(0) | 定例の宿泊旅 | 旅行/地域

プロフィール

「たこ焼きを食べるためだけに家内と瑞穂町(東京都)まで行ってきましたー
クルマ仲間も入店してきたりして、びっくりしました。再訪確定です!」
何シテル?   07/28 23:13
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/7 >>

  12345
6789101112
13141516 171819
20212223242526
2728293031  

リンク・クリップ

トライアルC25さんのスズキ スイフトスポーツ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/10/16 23:35:54
April 6th,2024 エンジンオイル交換(エレメント○) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/07/31 22:58:43
子連れ向きの海水浴場 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/05/23 09:42:28

愛車一覧

スズキ スイフトスポーツ スズキ スイフトスポーツ
2025年5月26日納車🌸 赤黒2トーンのファイナルエディションです。Dオプを付けま ...
スバル インプレッサ WRX STI 涙目だけれど笑顔号 (スバル インプレッサ WRX STI)
36万キロエンジンオーバーホール歴無しの全国周遊マシン👍 黄色くラッピングされた給油口 ...
スズキ スイフトスポーツ 鈴木の運動車 (スズキ スイフトスポーツ)
ノーマルのスイフトに加えて、二代目のスイフトスポーツを購入。 5速マニュアルのチャンピオ ...
その他 なんでしょ その他 なんでしょ
令和のクルマも手に入れたので、時計の針を戻して、今度は久し振りに昭和を偲ぼうかとも思って ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation