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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2010年05月05日 イイね!

嬬恋のけなげなプラットフォーム

嬬恋のけなげなプラットフォーム
キャベツの高地栽培で有名な嬬恋という村がある。群馬県の西南に位置し、長野県と境を接している。
私ども夫婦は、再び険しい傾斜を登り、嬬恋村を訪問した。
浅間山の山容がくっきり見える様はとても心地よい。
一面にキャベツ畑が広がっている土地があり、その真ん中を縫うように小さな道路が走っている。その道路を走りながら、時折、自動車を停めて深呼吸をする。
とても清々しい気分になれるのだ。
私どもは浅間山に向かおうとしていたのだが、嬬恋村を走る吾妻線という盲腸線(終着駅に他に乗り換え接続する路線がないというほどの意味)の終着駅が気になった。

私は最果てというのが好きで、ドライブするにしても岬の先端だとか、鉄道駅の終着駅(最果てゆえに盲腸線でなくてはならないのだ)というものを見ると、行ってみたくなる。
吾妻線の終着駅の名前すら知らなかったが、そこはまあ至極適当に、線路らしきものが見える箇所まで村を走ることにした。
やがて、村の中心部と思わしき集落に出て、この辺りが終着駅ではないかなと思ったが、駅舎があるような雰囲気はない。
私どもは右側に河川を見ている。ひょっとしてこの河川沿いに線路が走っているのではないかと思い、集落を降り、河川に向かった。
すると程なく踏み切りが見え、予想が当たったなと歓喜したが、駅舎が見つからない。
Uターンしてもう一度、踏み切りを超えると左手に小さなプラットフォームがあるのがわかった。無論、プラットフォームの少し先はレールが断絶されている。車庫も何もない無人駅でこれほど鄙びた最果てというのは私の琴線を大いに打つものであった。大前駅という。
試みに大前駅のプラットフォームに佇み、満開の桜を眺めていた。群馬でも都市部である渋川から来た鉄道は大前駅のごとく、実に閑散としたのどかな地点までようやくたどり着き、また引き返すのだなと思うと、気持ちが和やかになる。
列車本数は一日五本程度で、一日のうちほとんどの時間、大前駅は列車の到着をひらすら待っている。なんだかけなげではないか。
Posted at 2010/05/05 13:20:12 | コメント(1) | トラックバック(0) | 鉄道 | 趣味
2010年05月05日 イイね!

信州山岳路縦断

信州山岳路縦断
信州の道路というのは本当に走っていて楽しい。
白樺林が続くさまは、どこか日本離れしているし、高山が連なり、その高山までなんとか自動車で行けるようにしようという一心不乱な意志を感じさせてくれるほどに、標高の高い地域にまで道路が続いている。

岡谷のプリンススカイラインミュージアムをあとにし、ビーナスラインを北上することにした。岡谷から妻の実家に最短距離でたどり着くには、山越えをするのが一番早い。

という具合に地図を眺めながら考えていたのだが、実はビーナスラインを超えたのははじめてだった(ように思う)。割合とメジャーな道路なので、今まで通らなかったのだ。
ところが山頂の美ヶ原付近は標高2千メートルもあるというではないか。
これは高地の大自然を満喫するには絶好と考え、生まれてはじめて(だと思うのだけど)ビーナスラインを走ることにした。

道路自体は非常によく整備されている。
本当に気持ちよく走れる。登坂も急でRのきつい場所もあり、とても面白い。
天気も良かったので、バイク乗りの方が多かった。
私もギア付の二輪に乗ったことがあるので、この時期の二輪車の気持ちよさは
十分理解できるから、風をきって颯爽と走りたいなという気配を見せているライダーにはできる限り道を譲ってあげた。
気持ちいいもんね。

私も当然、気持ちよく運転した。
主に2~3速を使い、愛車のポテンシャルを存分に引き出した。高地にゆくにつ
れ、樹木が変化し、残雪の白い姿がまだまだ残っていたのが印象的だ。
無論、はるかに見える浅間山や南アルプス山系は雪を被ったままだ。
美ヶ原とその手前に休憩所があるのだが、四方八方大パノラマで、どこまでもどこまでも空が青く遠くまで続いている。
美ヶ原のてっぺんには低い草と石に覆われた山肌露な牛伏山という山があり、山頂も近いので一人で登ってきた。
牛伏山自体はもともと樹木が生い茂っていたらしいが、明治時代に山火事で樹木が焼失し、いまのような形態になったらしい。
おかげさまで信州全体が見渡せるのではないかというくらいに眺望の良い土地が誕生し、私は存分にその景観の素晴らしさを堪能した。空は澄み渡り、風もほとんどない絶好の日和である。
牛伏山には誰がはじめたのか、石っころがところどころに積まれていた。石の大きさは上流の渓流にある石を半分にしたくらいに大きいのだが、なんでこんなに大きな石がこの山にあるのだろう。もしかしたら、牛伏山辺りは海の近くで、だんだんと
海面に押されて、いまのような険しい山系を形作っていたのかもしれない。
同じく信州の北端の野尻湖付近は昔は海だったというし、信州には海野という地名もある。また安曇という地名もあるが、安曇とは主に海を活動領域にしていた人々だったといわれている。それがなぜ信州に地名として残されているのだろう。

美ヶ原には美術館もある。前衛芸術を展示するという志向のもので、入館はしなかったが、山を降り、外側から作品を眺めてみた。
前衛芸術というのは、意味をしらしめるものではないんだなという気がした。もしかしたら意味なんてものすら破壊してしまえという急進的な芸術が前衛芸術の真骨頂なのかもしれないが、私自身の見立てでは、作品には見事に意味が欠落しているように思えた。作者自身が想定する意味はあるのだろうが、なにぶん前衛という時代の先端をゆく芸術分野だけに、余人には理解しがたいように思える。

帰路は美ヶ原の北面をくだる。
こちらは舗装も良質とはいえず、道行く自動車も少ない。
しかし、その分だけ景観を楽しむことができるし、ちょっとした隠れスポットかもしれない。上田や松本に向かうにも便利な道である。
ふもとの武石(たけし)の集落に着いたときに、黄色い水仙の花が沿道を埋め尽くしていてとても綺麗だった。そめいよしのやしだれ桜が満開な鄙びた集落はなにやら幻想的でふと手を伸ばした瞬間に消えてしまいそうな感じもした。





Posted at 2010/05/05 12:59:46 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | クルマ
2010年05月05日 イイね!

プリンススカイラインミュージアムに浸る

プリンススカイラインミュージアムに浸る
先般、妻の実家がある信州に行ってきた。

私はおよそ、暦とは関係なく日常を過ごしているが、それでもゴールデンウィークは一つの区切りだし、長らく行っていなかったこともあり、愛車を駆り、一路実家へ直行した、なんてことは私の頭には毛頭なく(笑)、信州の標高の高い山々を越えてたっぷりと大自然を満喫しようと思っていた。
後ほど述べるかもしれないが、信州でも標高千メートル以上付近ともなれば、まだ残雪があり、季節の感覚としては東京とは二ヶ月ほど異なる。特に山の北面に残雪が多いのが特徴だ。
そんな風致ゆえに、日本離れした風景が展開される。私はそれが大好きなのだ。

夜一時には起きて、出発は日が明けてからにした。なんとなくそれがいいだろうと思ったのだった。
私は車両の流れを見ると独特の勘が働くので、今回はすんなり信州まで行けるだろうなあと思っていた。
実際に道路も実に空いていた。
これは私の能力の一つかもしれない。どういうわけか直感が働くのだ。
そしてゆえにこそ、新しいクラッチとミッションを存分に味わうことができたのだった。トップギアを入れて走行できるというのはとても気持ちいいことだ。ギアを交換していただいてそのことをつくづく感じた。
一通り修復すべき箇所は完璧な状態にしていただいたので、本当に良かったと思う。もう少しで車検を迎えるが、今以上に愛車の可能性を追求していきたいと思う。

さて、信州までの往路の話をしよう。
甲州小淵沢付近でしばし仮眠をとったあとに、「スカイライン」という言葉が私の脳裏をかすめた。
ご存知の方は多いと思うが、信州の岡谷市に歴代のスカイラインがずらりと展示されているプリンススカイラインミュージアムというものがあり、私が大学生のときに開館された記憶があるから、比較的新しいといえるのかもしれない。

スカイラインは私の好きなクルマの一つなので、いつかは行ってみたいなと思っていたのだが、長らく縁がなかった。そこで、ここは一つスカイライン詣でをしてみようと思い、ミュージアムまで足を伸ばしたという次第だ。
岡谷のミュージアムは広大な丘(?)をそのまま利用した公園のなかにあり、景色雄大で自然豊かである。桜の花は満開で再び三月中旬頃に戻ったような気がした。諏訪湖を一望に眺めることができる素晴らしい場所である。
もっとも、この日は天気快晴に加え、気温が高かったため、半袖で十分に過ごせるほどに恵まれた陽気で、この点、晴れ男の私と晴れ女の妻は存分に本領を発揮したといえる。二人で行動すると晴れるだけでなく、気温も上昇する傾向にあるのだ。
二月に二人で伊豆までドライブに行ったときに25度まで気温が上昇したことがある。
私ども夫妻は、暖かな太陽を引き寄せる存在なのかもしれない。

ミュージアムの全貌は語りつくすのに非常に長文を要する。一つ一つのスカイラインにそれぞれ自分の思いや感想を付したくなるからだ。
そこである程度抜書き的に館内のスカイラインに対峙したときの感想を述べよう。

私はリア丸型4灯テール世代なので、ケンメリからR34までのスカイラインを見ると、「ああ、スカイラインだな」という安堵の気持ちが生じてくる。
とりわけR31のトミーカイラ仕様が印象深かった。まさに丸型4灯リアテールの全盛期のモデルだし、この時代に生産メーカー以外の手によるチューンが施された自動車が市販されるというのは、今とは異なり改造にうるさかった日本にとっては衝撃だったのではなかろうか。当時は「改造=暴走族」だと私は思っていた(実際に多かった。竹やり出っ歯とか上方を高く向けたマフラーとか)。
そんな時代の雰囲気のなかで販売された自動車なのだ。
それと、R31全体にいえるのだが、この頃からR32の系譜にデザインが繋がっているような気もする。R30に比べ、マークIIを意識しすぎたというのが現役時代の批評の一つとしてあったが、私はこの角ばったボディは好きだし、インパネにも親近感を覚える。

もう一つ、抜書き的に感想を述べたいスカイラインを挙げるのであれば、初代スカイライン(6人乗り)であろうか。これは杉並のプリンス自動車のときのモデルだが、当時の車両価格を現在の価格に換算すると、おそらく一千万に近い金額になるのではないか。
妻の実家に着いたあと、義父に初代スカイラインの話をしたところ、スカイラインは相当に高嶺の花だったようだ。サニーはどうにか手の届く価格だったらしく、大衆車サニーの偉大さを思わせるが、いまはさておく。

当たり前だが、R34のGT-Rが展示されていた。村山工場生産最後のモデルだそうだ。どの工場でどれだけのモデルがいくつ作られたかということには疎いのだが、
まあ、そういう説明書きがされていた。
大学に入学したときにR33が現役で、R34がデビューしたときも覚えている。そのときはまさかミュージアムで展示されるようになるとは思いもしなかったが、当時の学友が彼の父が所有しているR34に乗っており、狭い道をバックしたりするときに代わりに運転したり、スペアタイヤを履かせてあげるために出張したりした記憶がある。
今思えば、ありがたいことだと思う。
社会人になってしばらく、甥がR34のターボ(グレードはわからない)を購入し、叔父が外観をR仕様にしていたことを覚えている。フェンダーを叩き出したりしているから、傍目からはGT-Rにしか見えない。GT-Rに乗ったことはないが、クラッチが柔らかかったのでFRモデルなんだなと了解できたが、そういうわけで私はR34という最後のリア丸型4灯テールに接する機会にも多く恵まれた。

こうした回想をしながら、スカイラインの魅力ってなんだろうと考えてみた。私はモータースポーツにはあまり興味がないので、スカイライン神話のような話にはあまり興を惹かれない。なんだろうな?
やはり、幼いときからごくごく周囲を走っていたからだと思う。なおかつリア丸型4灯テールは非常に覚えやすく目立ったし、スポーツ性能が高いということも私にとってはスカイラインに好意を持たせる機縁となったのではないかと思う。
もっとも、これは私個人のスカイラインに魅力を感じる理由であったが、まあ、深い考察などせずとも、ある車種に魅力を感じ、そこから様々な思い出を綴ることができる。
それだけでいいではないか。

*ミュージアムの方に携帯ストラップを無料でいただきました。感謝。





Posted at 2010/05/05 12:22:06 | コメント(2) | トラックバック(0) | 自動車 | クルマ
2010年05月05日 イイね!

乗り鉄といふものしてみんとす

乗り鉄といふものしてみんとす
往時、各大都市には路面電車が縦横に走っていたという。
東京も例外ではなく、今から見ると恐ろしいくらいに縦横くまなく路面電車が走っていたことがわかる。

東京は路面電車を要とする交通体系を選択しなかった。昭和40年代だろうか。
各地の路面電車が続々と廃止され、東京の路面電車はまさに風前の灯火だった。
モータリゼーション華やかりし頃ゆえ、東京から路面電車が全廃されるという可能性もあったわけだが、一路線だけ奇跡的に廃止を免れた路線がある。都電荒川線という。

荒川線が存続したのは、専用軌道が多いため、自動車交通とバッティングすることが少ないからといわれている。しかし、自動車と併走している区間はあるわけだし、荒川線が今に至るまで存続しているのは天佑といってよいかもしれない。

路面電車は運賃が安価(大人160円)で、手軽に乗り降りできるのが魅力的だ。最近では路面電車のコストパフォーマンスが見直されているらしいが、荒川線は路面電車受難の時代から、現在に至るまでしっかりと東京唯一の路面電車として、地域住民の足となっていた。最近では、観光客や都電に乗ることそのものが目的で荒川線のレールの上を疾走する一両編成の路面電車に揺られている人々も多い。

私どもも、そんな都電そのものに乗ることが目的とする一人であった。
乗り鉄ツアーに中途ながら参加してきた。
実際には、リンク先にあるように路面電車だけではなく、実に様々な電車路線やバスを乗り継いだわけだが、冒頭部にやや叙情的な文章を書く場合、路面電車というのは題材としては非常に書きやすい。

私は鉄道やバスそのものにさほど詳しくないので、電車・バスという個体そのものよりも、そこから醸し出される空気みたいなものに興味を持つ。
乗客の格好・会話だとか、車内に貼られている広告だとか、路線を彩る風景といったものに焦点がゆく。
原子核の周囲に電子がまわって分子構造が成立するように、鉄道やバスも個体という原子核とともに、それを縁取る電子の部分というのがあってはじめて分子構造としての鉄道やバスの魅力が出てくると思う。
たとえば、最新式の新幹線が永遠に実験線を走っているだけでは、これはちょっと味気ないし無機質だし、親しみが持てないであろう。実際に運用し、そこに乗客が搭乗し、レールの上を颯爽と走るからこそ、最新式の個体もより魅力を増す。

山梨のリニアモーターカー実験線のように、新幹線以上の速度でもって運用することを目的とする技術開発ならば、それは実験線であろうと魅力的だと思う。
bullet train(弾丸列車)としてのリニアモーターカーは今のところ、営業路線として実現していないわけだから、これは未来への想像が大きく湧き上がる。或いは、リニアモーターカーが日の目を見なかったとしても、昔のレールを使用した駅馬車のようなものだと思えば、それはそれでかわいらしいではないか。
可能性はあったけれども、普及しなかったものにも人間の技術の結晶がつまっていることに変わりはない。いい面をみよう。

さて、私は東急世田谷線の下高井戸駅で皆さんをお待ちすることにした。
ところが、結局は牛丼を食べている後ろ姿をがっちりと見られていたわけで(皆さんが駅に到着するのが思いのほか早かった)、私にとっての乗り鉄スタート地点は京王線下高井戸駅すぐの吉野家ということになろうか。
京王線で新宿駅に向かう。
この京王線というのは新宿から八王子を結ぶ路線(他にもいくつか路線はあるが)でいわばJR中央線と競合する関係にある。そして、路線幅がJRなどが使用している狭軌でもなく、関西の私鉄に多い標準機でもなく、馬車軌道と呼ばれる独特のレール幅を持っている。そんな知識を持って、レールを眺めているとJRの線路よりは幅広のような気もするし、京急(標準軌)のレール幅よりは狭いような気もする。
また、地下鉄と乗り入れするときに新宿にもう一つ新宿駅を作った。新線新宿駅と呼んでいるが、JRを中心に考えれば南口にある駅で、もとからある新宿駅とは異なりターミナル駅ではないのだから、京王新宿南口駅とでも改称すればいいのではとも思う。阪急列車の西宮北口駅みたいな。
という具合に考えてしまうほど、新宿の路線は込み合っていて、明治時代に駅にキツネが出るほどの閑散とした駅だったとはとても思えない。

新宿で京王電車を降りた一行は、西口のバスターミナルに向かい、都営バス(いわゆる都バス)に乗る。都電始発の早稲田に向かうためだ。
この都バスはやや旧式のバスのような気がする。一番後ろの座席に座っていたので、シフトレバーの長さなどは見なかったが、車内全体がどこか十年以上まえくらいに都内各地であったような、そんな古風な佇まいを持っているように思えた。冷房噴出し口が角型で、ルーバーというよりは、冷房吹き出し口と呼ぶのがふさわしいような硬骨な構えをしていた。
早稲田行きの都バスは新宿歌舞伎町に面した靖国通りを抜け、左折して明治通りに入る。そして右折して早稲田大学の正門そばを経由して、車庫近くの終点に着く路線なのだが、初夏の陽気の歌舞伎町前の靖国通りは、いつもどおり(?)自動車も整然としているよりは雑然としているようであり、なんだか東南アジアにでも来たような気分だった。人の波はうねり、自動車もつられて小さく波に揺られているかのようだ。

都電に久しぶりに乗る。住宅街に挟まれた中を専用軌道で走破する区間が多いように思える。東急世田谷線にも似ているし、江ノ電にも似た部分があるように思える。
幹線道路を悠々と走破するのは、明治通り飛鳥山(エスカルゴのような形をしたモノレール?ができていた)から王子駅前までの区間であろう。この辺りは高低差もあるので荒川線の軌道は大いに湾曲しつつ、滝が流れ落ちるように飛鳥山から王子駅に向かう。
ちなみに、飛鳥山といえば、暴れん坊将軍のモデルの江戸幕府八大将軍徳川吉宗が山を削って桜を植え、以後こんにちに至るまで、桜の名所として庶民に親しまれている。江戸時代の画などを見ると、はるかに筑波山まで見えるのだが、飛鳥山の北側は広漠な関東平野があるのみなので、当時は見えたんだろうなと思う。

梶原という駅で降り、皆さましばし写真撮影。都電モナカなるものが売っている和菓子家さん(?)が駅前すぐの商店街にあり、なかなかに繁盛していた。都電モナカを買った友人が食べようとするさまを観察していると、形が都電を模しているようで、すっかり荒川線は観光路線として定着したんだなという感慨を深めた。
私は一人旅も好きなので、このお店は後日、一人で来ることにして、まずタバコを吸うことを優先させた。店頭に置かれていた。

話を脱線させる。鉄道は脱線させちゃまずいので鉄道ではないお話をば。
いまのように、タバコ云々といわれている世相ゆえに、タバコがよりありがたく感じられる。今は携帯灰皿は持参しているし、灰皿のあるところでしか基本的には吸わない。昔は灰皿にありがたみを感じなかったが、いまは意識が変化した。
そういう意味ではタバコに関する諸々の問題意識が社会化したというのはよかったのではないかと思う。そのうちタバコが骨董品のごとくなるかもしれない。
貴重な文化遺産になるかもしれない。なので私はタバコを吸うことに決めている。
いわば文化と伝統の保護者を自認しているのだ。Do u understand?(笑)
もっとも、吸わなければ吸わないでまったく平気な体質なのだが、文化遺産は大切にせねばいけないからね。まあ、それは冗談として、筒井康隆の「最後の喫煙者」を思い出した。筒井氏の作品は時代を先取りしていたんだな。興味のある方は文庫本で出ているのでお読みあれ。
閑話休題。

梶原からいくらも歩かない距離に荒川車庫前という駅がある。名のごとく車庫があるのだが、本線から斜めにレールが近所の裏道のようなところを横切って車庫に入るようになっている。こういうときにたまらなくのどかでいいなと思ってしまうのはなぜだろうか。往年使用されていた車両も保存されており、ちょっとした観光地になっているようだ。だが、車庫の雰囲気は都バスの車庫を少しばかり拡張して、レールを敷設しただけという感じで、まことにこじんまりとしている。そしてそれが荒川区の小さな家並みと実によく調和しているなと思った。
ここでも皆さま写真撮影。

終点の三ノ輪橋まで来ると早稲田とは空気が異なるように思える。三ノ輪橋辺りは狭い路地や古い建物・看板がかなりたくさん残っているように思えた。郷愁を誘うには絶好の終着駅のように思える。
先般、吾妻線の終着駅の大前駅に行ってきた。
無人駅で単線レールが駅の100メートルほど先でぶちきれている典型的な盲腸線である。よくぞここまで駅を作ったなというくらい閑散としている。たしか一日六本しか運行していなかった。
比べて三ノ輪橋付近は同じ終着駅でも賑わいの気配が濃厚で、大前が大自然の中の静謐とすれば、三ノ輪橋は人間の生活の営みを再認識させるような場所のようにも思える。

その後は、乗り鉄らしく地下鉄日比谷線・京成線を利用して、日暮里駅前で串焼きを食した。チーズの串焼きが特においしかったかな。無論、ジョッキになみなみとつがれたビールはうまい。
乗り鉄の仲間は、さすがに鉄道に見識が深いだけではなく、独自の価値観を持って、いわばあるべき鉄道の姿というものを見出しているように思えた。単に、膨大な知識がストックしてあるだけではなく、そのストックを自身の嗜好性に合わせて組み合わせて、自分らしい鉄道趣味というものを構築しているようにお話から伺えた。

そういう意味では鉄道というのは実に奥行きの深いものだと思う。
通勤で使用することもあれば、旅で使用するときもある。
そして、今回のように同好の士が集う、鉄道という対象自体を目的とした行為も編み出す。この鉄道というものが持つ無限の包容力というのは本当にすごいなと感心した次第である。

さて、二次会は御徒町でラーメン。豚骨ベースなのだが、麺は縮れていてスープにもまろやかなコクがあり、大変おいしかった。皆さまと解散したのちは、せっかくなので京浜東北線(通称だが)沿いの道をずっと下り、神田川を超え、家路に着いた。
皆さま、ありがとうございました。いい経験をさせていただきました。
Posted at 2010/05/05 11:22:29 | コメント(5) | トラックバック(0) | 鉄道 | 趣味

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「埼玉で雲海が見られる場所」
何シテル?   10/04 19:59
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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