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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2011年10月24日 イイね!

近江・若狭紀行 三方五湖の神秘・常神半島

近江・若狭紀行 三方五湖の神秘・常神半島
承前

上代の船舶というのは非常に頼りないもので、風浪に影響されやすく、しばしば命の危険さえ伴うものであった。
船も陸地からは完全に離れられないという具合に、港から港へと陸伝いに風の様子を見ながら、少しづつ航海するというのが基本であった。

有名な遣隋使や遣唐使船では、風浪等で大陸の文物を学びに行く前に命を落としたものも多いし、また文物を持ち帰ることが叶わないものも多かった。
唐の鑑真和尚は日本に仏法を広めるために、数度に渡り渡海を試みた。そう、一度の航海でほんの至近に思える日本列島にすら行くことが困難だったのである。
鑑真和尚は何度も渡る渡海の影響で失明しながらも、何度かの航海でようやく日本に上陸し、仏法を広めた。
鑑真の崇高さはそこにあるといってよいと思う。仏法を広めるという目的のためには命も厭わない姿勢。宗教者はかくあるべしだと思う。

さて、沿岸航法で頼りなさげに航海していた船舶にとって、風浪を防ぐ天然の港は非常に貴重なものであった。だから、風を遮断する湾が特に港として好まれた。
現在の福井県西部にあたる若狭の国は湾口が実にたくさんあり、リアス式海岸の様相を呈している。しかしながら、上代においてはこの複雑なリアス式の地形は船舶停泊・往来において極めて都合が良かった。
古来、若狭から京へ鯖が輸送されたのも、若狭の天然の良港によるところが多いといってもよく、四角い形をした大型帆船や小舟が多数、若狭の港に浮かんでいたものと思われる。鯖を陸揚げする光景が目に見えるようではないか。

リアス式海岸とは縁のない東京の人間からみれば、実に複雑なリアス式の海岸は実に興をそそるものだ。もとより、半島の舳先に行くことが好みゆえに、かつても若狭
美浜の水晶浜(琥珀色に輝く実に美しい海が広がっている)に立ち寄ったりして、若狭では希少な(?)砂浜からリアス式の地形を眺めていたものだ。その蒼い海とともに。

福井県境を越え、焼鯖寿司を堪能し、しばらくは山がちな地帯を抜ける。そして、ようやく日本海が見えるわけだが、私の印象として日本海は大抵断崖絶壁の下に沈殿しているようなイメージがある。かつて氷河期の頃、日本海は陸地であった。氷河期
が終焉するに連れ、日本海の部分だけが一斉に沈殿してしまったかのようにも思えてしまう。
私が今回の紀行で日本海を見たときもやはり断崖絶壁であり、遙か眼下に漁村が広がっているという案配であった。



動画


以前、鳥取から日本海側を伝って、福井まで行ったことがある。しかし、やはり印象として断崖絶壁が続き、その絶壁をくりぬくようにして道幅の狭い道路がひたすら続いていたという記憶がある。むろん、全区間ではないが、太平洋の大海原に慣れた身にとってはこれもまた海の風景なのだという新鮮な感情を覚えたものである。

このように錯綜したリアス式海岸に景勝地があり、三方五湖と総称されている。
汽水湖であり、海水と真水の濃淡により、湖の色が微妙に変わるという不思議な湖で、有料道路を使えば、俯瞰的に湖を眺めることもできる。
五湖のうち、一つは完全な淡水湖で、もう一つは完全な海水湖だが、その他三つの汽水湖とのコントラストがまた得も云われぬ美しさを醸し出している。
三方五湖レインボーラインという道路がお勧めである。
これら五つの湖はすべて繋がっていて、うち日向湖のほんの狭い湾口から日本海の海水が流入している。

今回もレインボーラインを通ることを検討したが、私には半島の舳先に行ってみたいという意欲がさらに勝っており、三方五湖の湖畔脇からこの不思議な自然の産物を眺めるだけにとどめた。眺望するのもいいが、間近に眺めるのも実に心地良い。
太公望が釣り糸を垂らす。そんな静謐な空間が広がっている。





動画


湖畔も気配を殺したかのように静かならば、周囲も実にのどかで静謐な空間で覆われている。
さて、若狭の半島は無数にあるが、そのなかで常神半島という名前が目に留まった。そこでいよいよ半島に向かうわけだが、半島の道路もまるで峠道であるかのように勾配のアップダウンやカーブが多く、土砂災害に弱いらしく数箇所で補修工事が行われていた。
また、既に復旧を諦めたと思わしき場所もあり、ひとえに日本列島全体、いや若狭全体からみれば、実に小さな半島といえども、その行路は実に難渋を極めている。





例のごとく(?)断崖絶壁をくりぬいたような道路をひたすら北上する。時折、海に近づく場所があって、そこは大抵漁港になっている。
どうも、この辺りは釣り人が多く、関西地方の他県ナンバーもかなり見られた。
釣り場として格好なのだろう。
樹齢1300年以上を誇るソテツが半島にはあるが、どうも私には舳先へ行きたいという意欲が高く、さらにさらに北上しようとしたが、やがて自動車で行ける道路が無くなった。ちなみに、ここでも多数の釣り人が釣り糸を垂らしていた。
私は釣り人の希薄なところまでさらにさらに歩いてみたが、やがて海岸線と断崖絶壁の陸地に挟まれた狭隘の地に至るに連れ、これ以上の北進を諦めた。
舳先までは行くことが叶わなかったのである。





動画


日本海側の夕陽の美しさはいまさら多弁を擁するまでもない。橙色に薄ぼんやりと染まった空に球形の大きな太陽が沈む。辺り一面の空ばかりか海ばかりが橙色に色づいている。その光景がとても素晴らしく、しばし呆然としながら、この風景を楽しんでいた。
私は憑きものにとりつかれたように夕陽の動画を上手に撮影したいと思い、動画撮影を終えた頃には、もう夜の気配が漂っていた。



動画


半島の根っこの部分まで来たときは既に辺りは暗くなっていた。
進路を東へとり、越前敦賀に向かう(越前=福井県東部)。
ここは古来より交通の要衝なのだろう。
この紀行文でも述べたように織田信長軍が越前朝倉氏を滅ぼそうとして集結したのが越前敦賀の地であった。そして、同盟者の浅井氏の裏切りに合い、滋賀県湖西の朽木を超えて、命からがら逃走したのであった。
現在でも北陸道のICもあるし、私は気比の松原などの観光を楽しんだこともあるし、北陸や近畿の日本海側へ行くときなどもよく通っている。
宿泊もしたことがある。
そういえば、敦賀の港からは遙かかなたの苫小牧まで運航しているフェリーがあり、
交通の要衝という点では上代から変わらない。
ただし、現在のフェリーはむろん、沿岸航法を採用することはなく、悠々と日本海の沖合を走行し、北の大地に向かうのである。
この点において、上代と現代は異なる。

歴史という時間軸を鉛筆で引っ張ってみるとしよう。
その時間軸は直線かもしれないが、人間の創り出す技術の結晶というのは明らかに右肩上がりであり、その右肩上がりの急激さは、特に近代以降顕著で鉛筆で容易に書けるものではないだろう。
Posted at 2011/10/24 10:23:02 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | クルマ
2011年10月22日 イイね!

ワルの海岸物語 ~外房九十九里を走る~

ワルの海岸物語 ~外房九十九里を走る~お昼くらいにちょっくらドライブでもしようかと外出の準備を整えていると、不思議なことに降りしきる雨が止み、雲が途切れ、やがて蒼色の青空が見えてきた。おお、晴れてきた!
晴れ男の神髄ここにみたり^^v

特に行き先は決めていなかったものの、首都高に乗ってから海を見てみようと思った。
そこで、一気にいっちゃった。千葉の外房まで♪
千葉東金道路の山田ICまでは有料道路を使用。
あとは日射しの強そうな方角に向けて一般道を適当にクルージング♪

と、その前に、東関東道の湾岸幕張パーキングエリアにてお昼を堪能したことも付け加えねば。
「千葉丼」なるものがメニューにあったので、早速注文!
とろろご飯の上に、ゴマをまぶしたカツが載っていて、海苔がまぶしてある。
これはアリだなと思った。おいしい!
ウチでも作ってみることにしよう♪
ところで、この「千葉丼」というのは、千葉では有名なんだろうか?





今日は午後になって急に晴れたどころか、気温もぐんぐんと上昇。半袖一枚で十分な気候だった。
そんななか、外房の大網白里海岸に到着!
気分は真夏のよう^^v







広大な太平洋の海原の彼方にはアメリカ大陸があるんだろうなという想像をしてみたりした。絶え間ない潮騒はいかにも外洋らしく、波濤を乗り越えれば彼方まで確かに辿り着けるのだなという想像である。
そんな想像をBMG付動画にて具体化したので、ご覧あれ~



続いて、海岸沿いをひたすらまっすぐひた走る九十九里有料道路に乗り、アメリカンな気分を満喫。なんだか西海岸に来たみたいだぜ♪yeah!





心なしか、愛車が4気筒からV8に進化したような気もした(笑)
とにかく、風を浴びて気持ちがよかった~

九十九里有料道路の一宮パーキングエリアにて、再び大海原を見る。
大網白里海岸と比べて波が荒々しい。
しかし、太平洋らしい荒波立つ海を間近に感じるには格好の場所ともいえる。



さて、そんな荒波立つ太平洋の様子をまたしても動画でご紹介。
今度はBGM無しなので、生の潮騒の音をお楽しみくだされ^^





海沿いを自在に堪能したあとは、獣道を舗装化したような感じの里山に囲まれた裏道をドライブ。千葉市内で京葉道路に乗り、幕張パーキングエリア(行きに立ち寄った湾岸幕張PAとは異なる場所)にて、しばし読書・瞑想・睡眠をしたのち、順調に都内へ。
洗車をしたのち、帰路についたとさ^^v

ああ、楽しかった^^v
Posted at 2011/10/22 22:56:56 | コメント(4) | トラックバック(0) | ドライブ | クルマ
2011年10月19日 イイね!

近江・若狭紀行 湖西朽木を行く

近江・若狭紀行 湖西朽木を行く
承前

琵琶湖界隈の狭隘ながらも殷賑を極めている大津市街は、東岸に琵琶湖を湛えているせいか、非常に明るい感触がする。燦々としているという表現が似つかわしい。海沿いの道路を北上していってもその風は変化しないどころか、都市型の高層住宅の家並みが見当たらなくなるためだろうか、湖岸沿いからの眩しい光がなお一層強まってくるような気がする。

琵琶湖大橋の手前の堅田という辺りで自動車が混雑してきたので、進路を西へとることにした。もとより、私は湖西地方(滋賀県の琵琶湖西部地帯のことを指す)という山がちな地域に進路を進めようとしており、平らな地面に豊かな田園風景が広がる琵琶湖の東岸とは対照的な風景と対峙するつもりでいた。
琵琶湖を離れると、なんだか急に風情が雛さびたようになり、さらに北上するといよいよその感が強まり、やがて杉林に覆われた山岳に左右を囲まれるようになる。
もはや、琵琶湖の広大な湖水を眺めることはできず、山岳に囲まれた一本道の国道367号線沿いには、所々集落が存在するのみで、国道以外の道といえば、その集落に行くための道だけが存在しているような按配である。そのような光景である。
国道は快適なワインディングが続くが、少し前までは道路が狭かったらしく、ようやくにして拡張工事を行っている場所も見受けられた。それくらいに雰囲気が大津を北上すると異なってくる。

ワインディングの快走路の左隣に渓流が流れている。琵琶湖に注ぐ安曇川の上流らしい。車窓からちらりと見ただけでも、水の透明感がわかるくらいに清らかで、現在高島市となった市域に入ってすぐにある朽木(旧朽木村)に入ったときに、試みに渓流を横断する狭い幅の橋を渡り、朽木のなかに複数ある集落のとある一角に向かうことにした。







いかにも古民家という雰囲気が濃厚な集落には山々が迫り、眼下に清らかな渓流を眺めることができる。私は土手上にある一角に腰を据えて、清らかな水の流れの紋様や水底の粒子の細かな砂利をしばらく眺めていた。
幸いにも天気が快晴で暑いくらいの陽気であったから、半そでシャツ一枚にいでたちを変えて、飽きずに流れてきては消えていく渓流の水の動きをひたすら観察していた。時間の流れが実にゆったりとしている。







朽木といえば、朽木氏という土地の豪族がいて、面白い話がある。
戦国の昔、越前の朝倉氏討伐に向かった織田信長(徳川家康も連合軍として合流)は越前金ヶ崎(敦賀)にて、絶対中立を守ると思われていた浅井氏に裏切られ、もはや逃げ道が無くなってしまった。
ちなみに、近江今浜(現長浜)を根拠とする浅井氏は信長の妹のお市の方が嫁いだところで、秀吉の側室となる淀殿や徳川二代将軍秀康の正妻となるお江などは、浅井長政とお市の方との間に設けられた子である。もう一人、お初というこれまた京極高次という大名に嫁いだ子と合わせて、彼女たちが戦国期に慄然と輝いている様子はまるで奇跡のようである。
女性がかくも揃って歴史の表舞台に登場するという様子は、男性中心と言わざるを得ない歴史世界においては、類い稀と言えるのではなかろうか。
信長は妹を嫁がせてまで友好関係を保った浅井氏に裏切られたのだ。

四方八方に取り囲まれたときの人間の行動というのはたくさんあるが、このときに信長がとった手法が雲隠れであった。側近にも知らせずに密かに金ヶ崎を脱出した。
同盟者の家康ですら知らされていなかった。そのようなことを平気でできるところに信長の天才性があると私は思っているが。

さて、逃げ道としても周囲は敵だらけ。京都まで戻ればなんとか一息をつくことが出来るが、京都までどのようにして戻ればよいのだろうか。
ここで、戦国時代そのままを体現したような松永久秀という人物が登場する。
彼は下克上の戦国そのままの人間で将軍や主家を殺し、また大仏を焼いたりと、秩序の乱れきった戦国の世の中を体現しているような人物であった。
ただし、信長が上洛したときに幕下に入った。狡猾な人物だけに、人を見る目があるのだろう。このとき、久秀は信長に近侍していた。

久秀は当時の朽木家の当主であった朽木元綱と親交があり、したがって、越前敦賀からの逃避行は久秀の建言により、山深い湖西の道を通ることとなった。湖西を経由すると確かに京都までは近い。
朽木元綱はこのときに信長を歓待し、その後信長麾下に入る。
この逃避行を「朽木越え」という。
なお、仲介の労をとった松永久秀は数年後に信長に反旗を翻し、名物茶器と共に爆死した。

しばし朽木とは別の話をする。関ヶ原の戦いは戦略面での家康の狡猾さが勝敗の肝となったといえる。関ヶ原の合戦陣地配置図を見ると、明らかに西軍が有利なのだが、西軍は結局、不統一で統帥格の毛利輝元は大坂城(明治期までは大阪ではなく、大坂と表記した)に居座ったままだったし、実質的な西軍指揮官の石田光成(彼も近江出身である)は禄が少なく、また人望が無かった。
ゆえに、裏切りは無論のこと、いざ合戦が始まっても日和見を続ける大名が続出し、結果、家康は天下を制したのである。
朽木元綱は信長の死後に秀吉に仕えた。さらに秀吉の死後は西軍の一員として関ヶ原そんな不統一な西軍に属し、東軍に寝返った一人であったが、果たして定見があったのかどうか。或いは、もともと東軍側から諜略の手が伸びていたのか。そのあたりの事情については私は詳しくしらない。
戦いの後は、事前に東軍との関係を明らかにしなかったということで、一万石以下に所領を削られてしまったが(戦いの前は二万石の禄があった)、とにもかくにも所領は残った。
元綱はその後、朽木で死ぬ。

話を戻す。
関が原の戦いは1600年のことである。今から四百年以上も昔のことであるが、当時からそれほど風致は変化していないのではないかという感を強くもった。とりわけ、朽木の集落を囲む山々と実に清らかな水の流れだけは、悠久の歴史からみれば極めて短い四百年ほどではほとんど変化しているようにも思えず、そういう意味では歴史的史跡には乏しいが、現在の風景そのままが歴史的史跡と化しているという風にもいえるだろう。
そして、私は朽木元綱の事績については細かくしらないけれど、やけに印象深く覚えていて、ゆえに湖西に進路を取ったといっても、それはあながち間違えではない。

現代的な遊び場を探すとすれば、渓流沿いにあるキャンプ場くらいであろうか。また、朽木を始めとした湖西地方は日本海側の気候に属し、ゆえに冬は積雪がある。したがって、いくつかスキー場がある。となると、冬場ともなれば関西圏のスキーヤーたちが湖西辺りに集まり、様相が変わるのかもしれない。
この季節ではさすがにまだ北国らしさを見出すことはできなかったが、霜月辺りにはぐっと冷え込んで、北陸と同様に時には豪雪に見舞われることもあるのかもしれない。とすると、山の高い位置から琵琶湖を眺めることができたとしても、それは霞がかった灰色の土地が展開している風であり、私が見てきた大津での実に鮮やかで明るい湖水の色とは正反対の印象を与えることだろう。



再び歴史の話をする。
古来より、北陸若狭で鯖が水揚げされ、京の都まで運ばれた。明治に至るまで輸送の主流は水運だったから、保存された鯖のほとんどは琵琶湖の水運を利用され、大津で陸揚げされたものと思われる。ただし、一部陸路で京まで運ばれた鯖もあるに相違なく、ゆえにだろうか、国道367号線は別名鯖街道と呼ばれている。朽木には数々の鯖の名物が販売されており、これほどの山奥で海の魚が名物とされるのだから、鯖の流通がいかに盛んだったかが偲ばれよう。
山間の道をさらに進んで、滋賀県を過ぎ、海からはまだ程遠い県境の道の駅に入ったのだが(道の駅は福井県に属している)、そこで売られていたのはやはり焼き鯖寿司などの、海水魚を素材にしたものが名物で、この点で、山間部に鯖の食べ物が売られているのは珍奇でもなく、正しく歴史の名残を留めているといえよう。



その鯖が水揚げされたであろう日本海に向かうべく、北上することにした。
Posted at 2011/10/19 20:52:37 | コメント(4) | トラックバック(0) | ドライブ | クルマ
2011年10月18日 イイね!

プロペラの機体を眺めたり音を聴きながら

プロペラの機体を眺めたり音を聴きながら
今日は事情があり、急遽午後に調布へ。電車での利用も可能でしたが、ここは敢えて愛車プリメーラのイグニションを捻っていくのが、クルマバカの真骨頂というものでしょう。というか、この心地良い陽気でクルマに乗らない手はないでしょう(笑)

しかし、ただ調布へ行くだけでは面白くないので(笑)、調布市内の調布飛行場内にある「プロペラカフェ」というお店で、少々遅い昼食とスイーツを楽しみました^^v

ここのお店はプロペラ機やヘリコプターの格納庫に隣接しており、時折、離発着する機体を眺めることができるとても素敵なお店です。食事もおいしいですし、スイーツも素晴らしい。そこで、ゆっくりと機体を眺めながら会食を楽しみ、大いにリラックスしてきました。

超長いロールスロイスが停車していたり、フェラーリ458イタリアがフツーに停車していたりもしますが、気軽に立ち寄ることができます。
飛行機の模型の展示・販売もできますし、機体を近くから眺めることができるので、調布に用事のある方は、是非ともお立ち寄りくださいませ~

なお、調布市は新撰組の近藤勇出身の地でもあります。
幕末の歴史ロマンを感じたい方も是非お立ち寄りくださいませ。
って、なんだか調布市のことをやたら持ち上げますが、別に他意はありません(笑)

フォトアルバム(下記アドレス参照)
https://minkara.carview.co.jp/userid/730895/car/643437/2836681/photo.aspx

久し振りにおすすめスポットにも登録しておきました(下記アドレス参照)。
https://minkara.carview.co.jp/userid/730895/spot/604668/edit.aspx


Posted at 2011/10/18 22:40:20 | コメント(3) | トラックバック(0) | 思い出 | 旅行/地域
2011年10月16日 イイね!

久し振りのテニス練習風景公開

久し振りのテニス練習風景公開久し振りにテニスネタでも記しましょうか。

テニスに関しては着々と上達の兆しが見えていますが、ラケットの面の張りを硬い設定にしてある(硬いと飛びにくいと一般的には言われています)ためか、近頃は多少、高めに狙っていてもネットすれすれの打球になることが多かったのです。
ただ、道具のせいにはしたくはないですよね。道具の如何に関わらず、それなりの結果を残すのが当然だと思っています。
自動車であれば、スペックの如何に関わらず、自分なりの走法をするという感じでしょうか。自分の身体の力で以て、どういう状況にあってもこなすことが重要であると私は考えています。

しかしながら、思い切って張りの柔らかいラケットに変えてみて、とにかく高めに打とうという意識だけで打ったのが、以下にご紹介する動画内容です。
ただ、バックのボレーは高めに浮きあがることが多く、自分から足を踏み込んでいけば、もっと低めに打つこともできるのですが、この時点では浮き上がってしまいました。
ラケットの面が上に向いているのだなということは理解しているので、その点は改善できるでしょうし、今では改善されています。いやしかし、動画を見る限りでは面が上を向いているというだけではないという風にも感じますが。今はさておきます。

今年の五月頃から続けている独学テニスですが、それゆえにこうしていろいろと試行錯誤しながら考えることができることは幸せです。
それが非常に面白いんです。
因みに、動画はテニス関連のSNSで知り合った方に撮影していただきました。
本当にありがとうございました。何度も見直しています。



今日もしばし練習したのですが、打点の高低やコントロール性についてはだいぶ改善されてきたように思えました。
テニスは精神力と身体がコラボするスポーツなんだなということを改めて感じた次第です。
一歩成長したような感がします。

Posted at 2011/10/16 23:30:36 | コメント(5) | トラックバック(0) | スポーツ | スポーツ

プロフィール

「玉川、江田、西方寺、大黒、本牧と経て、横浜南部市場で🍣食ってます。」
何シテル?   06/13 20:42
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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