• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ワルめーら@Terryのブログ一覧

2012年04月08日 イイね!

花まつりの日は桜三昧  Watched the cherry blossoms

花まつりの日は桜三昧   Watched the cherry blossoms
今の東京は至る所に桜の花が覆われていて本当に桃源郷のような佇まいすら見せている。ユートピアが一気に首都東京に出現したといってもよいかもしれない。
春の訪れは私たちの心を躍動させ、昂揚させる。
人間存在が自身のもっとも無邪気な様相を呈するのがこの時期なのかもしれない。



ルノージャポンのディーラーさんからの案内があったので、ゆったりと地元の桜を観賞しながら、ディーラーに向かうことにした。
メガーヌRSやウィンドゴルディーニRS、カングーといった通好みのクルマを存分に味わい、特にカングーについては試乗もしてきたのだが(さすがはルノーでマニュアル車をすぐに手配してくれた)、それらについてはいずれ記そう。



ディーラーさんからカングーのミニカーをいただいたのだが、帰宅してびっくり。
なんと本場フランスのミニカーのようだ。NOREV(ノレブ)というブランド。
さて、ミニカーを裏返しにしてみると「RENAULT Kangoo2007」という表記がある。
07年製なのか、或いは07年モデルを敢えて作成したのか。私は前者だと思うが。
現在の日本に導入されているカングーは観音開きのリアドアのみ。
ところが、このカングーのミニカーは観音開きではない。
いや、07年当時なら、日本にも観音開きでない仕様も輸入されていた可能性もあるが、ともあれ、ノレブというブランドが刻印されている時点で、なんと本場のミニカーをゲットしたのだ。
トミカよりも大振りだが、ディティールはなかなかの造り込みである。
なんだかとても嬉しい。

さて、ルノーのディーラーを後にして向かったのは有楽町線の千川駅。
ちょうど、池袋から千川通りという自動車道路が走っていて、二つの大きなトンネルをくぐり環七に出る(千川通りは環七に分断されながらも、これより先まで続いているのだが今はさておく)。
今回は千川からトンネルの上の部分を歩き、環七に到着したところで再び千川に戻るという散策を決行した。
千川通りを運転したことはあまたあるが、トンネルの上を歩いたりしたことはほとんど記憶にない。
折しも桜が満開な季節ゆえに、てくてくと徒歩で桜観賞を楽しんでみた。
二つのトンネルの上はいずれも学校になっており、その脇を遊歩道が囲んでいる。
のどかな光景である。
なお、豊島区・板橋区の境にある(都立板橋高校と旧豊島区立千川小学校)道路脇に広がる桜も眺めてきた。
本当に桜尽くしの一日だったのである。




この辺りは区境が錯綜していて、千川は豊島区だがすぐ近隣は板橋区となる。
また千川の隣駅である小竹向原駅は板橋区と練馬区をまたぐ(小竹町が練馬区で向原が板橋区に属す)。



その後、千川から新宿へ向かい、ビクトリアにてテニス用のバックを新調した。
また、テニスをする時に履くジャージも新たに購入した。
かくして、ますますテニスを満喫できる環境が揃ってきていることに感謝したい。



ともあれ、本当に桜の花のきれいな一日であった。
そう、今日は釈迦の生誕の日であった。
各地で開催される花まつりには参加しなかったが、日本では珍しい臥している釈迦像を拝んできた。割合と近所にある。



涅槃の境地に至った釈迦は、やはり桜の花の美しさに感嘆するのではあるまいかと私は思う。
悟り(涅槃)とはあらゆる感情を単に放り出して執着しないだけではないと思う。
悟りとはもっと多様性のあるもので、美しいものを眺めれば美しいという気持ちが涌き起こるのだと思う。
無感動であることが悟りだとすれば、それはなんだか味気ないし、この地球世界が生成した美しさの意味がない。
意味のない事柄はこの世界にはないと私は考える。
ただし、どんな感情に対しても客観的でいられるという構えは必要なのであろう。
この辺り、小難しく考えると悟りどころではないが、要はあらゆる事象に対して感動して、感謝すればいいのだと思う。


【A strange psychological structure for cherry blossoms exists in Japanese】
For us,to watch the cherry blossoms in Spring must be kind of special opportunity to recognize we are Japanese as well as enjoy its beauty.
Almost Japanese will agree to my opinion.

Strange to say,we don`t know why we feel such a re-recognition through watching the cherry blossoms.
Is it for tradition or DNA as a nation?

That is why, we don`t know why the above enthusiastic(fanatic?) emotion for cherry blossoms is yield on our minds,we surely feel that we have Japanese unique feelings and at the same time we only enjoy its beauty.
It`s difficult to explain for foreigners this strange psychological structure we have.

Anyway watch the photos of some beautiful cherry blossoms if you like:)

Terry


Posted at 2012/04/08 22:49:10 | コメント(4) | トラックバック(0) | ほのぼのとした日常 | 旅行/地域
2012年04月05日 イイね!

花見露天風呂とNゲージ

花見露天風呂とNゲージ
いったいいつの頃からか、日本人は桜の花を愛でるようになりました。
愛でるというよりも、春の象徴であり、花を見るだけで心が安まり、或いは、心がわくわくするほどに桜の花を愛しています。
芽ぶいてから花が満開になり、散るまでの間、私たちはいつだって心休まり、心をわくわくさせ、散り際には時にはかなさを感じたりします。
桜の花自体が日本人にとっては文学なのでしょうね。

外風呂に対する日本人の愛好も強烈ですね。
現在のようなお湯に浸かる形式の風呂が普及したのが江戸時代とされています(江戸以前の風呂は蒸し風呂のようなものだったようです)。
外風呂の象徴であった銭湯は社交の場としても機能したようですから、銭湯は庶民版サロンであったともいえるでしょう。当時は男女混浴が普通だったため、幕末に下田に駐在したアメリカのタウンゼント・ハリスは非常に驚いています。ハリスは日本人の穏やかさや清潔な環境を評価しましたが、混浴の習慣には馴染めなかったようです。彼は敬虔なプロテスタントでもありましたから。
銭湯の隆盛について考えると、当時は内湯のない人たちが多かったという事情が想定されるでしょう。しかし、現在においてはほとんどの家屋で内湯があるにも関わらず、私たちは外風呂へと向かい、それに喜びを見いだします。
そんな外風呂のなかでも、殊に温泉に対する愛好は日本人独自のものではないでしょうか。古くは湯治としての役割を果たし、現在でもその役割を果たしていますが、温泉に浸かることそのものを目的とする人々がたくさんいます。現在は、スーパー銭湯が普及し、温泉も採掘しやすくなりましたから、私たちはいつでも温泉を楽しめるわけです。

そんな日本人の桜の花への愛好と外風呂(特に温泉)への愛好を同時に味わうことができるのが、露天風呂でしょう。屋外で桜を直に眺めるのが一番ですから。
桜の花のピンク色の咲き誇りを愛でながら、じっくりと温泉に浸かります。
このような光景に恍惚を感じる私、ワルめーらはけん★団長さんと共に、露天風呂の温泉に浸かりながら花見を楽しんできたのでアリマス、ハイ。
この日の出来事を記したけんさんのブログ「さあ!はじめよう~(^^♪」へのリンクも併せて挿入しますので、是非ともご覧ください。

さてさて、皆さまが期待している二人のヌード写真はお見せできませんが(笑)、大いに心安らかに、心ワクワクしたことをご報告いたします。
クルマが大好きな皆さまには私の愛車とともに、けんさんのオンリーワン(どのクルマも本質的にはオンリーワンですけれど)のスカイラインの写真をお見せしましょう。




往年のDR30を彷彿させる素晴らしいインパルの34スカイラインですね。
私は私で、今後はどういう具合に愛車と対峙しようかと日々想像しております。
「日々是想像・創造」です。

温泉ですっかりいい気分になったあとは、鉄道模型屋さんへ。
私は鉄道模型屋さんなるものに入るのは初めてです。
鉄道そのものにも関心がありますし(ローカル線が好きです)、鉄道模型の精巧さや、鉄道模型が走るジオラマ空間の臨場感にはたまらない魅力を感じています。
ここの模型屋さんにはNゲージ規格の鉄道模型が走れるレイアウトがあり、持込みで走らせることができるそうです。
私は鉄道模型を持っていないので、レンタル(無料)をしました。
選んだ車両は山手線です(JR東日本231系)です。
山手線ですが、編成は五両です。車内檄混みが予想されます(笑)




操縦席はこのような感じになっています。単に動かすだけではなく、ポイントの切り替えを行ったりして進路を変えることもできるんです。これが面白くてすっかりはまりました。


車庫で待機


ポイントを切り替えて。。


駅に停車


ものすごくリアリティがあり、びっくりしました。


けんさんの持込み車両とすれ違い

無邪気な気分で大いに楽しみました。
見事にはまりました(笑)

続いて、もう一件の鉄道模型屋さんに向かいます。
こちらは、中古の鉄道模型を販売しているお店だそうです。
けんさんによれば、鉄道模型は小ロットでしか生産せずに、廃盤となるケースが多いのだそうです。そのためか夢中になって鉄道模型を物色している方々がたくさんおられました。私も含めて(笑)

そしてついに、子供の頃から独特のフロントマスクが気に入っていたEF66という直流電気機関車の鉄道模型を購入しました。
連結する車両も欲しいので、セメントを運ぶ車両も同時に購入。
貨物牽引車としても活躍した機関車なので、30両くらい引っ張りたいですね。



鉄道模型にはいろいろな楽しみ方があると思うんですね。観賞してもいいですし、コレクションする楽しみもあります。また、実際に走らせる楽しみもあります。
鉄道の駅舎や街並みなどのジオラマを購入し、仮想世界を構築するという楽しみもあるでしょう。
まさに楽しさは無限にあります。
私は走らせることに喜びを見いだしたので、まずはこのEF66を時折、走らせてみたいと思います。
そしてまた、私に新たな楽しみを見つけ出してくださったけんさんに改めて感謝したいと思います。

「生きる目的を敢えて述べよといわれるならば、それは常に自由な気持ちで楽しむことである」(ワルめーら)










Posted at 2012/04/05 19:57:03 | コメント(6) | トラックバック(1) | 鉄道 | 趣味
2012年04月04日 イイね!

今日もエネルギー満開

今日もエネルギー満開お風呂に浸かり、芋焼酎トマトジュース割り(タバスコを少々)を飲んで、さらにエネルギーが増してきました。こんばんは。

都内でも桜の花がほぼ満開になりましたね。
実に不思議なもので、桜のピンクの花びらが咲き誇っている様を見るだけで、ワクワクした気持ちになるんです。
私も正しく日本人なんですね。
性格がイタリア人ぽいと言われますけれど(笑)
ピザやパスタ、ラザニアなどとことんイタリアの料理は好きですし、「ナポリを見て死ね」の格言にあるようにナポリなどイタリアらしい都市や田舎を散策したいとずっと思っています。アバルトやアルファロメオなどもいいですよね!

さて、四月になり陽気が急激に温暖になりました。
GSで空気圧調整と給油をしたあとに、テニス練習場でサーブやストロークを楽しんできたのですが、夜にも関わらず暖かかったですね。
運動量の関係もありますが、Tシャツ一枚でプレイをしたのは今年初です。
因みに、今日は「ぽんっ」という気持ちのいい音を連発させました。暖かいのでボールが当たる音も良いのでしょうね。
それと、私が上手なのでしょうね(笑)
ともあれ、絶好調でした。
コートを借りてどんどんプレイしたいです。



さて、今日一日に感謝して、明日も明るくいい気分で過ごすことにしよう。








Posted at 2012/04/04 23:24:12 | コメント(2) | トラックバック(0) | ほのぼのとした日常 | 日記
2012年04月04日 イイね!

一泊二日淡路島の旅 【淡路島南岸・西岸 陵と大海原篇】

一泊二日淡路島の旅 【淡路島南岸・西岸 陵と大海原篇】  承前
淡路島東岸沿いを南下しつつある(南淡路水仙ライン)。
中途にやや険しい山岳路のような道路があったものの、後半(淡路島南部)はもっぱら西方に広がる大海原をほぼ間断なく見ながら進んできた。
海峡の海原は船舶の往来が非常に盛んで、船の機関が発する「ゴー」という音だけが、蒼くて静かな海原の上で静かに響き渡っている姿が印象的であった。



クルマの進路から向かって北西の方角に沼島という小さな島が見えた。
小さいといっても汽船が発着するくらいの規模はある。
「古事記」では、イザナギとイザナミの夫婦が別天津神(ことあまつがみ)たちに大地を完成させることを命じられる件がある。
別天津神たちは天沼矛(あめのぬぼこ)なる矛を与えた。
イザナギ・イザナミ夫婦神は天浮橋(あめのうきはし)に立って、天沼矛でもって渾沌とした大地をかき混ぜたという。このとき、矛から滴り落ちたものが積もって島となった。
この島のことをオノゴロ島というのだが、沼島がそうではないかとされている。
この沼島(オノゴロ島)を軸に夫婦は淡路島などの島々を生み出していったのである。
古い神話時代の事柄を収録した「古事記」が完成・献上された712年という年は、平城京ができて二年後となる。日本の都が大和の奈良にあったわけで、淡路島からもものすごく遠い地域ではない。
平城の都ができる遙か前に、この淡路島や付近で、大和朝廷に関わる何らかの事柄が起きたものと思われる。

淡路島南部までクルマを進め、やがて道をやや内陸にとると、たまねぎ畑や小さな里山が散在するのどかな風景が周囲を覆い、水仙や菜の花が煌びやかに咲いている風景の中に包み込まれた。今までのルートとは相貌の異なる淡路島の風景であった。



淡路島自体は既に述べたように、神代の時代の欄に既に記述されている程に歴史的に古い土地である。にも関わらず、大がかりな伝統的遺物が整然と並んでいるという風ではなく、いい意味でのんびりとした田舎であった(ただし、中心部の洲本市などはかなり発展している)。
つまり、古格を備えながらも、その表面的な風貌はのどかな風景が千年も続いてきたような感がする土地であり、もしも、上代の人間の営為を探し求める(想像しようとする)のであれば、現代の淡路島の人文・自然風景をそのまま見るのが一番なような気もする。
私の印象である。

再び海原が見える場所に来た。南側に海を面した地域で、海原の遠景にはおそらく四国と思われる陸地がうっすらとあわあわと浮き上がっていたことが印象的である。
海のすぐ近くまでクルマを運転し、しばらくクルマのエンジンを停めて、さざなみの規則的な音と時折彼方から聞こえる船舶のエンジン音のみを聞いていた。
実に静かな土地である。
阿万(あま)海岸という。
家屋の姿も見えないような場所ではないものの、往来する人はまばらである。
ここでも海は蒼く、そして空は輝いていた。





淡路島南部の海沿いの道を西へと進む。すると、徐々に登坂がきつくなり、ワインディングが連続する道路に変貌した。周囲は木々に覆われ、海原は姿を消した。
吹上という場所に向かっているようだ。
やがて、数度のカーブをクリアして登坂すると、いくつかのリゾートホテルが見えてきた。また、視界が徐々に広くなってきて、また空が輝き始めた。そして、海原が眼下に近景に遠景に見えてくるようになった。非常な絶景である。ちょうど、淡路島から徳島県の鳴門の間を架橋している橋も見える。




眼下には内海を擁した街が見えた。福良と呼ばれる集落らしい。淡路島南部では比較的賑やかな場所で、南あわじ市の中心部なのではないだろうか。
渦潮ツアーのための船舶が発着している港があり、そこで食事をとった。
渦潮という自然現象に関しては大いに興をそそられているが、此度は見送って再訪時に改めて見に行こうと思った。きっと渦を巻いた潮の競演を堪能できるだろう。



※徳島名産のすだちのジュース

さて、食事処ではやはり、海の幸が豊富であったが、淡路島はどうやらたまねぎの産地らしく、お土産屋ではたまねぎに関連した商品が多数売られていた。
たまねぎ栽培の歴史は非常に古く四千年もの歴史があるとされている。ただし、日本に本格的に導入されたのは明治になってからで、明治4年に北海道開拓使によって持ち込まれたものらしい。
ところで、たまねぎは当初、日本人の味覚に合わずに、明治後年以降は海外へ輸出されていたらしい。たまねぎが日本人の舌に盛んに入るようになってからは戦後からのようである。
淡路島のたまねぎ栽培が本格化された時期はわからないが、明治の頃から栽培されていたとすれば、盛んに船に積載されて輸出されていたはずである。或いは一旦は大阪や東京まで輸送されたのか。いずれにせよ、船を利用して輸送していたことは間違いなく、四方をこれだけのダイナミックな海原に囲まれていると、往時の様子がかなり明瞭に想像される。

お腹を満たしたのち、再び内陸部に進む。八幡という交差点にさしかかったところ、右前方に丸っこい小さな里山を見つけた。
付近はたまねぎ畑に囲まれた場所で、これといってなにもないような場所ではあったが、里山の一角に至るにおよび、そこが奈良時代に在世した淳仁天皇の陵であることがわかった。



淳仁天皇は淡路廃帝とも呼ばれている。在位途中で帝の地位を剥奪されたのである。
淳仁帝は弓削道鏡との関係で有名な孝謙女帝が活躍した時代に生まれた。
孝謙から帝位を譲られた淳仁帝は、道鏡を重用する称徳に批判的だったため、天皇の地位を孝謙から剥奪されてしまった。その後、孝謙は再び天皇となり(これを重祚〔ちょうそ〕という)、こののちに称徳天皇と呼ばれる(注:天皇の呼び名は死後に追贈されるものであり、在世中・存命中は名称では呼ばれない)。そして、ますます道鏡を重用していくようになる。
当時、藤原仲麻呂という人物が孝謙と蜜月であった。孝謙は彼に恵美押勝という美名まで与えている。仲麻呂は一時期、大いなる権勢を誇った。
しかし、次第に孝謙に疎んじられ、追い込まれた仲麻呂が乱を起こしたときに、淳仁帝は仲麻呂との仲の良さを理由に乱の関与を疑われ、親王待遇に降下され、淡路島に流され、その地で没したとされている。死因は不明である。
たまねぎ畑の間を縫う狭い道を通り、ざっと陵の周囲を回ってみた。
本当にのどかな風景が広がるだけで、生々しい平城京の政治臭など一切しない。
もっとももう千三百年ほど昔の話であるが。
ともあれ、淳仁は淡路島に陵を持っていて安らかに眠っていることは確かだった(天皇陵というのは謎が多いが、淳仁帝が淡路島に流されたことはほぼ確実で、淳仁の陵とされている地もほぼ彼自身が埋葬されている可能性が高いと思う)。



再び海原を見た。紀淡海峡以上の大海原で対岸が見えないほどである。淡路島西岸地域はこのような広大な大海原と接しており、波が穏やかであるという点を除けば、太平洋や日本海などの外洋とあまり変わらないような気もした。
大海原を西の方角に擁するこの付近は夕日の美しさで知られているようだ。西岸沿いを走る淡路サンセットラインを走破する機会を得たが、まだ日が海原の中に沈むまえに
通過したので、荘厳な夕日は見られなかった。ただ、さぞ大がかりな自然が織りなす舞台装置が展開されるのだろうなという想像は付いた。向こう岸の見えない大海原に沈む赤い太陽。赤い太陽に照らされたオレンジ色に輝く海原。これらがサンセットラインを静かに照らす。そして空は闇になり、海原はその姿を消す。




北淡(ほくだん)というICから本四連絡道(神戸淡路鳴門自動車道)に乗り、行きと同様に淡路SAに立ち寄り、美しい都会美を堪能した。明石海峡大橋を渡れば、久方ぶりの本州であり、阪神高速から再び神戸の夜景を堪能しながら、東へ東へと進路を進めた。
淡路島一泊二日の旅の幕は閉じた。
(了)







*本文中の「阿倍仲麻呂」は「藤原仲麻呂」の間違えです。訂正いたしました。
 (付記:ブログを書いた当初、藤原仲麻呂を阿部仲麻呂と表記していた)
 阿倍仲麻呂は遣唐使に乗船した人物です。
 該博な知識で、当時の唐の皇帝に気に入られ、なかなか帰国が果たせず(諸説あ
 り)、ようやく帰国許可を得るも、船が嵐で座礁し、またもや中国に戻ってしまい、
 一生を大陸で過ごした人物です。同期に俊英でなる吉備真備がいます。
 百人一首で有名な「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月か 
 も」という歌は望郷の念を強くした、阿部仲麻呂が詠んだ歌として親しまれていま 
 す。
 一方、藤原仲麻呂は前時代の藤原不比等とともに千年以上にわたる藤原氏の隆
 盛の礎を作った人物という評価ができるかもしれません。ただし、あまりにも権力を
 持ちすぎたために、他の藤原家からも追い落とされた結果にもなりました。しかしな
 がら、藤原氏の勢力は以後さらに拡張します。
Posted at 2012/04/04 18:47:46 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記
2012年04月03日 イイね!

一泊二日淡路島の旅 【淡路島東岸 リゾートと砲台篇】

一泊二日淡路島の旅 【淡路島東岸 リゾートと砲台篇】 ふと思い立って、淡路島へ行こうと思ったのが、日曜日の午前中のことである。
こういうインスピレーションは大事にしたほうがいいと私は考えるし、思えば淡路島は通過したことはあるものの、滞在したことはない。
しかし、「島」とはいえ、その面積は広大で思わぬ発見もあるだろう(日本列島自体が島なのだけれども)。むろん、感動もあろう。
また、イザナギ・イザナミの国生みの神話にも淡路島は登場する。まさに神代の時代からこの島は存在していたのだ。
ゆえに、歴史的な地層の深い土地でもある。いささかの興味がある。
なお、出発前に記した「これから淡路島に行きます」のブログ(https://minkara.carview.co.jp/userid/730895/blog/25957159/
にて、イザナギ・イザナミと淡路島誕生の経緯については少々説明した。
話を戻そう。
日曜・月曜日ともに天気も良いようだし、気温も上昇するようだ。
そこでさっそく宿を予約する。これもほぼ直感だが、この直感が功を奏すことにのちに気付く。

日曜日の午後に東京を出発し、西へ西へと突き進む。
道中の事柄についても記そう。
静岡ではソメイヨシノが既に満開であった。
天気は快晴であり、まだ冠に雪をたたえた富士山もよく見ることが出来た。
神戸市街の夜景は海沿いの高速から眺めていても本当にきれいで、都市が織りなす夜景美のなかでも、必ず上位に食い込むだろうと私は思っている。
因みに、私は六甲から眺める神戸市街(大阪・和歌山・淡路等も)の夜景が大好きである。人間という存在が創造した「都市の夜景」のなかでも殊更に秀逸な作品であると思っている。


*東名高速由比PA下りから眺める富士山と駿河湾

*阪神高速3号線(神戸線)京橋PAにて

明石海峡大橋を渡るのは何年ぶりであろうか。
大橋が完成した98年くらいに、私は既にこの橋を渡ったことがある。思えば長い付き合いである。だが、当時も今もその橋の形状の美しさと橋上から眺める夜景の美しさだけは不変である。


*淡路島側に位置する淡路PAから美しく彩られた明石海峡大橋を眺望する

さて、明石海峡を渡り、淡路島のリゾートホテルに到着したのが、予定を大幅に過ぎる午前零時過ぎ。
なんと支配人さんとおぼしき初老の男性がホテル入り口の暗い道を立っていて、われわれ(今回は妻と同行)を待っていてくださったのだ。なんたるお心遣いであろう。

ホテルはウッド調のモダンな建物で、ベランダから眼下を見下ろすとプールやヨットの停泊場が見える。ちょっとしたリゾート地であったのだ。そして私はそのことすらろくずっぽ知らずに予約したのだ。心の奥深い潜在意識では認識していたのかもしれないが。




さらに視線を少しだけ西にやれば、もう海が見える(大阪湾)。
大海原の向こうに見えるのは和歌山の街であろう。淡路島と本州の間でももっとも幅の狭い紀淡海峡の近くに宿を取ったのだが、存外に対岸は遠いような気もしないでもない。



チェックアウト後はホテル近くのテニスコートにてテニスを楽しむ。
テニスレッスンを受けている団体が一組いるだけで、なんとものどかなひとときであった。
ホテル側にテニスコートがあることに気付いたのは、ホテルの予約をしてからであった。
旅に出発する日の起床前になぜかテニスをしている自分(どこでプレイしているのかはわからない)が脳裏に焼き付いていたのだが、ここ淡路においてそれは実現した。とてもありがたいことだと思う。思いは実現するのだ。



その後、淡路島東岸の海沿いの道路を南下しながら、明治時代に築造されたという砲台跡を見る。既に整備されなくなってから久しく、すっかりと木々が生い茂り、自然と一体化している。
人造物はおよそ、すべて歳月とともに、自然に帰すのだなということが了解された。

ところで、淡路の天橋立のような実に面白い形をした地形を俯瞰することができた。
成ヶ島というらしい。
滞在中はほとんど意識していなかったのだが、実は近世・近代に人間が造成した遺産が豊富である。特にリンク先にある高崎台場がそうである。長閑なこの地域において、幕末に国防の目的で台場(海上砲台)が作成されていたとはつゆしらず。今では実に美しい自然美を醸し出している(参照http://www.awaji-vision.jp/midokoro/isan/f00.html
)。
砲台のあった洲本市由良町生石(おいし)地区からはこの成ヶ島(なるがしま)がよく見える。

さて、この辺りは先述したとおり、海の幅が狭い紀淡海峡に位置する。そしてかなりの高台でもある。よって、軍事的な目的で砲台(台場も砲台の一つ)が設置されたのだと思うし、灯台を設置するのにも適地だったのだろう。日本陸軍の一台要塞だったのだが、陽の目を見ることはなかったようだ。

動画

なお、動画BGMの著作権保有者は「フリー音楽素材 H/MIX GALLERY」管理者の
秋山裕和氏に帰する。
http://www.hmix.net/


幕末や明治の砲台の想定敵といえば西洋列強であろう。
当時は大型蒸気艦船の全盛期である。ここに砲台を設置することには大いなる意味がある。列強は大阪に入港できず、従って天皇のおわす(明治の初めの頃に遷都し、東京に移るけれども)京都にも進めずに畿内は安全だというわけだ。






海沿いの道路では、海を感じることができて本当に気持ちが良かった。
沿道に咲く菜の花が印象深かった。桜の花も平地では満開であった。
東京の桜はいつ咲くのであろう。


*南淡路水仙ラインにて

しかし淡路島東岸の道路では、もっぱら断崖絶壁に沿うように粘着している道路から、俯瞰的に海を堪能する機会が多かった。
そう、存外な山岳地帯でもあり、勾配もかなりある。
傾斜のなかに根を持つ木々の中を分け入るようにしてワインディング路が続き、時折、遠景に海原が見えるという感じの道路であった。
これはこれでとても楽しかったのである。
(つづく)

*帰路に淡路島を出たときのものであるが、動画を撮影・編集したのでここに掲載しておく。


*お友達の赤ビート代表取締役総統閣下さんのおすすめスポットが大いに役立ちました。この場をお借りしてお礼申し上げます。
ただし、私の習性として敢えて適当なルートを通ったのにも関わらず、結果的に(乃至は自動的に)おすすめスポットの土地のいくつかに足を踏み入れることと相成りました(笑)

*○○さん、また次回に♪


Posted at 2012/04/03 18:44:11 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「NAスイスポもまた愉しい(^^)
サクラムのマフラー音は最高。なんだかんだいっても各所をカスタムしているので、ピックアップが非常に良い👍」
何シテル?   06/20 23:25
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2012/4 >>

1 2 3 4 567
8 9 10 11 1213 14
15 16 17 18 19 2021
2223 2425 26 27 28
2930     

リンク・クリップ

トライアルC25さんのスズキ スイフトスポーツ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/10/16 23:35:54
April 6th,2024 エンジンオイル交換(エレメント○) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/07/31 22:58:43
子連れ向きの海水浴場 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/05/23 09:42:28

愛車一覧

スバル インプレッサ WRX STI 涙目だけれど笑顔号 (スバル インプレッサ WRX STI)
36万キロエンジンオーバーホール歴無しの全国周遊マシン👍 黄色くラッピングされた給油口 ...
スズキ スイフトスポーツ スズキ スイフトスポーツ
2025年5月26日納車🌸 赤黒2トーンのファイナルエディションです。Dオプを付けま ...
スズキ スイフトスポーツ 鈴木の運動車 (スズキ スイフトスポーツ)
ノーマルのスイフトに加えて、二代目のスイフトスポーツを購入。 5速マニュアルのチャンピオ ...
その他 なんでしょ その他 なんでしょ
令和のクルマも手に入れたので、時計の針を戻して、今度は久し振りに昭和を偲ぼうかとも思って ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation