
そろそろ自分の遺影でも準備しておくかと家の写真を整理していると(爆笑)、1975年の東京モーターショーの写真が発掘されました。
一体誰が撮ったんでしょうか(爆)
詳細な記憶はほとんどありませんが、撮影者氏は自分のカメラを持っていなかったので会場でレンタルしていたコンパクトカメラで撮ったものだと思います。
70枚弱のカットがあるので、多分ハーフサイズというフィルムの使い方だったような気がします。
写真の撮り方知識など皆無だったはずで、車全体が撮れているのはここに上げたカットぐらいしかありません。
初代スターレットの多分SR
1200のツインキャブのスポーツ版です。
子供の時代の乗りたいクルマリストに入っていました。
キャップ無しの鉄ホイールがカッコよかったです。
トヨタMP-1
これは全く記憶に無く、アンチョコ本で確認した所、トヨタのショーカーでした。
クラウン用の直6を縦に積んだFRで、長いエンジンは半分が短いボンネットより後ろに隠れていたらしいです。リアドアはスライド式で、今の福祉車両と同じ車椅子用の乗降台が装備されていたそうです。
いまや猫も杓子も乗っているミニバンのコンセプトですが、この時代はまだ乗用ミニバンというイメージすら皆無でした。アメリカンな感じの楕円穴あきディッシュホイールは流行りましたね(笑)
マツダサバンナRX3レーシング
現在は盆暮れ正月に御出ます方々のアイテムになっていますが、新車の頃はメーカーがこうしてロータリーサバンナをレース仕様にして出展していました。フロントのスポイラーとオーバーフェンダーがつながっている点は洗練されていましたね。カラリングは実戦に出ていたマツダオート東京や木の実レーシングの方がカッコよかったです。超ウルサイレーシングロータリーサウンドを実際に聞いたのはこの翌年のことですが忘れられません(笑)
ランサーGSRサザンクロスラリー優勝車
多分この年のサザンクロスラリーで優勝したランサーです。
ドライバーはアンドリュー・コーワンだったと思います。
泥だらけのままなのがカッコよかったですね。模型のウエザリングの参考になります(笑)
篠塚健次郎氏が5位だかでフィニッシュした後、再車検で何か問題があってリザルトを抹消されたのもこの年だったけ?
ニッサンAD-1
70年代前半に、フィアットがX1/9というコンパクトミドシップクーペのヒットを飛ばしたので、日本のメーカーもこぞってこの分野のミドスポーツを試作しました。
このAD-1もけっこうしゃれてましたね。
しかしこの時期、日本ではオイルショックでスポーツカーは悪者と化し、排ガス規制対応のため車の動力性能は全てダウンという暗黒時代に入りつつありました。スポーツカーを新規に売る余力が無かったのでしょうね。ニッサンもミドエンジンのショーカーを何度か作りましたが結局市販には至らずでした。
国産ミドエンジンスポーツはずっと後のMR2以降です。
上で出てきたアンチョコ本はこれです。
70年代の国産ショーカーは夢があって楽しいので思わず見入ってしまいます。
アルバムの写真には他に、コスモAPやランサーセレステも写っていますが、車全体が入っていません。ピンボケのヒドイカットばかりです。
イタリアンのカウンタックとか、マセラティボーラも写ってますね。
私はこの後、程なくして本屋でオートスポーツ誌を見つけて買い始め、翌年には富士スピードウェイへ初めて出かけてレーシングカーのサウンドに酔いました。
スーパーカーブームが本格化したのは大体1976年なので、その頃私自身は子供相手に商魂たくましい大人どもが乗っかったスーパーカーブームを、すでに醒めた目で眺めていました。
流行ものが嫌いなヒネクレ根性だったのですね。
今も全く同じです(爆笑)
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Posted at
2016/02/09 00:13:47