
綾小路きみまろ氏については、最近、面白いのではないかと再評価している自分がいますが、先日某新聞の1ページ広告になっていた、氏の10枚組CDボックスを購入するのかといわれると、否です。
私にはオーディエンスとしての修業がまだまだ必要です。
タイトルは別の話です。
先日のSGT富士500kmで買ってきた大会プログラムを広げていたら色々読み物が載っていました。
富士スピードウェイはオープン50周年なのだそうです。
星野一義、中島悟、関谷正徳の3氏がいつからフジスピードウェイに来ていたか、という特集鼎談記事は面白かったです。
そこで、私が富士スピードウェイに出かけ始めて何年になるのか考えました。
おっと。
富士スピードウェイ初見参は1976年の5月3日のJAFグランプリでした。
ちょうど40年経過しています。
これがその証拠
フォーミュラ2000のメインレースのドライバーリストには今年のSGTでも現場で奮闘されていた、長谷見昌弘、星野一義、高橋国光、といった重鎮のお名前が見えます。
来日ゲストドライバーはアレックス・リベイロとダニー・サリバンの2名です。
ダニーはインディマシンでアメリカンヒーローになるよりしばらく前のことで、日本では無名でした。このプログラムに掲載されている彼の顔写真は指名手配容疑者ではないかと思える悪人顔です。
このころ、大学のスキー部に入った姉の周りには同級でリッチなカーマニアの学生が沢山いました。
すでにレースファンになっていた私を、姉の部活友人氏が富士スピードウェイのレースに連れて行ってくれました。車は2代目トヨタマークⅡの4ドアで直6エンジンの高級版です。
以前も書いた気がしますが、この日のJAFグランプリは大雨と霧の悪天候でした。
1コーナーで見ていたのですが、雨と霧の向こうから出現する2リッターフォーミュラは幻想的でショッキングでした。リザルトはあまり記憶にありませんが、高原敬武選手が優勝だったと思います。
その後は時期により多少の波がありましたが、F2、GC、ツーリングカー、グループC、全日本GTレース、F3000、フォーミュラニッポン、WEC、F1、といったほとんどのトップカテゴリーのレースをフジで見てきました。名物アナウンサーのケン田島さんの場内放送も聞いています。
全日本GT選手権レースのピットの中でマシンのワックスがけをしたこともあります。
自分で走行は約10年前からでした。
というワケで富士スピードウェイとは最初の10年経過してからずっとお付き合いしています。
まだまだ行きますよお(笑)
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Posted at
2016/05/06 21:05:02