2013年03月11日
ウチではあまりゲームをさせていない。 おいら自身は全くやらない。
だけど、全く無いのも友人達とのコミュニケーションを考えれば問題か?と思い、取敢えずWiiを買ってあげてた。←ただ、基本的に週末のみで、RPGなどのソフトは厳禁
そのWiiが昨年末に故障。
もう家にいなくなるのだから要らないんじゃ?と言っていたけど、帰ってきた時に少しくらいは娯楽があっても良いんじゃないの?と言う事で、中古のWiiでもとも考えたが、Wii-Uの”カラオケソフト”の存在を知り、家族でカラオケに行く事を考えたら、これ買って家でやったほうが良いのでは?と、Wii-Uを購入した。
まだWebに繋いでいなく、ソフトのお試し期間でしか試してないが、それなりに使えるか?と思っていたのに、先週末「カラオケに出掛けるよ」と・・・。
何のためにWii-Uを買ったのさ。
結局いつものように、家族5人で6時間歌いっぱなし。 アホだ・・・。
しかも終わるときに「歌い足りない・・・」と。
おいら家でカラオケできるなら、好きな酒を楽しみながら、好きなつまみを作りながらってのを期待してたんだけどねぇ。
子供たちがいないとき、夫婦二人でカラオケ・・・なんてのは絶対やらないだろうな。
いつ使うんだWii-U!!!
Posted at 2013/03/11 11:24:27 |
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2013年03月08日
今日は三男の卒業式。
これで義務教育を受ける者はいなくなった。
うちの子供たちが通った学校は、我が県ではただ1校の”特認校”と言うもので、一学級多くても18人という少数教育なため、全体がまとまっている印象があり、おちこぼれを出さないように感じている。
これは一面では良い事なのだが、競争心が無く小さくまとまりがちな点が気になる。
平均の成績で言えば県内”トップクラス”なのだが、進む高校を見ればトップに行く子は皆無に近い。 それより気になるのは、中級以下の学校へ進む子が多いことだ。
「将来医者を目指したい」と言う子を、周りで説得してやっとセカンドクラスの学校に向かわせたくらいなのだから、進む高校次第でその先の道が狭まる事を皆が理解していない。
どんな学校に進んでも自分次第だという事は理解しているが、どれだけの努力を払わねばならないか、本人・親共に理解しているのだろうか?
我が子を見れば、”努力して学校でトップであり続ける”なんて事は想像も出来ない(それはおいら自身もそうだ)から、とても大変な事だと思うし、だからこそそこに価値もあるのだけれど、
孤高の存在では辿り着けない何かはあるのだ・・・。
ライバルがいれば互いを引っ張り上げられる・・・。←それには競争心が必要なのだが・・・
と、最終回のCapetaは語りかける。
終わっちゃったよ。 とても残念だけど、とても良い終わり方だったなぁ。
漫画の話は置いておいて、おちこぼれさせないようにする事が一番大事なのだとしたら、そこを何とかすれば良いだけの話なのではなかろうか。
例えば、定年した元教師を補助教員として働いてもらうとか。 まぁそんな奇特な教員が多くいるとも思えないけどねぇ。
批判めいた事を書いたけど、おいらはこの学校に子供たちが通えた事には感謝している。
通学するのに片道10kmを自転車こいで行くのは、ある意味修行のような物だと思うし、雨天や冬の送り迎えでは嫌でもコミュニケーションをとらねばならず、小さな学校だから積極的に学校と関わりを持たなければならない。
全てが受け取り方によってはマイナスなのだが、これらが無ければ親と教師と子供と、うまく繋いでこれたか自信は無い。
ある女の子が言った言葉、「私はこの学校でこのクラスメイトといれたことが、泣けるくらい嬉しい」って、その言葉を聞いたおいらが泣けるくらい嬉しかったよ。
こういう環境をありがとう。
学校にも、この地域そのものにも・・・。
Posted at 2013/03/08 19:08:55 |
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2013年02月23日
先日つらつらと書いたのは、今農地の利用で問題にぶつかっている事の反動。
色々な事が重なり、今ウチのほとんどの農地は人に貸している状態。
これもいつまでも借りてもらえる保証はなく、さりとておいらは大きく農業をするつもりは無い。 やるのは家の前に残した約2500m2の田んぼと別な畑だけで、家族の口+αくらいの米と野菜を作るつもり。 外に売る物を作る気はなし。
このような状態だから、何とかしたくてソーラーシステムの導入に向けて動いていた。
が、農業委員会が・・・。
詳細は書けないが、泣ける。
ただ、ここ数日の間に何が起こったのか、何故か少し光明が見えつつある。
ただ、大きな借金をすることにはまだ抵抗があったりするが・・・。
これで何らかの外圧が掛かれば、もっと大きく何かが変わるんだろうけどね。
国内の何かが変わることに対して、外圧頼みというのは情けない話だ。
Posted at 2013/02/23 20:49:08 |
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2013年02月21日
ウチは農家だ。
おいらが子どもの頃から働く事に対して”=生きる為に必要な事”と叩き込まれた理由がここにある。
オヤジの代だって米農家としてだけは食って行けなかった(だから兼業)のだが、おいらの代になると完全にアウトだ。
ウチは約30000m2と比較的大きめの農地を持つが、米が取れたとして、1俵/100m2 としても300俵位の物だ。 12000円/俵位だから、経費を差っ引くと200万円にもならない。 その経費にしても、耕作機械を含まずなのだから、機械を買ったら完全に赤字だ。
こうした中、太陽光発電パネルを脇に並べて副収入の道を考える人が出てきた。
上で書いたように、米だけでは食っていけないから、食っていくためには畑を作らなければならず、畑に手を出すと言う事は専業になる事を意味する。
しかし、専業農家となって問題となるのは、農作物の価格が流通に委ねられている事で、これでは収入を算出できないから,計画的な支出もままならない。 そこでの副収入なのだ。 農家が農家として生きていく為に必要な収入源なのだな。
だが問屋はそうは卸してくれない。
農地に関しての法律が壁になり、農家として生きていこうとする人たちの足を引っ張っているように思える。
TPP云々で農家を守れないと騒いでいるのは本当に農家の人々なのだろうか?
農民を食い物にしている農協の連中だと思うんだけど・・・。 ←あいつらのやり方は電力会社の”総括原価方式”と同じだ 農家が生きていけるかどうかなんて関係なし
TPPで外圧が掛かる前に、農家自身が耕作地を放棄してしまうのではなかろうか。
#宮城県の塩水をかぶって耕作できない土地に、メガソーラーを設置する動きが起こったが、そのような土地でさえも許可が出るまで半年も揉めたそうだから、まともな地域ならほぼ無理だろう。
おいらの場合、機械を買ってまで農業をする気は無く、だからと言って売り払う事も出来ない。
そして、耕作放棄地となった田んぼでも地目を変えることが出来ず、水・ポンプ・電気代を毎年請求され続ける。 そして草刈や水路掃除? いじめか? 農家は死なない程度に縛り付けておけば良いと、数百年前からの考えが未だに続くのだろうか?
フェアトレードという言葉が最近言われるが、日本国内でもこの概念は必要なんじゃないのだろうか。
食っていけない農家が皆耕作を放棄したら、食べ物はどうやって手に入れていくのだろうか? 輸入すれば良いと考えるなら、速攻でTPPに参加すべきだろう。
参加・不参加、どちらにしてもまともに農家は食っていけないんだから、おいらとしたら一度今のシステムをぶっ壊すきっかけが欲しいと思う。
そして、もし農地を不動産屋に売ったとしたら、程無くしてその農地は何らかの形で農地以外の使われ方をするようになったりする。 個人がいくらがんばってもどうにも出来なかった事が、不動産業界が介在すると一変する。
憶測でしかないが、何らかの金が回っているのだろう。 がっちりと利権にまみれていると言う事だ。
”日本の農地を守る為に”と掲げる言葉は立派だが、農民を守らずして農地を守って何が残るのか。 やはり利権だけは残っていくのだろうか?
Posted at 2013/02/21 09:24:15 |
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2013年02月20日
今朝三男を学校に送っていく途中で話した事。
#学校まで10kmあるので、自転車が使えない時は送り迎えしてる そしてこの移動時間の
コミュニケーションはとても大事だと思っている
昨日の新聞に載っていた、自殺とその対策についてなのだが、先進国では圧倒的に高い自殺率を、学校や社会が何かの対策をしてどうにかできるのか?と。
アメリカの映画を見ていても、いじめに関しては日本より酷いと思わされることは少なくない。 陰湿なのが問題だと言われればそれまでだが、いじめがあるから自殺が起こるなどと、単純な話では無いとは言えると思う。
以前も書いたが、おいらも中学生の時いつも自殺が頭から離れなかった。 が、今生きていられるのは、死ぬ勇気が無かった事が一番だけど、ひとつに”卒業して社会に出て、自分で稼げば違う世界で生きられる”との思いがあったからだと思う。 甘い考えだがおいらには希望という(言えるのか?)逃げ道があった。 そして、幸いにも働かねば生きていけない自覚だけはあり、実際に働くことは苦ではなかった。
おいらはピーターパン症候群という言葉が大嫌いだ。
そして、そのようにしてしまう子供との接し方も大嫌いだ。
おいらがささやかな希望で生きる事が出来たのだとしたら、自殺してしまう子供たちには何も希望は無かったのだろうか? それが一番の問題じゃないのか?
戦後復興の時代、生きる事自体が苦難の連続だったであろう人たちが、今より生き生きとしていたんじゃないか?と考える事がむなしい。
今日がきつく思えることが、きっと来年には意味があったと思えるだろう、来年が駄目でも働いて自立さえすれば、少なくとも今の環境からは逃れられる。
働く事の意義ってこんなところにもあるんじゃないんだろうか。
そして思う。 おいらは子供たちにその事を伝えられているのだろうか?と。
Posted at 2013/02/20 09:19:29 |
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