2013年02月28日
もう1年半以上前の事故の後遺症で、未だに病院に通っているおいらだが、原因不明と言うより詐病扱いされていた目の症状が、大学病院で見てもらうことにより、少し前進しそうだ。
病状の話は今は置いといて、今日は高速を使ってキイロで隣の県まで行って来たわけだが、無視していたとか見ない振りしていたとかのアライメントの問題が、今回の高速走行ではっきりと露呈してしまった。
アレだけ車高をいじって、アライメントに手を付けてないのだから当たり前だけど、瞬間的な3桁キロはともかく、3桁キロを維持して走っていると問題が浮き彫りになる。
はじめは強風かと思ったが(のんきな話だ)、ちょろちょろと落ち着かないのは疲れる。ステアが入らないなら○五十キロでも特に問題が無いのに、ステアが入ると制限速度でも緊張が走る・・・。
アライメントって大事だと今更ながら思ったよ。
車高を上げると、フロントはポジキャン・トーインに、リアはポジキャン・トーアウトになるのだから、ちょろちょろ動いて当然だ。 むしろ、スピンしなかったのがラッキーだったか?
今回の状態が不安定に向くのだとしたら、この逆が安定方向のセットとなるわけだが、そこにフロントのトーアウトが含まれているのが興味深い。 実際どうなんだろう。
まあ、これはロールさせたときの安定性の話で、直進~ターンインまでの流れの話とは違うだろうけど、やはりフロントトーアウトも視野に入れてセットを考えないといかんなぁと思った次第。
雪道走るなら関係ないと思ってたんだけどなぁ・・・、タイアが減って泣きたくなる前に手を打っておくか・・・。
Posted at 2013/02/28 20:34:58 |
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J-Limited 1号 | クルマ
2013年02月24日

こんなになってしまったキイロ。
まるでDartster2号だな。
前回足を入れ換えた時、純正車高並みを期待して組んだのだが、実際は車高短に近い(と言ってもRoadster界の中では普通)仕上がりとなっていて、走っているうちにバネが馴染んできた為か、轍で腹下を”ガリガリ”とこすって走るようになってしまっていた。
これじゃぁいけない。 ストレスが溜まってはRoadsterに乗る意味がなくなる。
という事で、こんな形にした。
下のAssyが曲がって見えるのは何故だろう?
車高調整カラーは使いたくなかったが、車高を確保する為仕方なく使用。
約5mm単位で切られていた車高調整リング溝を2段上に上げ、更にNBアッパーからNAアッパーへと変更した為、ショックAssy単体で以前より27mm伸び、車高そのものは35mmくらい上がる予定。
で仕上がったのが上の写真。
交換中やってしまったことに気が付く。
最近NAY1のアッパーしか触った事がなかったので忘れていたが、NA初期のアッパーはボルトが短く、タワーバーが使えないのだ。 しかもリアは後期のアッパーを使っていたというのに・・・。
タワーバーはどうでも良いけど、バーに固定している物が有るので、その辺に手間を掛けるのに腹立つ。
また、今回いじっていて(今更だが)気が付いたのが、 このエナペタルOHのショックが、押し込んだ後戻ってこないのだ。 構造からガスが抜けるとは考えられない(ガスが抜ける時はOIL駄々漏れのはず)から、ガス圧がとても低いって事なんだろうなぁ。 乗り心地が良いはずだ。 それとも抜けているのに気が付かないだけ?
確かマツスピのショックもこんな感じだったと思い出す。
これで後一月の雪道をストレスレスで乗り切れる・・・かな?
Posted at 2013/02/24 14:19:25 |
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J-Limited 1号 | クルマ
2013年02月23日
先日つらつらと書いたのは、今農地の利用で問題にぶつかっている事の反動。
色々な事が重なり、今ウチのほとんどの農地は人に貸している状態。
これもいつまでも借りてもらえる保証はなく、さりとておいらは大きく農業をするつもりは無い。 やるのは家の前に残した約2500m2の田んぼと別な畑だけで、家族の口+αくらいの米と野菜を作るつもり。 外に売る物を作る気はなし。
このような状態だから、何とかしたくてソーラーシステムの導入に向けて動いていた。
が、農業委員会が・・・。
詳細は書けないが、泣ける。
ただ、ここ数日の間に何が起こったのか、何故か少し光明が見えつつある。
ただ、大きな借金をすることにはまだ抵抗があったりするが・・・。
これで何らかの外圧が掛かれば、もっと大きく何かが変わるんだろうけどね。
国内の何かが変わることに対して、外圧頼みというのは情けない話だ。
Posted at 2013/02/23 20:49:08 |
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Family | 日記
2013年02月21日
ウチは農家だ。
おいらが子どもの頃から働く事に対して”=生きる為に必要な事”と叩き込まれた理由がここにある。
オヤジの代だって米農家としてだけは食って行けなかった(だから兼業)のだが、おいらの代になると完全にアウトだ。
ウチは約30000m2と比較的大きめの農地を持つが、米が取れたとして、1俵/100m2 としても300俵位の物だ。 12000円/俵位だから、経費を差っ引くと200万円にもならない。 その経費にしても、耕作機械を含まずなのだから、機械を買ったら完全に赤字だ。
こうした中、太陽光発電パネルを脇に並べて副収入の道を考える人が出てきた。
上で書いたように、米だけでは食っていけないから、食っていくためには畑を作らなければならず、畑に手を出すと言う事は専業になる事を意味する。
しかし、専業農家となって問題となるのは、農作物の価格が流通に委ねられている事で、これでは収入を算出できないから,計画的な支出もままならない。 そこでの副収入なのだ。 農家が農家として生きていく為に必要な収入源なのだな。
だが問屋はそうは卸してくれない。
農地に関しての法律が壁になり、農家として生きていこうとする人たちの足を引っ張っているように思える。
TPP云々で農家を守れないと騒いでいるのは本当に農家の人々なのだろうか?
農民を食い物にしている農協の連中だと思うんだけど・・・。 ←あいつらのやり方は電力会社の”総括原価方式”と同じだ 農家が生きていけるかどうかなんて関係なし
TPPで外圧が掛かる前に、農家自身が耕作地を放棄してしまうのではなかろうか。
#宮城県の塩水をかぶって耕作できない土地に、メガソーラーを設置する動きが起こったが、そのような土地でさえも許可が出るまで半年も揉めたそうだから、まともな地域ならほぼ無理だろう。
おいらの場合、機械を買ってまで農業をする気は無く、だからと言って売り払う事も出来ない。
そして、耕作放棄地となった田んぼでも地目を変えることが出来ず、水・ポンプ・電気代を毎年請求され続ける。 そして草刈や水路掃除? いじめか? 農家は死なない程度に縛り付けておけば良いと、数百年前からの考えが未だに続くのだろうか?
フェアトレードという言葉が最近言われるが、日本国内でもこの概念は必要なんじゃないのだろうか。
食っていけない農家が皆耕作を放棄したら、食べ物はどうやって手に入れていくのだろうか? 輸入すれば良いと考えるなら、速攻でTPPに参加すべきだろう。
参加・不参加、どちらにしてもまともに農家は食っていけないんだから、おいらとしたら一度今のシステムをぶっ壊すきっかけが欲しいと思う。
そして、もし農地を不動産屋に売ったとしたら、程無くしてその農地は何らかの形で農地以外の使われ方をするようになったりする。 個人がいくらがんばってもどうにも出来なかった事が、不動産業界が介在すると一変する。
憶測でしかないが、何らかの金が回っているのだろう。 がっちりと利権にまみれていると言う事だ。
”日本の農地を守る為に”と掲げる言葉は立派だが、農民を守らずして農地を守って何が残るのか。 やはり利権だけは残っていくのだろうか?
Posted at 2013/02/21 09:24:15 |
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Family | 日記
2013年02月20日
今朝三男を学校に送っていく途中で話した事。
#学校まで10kmあるので、自転車が使えない時は送り迎えしてる そしてこの移動時間の
コミュニケーションはとても大事だと思っている
昨日の新聞に載っていた、自殺とその対策についてなのだが、先進国では圧倒的に高い自殺率を、学校や社会が何かの対策をしてどうにかできるのか?と。
アメリカの映画を見ていても、いじめに関しては日本より酷いと思わされることは少なくない。 陰湿なのが問題だと言われればそれまでだが、いじめがあるから自殺が起こるなどと、単純な話では無いとは言えると思う。
以前も書いたが、おいらも中学生の時いつも自殺が頭から離れなかった。 が、今生きていられるのは、死ぬ勇気が無かった事が一番だけど、ひとつに”卒業して社会に出て、自分で稼げば違う世界で生きられる”との思いがあったからだと思う。 甘い考えだがおいらには希望という(言えるのか?)逃げ道があった。 そして、幸いにも働かねば生きていけない自覚だけはあり、実際に働くことは苦ではなかった。
おいらはピーターパン症候群という言葉が大嫌いだ。
そして、そのようにしてしまう子供との接し方も大嫌いだ。
おいらがささやかな希望で生きる事が出来たのだとしたら、自殺してしまう子供たちには何も希望は無かったのだろうか? それが一番の問題じゃないのか?
戦後復興の時代、生きる事自体が苦難の連続だったであろう人たちが、今より生き生きとしていたんじゃないか?と考える事がむなしい。
今日がきつく思えることが、きっと来年には意味があったと思えるだろう、来年が駄目でも働いて自立さえすれば、少なくとも今の環境からは逃れられる。
働く事の意義ってこんなところにもあるんじゃないんだろうか。
そして思う。 おいらは子供たちにその事を伝えられているのだろうか?と。
Posted at 2013/02/20 09:19:29 |
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Family | 日記