長浜、秀吉の探訪です。
(↑フォトアルバムです。別のタブが開きます)
「浪漫パスポート」を買いました。
[1]安藤家住宅
[2]曳山博物館
[3]慶雲館
[4]長浜鉄道スクエア
[5]長浜城歴史博物館
の5箇所の博物館を見学しています。
長浜は以前も行きました。今回は再訪です。(↓ブログの記事です。別のタブが開きます)
[東海道本線 & 北陸本線 / 近江鉄道]長浜 & 近江八幡 & 彦根
目次
・01. 米原駅
・02. 長浜駅
・03. ながはま御坊表参道
・04. 浪漫パスポート[1] - 安藤家住宅
・05. 浪漫パスポート[2] - 曳山博物館
・06. 黒壁ガラス館
・07. 浪漫パスポート[3] - 慶雲館
・08. 浪漫パスポート[4] - 長浜鉄道スクエア
・09. 浪漫パスポート[5] - 長浜城歴史博物館
・10. そば処 善光
・99. パンフレット
・運行表(日祝ダイヤ)
01. 米原駅
東海道本線で岐阜→米原。
JR東海のエリアの人間が「JR西日本のエリアに来た」
と雰囲気の違いが実感できるのは、ホームの発車メロディです。それと、JR職員や乗客が関西弁。
コンコースに倉敷の「ひるね姫」のポスターが貼ってありました。
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倉敷も長浜も共にガラス文化の町です。倉敷美観地区と黒壁スクエア、雰囲気が似ています。
倉敷、ひるね姫舞台探訪。(↓ブログの記事です。別のタブが開きます)
[JR東海/JR西日本 青春18きっぷ]児島・倉敷・岡山「ひるね姫」舞台探訪
02. 長浜駅
北陸本線で米原→長浜。
長浜駅。
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ガラス文化の町ですので、曳山まつりのステンドグラス
[2]やガラスの樹
[3]があります。
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「秀吉公と石田三成公 出逢いの像」なんてのもあります。
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3回お茶を入れて、秀吉と三成が仲良くなった「三献の茶」の話が元らしいですな。
駅前通りに、明治4年に開校された滋賀県下初の小学校、「開知学校」の建物があります。
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現在は会議室として活用されている模様。
駅の近くには、長浜城の「外堀跡」
[6]や「大手門跡」
[7]があります。
[6] [7]
「米川」が長浜市から琵琶湖に流入している河川。米川の下流部が長浜城の外堀だったようです。
03. ながはま御坊表参道
博物館がOPENするのは9時ちょうど。まだ時間があります。
「お花キツネ」でお馴染みの「ながはま御坊表参道」の界隈を散策していました。
金屋公園あたりに「お花キツネ」のオブジェ。
[1]
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長浜御坊(大通寺)の大広間の天井に「お花キツネ」が住んでいるらしいです。
「ごぼうさん」こと、長浜御坊 大通寺。安土桃山時代の建築様式で、国指定重要文化財です。
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「山門」
[2]と「台所門」(旧長浜城大手門)
[3]があります。総欅造りの山門、見事ですな。
04. 浪漫パスポート[1] - 安藤家住宅
9時。博物館がOPENする時間です。
北国街道
[1]に安藤家住宅
[2]があります。
[1] [2]
秀吉は今浜を「長浜」の城下町として開きました。信長の「長」からとって「長浜」です。
安藤家は1583年の賤ヶ岳合戦(後述)で、秀吉に協力しました。
秀吉は町の人々の中から長浜の自治を委ねる「十人衆」を選び、安藤家はその「十人衆」でした。
安藤家住宅は明治時代に建てられた住宅です。布施宇吉の「古翠園」という日本庭園が見どころ。
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大広間に北王子魯山人の最高傑作と言われる篆刻看板「呉服」
[4]が展示されてます。安藤家は呉服商でした
05. 浪漫パスポート[2] - 曳山博物館
大手門通り
[1]を抜け、博物館通りの「曳山博物館」
[2]。
[1] [2]
「秀吉と長浜 -曳山祭成立のころ-」という企画展がやっています。
歴史年表
1566年 信長・藤吉郎、墨俣城を築城。美濃侵攻の前線基地である。
1567年 稲葉山城攻め。竹中半兵衛が軍師となる。信長・藤吉郎は岐阜城に移城。
1570年 姉川の戦い。信長・家康の連合軍と浅井・朝倉連合軍の戦い。信長軍が辛勝。
1567年 羽柴秀吉、横山城に移城。小谷城の浅井家の抑えである。
1573年 信長軍、小谷城の戦。秀吉は浅井長政攻めに貢献。秀吉は小谷城を与えられる。
1575年 長篠の戦い。信長・家康が武田の騎馬隊を破る。
1575年 秀吉、今浜に新城を築城。地名を長浜とする(信長の「長」)。
1576年 信長が安土城に移城。
1577年 黒田官兵衛を配下とする。官兵衛の居城・姫路城に移城。
1582年 本能寺の変。信長が行方不明になる。
1583年 賤ヶ岳合戦。秀吉と柴田勝家の信長後継者争い。秀吉勝利。
浅井長政攻めに貢献、小谷城に居た秀吉は小谷の南西の湖岸沿いの「今浜」に築城を開始。
秀吉が今浜を「長浜」と改め、長浜城に居たのは1575年~1577年の2年間ですな。
長浜曳山祭の起源は秀吉であり、
秀吉が八幡宮の祭礼「源義家の社参」行事を復興した「武者行列」にあるとされる。
最初は秀吉の家臣が「武者行列」を行っていたが、そのうち十人衆が受け継ぎ、
江戸時代には小舟町が引き継ぎ、現在に至る。
長浜曳山祭は飛騨古川の「古川祭」同様、子ども歌舞伎というのが活躍しています。
飛騨古川の町は、長浜は、歌舞伎を伝承する若い人たちが町にいつまで残ってくれるでしょうか。
アニメか何かの
チュパカブラ王国じゃないですが、地方の観光地は人材確保が大変そうですな……。
06. 黒壁ガラス館
明治時代に「第百三十国立銀行 長浜支店」として建てられた黒漆喰の建物。
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「トポスポット」というガラスのピラミッドがあります。
[2]
ここ、黒壁ガラス館で今回は、緑色のガラス&金色の箔が入ったカフリンクスを買いました。
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3000円だったかな。百貨店とかで買うよりお値打ちです。
以前、倉敷の美観地区に行った時に加計美術館では……
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同じく緑色のガラス&金色の箔が入ったネクタイピンを買いました。
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このカフリンクスとネクタイピンはセットで使います。黒壁スクエアと倉敷美観地区のコラボ。
黒壁スクエアと倉敷美観地区は共にガラス工芸品で賑わう町ですし、雰囲気が似てると思います。
07. 浪漫パスポート[3] - 慶雲館
北国街道より、下舟町の町並み
[1]、「長濱浪漫ビール」の「長浜城外堀跡」
[2]
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を通り、港町・国指定名勝の慶雲館へ。
明治天皇、昭憲皇太后の御休憩所として、長浜の豪商が建設した尾州産総檜の書院造りの迎賓館。
毎年1~3月は日本一の梅の盆栽展、「長浜盆梅展」が開催されています。
明治時代、本館の2階に両陛下を迎えるための「玉座の間」が設けられました。
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内閣総理大臣・犬養毅の残した「天行健」という書道の作品があります。
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「天地の運行というものは、休むことがなく健全である」。
明治45年に造営された庭園も見事。巨石などで起伏があり、なかなか立体的な構造ですな。
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琵琶湖の景観が借景に用いられている模様。
今、慶雲館では「長浜さつき盆栽展」が開催されています。
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純和風の座敷に一同に並んでいて見事ですね。
慶雲館は東側に鉄道の軌道(北陸本線)があるのが重要。建物が無いおかげで伊吹山の眺望がきくんです。
08. 浪漫パスポート[4] - 長浜鉄道スクエア
慶雲館の隣が長浜鉄道スクエア。日本で一番古い駅舎「旧長浜駅」です。
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北陸線の始発駅として最初に建てられた長浜駅。文明開化を伝える英国式の建物です。
旧長浜駅29号分岐器ポイント部……日本の鉄道創業期を語る貴重な文化遺産ですな。
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すぐ隣に北陸本線があり、サンダーバード等の列車がたまに通ります。
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SLが運転されていた頃に北陸本線で使われていた、場内&通過信号機の組み合わせが展示されてます。
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長浜鉄道文化館に「鉄道開通以前の交通」というパネルがあります。
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どうやら、「太湖汽船」という日本初の鉄道連絡船が大津~長浜を結んでいたようですな。
陸路としては京都~敦賀を鉄道が走り、水運と陸運の”接続点”として長浜は交通の要だった模様。
秀吉の作った長浜という町
[1]産業 …… 自動車産業やバイオ産業
[2]文化 …… 曳山祭や長浜城、黒壁スクエア
[3]コミュニケーション …… かつての鉄道連絡船、現在の北陸本線
町が栄えるための三条件を満たしており、滋賀県最大の観光都市と言えます。
北陸線電化記念館には蒸気機関車「D51形」、電気機関車「ED70形」が展示されてます。
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かつて北陸本線は急な坂やトンネルがあったようですな。「柳ヶ瀬越え」とか「山中越え」。
そのため、複線にする・電化する・長いトンネルで坂を緩やかにする、等の工夫がされました。
長浜鉄道スクエアはFacebookの公式ページがあり、フォローすると記念にボールペンがもらえます。
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……まあ、実は既に、だいぶ前にフォローしてたんですけどね。
09. 浪漫パスポート[5] - 長浜城歴史博物館
浪漫パスポート最後の1枚は、長浜城……を模した豊公園の「長浜城歴史博物館」。
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本丸跡
[2]、石垣出土地
[3]、噴水広場
[4]、そして琵琶湖
[5]……などから長浜城を撮影してます。
噴水広場から長浜城という角度からは、サイクリストのみん友さんも撮影されていました。
確かに、噴水広場のあたりはサイクリストの方々が多いですな。アングラーも多い。
5Fの望楼からは、東西南北の眺望がききます。
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東は信長・秀吉らが浅井・朝倉連合軍と戦った姉川合戦場、秀吉の横山城、そして伊吹山。
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北は賤ヶ岳合戦場(後述)、竹生島。
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西は琵琶湖、信長の最後の居城・安土城。
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南は彦根城。
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長浜城歴史博物館では5月28日まで「賤ヶ岳合戦」という企画展がやっていました。
歴史年表
1582年 本能寺の変。
1583年 賤ヶ岳合戦。
本能寺の変で行方不明となった信長の後継者たらんと、
信長の筆頭家臣である柴田勝家と、明智光秀を討った秀吉との間に確執が起こったわけですな。
結果は秀吉の反撃による勝利で、秀吉が「信長の後継者」たる地位を不動としました。
……当時、秀吉は姫路城に居城。姫路城もぜひ訪問したいですね。
10. そば処 善光
長浜駅の西口に「そば処 善光(ぜんこう)」というそば屋さんがあります。
黒壁スクエアあたりだと行列に長時間並ぶ事になりそうですが、駅周辺は平和です。
長浜名物の「焼き鯖そうめん」、850円を食べました。旨い!
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長浜の雰囲気、長浜の味、そして店員のおばちゃん(関西弁)のあったかさに感動。
外食をあまりしない人間ですが、せっかくなら外食は、感動するような食事を楽しみたいのです。
99. パンフレット
長浜→米原、米原→大垣、大垣→岐阜。
無事帰宅。いい旅でした。
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長浜の皆さん
「何シテル?」で「イイね」で応援してくれた皆さん、どうもありがとうございました。
運行表(日祝ダイヤ)
0605 JR(在来線)岐阜 発
0617 JR(在来線)大垣 着
0620 JR(在来線)大垣 発
0656 JR(在来線)米原 着
0723 JR(在来線)米原 発
0733 JR(在来線)長浜 着
(長浜)
1404 JR(在来線)長浜 発
1417 JR(在来線)米原 着
1430 JR(在来線)米原 発
1504 JR(在来線)大垣 着
1509 JR(在来線)大垣 発
1522 JR(在来線)岐阜 着