中山道の旅、
今回は地元の鵜沼宿と加納宿です。
(↑フォトアルバムです。別のタブが開きます)
目次
・01. 新鵜沼駅~五叉路
・02. 坂祝バイパス - 「鵜沼中山道」交差点
・03. 鵜沼宿の古い家並
・04. 鵜沼宿駅
・05. 茶所駅
・06. 鎌岩の碑
・07. 加納宿
・08. 市立加納小学校
・09. 加納城跡
・99. パンフレット
・運行表(土曜ダイヤ)
・ex. 西番所跡(20170627) 20170627追記
01. 新鵜沼駅~五叉路
名鉄各務原線で名鉄岐阜→新鵜沼。
新鵜沼駅から北へ進み、中山道に入る。五叉路の交差点に常夜燈があります。
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常夜燈は宿場町のお約束ですな。
02. 坂祝バイパス - 「鵜沼中山道」交差点
常夜燈の五叉路を西に進むと「鵜沼中山道」交差点。国道21号線、坂祝バイパスです。
交差点の北東に、これまた宿場町のお約束である高札場があります。
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高札場とは法令や禁令を書いた高札を掲げた場所です。
[1]
この高札場は復元で、当時は東の見附と天王社(赤坂神社)の間に南向きであったそうな。
中山道は鵜沼村(尾張藩領)から各務村(幕府領)を経て、再び鵜沼村に入りました。
尾張藩は村境を明示するため、
「是より東尾州領」
[2]「是より西尾州領」
[3]の2本の傍示石を建てました。
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[3]
鵜沼中学校に建てられていた時期もあり、どうやら、もともと此処にあったものではないらしい。
03. 鵜沼宿の古い家並
坂祝バイパスから西に入っていくと、いよいよ鵜沼宿の古い家並です。
さっそく大安寺大橋。大安寺川の橋ですな。昔は「八間橋」と言われていたそうな。
鵜沼宿の古い家並界隈は制限速度が30km/hです
[1]。しかし、結構な勢いで乗用車が走っていますな……。
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鵜沼宿は中山道52番目の宿場。
51番目は太田宿で鵜沼宿から二里八丁
[2]、53番目は加納宿で四里十丁
[3]。
隣の加納宿までの距離が長い!
なので、「新加納立場」という”中間地点”の立場が間の宿としてあったそうな。
大安寺大橋のすぐ西に安積門(旧大垣城鉄門)
[4]と町屋館
[5]。
大垣城本丸の表口に建てられていた鉄門。明治9年に払い下げられた後、
安積家の自邸の門として維持されていたので「安積門」の名称。
その後、各務原市へ寄付され、そしてこの地に移築された……という由来の門。
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いっぽう、町屋館は江戸時代・明治~昭和時代に旅籠・郵便局を営んでいた旧武藤家住宅。
現在は歴史民俗資料館になっているようですね。早朝は開館してませんが……。
菊川酒造と本陣跡。
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菊川酒造。東が「本蔵」(清酒 菊川 の建物)、西が「豆蔵」です。どちらも登録有形文化財。
『菊川』や『篝火』といった銘柄の清酒を造っているみたいですな。
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本陣跡。
江戸時代、桜井家というところが務めていた。
十代将軍・家治に輿入れした五十宮はじめ、大物が宿泊・休憩した場所。
脇本陣。坂井家や野口家が務めていました。
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松尾芭蕉が坂井家に休泊し、句を詠んだと伝えられているそうな。
古い家並が4棟続きます。
坂井家住宅、梅田𠮷道家住宅、梅田昭二家住宅、安田家住宅。
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丸一屋、茗荷屋(旅籠)、若竹屋(旅籠)……このあたりの界隈は鵜沼宿の醍醐味ですな。
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このあたりには「せせらぎ水路」という、
大安寺川から取り込まれた防火用の水路……が再現されたものがあります。
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国道21号線を横断して鵜沼宿駅へ。
04. 鵜沼宿駅
行きは新鵜沼駅から来ましたが、帰りは鵜沼宿駅です。
鵜沼宿駅の北にある岐阜バスの「鵜沼宿駅」バス停。
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「各務原東部線」という路線ですが、本数は極端に少ないですな。各務原ふれあいバスのほうが本数多い
名鉄 鵜沼宿駅。
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このあたり、名鉄各務原線とJR高山本線が並行して走っています。

なので、キハ25系の気動車などが、かっとんで走っていきます。
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05. 茶所駅
各務原線で鵜沼宿→名鉄岐阜。名古屋本線で名鉄岐阜→茶所。
名鉄岐阜から岐南の手前まで高架にする計画があります。
あきひこゆめてつどう(↓ブログの記事です。別のタブが開きます)
すすめ、岐阜市内名鉄名古屋本線高架事業!

・JRと立体交差する箇所を単線から複線化
・加納駅と茶所駅を統合、曲線も緩やかにしてスピードアップ
・加納駅の東の踏切、下川手の踏切という”開かずの踏切”の問題を解消する
という計画。
加納も茶所も名鉄の町ですが、下川手あたりの住民から声が出ているかもしれません。
是非、計画を遂行して頂きたい。
茶所駅の踏切は、まさに中山道の踏切。下川手の県道77号線よりは広くないし、車の通りも少ない。
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「中山道 加納宿」という碑があります。
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06. 鎌岩の碑
茶所駅近くのT字路は中山道と岐阜街道(御鮨街道)が合流する交差点。
「茶所」という地名の由来となった「鎌岩の碑」
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があります。
ぶたれ坊と茶所
この、ぶたれ坊と茶所は、江戸時代の相
撲力士「鏡岩浜之介」にちなむものです。
伝えによると、二代目鏡岩は父の職業を継
いで力士になりましたが、土俵の外での行
いが悪かったことを改心して寺院を建て、
罪滅ぼしをしました。また、茶店を設けて
旅人に茶をふるまったそうです。
(中略)
平成十四年三月 岐阜市教育委員会
旅人に茶を振る舞ったので「茶所」なのですな。
07. 加納宿
中山道を河渡宿方面に進んでいきます。
荒田川に架かる「加納大橋」。
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東に荒田川橋梁。名鉄名古屋本線、加納~茶所間が通っています。
このあたりは御鮨街道でもある。側溝の蓋に「御鮨街道」が描かれています。
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岐阜問屋は岐阜の名産品であり、
尾張藩が将軍に献上する鮎鮨の継立て(※ 宿駅で人馬を替える事)をしていました。
鮎鮨を運ぶ道として使われていたのが岐阜街道。いつの間にか「御鮨街道」と呼ばれてます。
安良町に「右 岐阜 谷汲」の道標があります。
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「谷汲」とは
赤坂宿の四ツ辻から北へ分岐する「谷汲街道」の事を指すのでしょう。
(この道標の「谷汲」の意味を知っている人はほとんど居ないと思われる……)
加納駅近くの「東番所跡」。
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番所とは、街道の警備・見張りなどの役目にあたる番人が詰めていた施設。
北番所跡と
西番所跡(
20170627追記 ex.として後述)もあります。
専福寺界隈。
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まさに正面が岐阜駅の高層ビル「岐阜シティ・タワー43」です。いい眺めですな。
岐阜問屋跡。今は民家?
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将軍に献上する鮎鮨は岐阜町の「御鮨所」を出発、岐阜問屋を経由。
加納八幡町から名古屋へ向かう御鮨街道を通り、笠松問屋まで届けられたそうな。
道標「左中山道 右西京道」。
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ここまでが中山道と御鮨街道の共通の道。ここから中山道と御鮨街道に分岐します。
高札場跡。加納藩の高札場があった所。
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馬籠宿や鵜沼宿では高札場が”復元”されてましたが、加納宿は跡のみですな。
加納城の大手門跡。
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この近くに大正期の「旧加納町役場」があったようですが、取り壊されたみたいですな。
創業元和6年、老舗の料理屋さん「二文字屋」
[10]。明治天皇が御休憩された当分本陣跡
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「当分の間、本陣として定めらていた臨時の本陣」という意味の当分らしいです。
皇女和宮の歌碑と本陣跡。
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皇女和宮の歌碑
仁孝天皇の皇女 和宮親子内親王は将軍徳川家茂との結婚のため、
文久元年(1861年)、京都桂御所を御出発、中山道を通行して江戸に向かわれた。
同年10月26日、加納宿本陣の松波藤右衛門宅に宿泊された。
その時、自分の心情を詠まれたという歌が伝えられている。
遠ざかる 都としれば 旅衣
一夜の宿も 立うかりけり
……都(京都)から遠ざかっていく。宿も落ち着かない。
というような意味でしょうか。
西問屋跡
[13]と脇本陣跡
[14]。脇本陣とは本陣に次ぐ宿舎。
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[14]
西問屋は加納の宿問屋。河渡宿や鵜沼宿から加納宿へ出入りする人馬の継立てをしていたようです。
08. 市立加納小学校
加納城大手門跡を南に進むと、そこは丸ノ内。かつては侍屋敷が並んでいました。
今は岐阜大学教育学部附属小中学校、市立加納幼稚園、そして市立加納小学校があります。
おそらく、各学校は名門なのでしょう。
オペラで有名な加納小学校。
赤門という通称の正門が「岐阜の宝100選」に選ばれた……のですが、昨年取り壊されてしまった模様。
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今は新しい正門に建て替えられたそうです。
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09. 加納城跡
慶長5年(1600年)、徳川家康が関ヶ原の合戦の直後、築城を命じた城。
北から南へ5つの曲輪があり、それらは堀と川に囲まれ、「水に浮かぶ城」という景観だったそうです。
城下町は加納城の北から西にかけて造られた。
町の北部は中山道が東西に走り、加納宿が設置され、加納は城下町と宿場町が1つになった。
加納では美濃傘と呼ばれる和傘が生産されていて、加納の伝統産業として受け継がれていました。
かつての「水に浮かぶ城」の面影は無く……
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今はじいちゃんばあちゃんがゲートボールをやってたり、近所のオッサンが犬の散歩に来たりしてますな。
加納はかつての城下町でもあり宿場町でもあります。
岐阜市内でも特に重要な町である事に間違いありません。
岐阜駅すぐ南というロケーションもイイ。
岐阜駅まですぐという事は、名古屋駅までもすぐ、という事を意味します。
名古屋駅まで出てしまえば、のぞみ等で関西にも関東にも行けます。
……なお、加納のアピタ岐阜店では「鉄道写真展」が続いています。
市内線の忠節橋、千手堂、徹明町、そして新岐阜駅前。イイ写真だなあ。
99. パンフレット
無事帰宅。いい旅でした。
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鵜沼の皆さん、加納の皆さん、どうもありがとうございました。
運行表(土曜ダイヤ)
0531 名鉄 名鉄岐阜 発
0552 名鉄 新鵜沼 着
(鵜沼宿)
0717 名鉄 鵜沼宿 発
0747 名鉄 名鉄岐阜 着
0755 名鉄 名鉄岐阜 発
0758 名鉄 茶所 着
(加納宿)
ex. 西番所跡(20170627)
西番所跡に行きました。
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バス停「加納新本町」の近く。秋葉神社の中にあります。
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加納宿のかなり西。
この先は河渡宿、美江寺宿、赤坂宿、そして
谷汲街道へと続いてきます。
谷汲街道は、またの機会に……。