
先週可夢偉選手のケータハム&ザウバーのモデルカーのご紹介ブログで一貴選手のウイリアムズや琢磨選手のジョーダン&BARの話をしましたが、日本人F1ドライバーの話は去年の夏「スーパーアグリ特集」?になった時にもしていて、その時は中嶋サン、亜久里サン、右京サン、琢磨選手、一貴選手、可夢偉選手の6人を挙げ「うっかり抜けてた^^;」って虎サンの話をしたんですが、まだ抜けていたドライバーが居ました!
中野信治サン‼

中嶋サンはセナとチームメイトになったって経緯を持ってますが、中野サンはプロストのチームで走ったって経緯を持ってるドライバー。

まぁプロストのチームになったせいで不遇の時期を過ごすハメになっちゃったと言えるんでしょうけど😢。
96年の日本GP後のリジェのテストで認められ、無限エンジンの後ろ盾もありリジェ入りするも、リジェは97年シーズン開幕前にプロストGPに。更に98年からのプジョーエンジン搭載も決まり、ナンバー1ドライバーはパニスとフランス色が強まる中で立場はビミョーに。
翌98年は右京サンの後任としてミナルデイへ。

車の競争力も低く、パッとしないまま2シーズンが終わってしまったって印象が残ってます。

FN時代には童夢のF1プロジェクトに関わったりもしてましたよね。

F1後はCARTに行ったりル・マンに出たり。WECやアジアン・ルマンにスポット参戦なんかもありました。
一昨年19年にチーム無限の監督に就きましたが先日退任を発表。

次はどのステージへ…⁇
そして…まだ居ますよー、日本人F1ドライバー(笑)。
タキ井上こと井上隆智穂サン(94年シムテックS941〜95年フットワークFA16)。

出所不明な感じでしたが、イギリスのフォーミュラフォードで走ったり、全日本F3、国際F3000とそれなりの?キャリアを経てF1にたどり着いたんですよね。
まぁ隆智穂サンと言えば、95年のモナコでクラッシュした後に牽引中にオフィシャルカーに追突された件と

同じく95年のハンガリーで、エンジントラブルで出火した自分の車を消火しようとしてた所を消火に来たレスキュー車に轢き逃げされた件が

何よりも一番の有名?な話になりますが(苦笑)。
こんなネタにもなりました(笑)。
こちらJujuちゃん父、野田英樹サン(94年ラルースLH94)

82年にカートレースデビューし88年は中企から全日本F3参戦。90~91年とイギリスF3に参戦し91年にはシルバーストーンで日本人2人目の優勝を飾り、92~94年は国際F3000に参戦し94年には日本人初のポデイウム獲得(第4戦で3位)。その年の終盤3戦にラルースからF1参戦しましたが3戦全てリタイアという結果に終わり、翌年はシムテックからのフル参戦を目指すもスポンサーの問題やチーム自体が消滅なんかでF1参戦は終了。その後96~97年はインデイライツに参戦、97年のポートランドで優勝とかありましたがその後はつながらず。98年からは日本に戻りFNやGTに参戦、10年のル・マンで現役引退。
15年にはSGTのサードの監督なんかもしてたんですね!

今や「野田英樹」で検索するとJujuチャンの画の方がいっぱい出てくる状態ですが(苦笑)。
そして現在はSGTのレースデイレクターなんてお堅い?お仕事をしている服部サン、90年全日本F3でチャンピオンになり91年にF3000にステップアップ、その勢いそのままにコローニC4でF1シリーズの最後の2戦、日本、オーストラリアに参戦するも、あの車でしたから(苦笑)。2戦共に予備予選落ち。

日本GPでは一口2万円の個人スポンサーを募っての参戦。「耳なし芳一」とか揶揄されましたねー(苦笑)。
以上のF1マシン達をモデルカー目線から見ると、中野サンのリジェ…じゃなくプロストJS45とミナルデイM198はミニチャンプスから出てて

隆智穂サンはオニクス製ですがフットワークFA16がありました。

シムテックS941はラッツンバーガー車はミニチャンプスでモデル化されてるようです。
コローニは残念過ぎる?車の割にはスバルエンジンのC3Bがスパークから出てたりします(苦笑)。

まぁ、コレクションに加えるとしたら中野サンのリジェ…じゃなくプロストJS45くらいですかねー(笑)。
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Posted at
2021/01/28 23:56:43