
(本日も書き溜めた文章ですみません)
前回から1年以上経ってしまいました。2年掛けてこれでやっと4回目、先が思いやられますが、さて本日のお題は一気に
約70年前にワ~プです!
(←写真は拾いもので関係ありません)
終戦直後に新しい学制となった時に「我こそは横浜大学!」と名乗りを上げた学校が三つありました。
名前に競合が発生したのですが、その争いは文部省(当時)の調停で収まりました。
その結果その名は
永久欠番となり、一つは市立の「
横浜市立大学」、そして私立の「
神奈川大学(県名を採用)」、最後に新制国立大学として「横浜高商」、「横浜工専」と「神奈川師範」を統合した「
横浜国立大学」と決まりました。
市大は昔のY専(横浜商専)、そして神大(ジンダイと発音して神戸大/シンダイと区別する)は昔の横浜専門学校とすべての候補が「横浜」を冠していたのでどれを選んでも負けた候補に恨みが残る(詳しくは井沢元彦氏の言霊関連の本を)と考えたのでしょう、三方一両損の落語(大岡裁き)のような裁定となりました。
SamSの叔父二人はそれぞれ市大と国大を出て学校の教師となり、私も国大で会計学を学び会社勤めを始めました。当時は大学数が多くはなかったのでまだ学生が大切にされた時代でした。
SamSは自動車部にも入っていて車庫のあった工学部の弘明寺へ行くと商店街では何かと余禄がありました。食事時にサービスしてもらったり、ゼミのコンパの時には先生の顔の利く店で勘定をマケてもらったり女将さんが挨拶で顔を出して必ず追加サービスの肉皿が出たり、工学部の先輩達は堂々とツケ(出世払い)で飲食をしてました。
ちょうど常盤台に移転した直後で私が学んだキャンパスは元ゴルフ場(旧保土ヶ谷CC)、グリーンの左ドッグレッグがよく分かる構内の景色は工事直後で回りは赤土でほぼ緑のない状態でした。横浜新道出口にあり今は当時植えたばかりの若木も大きく生育し鬱蒼とした林となって、いかにも大学キャンパスらしくなってますが......おっと脱線失礼(^^ゞ
以降の新設大学にもそれ故「横浜大学」の名はありません。横浜商科大学、桐蔭横浜大学、横浜薬科大学、横浜美術大学、横浜創英大学......大学名はすべて横浜と何かの合成名称で、確かに神奈川県に大学を新設しようと思えば一番イメージの良い(と思われる)横浜を大学名にするのは誰でも思いつくことでしょうが「横浜大学」が今でもないのは以上のような理由からです。
う~ん、段々想い出してきたけど確かに昔は何かと「国大の学生さん」と地元で大切にされて皆が学生に優しかった時代でした。昔のことですっかり忘れてましたが、思えば古き良き時代だったなぁ(*´-`)
オマケ:西島秀俊さんという俳優も国大の出身だそうで眞鍋かをりさんとともに知られてます、あと加藤雅也さんとかも。
でもSamSが知ってる後輩と言えば黒木香サマくらいだゾ(おぃ)、おっと忘れちゃいけない桜井眞一郎氏は大先輩ですが(`_´)ゞ
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ヨコハマ昔ばなし | 日記
Posted at
2017/10/04 22:56:21